杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

室町時代の餅茶奉納儀式

2011-03-29 17:37:00 | 農業

 27日(日)、袋井市の笠原~浅羽地区の茶園でユニーImgp4147クな歴史再現イベントがありました。なんでも、この地区の茶は、今から650年前の南北朝室町時代に、京の公家中原家に上納されていたそうで、その頃の茶の奉納儀式と当時飲まれていたであろう『餅茶(へいちゃ)』を再現し、試飲するというもの。

 

 

 

 『餅茶』って、ほんとうに餅つきのように、蒸した茶葉を臼と杵でつぶして固めてお餅のようにして保存するんです。お茶の取材はあれこれやってきたけど、初めて知りました!

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   餅茶の作り方は、中国唐代の760年に陸羽が記した『茶経』に残る茶の製法だそうです。規(ぎ=型)に入れて固めた茶葉は、竹串に突き刺して炙り、乾燥させ、保存します。これなら長旅をするときや、武士が戦に出る時も強力な“携帯ビタミンC”になりますね!

 

 飲むときは再度炙って細かく砕き、塩を加えた熱湯に入れ、上澄みを茶碗に移していただきます。塩を入れるというのがポイントで、口当たりがなんとも甘くまろやかになり、疲労感が一掃される感じ。・・・あらためてお茶というのは薬にも癒しにもなる貴重な機能性飲料であり、だからこそこんなにも長いImgp4138間、人類に愛され続けているのだと実感しました。

 

 

 

 

 

 当時の浅羽庄・柴重西、岡郷=笠原・岡崎付近の茶が京の中原家に上納されていたことは、貞治元年(1362)に記された中原家文書「師茂記」に記されています。中原師茂は藤原家一族で足利将軍家の太政官を務めており、浅羽・横須賀を所領していました。

 Photo_2 茶は年貢の一部として京の中原家に送られていて、ある年は茶を送らなかったので、中原家から「お茶送ってよ~」と催促されたほど。「師茂記」は彼の弟師守が書き遺した家族日記のようなもので、今は国重要文化財に指定され、国立国会図書館に保管されています。

 

 

 袋井市観光協会の地域資源の掘り起こし事業「研修・創造部会」で、この史実をつきとめ、3年前に『餅茶』再現イベントを、今回は地元茶農家の協力で奉納儀式再現イベントを執り行うことに。

 私は偶然、お茶の取材でこの地を訪ね、イベント仕掛け人の一人・荻原製茶の荻原克夫さんから中遠~遠州の茶の知られざる歴史をうかがい、大いに興味を持ちました。

 

 

Imgp4155  荻原さんは茶農家にしておくにはモッタイナイほどの博識者で、骨董品や古文書集めが趣味という御仁。

 先々週、笠原茶の取材のついでに、何気にイベントのことを聞こうと荻原製茶を訪ねたら、話がどんどんふくらんで、この地の茶の歴史は、朝鮮三国時代までさかのぼり、平安時代に最澄や空海が茶を伝え、栄西が茶の種子をまき、静岡では聖一国師が足久保に茶の種子をまいた云々という、いわば茶の“正史”をくつがえすようなトリビアネタがぽんぽん出てきて、時間を忘れて聞き入ってしまいました。

 

 

 「僕の話は、農家のモノ好きな親父が独学で調べた範囲で、こうじゃないかな~と思う話だから」と謙遜する荻原さんですが、この地の茶は、明治時代に世界万国博覧会に駿河足久保茶とともに出品され、明治末期には笠原の丸太常吉氏が丸太式蒸機を発明して特許を得るなど、日本を代表する銘茶処として知られていたようです。

 

 「聖一国師が1241年、足久保に茶の種子を植えたというのは確かな記録が残っていないのに、誰もが静岡茶の起源だと信じている。袋井の茶は中原家の文書に残っているのに、今まで誰も知らなかった。歴史というのは、“言ったもの勝ち”なんですよ」と苦笑いする荻原さん。

 

 荻原さんに、ぜひ本を書くべきですよ、とせっついたら、とんでもないと一蹴されましたが、考えてみると、私も静岡人で歴史好きを公言しておきながら、静岡茶の歴史については通説しか知らなくてお恥ずかしい限り。とても深~い知の刺激をいただきました。

 

 「故郷の歴史というのは、他にはないオンリーワンの宝物。発掘するのにカネもかからない」と荻原さん。地域コミュニティの重要性が改めて見直される今、地域をつなぐ方法として地域の歴史をふりかえって、どんな小さなことでも他に自慢できるネタを見つけて語り継ぐってほんとうに有益だと実感しました。

