昨日(30日)はNPO法人活き生きネットワークの設立10周年記念総会があり、起業人助っ人として全国区の活躍を見せる小出宗昭さんのお話を堪能しました。 聴講者は活き生きの理事・評議員10人ちょっとで、この人数で聴くのはもったいないほど、実のあるお話でした。
ご存じの方も多いと思いますが、小出さんは静岡銀行在職時にSOHOしずおか(静岡県がハコを造り静岡市が運営する起業支援施設)へ出向し、6年半の在籍中、行政運営の支援施設としては画期的な実績を上げ、その手腕を見込まれて07年7月からは浜松市の産業支援施設へ出向。1年前の08年6月、生まれ故郷である富士市から、新設の市産業支援センターf-Bizをお願いしたいと市長直々に乞われ、静岡銀行を退職して自身の会社を立ち上げ、f-Bizの運営を受託。「なんで銀行を辞めてまで?」「なぜ静岡や浜松より人口の少ない富士で?」「富士なんかで大丈夫か?」とさんざんつつかれたそうですが、小出さんには「どんな地域でもやれる。人を生かし、町を元気にする仕事だから」という確信がありました。
静岡、浜松の月間相談件数はおよそ50件ほど。これを参考に富士の当初の月間相談目標件数を25件と目算したのですが、フタを開けて見たら開所初日に20件、8ヶ月で1000件を突破し、現在は月平均130件と図抜けた数字を記録中です。「5月は150件を超えました。来館者のほとんどが口コミです。町の規模なんて関係ない。支援の方向性や意思がしっかりと伝われば、おそらく夕張でも石垣島でも出来るんじゃないかと思います」と小出さんは力強く語ります。
私はずっと個人で仕事してきたので、組織に属することの恩恵もプレッシャーも経験せず、相手がだれであろうとひとりの人間としてぶつかっていく怖いもの知らずの習慣が身についていました。相手が組織に属する人であっても、その人の人間性や考え方がまず気になり、この人は自分の言葉で語っているのか、組織のマニュアルを代弁しているだけなのか、をついつい見てしまいます。
小出さんに関しては、SOHOしずおかに出向してこられた時から知っていますが、この人が静岡銀行員で行政の支援組織の職員だという“枕詞”を感じたことがありませんでした。むしろ「…らしくないなぁ」「…らしくないから銀行の出世コースから外れたのかしらん」などと心配したくらい(苦笑)。つねに相談相手にひとりの人間として対峙し、自分の言葉で応えようとする小出さんの姿勢が、SOHOやf-Bizを「小出さんがいるから相談に行こう」という場所にしていったのだろうし、小出さんも銀行員のままでいることに意味を感じなくなったのだと思います。
「地方銀行というのは、本来、地域に根差し、溶け込んでいかなくてはいけないのに、社会的強者のセクターというのか、地域に“君臨”する存在になってしてしまっている。恥ずかしい話ですが、銀行にいた頃は、障害者と会ったことが一度もありませんでした。この世界に来て、生まれたての起業家とともに考えたり悩んだりするうちに、大切なものが何かがわかってきました」。
「活き生きネットワークは、もともと存在感のある組織だったので、この世界に入ってすぐに目に付きましたが、実際に杉本彰子さんたちの活動を間近に見て衝撃を受けました。福祉NPOの中でも全国トップクラスの組織だが、ここまで来たのは(行政のバックアップや企業メセナで始まった組織ではなく)市民の長年の地道な活動の積み重ねによるもの。それが驚きです」。
「今、コミュニティビジネスとかソーシャルベンチャーなどと言う言葉がもてはやされ、若い社会起業家が注目されているが、1~2年でポッと出てきた人や、補助金や委託事業に頼った新興NPOに比べ、活き生きネットワークの姿勢は、全国的に見ても一つの理想だと思う」と小出さん。
私も、活き生きネットワークの事業報告書を見て真っ先に思ったのは、そのことでした。
