27日(日)、袋井市の笠原~浅羽地区の茶園でユニークな歴史再現イベントがありました。なんでも、この地区の茶は、今から650年前の南北朝室町時代に、京の公家中原家に上納されていたそうで、その頃の茶の奉納儀式と当時飲まれていたであろう『餅茶(へいちゃ)』を再現し、試飲するというもの。
『餅茶』って、ほんとうに餅つきのように、蒸した茶葉を臼と杵でつぶして固めてお餅のようにして保存するんです。お茶の取材はあれこれやってきたけど、初めて知りました!
餅茶の作り方は、中国唐代の760年に陸羽が記した『茶経』に残る茶の製法だそうです。規(ぎ=型)に入れて固めた茶葉は、竹串に突き刺して炙り、乾燥させ、保存します。これなら長旅をするときや、武士が戦に出る時も強力な“携帯ビタミンC”になりますね!
飲むときは再度炙って細かく砕き、塩を加えた熱湯に入れ、上澄みを茶碗に移していただきます。塩を入れるというのがポイントで、口当たりがなんとも甘くまろやかになり、疲労感が一掃される感じ。・・・あらためてお茶というのは薬にも癒しにもなる貴重な機能性飲料であり、だからこそこんなにも長い間、人類に愛され続けているのだと実感しました。
当時の浅羽庄・柴重西、岡郷=笠原・岡崎付近の茶が京の中原家に上納されていたことは、貞治元年(1362)に記された中原家文書「師茂記」に記されています。中原師茂は藤原家一族で足利将軍家の太政官を務めており、浅羽・横須賀を所領していました。
茶は年貢の一部として京の中原家に送られていて、ある年は茶を送らなかったので、中原家から「お茶送ってよ~」と催促されたほど。「師茂記」は彼の弟師守が書き遺した家族日記のようなもので、今は国重要文化財に指定され、国立国会図書館に保管されています。
袋井市観光協会の地域資源の掘り起こし事業「研修・創造部会」で、この史実をつきとめ、3年前に『餅茶』再現イベントを、今回は地元茶農家の協力で奉納儀式再現イベントを執り行うことに。
私は偶然、お茶の取材でこの地を訪ね、イベント仕掛け人の一人・荻原製茶の荻原克夫さんから中遠~遠州の茶の知られざる歴史をうかがい、大いに興味を持ちました。
荻原さんは茶農家にしておくにはモッタイナイほどの博識者で、骨董品や古文書集めが趣味という御仁。
先々週、笠原茶の取材のついでに、何気にイベントのことを聞こうと荻原製茶を訪ねたら、話がどんどんふくらんで、この地の茶の歴史は、朝鮮三国時代までさかのぼり、平安時代に最澄や空海が茶を伝え、栄西が茶の種子をまき、静岡では聖一国師が足久保に茶の種子をまいた云々という、いわば茶の“正史”をくつがえすようなトリビアネタがぽんぽん出てきて、時間を忘れて聞き入ってしまいました。
「僕の話は、農家のモノ好きな親父が独学で調べた範囲で、こうじゃないかな~と思う話だから」と謙遜する荻原さんですが、この地の茶は、明治時代に世界万国博覧会に駿河足久保茶とともに出品され、明治末期には笠原の丸太常吉氏が丸太式蒸機を発明して特許を得るなど、日本を代表する銘茶処として知られていたようです。
「聖一国師が1241年、足久保に茶の種子を植えたというのは確かな記録が残っていないのに、誰もが静岡茶の起源だと信じている。袋井の茶は中原家の文書に残っているのに、今まで誰も知らなかった。歴史というのは、“言ったもの勝ち”なんですよ」と苦笑いする荻原さん。
荻原さんに、ぜひ本を書くべきですよ、とせっついたら、とんでもないと一蹴されましたが、考えてみると、私も静岡人で歴史好きを公言しておきながら、静岡茶の歴史については通説しか知らなくてお恥ずかしい限り。とても深~い知の刺激をいただきました。
「故郷の歴史というのは、他にはないオンリーワンの宝物。発掘するのにカネもかからない」と荻原さん。地域コミュニティの重要性が改めて見直される今、地域をつなぐ方法として地域の歴史をふりかえって、どんな小さなことでも他に自慢できるネタを見つけて語り継ぐってほんとうに有益だと実感しました。