          


金町浄水場の水道水

2011-03-25 14:53:34 | 東日本大震災

 東京都の金町浄水場の水から、乳児の摂取基準値を超える放射性ヨウ素が検出されたという一報を聞いた時、不謹慎ですが自分には子どもがいなくてよかった・・・と思ってしまいました。もし乳飲み子を抱えていたら、静岡に住んでいても冷静ではいられなかったでしょう。

 近所のスーパーでも、トイレットペーパーは入荷されていたけど、ペットボトル水の棚は見事にガラ~ン。仕事先でミネラルウォーターを製造販売している会社の人に会ったら、思わぬ“特需”に複雑な顔をされていました。

 

 その後、放射性ヨウ素の数値が下がり、摂取制限は解除されたそうでひと安心ですが、改めて、水道水をふつうに飲めるありがたさを思わずにはいられません。

 

 

 

 

 今からちょうど9年前の2003年3月16日から23日、京都で『第3回世界水フォーラム』が開催されました。私が広報のお手伝いをしている静岡一区選出の衆議院議員(当時)・上川陽子さんが「おいしい水推進議員連盟」の事務局長を務められていたことから、私も同フォーラムに参加し、世界の水問題について勉強する機会を得ました。 

 

 

 フォーラム初日がイラク戦争開戦日だったことから、会議では「水の利権が石油に代わる時代が来る」「水を巡って戦争が起きるかもしれない」なんてエキセントリックな話ばかりが印象に残ってしまったのですが、このフォーラムに参加する前、足元の水のことをちゃんと勉強しておこうと、おいしい水推進議員連盟の国会議員の方々と一緒に国交省江戸川工事事務所を訪問し、江戸川流域の流水保全水路や金町浄水場を視察したのです。今、振り返っても、フォーラムの話よりも、金町浄水場で飲んだ水道水の美味しさのほうが懐かしく思い出されます。

 

 当時いただいた資料を久しぶりに引っ張り出してみました。

 まず江戸川の歴史。江戸川は徳川幕府開府以前は太日川と呼ばれ、渡良瀬川の水が流れていたんですね。江戸時代になり、幕府が江戸の水害対策・新田開発・舟運路確保のため、東京湾に流れていた利根川を銚子へ流路変更させる利根川東遷事業を行いました。関宿から金杉(現・野田市)の間に新しい水路を掘って金杉で太日川につなげたんですね。このときから利根川の水が入ってくるようになり、江戸につながる川として『江戸川』と呼ばれるようになりました。

 

 

 江戸川は文字通り、肥大化する大消費地・江戸を支える大動脈となります。東北や北関東から米穀、魚介類、木綿、醤油、みりん等の生活物資を運ぶ舟運路として活用され、江戸川流域は物資の集積地として大いに栄えました。

 

 

 明治に入ると川蒸気船が登場し、明治23年には利根川と江戸川を短絡する利根運河も開通。航路は大幅に短縮され、年平均約2万隻もの船が通行したそうですが、やがて物流は鉄道やトラック輸送へと代わり、舟運は衰退していきました。

 

 現在、江戸川は五霞町と関宿町で利根川から分かれ、茨城県、埼玉県、千葉県、東京との境を南下して東京湾に注ぐ延長約55㎞、流域面積約200平方㎞の一級河川。首都圏760万人の水道用水・工業用水・農業用水を送りだしています。

 

 55㎞の流路上では、たとえば野田には醤油醸造の歴史があり、流山には小林一茶や新選組近藤勇ゆかりの史跡、松戸には小説「野菊の墓」文学碑があり、葛飾には矢切りの渡しや柴又帝釈天が。もともと江戸時代に人工的に開削された川なので、河川敷や堤防が整備され、市民憩いの場として親しまれています。・・・歴史好きとしては一度はじっくり歩いてみたいですね。

 

  

 肝心の水質ですが、安全でおいしい水を確保するため、江戸川と支川の汚濁水を分離して流す「流水保全水路」というのが作られています。とくに支流の坂川は、高度成長期からの人口急増と都市化によって水質悪化が酷かったことから、平成9年から『江戸川・坂川清流ルネッサンス21』というプロジェクトが始まり、その一環で坂川の汚濁水を古ヶ崎に設けた浄化施設を通すバイパス=流水保全水路が作られました。

 この水路、今では市民公募で「ふれあい松戸川」と名付けられ、多くの動植物も生息するようになった市民憩いの小川になっています。ここは実際に歩かせてもらいました。

 

 

