杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

甲州親子旅

2008-03-30 12:55:21 | 旅行記

 昨日(29日)は完全オフ。両親を連れて身延山に桜見物へ出かけました。

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  父は元・土木技術者で、道路や橋を作る仕事をしていたので、リタイア後も山歩きや難路・悪道の運転を好んで、どこにでも行きたがります。心臓病を患い、体力が衰え、運転中、小さな自損事故をたびたび繰り返すようになったのですが、家族が反対しても“運転したい病”がなかなかおさまりません。巷では高齢者に免許を返納させる動きがあるようですが、父の世代は、自分の体力や精神力に過大な自信があるようで、昨日も出かける直前まで、オレが運転すると言って駄々をこねるのです。結局、私が強引に自分の車で実家まで2人を迎えに行き、有無を言わせず後部座席に乗せました。

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  身延山久遠寺では、思いがけない出会いがありました。復元工事中の五重塔の施工工事者名に、あの、『金剛組』の名が!

 ご存知の方も多いと思いますが、寺社や文化財等の木造建築を手がける『金剛組』は、飛鳥時代第30代敏達天皇6年(西暦578年)創業の、世界最古の老舗企業。創業者は聖徳太子に招かれて朝鮮半島の百済からやってきた造寺工(てらつくるのたくみ)です。本社は、最初に手がけた大阪・四天王寺の横に1400年以上、建ち続け、593年に四天王寺を造ったときに始めたとされる手斧始式(チョンナ始め)は、匠の精神を伝承する儀式として、今も連綿と続けられているそうです。

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  同社の沿革によると、江戸期の第32代当主は、士農工商の身分制度があった時代に、<工>の身ながら苗字帯刀が許されました。32代が残した四天王寺五重塔の設計図は、今でも十分通用する完璧なもので、彼が残した4つの家訓―『お寺お宮の仕事を一生懸命やれ』『大酒はつつしめ』『身分にすぎたことをするな』『人のためになることをせよ』が社是になっているとか。喜久酔の青島孝さんの「利益拡大より継続を」の話が甦ってきます。

 名著『木のいのち木のこころ』で知られる宮大工の西岡常一さんや小川三夫さんが言われるように、この仕事は、営業に20~30年かかるなんてザラで、自分の仕事の良し悪しは200~300年後に修理解体した宮大工が初めて解って評価される、というモチベーションが必要。収益を回収するにも、とんでもない時間がかかります。

 

  ジャーナリスト野村進さんの著書『千年、働いてきました』によると、2年前、倒産危機に見舞われたとき、「金剛組を潰したら大阪の恥」と、それまでまったく付き合いのなかった高松建設(東証一部上場)が立ち上がりました。同社のある淀川区に金剛組を別に作り、天王寺区にある金剛組から営業譲渡するという苦肉の策で社名を残し、金剛家第39代当主を相談役に迎え入れて、世界最長寿の老舗の看板を守ったのです。高松建設からやってきた新社長の小川完二氏は、野村氏のインタビューに「本当に必要な老舗は、みんなが助けようとする。それが日本のいいところ。残念ながら役に立たない老舗は潰れてしまうだろう」と答えています。人のためになることをせよ、という32代の家訓が、青島孝さんも言う「継続の力」になり、周囲の支援を導き出した、まさに生きた実例ですね。

 

  老舗企業についての勉強を始めたばかりの私にとって、“生きた伝説”である金剛組の現場と出会えたことは、久遠寺のしだれ桜を愛でるよりも興奮する出来事でした。桜そっちのけで、工事中の五重塔のシートの向こうのわずかに見える大工さんたちの作業を凝視する私に、両親はあきれ顔。私が金剛組の説明を一生懸命しても、まったく興味なし、といった様子。

 伊豆修善寺の山間の農家で生まれ育った母は、幼い頃から、学校まで往復3時間歩いて通って鍛え上げた体力をさかんに自慢し、父の影響で60歳を過ぎてから本格的な登山を始め、夫婦で日本百名山の踏破を目指し、途中、心臓病でリタイアした父を尻目に、一人で98名山まで制覇。人間が人工的に造るものよりも、自然そのものの姿こそ最高だと考えるようです。

 

