杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

坐禅、白隠、マインドフルネス

2013-12-10 10:55:53 | 白隠禅師

 アメリカに住む妹からクリスマスギフトと近況を伝える手紙が届きました。麻酔看護師の妹は、現在、ポートランドの病院で働く傍ら、オレゴン健康科学大学院博士課程に通っています。研究テーマが「マインドフルネスを使ったストレス対処法(MBSR)」。門外漢の私には、マインドフルネスって初めて聞く言葉です。

 

 ネットでいろいろ調べてみたら、読売新聞のこの記事が一番解りやすかったのでコピーします。

 

 

 

 

 ストレスに対処できるよう心を整える技術「マインドフルネス」が、欧米の医療、教育、企業といった現場で注目されている。その様々な技法の中から、体を動かしながら行うやり方を紹介しよう。

 

 

 

 

呼吸に合わせ両手動かす

 

 

 「マインドフルネス」は、「意図的に、今この瞬間に注意を向けること」を意味する英語。もとは仏教の瞑想法の技術だが、これにキリスト教の黙想を付け加えた技術もある。

(

)

 

 

 欧米では、ストレスに対処する技術として1970年代から徐々に普及し、90年代からは心理療法にも導入された。「今ここ」に集中する練習をすることで、うつ病患者のマイナスの思考や感情を抑え、再発予防に効果があるとされる。

 

 インターネット検索サービス最大手の米グーグルは、2007年から社員の研修に導入し、集中力や創造性を高めているという。

 

 マインドフルネスでは、座って呼吸に意識を集中したり、歩きながら足の感覚に意識を向けたり、ジュースを飲んで口、のど、胃などの感覚を観察したりと、様々な技術が使われる。

 日本での普及・啓発組織「ヒューマンウェルネス・インスティテュート」代表の心理士、石井朝子さんが指導しているのは、呼吸に合わせて両手を動かす「呼吸のマインドフルネス」だ=イラスト=。

 

 

 ポイントは、この動きを繰り返しながら、今ここにある身体の感覚や気持ちに気づくこと。「息を止めるのが少し苦しい」「右の肩が凝っているぞ」「胃に不快感を感じる」「何となく腹立たしい気分だなあ」という具合だ。

 

 

 この時、「今日のお昼ご飯は何を食べようかな」「明日は会社の会議で発表しないといけない」などといった考えが浮かぶことがある。そんな時は、考えを打ち消そうとはせずにそのまま受け流し、すぐに意識を「今ここ」に引き戻す。

 

 石井さんの指導を受け、自宅で毎日欠かさず続けている静岡県の藤井礼子さん(72)は、嫌なことがあって腹が立った時でも、呼吸のマインドフルネスを行うことで気持ちが静まり、冷静に解決方法を探れるようになったという。

 

 ちょっとした体調の変化にも早めに気づけるため、風邪をまったくひかなくなったという。「人生の宝物をもらった気がします。これからもずっと続けていきたい」とほほえむ。

 

 ヒューマンウェルネスではこのほか、全身を動かしながら行う「マインドフルネス・ウオームアップ」やダンスも紹介している。グループで練習している神奈川県の清水英子さん(56)は「より全身の感覚に集中しやすく、ストレス解消効果も高い」と話す。特にダンスは若い世代向きだ。

 

 石井さんは「マインドフルネスは、自転車に乗ることに似ています。しっかり練習することが必要ですが、身に着いてしまえば世界が広がり、自分らしい人生を送れるようになるのです」と話している。(山口博弥)

 

(2012年9月6日 読売新聞)

 

 

 

 

 

 これを読んだら、ああ、坐禅をするときと同じだなあと実感しました。身体をびた一文動かさない坐禅は、全身を動かすマインドフルネスとは正反対のようですが、「動かさない」ことに意識を集中することで、自分の今の心身の状態に気づくのです。座っていると、本当にいろいろな雑念が湧いてくる。それはそのまま受け流し、坐禅中の「いま」に意識を戻す。これの繰り返しなんです。

 