 金町浄水場は、「柴又帝釈天」や「矢切りの渡し」の近くにあります。大正5年から操業しており、視察当時(03年)は日量160万立方メートル急速ろ過方式で浄水していました。首都圏では朝霞、東村山に注ぐ規模です。

 

 今でもよく覚えているのは、オゾンや生物活性炭を使った高度な浄水装置。この処理によってカビ臭は100%、アンモニア性窒素(カルキ臭のもと)も100%、陰イオン界面活性剤(合成洗剤)を80%、トリハロメタン生成能を60%除去します。

 

 浄水の手順は、まず川から取水された水を、沈砂池の中をゆっくり流して砂や土を沈め、水中の浮遊物質を沈みやすいフロックにするために凝固剤(ポリ塩化アルミニウム)を加え、高速凝集沈でん池を通してきれいな水に分離させます。

 そこから、オゾン接触池(池の底に散気管を設置し、オゾン化空気を噴出させ、オゾンの酸化作用でカビ臭等を分離除去する)、厚さ2・5メートルもの生物活性炭吸着池(オゾン処理水を活性炭層の上から下へ流し、その間に水中の有機物、アンモニア性窒素等を処理する)を通り、塩素を加えて病原性細菌などを消毒します。急速ろ過池で最終的にフロックや鉄、マンガン等を取り除いて配水池に溜めて置きます。

 

 こうして浄水された水をその場で飲んでみて、日本一美味しい水道水といわれる静岡の安倍川水源の水を飲んでいる私から見ても「ミネラルウォーターと遜色ないじゃん・・・」と思えたほど。金町浄水場で一般市民が2種類のミネラルウォーター(硬水タイプ/軟水タイプ)と一緒に目隠しで試飲したところ、美味しかったと答えたのはミネラルウォーター軟水(35.7%)、ミネラルウォーター硬水(31.6%)、水道水(30.9%)という結果だったそうです。

 

 

 この視察以来、私は自宅用のミネラルウォーターは買わなくなり、食器洗い洗剤を使うのをやめ、アクリルたわしを常用するようになりました。防災備蓄品として2~3本ストックしておくぐらいで、平時は水道水で十分じゃないかと。

 

 

 今回の放射線ヨウ素検出の問題は不可抗力だとしても、日本の水道水のしくみは信頼できると思っています。利根川や江戸川は、400年以上前から人々の暮らしに寄り添ってきた水源であり、幾多の困難を克服してきたのです。

 せめて乳児のいない家庭では、市販のペットボトルを買いだめする前に、ふだん使っている水道水の浄水場がどこにあり、どういう水源か、また身近な川の自然や歴史や文化に目を向ける気持ちの余裕を持ちたいですね。

 

 

 

 


指ヨガでコリほぐし

2011-03-23 11:16:41 | 日記・エッセイ・コラム

 引き続き『龍村式指ヨガ』のお話。今日はお疲れポイント別に紹介します。

 

◆目の疲れ→中指の爪の周囲

 パソコンワークの職業病でもある疲れ目。『指ヨガ』では中指の第一関節から上、指紋のある部分が〈顔〉にあたります。目のツボは爪の周辺部分。反対の手の親指と人差し指ではさみ、少しずつ場所を移動しながら指圧します。痛いところがあったらとくに念入りに。同業者のみなさん、目薬よりも簡単にケアできますよ!

 

◆首筋のコリ→中指の先端

 たいした脳みそもない私の頭ですが、疲れが溜まるといつも重~くなって、それを支える首がホントにつらくなります。首に相当するのは中指の第一関節から第二関節の間。全周囲をぐりぐり回したり上下にさすったりします。手の甲側から押さえて指の右側が痛ければ、首の右から右肩にかけてがこっている証拠。よくもんだりこすったりしてあげてください。

 

◆肩のコリ→真ん中の三本指の付け根

 私が一番効果を実感するのがこの指圧!

 肩コリは、手の甲側の、中指の左右の付け根、人差し指と薬指の境界あたりがツボです。骨の隙間にそって手首のほう~指の付け根を往復しながら指圧しましょう。人差し指と薬指を回したりそらしたりすると、肩回しの代わりになります。気の流れがよくなるんですね。

 

◆腰の痛み→手の甲の下半分~手首

 手の甲の真ん中から手首にかけての部分が腰に相当します。腰の真ん中(背骨に近い部分)が痛いときは、中指の骨のミゾあたりを。腰の外側が痛いときは、親指と人差し指、薬指と小指の骨の根元あたりを念入りにさすりましょう。押して痛いところがコッている部分なので、より重点的に。

 

◆膝の痛み→親指の付け根

 親指の付け根の部分を指圧します。右手は右膝に、左手は左膝に相当します。膝の痛みは腰痛ケアとセットで行うと効果的です。

 

 

 いずれも、指圧する前には手をブラブラ、リラックスさせてから。指圧中は腹式呼吸をしながらやると、気の流れがよくなり、より効果が上がります。ぜひお試しを!


