前回の駿府城薪能鑑賞記顛末の続きです。先日、東京大学史料編纂所にお勤めだった歴史家・鈴木正人氏の『能楽史年表近世編(上巻)』という本を県立図書館で見つけました。1601年から1687年までの能楽関連の出来事を年表にまとめたもの。この本で、駿府城での催能記録を拾ってみました。
慶長13年(1608)
8月5日 駿府城で参勤の諸大名をもてなし、徳川頼宣(7歳)、能を舞ってみせる。高砂・田村・楊貴妃・皇帝・船弁慶(舜奮記)(台徳院殿御実記)
8月10日 駿府城本丸で徳川頼宣、秀忠饗応のため稽古能をする。能三番と狂言二番(古之御能組)
8月22日 徳川家康の駿府城二の丸で秀忠饗応の能あり。能六番はすべて7歳の頼宣が舞う(古之御能組)
慶長14年(1609)
3月29日 徳川家康、駿府城で藤堂高虎を饗し、徳川頼宣の能を見せる。また太閤秀吉のとき、大坂で勤番していた四座の猿楽どもに再度駿府勤番を命じる(当代記)(慶長見聞録案紙)(台徳院殿御実記)
4月28日 徳川家康、駿府城三の丸で能を催す。1日目。水戸城主徳川頼宣、岡山城主池田忠継らも演じる(当代記)(慶長年録)(台徳院殿御実記)(古之御能組)
4月29日 駿府城三の丸で四座の猿楽あり。2日目。金春大夫父子、観世・宝生・金剛が担当する(慶長見聞録案紙)(台徳院殿御実記)(当代記)(古之御能組)
5月1日 駿府城で猿楽あり。3日目。金春大夫親子、金剛亀千代・宝生・大蔵・梅若・日吉らが演じる(当代記)(古之御能組)(公室年譜略)
慶長15年(1610)
3月19日 駿府城で徳川頼宣、能を舞って見せる(当代記)(台徳院殿御実記)
3月21日 駿府城で徳川家康、上杉景勝、伊達政宗に自身の能を見せる(南紀徳川史)*4月23日の誤か
3月26日 徳川家康、駿府城で能を催し、熊本城主加藤清正を饗する(義演准后日記)
4月19日 駿府城で遠山利景(東美濃出身で家康の旧知)75歳、鈴木伊直(元三河足助の人)66歳、池田重信(秀頼公衆)46歳、水無瀬入道一斎に能を舞わせ、家康の慰みとする。世俗、これを「駿河の下手揃」と言って談訥とする。この輩、老年までその技をたしなむが極めて拙技なりという(慶長年録)(創業記)(当代記)(台徳院殿御実記)
5月23日 駿府城で上杉景勝、伊達政宗を饗する猿楽あり。徳川頼宣も舞う。翁を演じる予定だった観世左近身愛は前夜に逐電し、家康から勘当される。高野山に隠居し、「服部慰安斎暮閑」と署名(当代記)(慶長年録)。「世に伝うる所は駿府近来梅若を寵遇厚かりしば観世左近大夫に猜み恨むゆへなりと風説す(当代記)(台徳院殿御実記)
8月18日 徳川家康、駿府城で島津家久。中山王尚寧を饗し、猿楽を催す。加茂・八島・鞍馬天狗・源氏供養・老松。梅若大夫、徳川頼宣・頼房が舞う(家忠日記)(当代記)(台徳院殿御実記)(旧記雑録追録)(南紀徳川史)
慶長16年(1611)
9月15日 駿府城三の丸で勝姫君(秀忠三女、松平忠直に嫁す)を饗する能三番あり。二番は紀伊頼宣が舞う。尾張義直は小鼓を打つ。その他は下間少進・金春安照。狂言は大蔵弥右衛門・鷲仁右衛門・長命甚六郎が勤める。姫君、銭一万疋や被物二領を金春に纒頭する。在府の諸大名に見せる(台徳院殿御実記)(能之留帳)(駿府記)(古之御能組)(家忠日記追加)
慶長17年(1612)