 坐禅を始めたばかりのころは、家でもやってみようと挑戦したのですが、やっぱり集中できないので、かわりに時々寝る前に実践しているのが、白隠禅師が『夜船閑話』で説いていた“内観の秘法”です。厳しい禅の修行も、心身が良好でなければ実にならないということで、禅師が、参禅求道の人々に指導した腹式呼吸法です。

 

 

 ①夜、床に入ったら、全身の力を抜いてダラ~と横たわる。

 

 ②次に両手と両足をピンと伸ばし、腰から下に力を入れて、軽く呼吸をする。

 

 ③さらに深くゆっくり息をし、息を吸い込んだらしばし止める。

 

 ④吸い込んだ息を下腹(丹田)のほうへ落としていくように、細くゆっくり吐き出す。

 

 ⑤下腹に息がたまったと感じたら、鼻から空気を吸い、さらに下腹に満たしていく。

 

 ⑥以上を繰り返しながら、「わがこの気海丹田腰脚足心、まさにこれわが本来の面目・・・」「・・・本分の家郷」「・・・唯心の浄土」「・・・己身の弥陀」の4句を唱え、精神を集中させる。

 

 

 というもの。私が参考にしている『白隠禅師・健康法と逸話』(直木公彦著)では、4句覚えるのが大変なときは、重要ワード「唯心の浄土」「己身の弥陀」だけ繰り返して精神統一してもよいそうです。

 仏教用語でなくても、自分の好きな言葉を心の中で唱えてもいいと思います。よかったら試してみてください。

 

 

 

コメント (1)
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二十一世紀の使行録ふたたび

2013-12-07 11:27:33 | 朝鮮通信使

 12月5日(木)19時から、第7回静岡県朝鮮通信使研究会総会に参加しました。この会も、もう7年続けています。

 

 7年前といえば、2007年、大御所四百年祭の記念事業の一環で、静岡市が映画『朝鮮通信使~駿府発二十一世紀の使行録』を製作した年。朝鮮通信使のことも映画の脚本制作も、まったく初心者のド素人だった私を根気強く導いてくださった朝鮮通信使研究家の北村欽哉先生が中心となり、静岡県日韓友好議員連盟の天野一会長をヘッドに、年3~4回の勉強会を地道に続けてきました。

 

 先月、LIFE TIME で開かれた音楽家谷川賢作さんのジャズセッションで久しぶりにお会いした山本起也監督に、未だに朝鮮通信使のことに関わっていることを「粘るなあ~、その粘り腰が羨ましい」と冷やかされましたが、知れば知るほど、「まったくさわりの部分しか知らないド素人が映画を作った」という後悔と羞恥心に苛まれるんですね。この穴を埋めるには、朝鮮通信使のことを勉強し続けるしかない。と同時に、この仕事が無ければ深く考えることはなかったであろう、日本と朝鮮半島の交流史を学ぶ機会を得たことは大きな財産だ、と素直に思えるようになりました。

 

 5日の研究会では、講師に、元・平沢大学日本学科教授の小幡倫裕先生をお招きし、『韓国の大学生から見た日本』というテーマでお話いただきました。いつもは地方史の古文書を読み解く講座が多かったので、興味深く拝聴しました。

 

 

 韓国の首都圏内にある14大学、語学専門学校、短大等で日本語を専攻する学生1215人にアンケート調査を行ったところ、「日本の何に興味があるか?」の設問では、日本語を専門課程で学ぶ学生が「①ドラマ、②食文化、③歌」と応え、日本語を教養課程で学ぶ学生では「①食文化、②アニメ、③漫画」という結果。日本のテレビドラマは、地上波での放送はないものの、衛星放送やケーブルテレビ等でかなり普及しており、日本のドラマをリメークした韓国ドラマもたくさんあるそうです。

 ちなみに「歴史」に興味があるという人は少数派。政治家やマスコミが騒ぐほど歴史認識問題って関心はないようですね。これは日本でも同じかも。

 

 

 1965年の日韓国交正常化以降も続いた反日運動というのは、“日本排斥運動”ではなく、文化面での脱日本化=韓国化運動でした。国交が正常化した以上、政治・外交・経済面では手を結ぶ一方で、反日のターゲットを文化にフォーカスさせた。文化開放を頑なに拒んだというのは、それだけ日本に対する警戒心や脱日本の意識が強かったのですね。