  身延山の観桜の後、母がウォーキング仲間から勧められたという市川三郷町の『みたまの湯』で一服したときも、露天風呂から見える南アルプス、八ヶ岳連峰、関東山地の山々を、母は得意満面で片っ端から解説し始めます。山登りのようなアウトドアにはとんと興味が湧かない私ですが、この温泉は、ベテランウォーカーやクライマーが勧めるだけに、快適な湯で、施設も新しくきれいで、ゆったり過ごせました。産直コーナーで見つけた三郷町特産のゴボウみたいに細長い〈大塚人参〉には興味津々。3月いっぱいで販売終了となる大塚人参特製ドレッシングをもれなくゲットしました。

  

  退屈気味の父には、風呂上りに生ビールを飲ませ、その後、勝沼まで車を飛ばして白百合醸造という個人ワイナリーを見学して、ワインをたっぷり試飲させました。「運転手だったら飲めなかったなあ」と満面の笑顔。やっと、自分が運転しないで楽しむドライブの価値が理解できたようです。

  この調子で、運転は近所のスーパーへ買い物に行く程度にしてくれればよいのですが、ドクターストップがかかっているのに、毎日のようにシルバー人材センターに通ってはアルバイトでも何でもいいからと仕事をしたがり、「自由に行きたい所へ行けないなら長生きしてもしょうがない」と駄々をこねる父。気持ちに体力がついていけないこの世代の余生に、どんな生きがいを与えられるか、私にとっては、1400年の企業を継続させることと同じくらい、重い課題になりそうです。

 

 

 

 

 

 

 


地酒サロンはホームグラウンド

2008-03-28 11:23:02 | しずおか地酒研究会

 ゆうべ(27日)は第30回しずおか地酒サロン「松崎晴雄さんの2008静岡県清酒鑑評会打ち上げ話」を開催しました。

 

  “造り手・売り手・飲み手の和”をモットーに、96年に発足したしずおか地酒研究会は、当初、専門家や事業者を講師・パネリストに迎えての講座『しずおか地酒塾』をつごう6回、郷土食や精進料理や酒米を玄米で試食する地産地消活動『しずおかお酒菜会』を4回、南部杜氏のふるさと岩手県石鳥谷町・花巻への研修旅行、宮城県清酒鑑評会一般公開視察旅行などを行ってきました。

 

 どちらかというと造り手や売り手側からの一方通行になりがちだった講座形式から、「飲み手目線で、地酒を扱う飲食店をもっと利用し、応援しよう」「造り手とも同じテーブルで杯を酌み交わし、ざっくばらんに語り合いたい」という観点にたち、2000年より『しずおか地酒サロン』に名を変えて、主に飲食店を会場に、ゲストも酒類関係者に限らず、地酒に縁のあるマスコミ人、陶芸家、作家、静岡在住の外国人などを招き、冬~春の時期は酒蔵見学も積極的に行っています。静岡酒を知る・学ぶことから、味わう・楽しむことへとステップアップしたつもりです。

  

 2001年の静岡県清酒鑑評会から審査方法が変わり、5人の審査員が室温20度に保たれた県沼津工業技術センターの麹室の中で、品温15℃の出品酒を5点ずつ、個別に用意されたグラスで順番に採点する方法が採られました。これは世界の醸造酒や食品の味覚審査の方法に倣ったグローバルスタンダードで、日本酒の鑑評会では初めての試み。吟醸王国たる静岡ではそれだけ厳格で適正な審査をすべきという審査委員長河村傳兵衛氏の意向を、蔵元側も全面的に支持し、松崎晴雄さんは、民間の立場から初めて審査員に選ばれました。

 しずおか地酒研究会でも、3月下旬の一般公開と表彰式の日、来静する松崎さんをつかまえて、「どんな審査だったんですか?」とうかがうサロンを2001年から始め、02年からは県知事賞受賞の蔵元も招いて、その年、最も静岡らしいと評価された酒の魅力や造りの苦労話などもうかがいました。

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  今回、静岡方式といわれた01年からの審査方法が、ふたたび、従前の方法に切り替わり、先のブログで紹介したとおり、会議室に、コの字に置かれたテーブルの上にすべての出品酒を一堂に並べ、10人の審査員がそれぞれ思い思いに試飲し、採点。室温は20度、品温は15℃にしてあるとはいえ、審査員のほか、係りのスタッフやマスコミなども自由に出入りできる会場は、やはり密封状態の麹室とは雰囲気が異なったようでした。

