杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

「杯が満ちるまで」出版1周年、地酒研20周年アニバーサリーへの思い

2016-10-24 13:21:38 | しずおか地酒研究会

 

 静岡新聞社から『杯が満ちるまで~しずおか地酒手習帳』を出版していただき、10月23日で丸一年となりました。この本をきっかけに生まれた新しい酒縁、復活した懐かしい酒縁、より一層深まった酒縁・・・さまざまな縁(えにし)の広がりに、感謝と責任の重さを実感した一年でした。

 

 しずおか地酒研究会の前身である静岡市立南部図書館食文化講座「静岡の地酒を語る」が1995年11月1日開催で、研究会の活動も20年を越えたため、これに感謝するアニバーサリー企画に汗を流した一年でもありました。加えて、初めて民間のカルチャー講座(朝日テレビカルチャー)を担当することにもなり、本の取材執筆を始めた2014年秋から数えると、丸2年、酒の魅力を伝える作業にどっぷり浸かったことになります。

 正直なところ、本の印税も、しずおか地酒研究会の活動費も、コストを考えると完全にマイナスベースで、カルチャー講座もぎりぎりマイナスにならない程度。損得勘定せず好きで始めたことですから愚痴は言えませんが、酒で儲けてると思われるのは辛いし、20年前には夢のようだった魅力的な酒のイベントが自分の周辺でも毎月のように企画され、お誘いをいただくものの参加できる余裕もまったくなく、酒瓶を見るのが鬱陶しいとさえ思うこともありました(苦笑)。

 

 今朝(10月24日)の静岡新聞朝刊文化芸術欄に、東大寺戒壇院の広目天像が紹介されていました。つい先月、早朝の戒壇院を一人訪ねて広目天さまに愚痴をこぼしてきたばかりだったので、記事を読んで改めてハッとさせられました。

本当に感謝すべきは、生活の糧のための仕事を私にくださった、酒とは無縁のお仕事関係の方々。そういう方々がいなければ、酒の活動はおろか私自身の生活も成り立ちません。どんな小さな仕事でも、この仕事を鈴木に、と言っていただけるだけで感謝感謝の一語に尽きるだろう、ご縁をいただいた仕事はどんな仕事であろうと(フリーランスなら当たり前ですが)全身全霊を傾けよう、そうでなければ酒の活動も続けられない・・・感謝の種を枯らすな、見失うな、大事に育てろ、と広目天さまに叱咤激励された気がしました。

 この2年、やや盲目的に突っ走ってきましたが、自分の体力や生活力をふまえ、身の丈にあったペースで頑張ろうと思っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

 秋の20周年アニバーサリー企画について詳細をレポートするつもりでいましたが、自分の暮らし向きや今後のことをあれこれ考えているうちに日が経ってしまいましたので、とりあえずは写真紹介だけでお許しください。

 

 9月25日には『お酒の原点お米の不思議2016秋編』を開催しました。夏に引き続き、静岡県農林技術研究所三ケ野圃場を再訪し、宮田祐二先生に刈入れ直前の「誉富士」「山田錦」をはじめ、さまざまな試験栽培中の品種について解説していただきました。この日、東京から急きょ酒食ジャーナリストの山本洋子さんご夫妻が駆けつけ、大変熱心に取材されていました。全国トップクラスの日本酒情報発信力を持つ洋子さんに静岡発の情報に触れていただく機会を作ることができて、宮田さんはもちろん、私も心底うれしかったです。

 

 山本洋子さんを含め、松崎晴雄さん(日本酒輸出協会理事長)、里見美香さん(dancyu編集委員)という日本酒業界を代表するジャーナリストを迎えて、10月1日にサールナートホールで開催したのが『カンパイ!世界が恋する日本酒先行上映&トークセッション「あなたと地酒の素敵なカンケイ」』

 これだけの面々が静岡へ来てくださったのに会場満席とならず、自分の不甲斐なさを痛感・・・。それでも『カンパイ!』出演者の久慈浩介さん(南部美人蔵元)やジョン・ゴントナーさん(SAKEジャーナリスト)がビデオメッセージを寄せてくださったり、トークゲストの皆さんがご自身と静岡酒との出会い、全国の酒との違い、取材者としてみる静岡の蔵元の魅力など楽しい話題で静岡の酒を盛り上げてくださいました。(ICレコーダーの用意を忘れてしまい、いつものようにトーク内容を書き起こすことが出来ません。申し訳ありません・・・)。 

 

 

 なお映画『カンパイ!世界が恋する日本酒』は10月29日から静岡シネギャラリー(JR静岡駅前サールナートホール内)にて公開です。

 

 10月2日は『杉錦の生もと造り体験』を開催。山廃・生もと・菩提もと等の伝統酒母造りで吟醸王国しずおかの中でも異彩を放つ杉井酒造で、生もとのもと摺り体験をさせていただきました。午前と午後2回にわけて参加募集したところ、1日ゲストの山本洋子さん夫妻、里見美香さん夫妻はじめ、沼津や浜松からも会員さんが駆けつけてくれて、定員オーバーで大いに盛り上がりました。

 洋子さんはさっそく、週刊ダイヤモンドで連載中のコラム「新日本酒紀行」にて杉錦を取り上げ(10月22日号)、素晴らしい情報発信力を発揮してくださいました!