指ヨガ―シンプルかつ究極の「手当」

2011-03-21 15:26:01 | 日記・エッセイ・コラム

 今年1月から3月まで、6回にわたって『指ヨガインストラクター養成講座』というのを受講しました。

 主催は名古屋市に本部がある『手のひらセルフケア協会』という団体で、ヨガ指導者で名高い龍村修さんが提唱する、手指だけの効果的なヨガマッサージを学べて、インストラクター資格が得られるというもの。NPO法人活き生きネットワーク理事長の杉本彰子さんから「高齢者さんや介護が必要な人にケアしたい、デスクワークの人も身に着けておいて損のない資格だから」とお誘いをいただき、指先のマッサージで目疲れ・首や肩のコリが多少なりともほぐれるならとご一緒することに。

 

 

 “手はむき出しの脳”といわれるほど手指の刺激は身体全体と深くつながっていますね。ぼけ防止に手先を動かせってよく聞くし、実際、ツボを理解して揉みほぐすと、疲れている部分がピンポイントでスッキリします。

 本格的なヨガ整体やハリマッサージを、それこそ本格的なマラソントレーニングに喩えるとしたら、指ヨガはラジオ体操かウォーキング程度、かもしれませんが、服の着替えは無用だし場所もとらないし、それこそデスクワーク中や電車やバスの中でも出来ます。

 

 まだ協会から正式にインストラクター証をいただいていないので、具体的なノウハウは後日改めて、ということで、今日はとりあえず、私自身が自分で毎日やっている中指マッサージをご紹介します。

 

 中指というのは、上半身の中心線(頭―首―内臓―肛門)と関連している部位で、時間のないときは、とりあえず中指だけでもケア効果があるといいます。現段階では詳しい図や写真をUPできないので、文字説明だけでお許しください。

 

 

 まず手首をブラブラさせてリラックス。マッサージの間は腹式呼吸を心掛けて。

①中指の第一関節をつまみ、左右にグリグリ20回ずつ回す。→頭と首の付け根のコリほぐしに

 

②中指の第二関節をつまみ、同様にグリグリ20回ずつ回す。→頸椎と胸椎の付け根のコリほぐしに

 

③手のひらを膝か机の上に置き、中指の先端をつまみ、付け根から起こしてゆっくり左右に20回ずつ回す。→肩全体のほぐしに

 

④中指の背の付け根から指先までを、10往復ほどこすり、最後に強くひっぱって引き抜くようにパッと離す。→気の通りをよくする

 

⑤手のひらを上に向け、中指を手首ごと3回ほど反らす。→ストレッチ効果

 

⑥握りこぶしをつくり、中指をグッと中に押し込む。→反ストレッチ効果

 

⑦中指の側面を、付け根から指先に向かってグリグリさする。首がこっている人は、第一関節と第二関節の間をとくに念入りに。目が疲れている人は爪の左右をとくに念入りに。

 

肩こりの人は、中指の付け根の左右、隣の指との骨の間を念入りにさする。

 

 

 

 以上の指圧を左右10本の指に施し、さらに手のひらのツボ押しをして、ひととおり30分ぐらいの施術が基本コースのようです。私自身は、とくに⑦と⑧は短時間でも効果がありました。

 

 セルフケアもいいけど、誰かにやってもらう、やってあげることで、ペアハンドヒーリング効果があるんですね。講座でも、ペアで組んでやってもらったときは至福の時間でした。

・・・やっぱり“手当てしてもらう”ってすごく温かくて癒されるし、誰かを手当てするときも、無理に力を入れずにやれば自分にも効果が跳ね返ってくるのです。講師の先生は「他人に施術するたびに自分が癒される」とおっしゃっていました。

 

 インストラクター資格をとったからといって、まだまだ人さまからお金を頂いて指導したり施術できるレベルではありませんが、震災ニュースを見ていると、少しでも多くの人を手当して経験を積めば、こんな自分でも「書く」こと以外で自分を社会に役立てる方法があるんじゃないか・・・と思ってみたりしています。今、このタイミングで学ぶ機会を得られたことは、ホント、意義深かかった・・・!