 「麹室で5点ずつきき酒したときは、1分半あまりの制限時間の中で5点を即座に採点しなければならず、きき直しがきかないので、精神的プレッシャーがありました。それだけ目の前の酒に集中できたともいえます。今回は、30分ぐらいの時間で、50数点を自由にきき酒できるので、相対評価がしやすかったわけですが、最後の最後まで迷ってしまうというリスクもありました」と松崎さん。

 「審査方法が変わったせいか、自分が静岡らしいと思っていた酒は少なかった印象でしたが、その数少ない静岡らしさを示した喜久酔が、審査員が増えても最上位に選ばれたのは、静岡らしさの定義が幅広い専門家に浸透した証拠です」と評価しました。

 

 松崎さんは静岡のみならず、全国各県の清酒鑑評会の審査員を務め、東京ではマーケティングアドバイザーとして活躍中。この3月には、自身でネットショップ『ここだけ屋』を立ち上げ、プロ中のプロの眼で選んだ酒や食品を紹介しています。また日本酒輸出協会理事長として、アメリカ、アジアの日本酒市場開拓に精力的に飛び回っています。

 「業界情報誌が首都圏の流通業者、飲食業者に日本酒産地高感度調査を行い、1位山形に次いで静岡が第2位に選ばれるなど、専門家の間で、静岡の銘酒どころとしての地位は確かなものになったようですが、末端の消費者や、新しく日本酒ユーザーになった人々の中で、この20数年来の静岡吟醸の歩みや静岡酵母の功績を知る人はまだまだ少ない。静岡の価値が知られることなく、福島や長野といった量産県がカプロン酸系の新型酵母(協会18号)の酒を評価し、そういう酒が首都圏にドッと入り、受け入れられる現状を見ると、静岡の酒もターニングポイントに来ているように思います」と大所高所からの指摘。

 「こういう時期に、しずおか地酒研究会で酒の映画を作ろうと立ち上がったのは的を得た活動で、大いに期待しています」とうれしいエールも送ってくれました。

 

 

 松崎さんの話を受けて、県知事賞受賞の喜久酔・青島孝さんが、これも現場の当事者ならではの秘話を披露してくれました。

 「うちで使う山田錦は、兵庫県産特A地区、徳島県産、そして地元藤枝の松下明弘さんの計3種類。今期の兵庫産は融けにくい米質だったというのは多くの蔵が言ったとおりでしたが、徳島産はむしろ融けやすく、松下米は例年どおりでした。

 夏場に松下圃場で米づくりにかかわってきた時点で、その違いを察知できたので、いざ造りに入る際、米の産地によって洗米時の吸水時間や麹を枯らす時間を調整する計画が立てられた。  

 出品酒の多くが兵庫産の融けにくい米で醸された結果、全体的に硬くしまったおとなしい酒が多かった中、うちの酒はいつもどおり適正な蒸し米に仕上がったと思う。これも、自分で米作りの現場を経験している成果だと思います。やはり酒造りは米作りから、が鉄則ですね」。

 

 

 

  さらに、3月18日付け日経新聞に載った青島さんの紹介記事で、ポートフォリオ理論を駆使した生産計画について、ファンドマネージャー時代、債券や株式に、いくらの資産を投じるかを統計学で分析した経験を酒に当てはめ、欠品や余剰品をなくし、コストを減らし、品質を上げながら価格を下げるという業界の常識では考えられない英断を行った背景を紹介し、「適正な品質価格で売り手や飲み手の皆さんに喜んでいただくのが、老舗にとって企業継続の何よりの力。老舗が、利益を上げて拡大しようとしたら赤福みたいなことになる。老舗は拡大成長より継続を優先すべき」と明快に語ります。20代後半で800億円の資産運用をこなしてきた彼が、それを実践していることに、参加者は大いに驚き、感心しました。

 「実は喜久酔が一番好きなんです」というカメラマン山口嘉宏さんに『吟醸王国しずおか』の撮影をお願いし、松崎さんや青島さんを囲んでなごやかに語り合ったり、真剣にメモを取る彼らの様子を映像に収めました。

 

 発足当時からほぼ皆勤賞で来てくれる富士の米山庸さん&静岡の萩原和子さん&浜松の佐藤隆司さん、奥さんが青島孝さんのファンだという大村屋酒造場副杜氏の日比野哲さん夫妻、静岡酒や朝鮮通信使の紹介記事を作ってくれた静岡新聞論説委員の川村美智さん、雑誌sizo:kaを読んで入会してくれた市川勝美さん、ブログを見て参加してくれた佐藤さんなど、新旧の仲間が入り混じって、数十年来の酒友のように語り合う姿を見ていたら、松崎さんが心配される“ターニングポイント”をうまく乗り切った静岡酒の未来予想図が浮かんできます。