 

 

 みんなで摺った生もとで仕込む「杉錦生もと特別純米(誉富士100%・静岡酵母HD-1使用)」は年末に生原酒で発売予定。一部、しずおか地酒研究会20周年記念ラベルで販売します。

 

 

 出版1周年の昨日(10月23日)は、朝日テレビカルチャー静岡スクールの「地酒ライターと巡るしずおか酒蔵探訪」10月期初日。静岡市の萩錦酒造を訪問しました。私が心から敬愛する女性酒造家である蔵元夫人の萩原郁子さんが、平成28BYの仕込み開始を待つ酒蔵内部を丁寧にご案内し、萩原吉隆社長が蔵の冷貯蔵庫から自慢の5種を出してくださいました。静岡市民にはお馴染み・西脇の萩錦酒造の井戸水を、井戸からコップにすくって和らぎ水にしながらの試飲時間は、何物にも代えがたい贅沢な時間。初参加の受講生さんが喜んでいる姿に目頭が熱くなりました。

 昨日は大正13年に撮影したという萩錦酒造の写真を初めて見せてもらい、写真に映っている志太杜氏と思われる職人さんたちの姿に、またまた目頭がじわっ。職人魂を受け継いだかのような郁子さんの逞しい手を見て、この人に蔵を支える使命があるように、自分にも何かを支える役目がある・・・そんなふうに勇気をもらえた気がしました。

 またひとつ感謝の種が増えたみたいです。

 

 


しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー「喜久醉松下米の20年」

2016-10-10 10:51:32 | しずおか地酒研究会

 しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー企画。9月末~10月初にかけて4回立て続けに催行しました。少し落ち着きましたので1本ずつご紹介します。

 

 まずは9月22日(木・祝)に開催した『喜久醉松下米の20年』。藤枝の地酒『喜久醉』の醸造元青島酒造が蔵のコンセプト商品として位置付ける『喜久醉純米大吟醸松下米40』『喜久醉純米吟醸松下米50』も20年のアニバーサリーを迎えるため、“同級生”の当会が勝手に押しかけお祝いしようと企画したものです。

 

 青島酒造の前で記念写真を撮った後、松下圃場に移動し、田んぼの勉強会。その後、参加者のお一人で『そばをもう一枚』著者の山口雅子さんがコーディネートしてくださった手打ち蕎麦処『玄庵』でささやかな酒宴を催しました。松下米を宮田祐二先生(「誉富士」開発者)が解説してくださるという贅沢な会。青島さんが喜久醉全種類をご用意くださり、東京や浜松からも駆けつけた30名は大いに盛り上がりました!

 


 1996年3月1日。しずおか地酒研究会の発足準備会に、青島酒造の青島秀夫社長が連れて来た一人の稲作青年。聞けば前日、蔵に突然やってきて「酒米を作りたい」と切り出したとか。海外青年協力隊でアフリカに農業指導に行った経験があり、アフリカ好きの青島社長とすっかり意気投合したそうな。
 私が発足準備会の席で、会のコンセプトを「造り手・売り手・飲み手の和」と発表したところ、「米の作り手も入れろ」と口を挟んできて、酒米作りのキャリアゼロの分際で生意気なやつ!と憤慨したのが、松下明弘さんとの出会いでした(笑)。

 

 青島社長が「どうせ挑戦するなら山田錦を作ってみろ」「失敗しても俺が全量引き取ってやる」と力強く背を押し、地酒研メンバーも一緒に田植えや雑草取りを手伝いながらの1年目。出穂を迎える8~9月は、台風や豪雨にヒヤヒヤしながら、10月の稲刈りを無事迎えようとした、ちょうどそのころ、青島孝さんがニューヨークから帰ってきました。
 大学卒業後、家業は継がず、国際金融の世界に進み、ウォール街で巨額マネーを操っていた彼は、そういう世界に身を置いたからこそ、「地に足の着いたモノづくり」の価値を実感。帰国早々、実家の近くの田んぼで、得体のしれない連中が米作りで盛り上がっている様子に、最初は面食らったと思いますが、今思えば松下さんと青島さんの出会いは必然だったのでしょう。

 

 今は喜久醉の蔵元杜氏として地元にしかと立脚する青島孝さん。「20年前に帰ってきて、最初の仕事は、しずおか地酒研究会の田んぼ視察でした」とリップサービスしてくれたあと、酒造工程を丁寧に解説。彼の自信に満ちた姿は、今日に至るまで、求道ともいえる酒造の修業を20年間確かに刻み込んできたその証しでした。

 松下さんも「最初の数年は稲刈前のこの時期、ほとんど眠れず生きた心地がしなかった」と当時の苦労を振り返りますが、今は、どんな気象条件だろうとまったく揺るぎない姿に見えます。2人のことは勝手に同志だと思っていますが、同じ20年を刻んできたのに、自分はいったい何をやってきたんだろうと、いつもいつも情けない気持ちにさせられ、喜久醉松下米を呑んで苦いと感じる時は自分が落ち込んでるとき、旨いと感じたら自分の心根が安定しているとき・・・そんなバロメーターにもなっています。