 

 80~90年代、アニメやマンガ等、サブカルチャーの分野で日本製が入ってくるようになりました。『キャンディ・キャンディ』や『マジンガーZ』は、日本製だとわからないようにエンドロールを変えて放送されていました。未だにこれらのアニメは韓国製だと信じている人も少なくないそうですが、この頃から着実に、お茶の間に“日流”ブームが浸透していきました。

 

 

 90年代半ば、韓国は中国やロシアと国交正常化し、文化開放しました。日本の大衆文化を規制し続けることに矛盾が生じ、また自国のハングル文化に自信を持つ若い世代が増えたこと等により、対日文化開放の機運が高まってきました。

 

 日本より早くインターネットが普及していった韓国では、今まで国産だと信じていたアニメが日本製だったこと、流行歌の中に日本の歌を剽窃(ひょうせつ=パクリ)ものがあったこと等が露見し、サブカルチャーの輸入規制は不可能になってきたんですね。

 

 そして1996年、サッカーワールドカップ2002を日本と共催することが決まり、金大中大統領は日本文化開放路線に大きく舵を切ります。この頃、韓国へ渡った小幡先生は、日本映画の『ラブレター』や『鉄道員(ぽっぽや)』が韓国内で大ヒットし、中山美穂の『ラブレター』での台詞「おげんきですか」が、今の日本の流行語大賞に匹敵するような一大流行語になった状況を直に体験されたそうです。

 

 

 そんなこんなで、その後の日本での韓流ブームもしかり、今の韓国の若者が日本語を学ぶ大きなきっかけにもなっているサブカルチャーの力、あらためて凄いなって思います。

 

 

 韓国では、高校で第二外国語を学ぶ(以前は必修、今は選択制)ため、10代のうちから日本語を学ぶ若者も少なくありません。韓国内で日本語を学習している人の総数は、2008年のリーマンショック時に比べ、2012年の調査で-12.8%とのこと。逆に中国語学習者は+26.5%増。経済の勢いそのままの数字という感じがします。

 高校で第二外国語が選択制になってから日本語を学ぶという若者は、受験や就職に有利というよりも、本当に、日本のサブカルチャーが好きなんだと思います。若い世代が、どんな分野であれ、日本語や日本文化にふれ、隣国同士の交流の在り方について考える機会を持ってほしいですね。

 

 

 

Img070
 個人的に嬉しかったのは、小幡先生が、2007年に『朝鮮通信使~駿府発二十一世紀の使行録』が公開され、韓国語版DVDが出来た直後、大学の日本学科のゼミで使ってくださっていたこと。学生たちには、朝鮮通信使をテーマにした文化コンテンツを考える課題を与えたそうです。

 

 

 学生たちからは、「海游録、東瑳日記など、市販されている朝鮮通信使使行録をモチーフにしたドラマや小説を公募したらどうか。そうすれば必ずそれら使行録を熟読する人が増えるはず」「日本人向けに、朝鮮通信使が当時、日本に伝えたとされる朝鮮半島の伝統医学・東医宝鑑を体験する医療観光ツアーはどうか」といった素晴らしいアイディアが寄せられたそうです。

 こういう若者たちが、二十一世紀の通信使となり、新しい時代の使行録を創り上げ、伝えてくれるんだろうなあと胸が熱くなりました。

 

 研究会終了後、北村先生から「あのDVDが実際に役に立ったという話を初めて聞いたね」と冷やかされました。

 天野一会長も、「2015年の徳川家康没後四百年顕彰年に向け、朝鮮通信使関連の事業をふたたび」と力を入れてくださっています。

 

 

 映像制作は無理でも、何かやらなければ、という気持ちが沸々と刺激された夜でした。

 


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「かみかわ陽子流視点を変えると見えてくる」発行

2013-12-02 15:59:54 | 国際・政治

 今年もはや12月。先日、40歳になったばかりの知りあいが「30歳から40歳は、あっという間だった」としみじみ言うので、おいおい、40歳から50歳は倍速だぞって嗤い返してしまいましたが、本当に1年があっという間です。