 

 最後に、松崎さんに「東京の仲間にも映画支援を呼びかける会をやります。酒造りが始まる頃には仲間を連れて静岡の蔵見学もやりたい。東京と静岡をお互い行き来しながら、支援の輪を広げていきましょう」と励まされ、目頭が熱くなりました。

 

 この夜だけで、ウン十万円の支援金も集まりました。夫婦別口で高額支援してくれた銀行マンの小楠享司さんなどは「映画のエンドロールの支援者欄に、アイウエオ順ならトップに載るかもしれないから」と、“愛飲会(静岡の地酒をこよなく愛する飲み手たちの会)”という会を自分で結成するというのです。嬉しくなって、ついつい、山口さんに、「代行タクシー代を出すから呑んでいきなさいよ、せっかく喜久酔全種が揃っているんだから!」と太っ腹なことを言ってしまいました。

 映画作りの夢を、最初に、地酒研の仲間に話して本当に良かったとつくづく実感した夜でした。やっぱりここが自分のホームグラウンドなんだな、と。

 


表彰式と鑑賞会

2008-03-26 12:43:38 | 吟醸王国しずおか

 昨日(25日)は12時から県もくせい会館で静岡県清酒鑑評会一般公開&表彰式が、18時30分からB-nest静岡市産学交流センターで『朝鮮通信使』鑑賞&地酒を味わうシズオカ文化クラブサロンがあり、昼間から酒づくしの1日でした。

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  12時~14時の県鑑評会一般公開では、13日に行われた審査会に出品された27蔵の吟醸酒と純米酒102点がすべて無料で試飲できるとあって、平日昼にもかかわらず県内外から200人を越える静岡酒ファンが集まりました。私はファンの自然で率直な反応をカメラに収めたいとインタビューを試みましたが、声をかけた人の多くは、たまたまというか偶然というのか、かなりの地酒通の方ばかりで、評論家並みのコメントが返ってきて、美味しそうに呑むとか、おいしさにビックリするといった動きのある映像が撮れませんでした。一般の人の自然な表情を撮るって難しいですね…。

 

 これまではただの参加者として他人にかまわず、ひたすら試飲に没頭していましたが、今回、この会場を映像として残すという試みをして、初めてこの会場にどんな年齢や階層の人が、どんなモチベーションで来ているのかをじっくり観察し、消費者心理というものを考える機会になりました。

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 なかなかいいコメントがとれないなぁと困っていたところ、隣りにいた清水の居酒屋・河良の河本昌良さんと喜久酔松下米の米農家・松下明弘さんが熱く語りはじめ、いそいでカメラをまわしました。料理人の目から見た静岡酒の素晴らしさ、米を供給する農家として間近に見る蔵元の酒造りへの姿勢の美しさなど、シナリオに書いたような見事な言葉の数々を、こちらがQを出すまでもなくごく自然に語り合う2人に、聞いていてジーンとしてしまいました。2人は、純粋な一般消費者というわけではありませんが、自分の仕事や生活をかけて静岡酒とかかわる立場ゆえに、その言葉に確かな根っこがあり、第三者にも実感として伝わってくるんですね。

 後で聞いたら、2人はこの日が初対面。まるで数十年来の酒友のように互いの言葉を理解し、相打ちしながら話していたのが不思議でした。それが酒縁の面白いところでしょう。

 

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 肝心の蔵元=出品者の多くは、14時30分から別室で行われる関係者のみの試飲会場に参加するため、一般公開の時間からやってくる蔵元は数えるほどですが、昔に比べると、若い蔵元がずいぶん積極的に来るようになり、ファンも気軽に声をかけていました。年に1回のことですから、こういう交流の場をもっと活かせばいいのに…と思います。

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 もっといえば、16時からの表彰式は、県や税務署のお偉いさんを来賓に迎えた典型的な形式行事。代表者の挨拶や、賞状を渡すだけの儀礼的なもので、映像的に見たら味気のないものでした。200人ものファンが同じ会場にいたのです。彼らの前で表彰できたら、静岡の酒はもっともっと川下から盛り上がるのに…と思いました。