3月25日 駿府城三の丸で徳川秀忠を饗する猿楽あり。紀伊頼宣、八島・唐船・鞍馬天狗を舞う。尾張義直は杜若の小鼓を打つ。松風・安達原は下間少進、その他弓八幡・杜若・鵜飼・呉服を金春が舞う。遠山利景・池田重信・鈴木伊直も一番ずつ所作し、この三人「世で名高き拙技なれば、見る者貴賎どよみ笑わざる者なく君臣歓をきわむ」という。また観世大夫暮閑も参加する(当代記)(駿府記)(慶長年録)(能之留帳)(高野春秋))(台徳院殿御実記)(南紀徳川史)
3月26日 駿府城三の丸で猿楽あり(当代記)
4月8日 徳川家康、駿府城三の丸で秀忠の江戸還御餞別の御宴に猿楽九番を催す。下間少進、金春、梅若が舞う(能之留帳)(当代記)(駿府記)
4月9日 駿府城での江戸還御餞別の御宴に猿楽が催される。紀伊頼宣、下間少進、金春が舞う。果てて秀忠より金春はじめ役者に銀子・時服を給う(台徳院殿御実記)(当代記)
4月16日 駿府城で下間少進、金春八郎の立合い能八番あり(能之留帳)
4月22日 駿府城三の丸で紀伊頼宣が催した猿楽を家康が見物する。式三番の役者が拙技で家康は気色を損じ、還御になる(駿府政事録)(台徳院殿御実記)(当代記)(駿府記)
10月25日 駿府城で紀伊頼宣、下間少進、金春の猿楽あり。果てて、拙技として名高い遠山利景・池田重信・鈴木伊直も舞う。大御所はじめ万座の輩どもどよみ笑い一興を催す(慶長年録)(慶長見聞書)(台徳院殿御実記)
慶長18年(1613)
3月5日 駿府城三の丸で慰みの猿楽九番あり。紀伊頼宣が田村・安宅・鵺・三輪・鞍馬天狗を、11歳の水戸頼房が江口・柏崎を舞い、尾張義直は江口の小鼓を打つ。三人の母、日野唯心、山名禅高、藤堂高虎その他天台の僧に見物を許す。金春二番と脇能・祝言は観世が勤める。観世は慶長15年の勘当が昨年解け、駿府に同候していた(駿府記)(台徳院殿御実記)(当代記)(時慶卿記)(駿府政事録)(公室年譜略)(高山公実録)(舜奮記)(能之留帳)(天正慶長元和御能組)(江戸初期能組控)
3月11日 駿府城三の丸で家康主催の猿楽あり。水無瀬一斎、池田重信、鈴木伊直、浅井喜之助、その他は観世・金春・梅若が演じる。今日も天台・真言の僧に見せる(駿府記)(台徳院殿御実記)(本光国師日記)(公室年譜略)(天正慶長元和御能組)(江戸初期能組控)
3月28日 駿府城で猿楽あり。紀伊頼宣も四番を舞う。観世・金春・下間少進・梅若が演じる (台徳院殿御実記)(当代記)(天正慶長元和御能組)
3月29日 駿府城三の丸で家康主催の猿楽九番あり。水戸頼房が山姥・船弁慶を舞い、下間少進・金春・観世が演じる。日野唯心、西洞院時慶、神龍院梵舜、金地院崇伝、南光坊天海らが見物する(台徳院殿御実記)(当代記)(能之留帳)(駿府記)(天正慶長元和御能組)(江戸初期能組控)
4月5日 駿府城三の丸で家康主催の慰み猿楽五番あり。初日。下間少進・金春の立合(当代記)(駿府記)(天正慶長元和御能組)(江戸初期能組控)
4月6日 駿府城三の丸で家康主催の慰み猿楽五番あり。二日目。金春の子2人、梅若大夫や藤堂高虎の小姓花崎左京が舞う(本光国師日記)(創業記)(台徳院殿御実記)(当代記)(駿府記)(天正慶長元和御能組)(江戸初期能組控)
4月18日 駿府城三の丸で猿楽九番あり。三日目。紀伊頼宣、皇帝・通小町を舞う。下間少進・金春・観世も演じ、伊達政宗を召して見せる(駿府記)(台徳院殿御実記)(能之留帳)(天正慶長元和御能組)(伊達治家記録)(斎藤報恩会蔵記録抜書)