 

 とにもかくにも、まずは、のびのびと身体を動かせない場所にいる人、なかなか時間がない人のセルフケアにつながれば幸いです。


震災後の買い物

2011-03-19 12:30:24 | 日記・エッセイ・コラム

 震災から一週間が経ちましたが、テレビで被災地や避難場所の状況を見るにつけ、いのちが助かった方々が、これ以上生命の危険にさらされないよう、一刻も早く暮らしに希望が持てるよう、ただただ祈るばかりです。

 

 

 

 

 今週は震災ニュースが気になりながらも、お茶の取材で県内外を走り回っていました。いつものペースで仕事や生活をしているつもりでも、やっぱり何か変わってしまった、と感じます。

 

 

 

 

 まずお店から、トイレットペーパー、乾電池、カップ麺、ペットボトル水が消えてしまったこと。ふつうにトイレットペーパーが切れそうになったので近所のドラッグストアに行ったら、棚がガラ~ン。あわてて何軒か回ってもガラ~ン。

 一昨日(17日)、取材で国道1号線を浜松方面に向かいながら、ドラッグストアや大型スーパーに片っ端から立ち寄って、トイレットペーパーをゲットできたのは袋井で、そこでも乾電池やペットボトル水はゼロでした。

 

 

 ガラ~ンとした商品棚を見ると、人間の正直な心理として、「次にいつ買えるか分からない、見つけたらあるだけ買っておこう」という気になってしまいますね。『おひとり様一個限り』の貼り紙がなかったら、たぶん自分も買占めに走っていたと思います。レジに並んだお客さんが一人残らず同じトイレットペーパーを手に提げていた姿にホッとした自分が、ちょっぴり浅ましく感じました・・・。

 

 

 

 

 昨日(18日)は、横浜の元町のお茶カフェ『茶倉SAKURA』の取材。東海道新幹線は通常通りの運行で、元町のある横浜市中区は都市機能が集積した中心市街地ということで計画停電から除外されていたため、静岡から出掛けるのに特段の支障はなかったのですが、余震等で鉄道の足が止まって横浜までたどり着けなかったり帰宅難民になる可能性もあると思い、停電リスクが電車より少ない高速バスを往復使いました。

 取材バッグに取材資料のほか、地図、ウインドブレーカー、水筒、菓子パン、携帯充電器等などを詰め込んだら、小旅行並みの荷物になってしまいました。

 

 …結果的には杞憂に終わり、東名高速もまったく渋滞なしで時間通りに移動でき、大荷物がかえって恥ずかしいぐらいでしたが、ビックリしたのは、横浜の街から人の気配が消えてしまっていたことでした。

 

 

 

 春休み・連休前の金曜日だというのに、みなとみらい地区には人がまったく歩いていないし、レジャー施設もクローズしていて閑散としていました。

 

 元町の商店街で店が開いていたのは6割ぐらい。営業中の店も照明を落とし、「18時閉店」の貼り紙。行きかう人はまばらで、茶倉のご主人に、つい「静岡の呉服町通りのほうが、まだ賑やかですよ・・・」と吐いてしまいました。

 

 中華街も、通りで見かけるのは必死に客を勧誘する店員さんばかり。いつも台湾の凍頂烏龍茶を買っている『天仁茗茶』に寄ったら、ご主人が、客(私)が入ってきたのに逆に驚くほどで、「こんな状態がいつまで続くのか」と悲壮な顔をされていました。なんだか同情してしまって、いつも100g800円ぐらいのを買うところ、g1500円のをフンパツしてしまいました。

 

 

 『景気』は“気分”の持ちようだと言いますが、今は本当にどこもかしこも「買い物や外食を楽しむ気分じゃない」のですね・・・。被災地の方々を思うと、同じ日本人として気分が萎える上に、現実問題、余震でいつ電車が止まるかわからない状況では、無用な外出は避けようというのが正直な気分です。

 

 私のような地方在住者の感覚では、「なんやかんや言っても都会の人は、人が集まるところには集まるんだろう」と思ってました。ところがいざ横浜のこんな状態をこの目で見て、日本の景気はどうなってしまうんだろうと、本当に寒気がしてきました。

 

 

 

 気分を好転させる方法なんてすぐには見つからないかもしれません。私にできたことは、いつもより高いお茶を買い、いつもより豪華なランチを食べたことぐらいかな。

 イベントのような華やかな活動は自粛や延期がやむを得ないとしても、ふつうに外出できて嗜好品の買い物ができる人は、こんなときこそ、いつもより財布のひもを緩めてみる、というのも、回り回って東日本の復興の一助になるのでは・・・な~んて自己弁護してみました。