 10年ほど前、宮城県の清酒鑑評会一般公開と表彰式に行ったことがあります。米どころだけに、審査は米の種類別に行われ、最高位の県知事賞は県産米100%の使用酒に与えられ、表彰式は、県やJAが大々的に行うお米まつりのイベント会場で、多くの市民が見守る中、華やかに行われました。蔵元の顔がよく見える、とても楽しくアットホームな表彰式で、酒と消費者の距離の近さというものをしみじみ実感しました。

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 昨日の表彰式で印象的だったのは、杉本審査委員長(県沼津工業技術支援センター主任研究員)が、「バランスの取れた香りと、きれいで丸い味という静岡タイプの酒を評価することに徹しました。静岡的にバランスの取れた香りとは、酢酸イソアミル系の香りが、カプロン酸系の香りより勝るということです」と明言し、「首位の喜久酔は10点でした」と発表したこと。10人の審査員による3点法(1~3点まで順位をつけ、1点が最高)でトータル10点だったということは、全員が1点を付けたパーフェクトな酒だったということです。『吟醸王国しずおか』で大吟醸造りを撮影してきた喜久酔が、今年、最も静岡らしい酒、という満点評価をもらった事実に、胸が一杯になりました。

 

 

 

  

 

  17時に表彰式が終わり、その足でB-nestへ移動。シズオカ文化クラブさんが企画してくれた『地酒の女神が映画を作った!?~朝鮮通信使鑑賞会と地酒を味わう』で、通信使ゆかりの白隠正宗(沼津市)と臥龍梅(静岡市清水区)の2種を味わいながら、映像作品『朝鮮通信使』を観ていただきました。80人近い参加者の大半が、静岡を代表する企業やマスコミや老舗商店、学校関係のみなさん。朝鮮通信使のことも、徳川家康との関係のことも、ほとんどの人が知っていて、レベルの高い視聴者を前に、緊張で酒杯が思わず進んでしまいましたが、清酒鑑評会懇親会を終えた白隠正宗の高嶋一孝社長がわざわざ駆けつけてくれて、その、ほのぼのキャラにホッとさせられました。

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 80名の中には、実際に駿府公園東御門や三保松原の撮影にエキストラとして参加してくれた方も数人いました。聞くと、完成した映像を観るのは初めてとのこと。文化クラブ幹事の満井義政さん(満井就職支援奨学財団理事長)は「市税を投入してこれだけの作品を作ったのに、エキストラに参加した人や一般の市民が気軽に鑑賞できないのはおかしい。今日の参加者のみなさん、ぜひご自分のテリトリーで鑑賞の機会を作ってください。そういう運動が広がれば、当クラブで上映した甲斐があるというものです」と、力強いエールを送ってくださいました。

 

 県や酒造組合にしても、朝鮮通信使を製作した市にしても、静岡にしかない素晴らしい地域資源を扱っているのですから、もう少し市民に近づける努力をしてほしいと思うのですが、川下から川上に何か訴えようとしても、川上で聞く耳を持つ人がいなければどうにもなりません。黙っていても川上が動かざるを得なくなるような潮流を、川下から起こすことができればいいのですが、ふだん、仕事でNPO団体などを取材していても、そのことの難しさは重々実感します。

 

 

 一升瓶の空き瓶やゴミを抱えながら、丸一日、感激したり、自分自身の川下としての非力に落ち込むやらで、感情の起伏が激しかった一日を思い返しつつ、帰路のバスに乗ったら、シズオカ文化クラブに参加していたテレビ静岡の曽根正弘社長から「まる井にいるから」と呼び出しコール。曽根社長のフジテレビ海外特派員時代のスパイ小説並みの面白い体験談を聞いたり、まる井の河井美子さんの元気な顔を見たらスカッと気分をニュートラルにできそう!と、急いで自宅へゴミを置いて、タクシーで両替町に逆戻り。

 

 23時近くになって、別の宴席にいた喜久酔の青島孝さんが合流し、先週、日本経済新聞に載った青島さんの「拡大より継続を哲学に」の紹介記事をひやかしながら、曽根さんと青島さんの、世界を動かすユダヤの政治力・経済力や、ユダヤ商人と日本の老舗経営者のロジックの違いなど、酔っ払って聞くにはもったいないような実のある話で盛り上がりました。