平成20年度の事業報告書を見ると、自主事業―すなわちもともとNPO法人化以前から地道に続けてきた社会的弱者への生活支援事業が、収入の8割を占め、行政からの委託事業収入や補助金収入は2割ほど。障害者を雇用するときは、行政の福祉窓口等を通せば補助がもらえるのに、仕事がなくて困っている障害者を目の前にすれば「うちに来て」と直接声をかける、そういう姿勢を貫いてきたので、杉本理事長は「もっと上手に助成制度を利用すればよかったけど、(制度を)知らずに来てしまいました」と苦笑します。
小出さんはそれを聞いて、「多くのNPOが補助金目当て、委託事業ありきで活動するのに、ここは…」と感嘆していました。
もちろん、利用できる制度をうまく活用すれば、その分、もっと有効に事業費を回せるわけで、活き生きネットワークという組織にも、改善すべき点はあろうかと思います。
しかしながら、小出さんは「結果も大事ですが、結果を目指し、前向きに挑戦する姿勢に価値がある。支援する立場であれば、部品を組み立てるのに1分かかる障害者が、明日は1分切れるよう努力する…その姿勢に温かいまなざしを持てる人間でありたい」と言います。「それが、活き生きネットワークさんから教えてもらった“大切なこと”です」と。
富士市産業支援センターf-Bizの小出さんのもとに昨年のクリスマスの頃、富士宮市にあるメッキメーカーの社長さんが静岡銀行の支店員に連れられて相談に来ました。最初は新工場立ち上げの話から始まったそうですが、社長が「実は本当の相談は…」と切り出したのは、雇用の問題でした。
この会社は従業員の7割が知的障害者で、しかも全員正社員での雇用。昨年暮れといえば、日比谷公園に年越し派遣村が出来る云々のニュースが駆け回り、派遣社員はおろか、正社員もリストラ対象になるといった不安が世間を覆っていた頃です。自動車部品の下請が8割を占めるその会社も、急激な業績悪化に陥ったのですが、社長は涙を浮かべて「何があっても雇用は守りたい。彼らの雇用が保障されるなら会社を売ってもいい」と訴えたそうです。…静岡にもこういう経営者がいるんですねぇ。小出さんの話を聞きながら目頭が熱くなってしまいました。
その姿につき動かされた小出さんは、さっそく全国の新聞社・テレビ局にプレスリリースを流し、県内2局と新聞1社が取り上げました。さらに「公的補助には頼りたくない」との信念を持つ社長を「緊急時だから」と説き伏せ、県の労働支援対策の担当局長を直接会社に招いて、助成制度の活用を指南してもらったそうです。
講話後の質問タイムでは、活き生きネットワークの理事から、「杉本さんたち創業第一世代の後に続く若い世代を、どう育てたらいいのか」という質問が寄せられました。カリスマ的なリーダーの熱い思いによって立ち上がったNPOの多くが、後継者の問題や、組織が大きくなるにつれて創業時の理念が浸透しにくくなったという問題に直面しています。私が過去取材した多くのNPOも同様でした。
小出さんは「第一世代が現場でその姿勢を示し、思いを語り続けていくしかない」と応えていましたが、それ以外に、小出さんのような外部識者が、この組織の客観的な評価や価値を、若い世代にも伝えてあげたらいいのでは、と思いました。
後から付いて来る人に、リーダーと同じ思いを共有しろというのは無理な話です。それは、NPOに限らず、どんな組織でも同じですよね。
私自身の体験でいえば、20年以上、地酒に関わっている自分と、最近、静岡の酒を覚えた若い世代では感じ方や応援の仕方が違うのは当たり前。自分だから出来ること―たとえば世代をつなぐ仕掛けづくりとか、職業上のスキルを活かすこと(記事を書いたり映像を残すこと等)に特化し、ほかは若い世代の自主性に委ねようと思っています。
昨日は私の顔を見るなり、「映画はどう?」「困ったことがあったらいつでも相談して」と声をかけてくれた小出さん。つねにひとりの人間として向き合う姿勢を忘れず、自分に出来る支援の仕方をきちんと見つけ、実践されているんだなぁと、改めて清々しく感じました。