 

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 松下さんはご存知の通り、日本で初めて山田錦の有機無農薬栽培に成功し、静岡県では初めて個人で農水省から品種登録を受けた「カミアカリ」を作り、大きな面積すべてで有機JIS認定を持つ県内唯一の稲作農家。

 2013年に彼が上梓した『ロジカルな田んぼ』(日経プレミアムシリーズ)は、「農作業の一つ一つには、すべて意味がある。その意味を知れば、工夫の余地が生まれ、これまでにない新しい農業が可能になる。農業とはどんな仕事かを、一般的に、ここまで技術ディティールに踏み込んで解説した本は、これまでないはず。」という本。この本の出版祝いに当ブログで紹介した20年前の写真を再掲してみましょう。

 まだ当時はプリント写真。しかも記録用に撮ったものなので画像の粗さ&画角の甘さはご容赦くださいね。

 

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  日付が見当たらなかったのですが、1996年6月、山田錦の田植えです。苗を疎に植える(一株2~3本の苗を間隔を空けて薄く植える)ので、傍目には苗だか雑草だかよくわからない(苦笑)。本当にこれで米が実るのかなあと心配でした。

 

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 1996年6月23日。しずおか地酒研究会で山田錦研究の大家・永谷正治先生を招いて地酒塾『お酒の原点・お米の不思議』を開催。その後の有志による現地見学会で松下さんの田んぼを先生に見ていただきました。

 

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 1996年8月末~9月初め。日付は不明ですが、出穂の頃です。あんなにスカスカだった田んぼがこんなに美しく黄緑色に輝いていました!

 

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  1996年10月5日。再び永谷先生を招いて田んぼ見学会。青島孝さん(右端)がニューヨークから帰国して2~3日後で、彼の最初の仕事?が、この田んぼ見学会でした。

  当時、私(右端)はロン毛。右は20年後。わははーです。

 

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  これは河村傳兵衛先生が、初めて実った松下さんの有機無農薬の山田錦を根っこから持ち上げる貴重なショットです!

 

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  1996年10月27日。青島孝さんが静岡県沼津工業技術センターの試験醸造に研修生として参加しており、松下さん&地酒研有志で陣中見舞いに行きました。

  

 

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  松下さんが気になるのは、やっぱり米を蒸す工程。甑(こしき)の構造をじっくり観察していました。

 

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  1996年12月8日。しずおか地酒研究会の『年忘れお酒菜Party』。農家のお母さんたちの伝承郷土料理と山田錦の玄米ごはんを味わう忘年会で、当時、静岡新聞社で農産物情報誌『旬平くん』を編集していた平野斗紀子さんが司会進行をしてくれました。松下さんは初めて育てたとは思えない堂々とした山田錦を披露。ちなみに玄米で食べたのは永谷正治先生が調達してくれた徳島県産の山田錦です。松下さんの米には手をつけていませんのでご安心を(笑)。

 

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  年明けの1997年1月。いよいよ松下米の初仕込みです。現場で「松下の米は胴割れしない」と真っ先に評価した杜氏の富山初雄さん。「松下米」の命名者でもあります。

 富山さんは、青島久子さん(社長夫人・孝さんのお母様)が青島酒造に嫁いだ昭和38年から青島酒造で酒を醸す南部杜氏。孝さんにとっても家族同様の存在で、ニューヨークから帰国し酒を造りたいと言ったとき、父の秀夫社長は(蔵元が造りに関わるのを)反対したものの、富山さんは手放しで喜んでくれたそうです。

 

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 1997年2月25日。初搾りの日は松下さんも立会い、上槽作業に特別参加しました。

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  洗い場で、タメに残ったもろみの米粒をすくって食べる松下さん。一粒たりともムダにしたくないんですね。なんだか正しい「お百姓さんの姿」を見ました・・・。

 

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  こうして生まれた喜久醉純米大吟醸松下米。最初の96BY酒(1997年発売酒)は、未だに空けられず、MY冷蔵庫の奥底で眠り続けています。

 以下は、1997年10月の発売時に作らせてもらった松下米のしおりです。当時は私が自分のワープロで打ち込んでプリントしたものを、簡易印刷で刷って、青島酒造のみなさんが1枚1枚朱印を手押しした、完全アナログチラシ(苦笑)。ささやかながら、この酒の誕生に関わることが出来て幸せです。

 

 

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 2016年10月6日。21回目の松下米の稲刈りが行われました。「20年で一番雨が多く、日照時間の少ない最悪の年だった」と振り返る松下さんですが、宮田先生が「肥料を余計に与えない稲は、葉の色が薄く透明感がある」「山田錦は茎の節々に一定の間隔があり、しっかり根を張らせて作った山田は、倒れそうに見えて絶対に倒れない」と解説されたまさにその通りの、美しく力強い稲でした。

 21作目の喜久醉松下米が吞めるのは1年後。毎年毎年、愉しみは尽きません。