 「ホントはもっとたくさん支援したいけど、うちもまだまだひよっこの身だから」と恐縮しながら吟醸王国しずおかの支援金をくださった河井さんにも、心の底から励まされました。現金を見て元気になるって、ホント、ゲンキンですね、人間って。

 

 

 私には、元気を注入してくれる人が身近にたくさんいる。川下は川下なりに果たす役割があるはずで、川下でがんばるからこそ応援してくれる人もいる。そんな思いで締めくくった一日でした。


映像カメラマン成岡正之さん

2008-03-23 15:09:27 | 吟醸王国しずおか

 先週、しずおか地酒研究会の会員宛に、現在制作中の映像ドキュメンタリー『吟醸王国しずおか』の製作支援のお願いを送付しました。

  

 映画づくりに挑戦するには、資金のメドがなければ何もできないし、誰も信用しないだろうと思い、昨年夏から、県酒造組合をはじめ、国や県の地域資源活用補助金制度や、県文化財団の文化事業補助金などをあたりましたが、公的補助金は「無駄な事業に税金は使わせない」という不文律のため、使い道に制限が多く、経済効果を算出しなければならず、相談窓口では、「これを作ったら酒の売り上げがどれだけ伸びるのか?」という質問ばかり。時間がかかっても、しっかりとしたドキュメンタリーを作り、「観る人が感動し、静岡の酒を呑みたくなる映像を作りたい」「静岡の酒造りを通して静岡の水や農業や伝統技術の価値を後世に伝えたい」という自分の志がくじかれるような経験を何度もしました。

 

 最も可能性があった県文化財団の補助金は、年度末までに作品を完成させることが条件でした。酒造りのドキュメンタリー制作は最低でも2~3年かかるので、3年継続で補助をお願いしたいと言いましたが、どんなものであれ、単年度ごとに完成品を仕上げて公開しなければダメで、「映像が無理なら、シナリオや本など映画作りに関連したパブリシティを作ったらどうですか?」とのアドバイスをもらいました。

 

 

 そこで、私は協力をお願いしていた『朝鮮通信使』の山本起也監督とカメラマンの成岡正之さんに、自分たちのこれまでのキャリアを語り、地酒映画への挑戦表明と、おおよそのプロットをまとめた本作りから始めましょうと呼びかけました。監督にはスケジュールが合わない、自分は映像作家だから本は書かないと拒否されましたが、成岡さんは、「自分は書くのが苦手だから口述筆記してくれるなら」と胸襟を開き、自身の生い立ちからカメラマンを目指し、会社を作って若い映像技術者を育てるまでの歩みをじっくり語り、地域の映像クリエーターが置かれた厳しい環境をなんとかしたい、という熱い思いを披瀝しました。

 

 

  私はそれを3日間徹夜して3万字の原稿に書き上げ、成岡さんと奥様に見せたところ、「真弓さんの本気さがわかった。感動した」と手放しで喜んでくれました。「読みながら、いろいろ思い出したことや、これだけは言っておきたいということもあるから、自分と女房で少しずつ書き足してみるよ」とさえ言ってくれました。

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  成岡さんのキャリアについては、本が出版できたときにご紹介できれば、と思いますが、かいつまんで紹介すると、元プロドラマーで、音楽番組に出演していたことがきっかけでテレビ技術者に転身し、日本テレビ系の制作会社で腕を磨き、静岡第一テレビが開局したときに静岡へ異動になり、第一テレビの制作番組をほとんど手がけました。

 

  あるとき、テレビコマーシャルでNY摩天楼の上空から地上に置かれた商品を真俯瞰から急降下でズームアップする映像に魅せられ、その技術を開発したカナダのメーカーを探し、使用ライセンスを持つイギリスの特撮制作会社フライングピクチャーに1年がかりで入社しました。この会社は007シリーズの特撮のために作られた会社で、カメラマンは全員パイロットのライセンスが必要なため、第一テレビを辞め、妻子を日本に残し、サンノゼの航空学校に入ってアルバイトで地元ケーブルテレビの仕事をしながら、1年かかって業務用航空ライセンスを取得したのです。

 

  フライングピクチャー時代はシルベスター・スタローン主演の山岳アクション『クリフハンガー』の特撮チームに入って技術を学び、日本テレビが世界陸上の初中継のためにフライングピクチャーの空撮技術を導入することになって日本に戻り、フライングピクチャージャパンの社長となって、国立競技場の上空から、トラック上のカール・ルイスの疾走をズームでとらえる映像を撮りました。安田成美と中森明菜が共演したフジテレビの月9ドラマ『素顔のままで』のオープニングで空から海岸線に近寄るダイナミックな映像も、成岡さんのカメラです。