 

 

 今年はレギュラーの取材ものや編集業務がいくつか減って、収入面でも大変きつい1年でしたが、ボリューム感のある重い仕事を個人でいくつか受注しました。

 

 

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 そのひとつが、衆議院議員上川陽子さんの本『かみかわ陽子流 視点を変えると見えてくる』。11月7日に静岡新聞社より発行され、現在、県内主要書店にて絶賛発売中です。

 

 この本は、2011年4月からスタートしたFM-Hi (76.9) のレギュラー番組「かみかわ陽子ラジオシェイク」のトークをまとめたもの。私はこの番組の構成作家兼聞き手役として出演しているため、実際にオンエアで話した内容を書き起こし、陽子さん本人が手を加えて本にしました。

 

 

 書籍化にあたっては、フリー編集者の平野斗紀子さんが“参戦”してくれました。陽子さんと私でまとめたものを、平野さんが第三者の眼で冷静に編集・校正し、ラジオシェイクのオンエア内容に加え、ちょうど衆議院議員として10年になる陽子さんの活動記録として、読み応えのある内容に仕上がりました。こちらで目次項目が見られますので、ザッとお目通しいただければ。

 

 

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 11月12日には、日比谷の東京會舘で出版記念パーティーが開かれ、私も平野さんと一緒にお手伝いに行ってきました。自民党の石破幹事長や安倍内閣の主要閣僚が続々お祝いにかけつけ、写真記録係を仰せつかった私は、テレビでお馴染みの政治家をこんなにたくさん間近に見るのは初めてだったので、誰に焦点を当てたらよいのか(もちろん被写体の中心は陽子さんなんですが)右往左往してしまいました(苦笑)。

 

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 平野さんは、かねてからファンだったという福田康夫元首相を直視でき、「死んだうちの父に雰囲気が似ていた・・・」と感慨深げでした。平野さんにとって、この本は、静岡新聞社を早期退職後、独立して初めて編集を手掛けた一般書籍だったそうで、現職の衆議院議員で総務副大臣という要人の政治活動という難しいジャンルで、念校に念校を重ねる厳しいスケジュールながら、納期をしっかり死守してくれました。さすがプロです!。

 

 

 

 

 パーティー終了後、平野さんは明治生命館1階にあるグランドセントラル・オイスターバーでお洒落にビールを飲んで帰られました。この店は陽子さんがラジオシェイクで、NYグランドセントラル駅構内のお気に入りの店として紹介しており、日本に出店したと聞いて、ずっと行きたいなあ~と思っていた店。貧乏ライターの私は高速バスで帰るため、ご一緒できませんでしたが、本を作る喜びを長年共有させてもらった平野さんに、難しい仕事を請けてもらい、無事、完成し、著者本人が晴れの舞台を迎えられたことに、裏方としてのやりがいを大いに感じました。平野さんも同じ思いで、オイスターバーを楽しまれたと思います。

 私の身の回りには、すぐにでも書籍化できる価値ある仕事や活動をされている人がたくさんいますが、自分に力があれば本にして紹介したい・・・!と思うばかりで、なかなかカタチにできないのが現実です。それを思うと、自分の政治生命にかかわる大切な活動記録の書籍化を、私と平野さんを信じて託してくれた陽子さんには感謝の気持ちで一杯です。

 

 

 

 

 『かみかわ陽子流 視点を変えると見えてくる』は、編集=ラジオシェイク編集室になっており、私や平野さんの名前は出てきませんが、福田内閣の時に開催した北海道洞爺湖サミット晩餐会で『磯自慢』が使われたこと、東日本大震災の復興支援で福島いわきの皆さんを静岡へ招いたとき静岡酒でもてなしたことなど、陽子さんの活動にかこつけ、さして重要でもない地酒ネタがちょこちょこ登場し、地酒ライター鈴木真弓が関わっていることを、“わかる人だけわかる”状態になってます(笑)ので、地酒ファンのみなさまも、ぜひぜひご一読くださいませ!

 

 

 

 

 

 

 

 


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