慶長19年(1614)
4月14日 駿府城三の丸で家康主催の猿楽九番あり。初日。冷泉為満、五山長老らに見せる。白楽天・春栄・井筒・鞍馬天狗・通小町・芦刈・柏崎・葵上・養老。徳川頼宣は春栄を舞い、徳川義直は井筒の小鼓を打つ。金春・下間少進・梅若が演じる。金春八郎は煩いのため他の者で二番ずつ勤める(駿府記)(台徳院殿御実記)(当代記)(能之留帳)(天正慶長元和御能組)
4月15日 駿府城三の丸で能九番あり。二日日。竹生島・頼政・千手・谷行・芭蕉・花月・阿漕・善知鳥・老松。金春・同七郎・下間少進が舞う(駿府記)(台徳院殿御実記)(当代記)(能之留帳)(天正慶長元和御能組)
4月21日 駿府城三の丸で公卿饗応の猿楽あり。高砂・経政・三輪・鵺・野々宮・皇帝・御裳洗の七番。三輪・鵺・皇帝は紀伊頼宣が舞う。その他は金春・同七郎・下間少進が演じる(駿府記)(台徳院殿御実記)(当代記)(能之留帳)(天正慶長元和御能組)(綿考輯録)
5月1日 駿府城で拝賀ののち囃子五番を観世・金春が舞う。老松・当麻・松風・錦木・江口(駿府記)(台徳院殿御実記)
6月7日 駿府城三の丸で能九番あり。観世三郎重成(のちの十世)、駿府城での能に初出勤し「夕顔」を舞う。その他は金春八郎・同七郎・下間少進・大蔵大夫が演じる(駿府記)(能之留帳)(当代記)
7月10日 徳川家康、駿府城で幸若舞を見る(駿府記)
8月15日 徳川家康、駿府城で天台論議聞き召し、囃子を催す。小督・三井寺・老松・姥捨など。観世大夫、駿府で最後の囃子五番を勤める(駿府記)(台徳院殿御実記)
8月26日 駿府城広間で観世三十郎が能五番(呉服・経政・佛原・大仏供養・猩々)を舞い、父観世大夫(暮閑)は米百俵・鳥目三千疋を拝領する(駿府記)(台徳院殿御実記)
9月3日 駿府城三の丸で観世三十郎が能五番(老松・江口・大会・小塩・西王母)を舞い、家康、これを見る。太鼓方金春左吉と宝生座狂言方鷲仁右衛門が観世座付きを命じられる(駿府記)(当代記)*家康による観世座強化策の一環
10月1日 徳川家康、駿府城で観世大夫の猿楽を見る。家康から水戸頼房へ「その芸を習得すべき旨」の仰せあり(水戸紀年)
元和2年(1616)
3月29日 駿府城で勅使饗応の猿楽あり。高砂・呉服・是界を観世が演じる(台徳院殿御実記)
4月17日 徳川家康、駿府城で没する。75歳。以後、能役者は江戸詰めとなる。
ざっと見ると、駿府城では頻繁に能楽が催されています。前回のブログで恥をさらしたとおり、幻?の駿府城薪能プログラム&関連資料をもとに「駿府城で15回催能」と書いたナゾは解けてはいませんが、家康公の十男頼宣が幼い頃から能楽に親しんでいたり、戦場で苦楽を共にしてきた遠山利景70歳・鈴木伊直66歳・池田重信46歳が「駿河の下手揃」と嘲笑されながら、そのパフォーマンスに家康公が心底癒され、満座の笑いを誘ったというエピソード、大御所の人間味を感じさせ、ホロリとさせられました。観世が、家康の寵愛を受ける梅若に嫉妬して職場放棄し、勘当され、後に許されたなんて、能役者の世界もドロドロしてるんですねえ・・・。
編者の鈴木氏は出典先をちゃんと示してくださっているので、原本を紐解いて「15回催能」の裏付けを究明していこうと思います。引き続き、駿府城薪能のプログラムか関連資料をお持ちの方がいらっしゃったら、ご連絡お待ちしております!