 

  

  成岡さんは、その後、ダイビングのラインセンスも取得し、空中も水中も撮影できる稀有なカメラマンとして、多くのテレビ制作にかかわりました。根っからの職人で、撮りたい被写体や、どうやって撮ったのかわからない映像に出会うと、自分でトコトン確かめずにはいられないタイプ。東京で友人と独立開業したとき、その友人にだまされ、無一文になる憂き目も味わいましたが、平成9年に、第一テレビ時代の仲間の支援もあって、静岡で『オフィス・ゾラ静岡』として再出発。地方の映像プロダクションといえば、テレビ局の系列会社が多い中、ゾラはどんな特撮や急ぎの編集もこなせる独立系プロダクションとして重宝され、映像の仕事を志す若者たちが数多く集まってきています。

  

  ただ、今は、コマーシャルの映像ひとつを作るのにも、制作会社のギャラは、1分1万円という厳しい時代。テレビ局や広告会社の下請をこなすだけでは若者たちが技術を磨けず、モチベーションも上がらず、優秀な人材が静岡を見限って東京へ出てしまうという状況が続いているそうです。いつまでも下請のままではいけない、自分たちが企画し、納品まで一貫して請負えるプロダクトを増やしていかなければ、という切実な思いが、そこにありました。

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  成岡さんのような、日本に初めての特撮技術を持ち込んだ超一流のカメラマンを1日拘束するだけで、本来ならば莫大なギャラを払わなければならないでしょう。しかし、成岡さんは、喜久酔の若い杜氏や蔵人の真摯な姿勢に感動し、磯自慢では神業とされる麹造りの映像を2度撮り直すなど、この撮影を心から楽しみ、自分の持つ技術をおしみなく投入してくれます。それは、私のため、というよりも、地方で映像の仕事に夢を持つ若者に、映像作りの真の醍醐味や価値を伝えたい、そしてゾラ自身が下請業者から脱却し、地域の映像制作の質を向上させたいという意志の表れのような気がします。

 

  『吟醸王国しずおか』は、そんなカメラマンと、静岡の酒を20年来、愛し、取材し続けるライターが作る、クリエーター発のドキュメンタリー作品です。酒蔵のコマーシャルビデオでもなければ、テレビのグルメ情報番組でもなく、ましてや素人の投稿ビデオ作品とはレベルが違うことだけはご理解ください。

 

  しずおか地酒研究会会員の何人かが、自身のブログ等でこのプロジェクトのことを紹介してくれて、未知の読者もずいぶん増えました。ちょっとしか支援できないけど、と言いつつ、早々に資金カンパをしてくれた会員も何人かいました。カメラマンの山口嘉宏さんのように、実際に現場までかけつけてくれた人もいます。そうやって具体的なアクションを起こしてくれたみなさんに、この場を借りて心からお礼を申し上げます。

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  『朝鮮通信使』主演の林隆三さんの「好きな芝居で人を喜ばせ、感動させられるなんて、こんなに楽しいことはない」という明快な言葉と、昨日の、金先生の「良心に恥ることのない、純粋な思いで始めたことは、最後に必ずモノになる」という激励を、今は何よりの糧にがんばります。

   

 *吟醸王国しずおか映像製作委員会 会員募集

吟醸王国と謳われる質の高い静岡の酒造りをハイビジョンカメラで映像化し、後世に伝えるプロジェクト。応援してくれる個人・団体を募集しています。会員には、作品完成後、会費に応じた枚数のDVDを進呈。また会費に応じて特典DVD、あるいはご本人出演のオリジナル特典DVDを制作・進呈します。

問合せ・申込みはプロフィール欄の鈴木真弓メールアドレスまでご一報ください。


金両基先生の『良心』

2008-03-22 21:45:05 | 朝鮮通信使

 今日(22日)は午後から、西奈公民館で金両基先生(評論家・比較文化学者)の講演『ふだん着の人権論』を聞きに行きました。

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 金先生は韓国中央大学客員教授、カリフォルニアインターナショナル大学教授を経て、87年、外国人として初めて、日本の国公立大学の専任教授=教育公務員として静岡県立大学教授となり、常葉大学教授を歴任。昨年は、静岡県朝鮮通信使400周年記念行事推進委員会委員長として活躍され、静岡市製作の映像作品『朝鮮通信使』の脚本監修と韓国語版監修でもお世話になりました。朝鮮通信使のことを、県大教授として静岡へ赴任されて以来、20余年、「消された歴史」として訴え続けてこられた先生にしてみたら、昨年の400周年記念事業は奇跡のような出来事だったようです。県の委員長として多忙を極めておられる中、朝鮮通信使のことは中学生並みの知識しかない私と山本起也監督が書いた脚本に、よくおつきあいくださり、ほとんどノーギャラで韓国語版の監修まで引き受けてくださいました。

 

  ハングル字幕が入った『朝鮮通信使』を観たとき、私は初めて、作品が自分の手から離れ、一視聴者として客観的に鑑賞することができました。自画自賛になって恐縮ですが、中学生レベルのライターが2ヶ月足らずで書き、撮影1ヶ月、編集1ヶ月で作った映画にしては、よく頑張ったのではないかと。しかし韓国語版を作ったことはほとんど知られていません。

 

 

 

  金先生は講演の中で「静岡の人というのは、火をたきつけて燃やそうとしてもなかなか燃えないし、時には、火をつけた人間自身がジョウロで水をかけて消そうとする」と苦笑します。確かに、こんなスケジュールで、“消された歴史”である朝鮮通信使というテーマを映像化できると考えた市のお偉いさんの感覚はよくわからないし、税金を投入したにもかかわらず、完成しても市民に広く公開する手段を考えず、韓国語版が出来たことも一切PRしないなんて、火をつけるポーズをしただけで、後は水をかけて終わらせたようなもの。「やっと朝鮮通信使のことに多くの人が眼を向けてくれた。本当に奇跡のようです」と喜ぶ金先生の善意を直に感じるだけに、このプロジェクトが正当に評価されないことが残念でなりません。

 

 

  講演の中で、金先生は「良心とは何ですか?」と聴衆に訊ねました。大半が50代以上の大人たちが答えられずにいると、「何が善で、何が悪かを判断し、悪をしりぞけようとする心の働き」であり、その判断は「論理的な矛盾を起こさない“整合性”」をもってなされるべきであり、信仰を持つ人ならさらに神や仏に自分を照らし合わせてみる、ということだとシンプルに解説してくれました。講演のあと、先生を囲み、静岡人権フォーラム事務局長や西奈地区協議会の役員の方々とお茶をいただきながら、地域における世代間ギャップや、オールドカマーとニューカマーの壁をいかに乗り越え、豊かなコミュニティを作るべきかを議論し合いました。

 

  

 地区の世話役や集合住宅の役員などは、とかく、順番にやらされて面倒だという思いが先にたつ人も多いようですが、「隣近所、誰が住んでいるかわからないようじゃ困る、住民同士で気軽に声がかけあえる町であってほしい」と願う思いは誰でも同じはず。そういう思いを率直に話せる場があれば、縁あって同じ地域に住む者同士、理解し合えるはずだ、という結論に落ち着きました。私はもちろん「それは酒しかない、ノミュニケーションが大事ですよ」と突っ込むのを忘れませんでした。

  

  先生は西奈地区の人々を「自分の心がそうありたい、そうしたいと純粋に思うことが、最後はモノになるんだよ」と励ましました。朝鮮通信使という消された歴史に陽があたる日を純粋に願い、昨年、数々の事業に結実した経験が、先生のその言葉に表れているように思いました。

  

  帰路の車の中、私がカネにならない地酒映画づくりを始めたり、奈良や広島へ飛び回っていることも心配してくださいました。ご自身も、昔は原稿料が入ると、次の執筆のため取材に使い果たして生活に苦労された経験がおありだったとのこと。自分なりに持ち続ける良心と、「最後はモノになる」という先生の言葉を信じるしかない、と今は思います。

 

  

  先生は来週から韓国へ渡り、日本と韓国の教職員同士ががっぷり組んで取り組む教科書づくり、しかも近現代史の執筆監修に取り組まれます。

 私はとりあえず、10年前の先生と櫻井よしこさんの共著『日韓歴史論争~海峡は越えられるか』(中央公論社刊)から読んで、遅ればせながら、金先生のライフワークの一端を垣間見ようと思っています。