杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

ウズベキスタン視察記(その2)シルクロードの空を飛ぶ

2017-12-28 22:10:02 | 旅行記

 前回記事でウズベキスタンが親日国だと紹介した確たる証拠が、成田―タシケント間の直行便運航です。私自身シルクロードの国に長い間憧れを持ちつつ、今まで渡航の機会を持てなかったのは、一介のフリーライターにとっては高額な渡航費や乗り継ぎの煩雑さもハードルだったんですが、今回、週に2便ながら直行便が飛んでいることを知ってビックリ。ウズベキスタンが国策として日本との交流促進を目的に、ウズベキスタン航空直行便を支援していたのです。

 行きの成田発タシケント行きには私たちのような日本人ツアー団体が6~7割、帰りのタシケント発成田行は、ウズベク人の若者を中心にぎっしり満席でした。隣に座った20代のウズベク男性に訪日目的を聞くと「短期日本語留学」とのこと。上川陽子さんがおっしゃっていたウズベクの日本語熱のリアルを目の当たりにしたのです。

 

 10月13日、11時過ぎに成田を発ったウズベキスタン航空HY528便は、朝鮮半島から中国内陸に入り、ゴビ砂漠、天山山脈、タクラマカン砂漠をひとっ飛び。約9時間でウズベキスタンの首都タシケントに到着しました。まさにシルクロードの頭上を東から西へ。シベリア上空を飛ぶヨーロッパ便では味わえない眼下の圧倒的な景観に、終始カメラが手放せず、9時間がまったく苦ではありませんでした。

 

 

 思えば、自分がシルクロードにはまったきっかけは高校生の時に観たNHKのシルクロード。喜多郎の音楽と石坂浩二さんのナレーションが鮮やかによみがえって来ます。ラクダや馬しか移動手段のなかった時代に、広大なユーラシア大陸を行交う民族と文化・・・とりわけインドから中国~日本へと伝来した仏教がシルクロードの道程でさまざまな時代、さまざまな地域の影響を受け、多種多様な仏教芸術を生み出した現象に強く惹かれ、大学の卒論では西域千仏洞の一つキジル石窟をテーマにしました。

 キジルはバーミヤンから敦煌に至る仏教伝播のプロセスで中間に位置し、バーミヤンをしのぐ規模で、制作年代も中央アジアの他の石窟よりもはるかに早く、中央アジアの混淆雑糅文化を象徴するような石窟寺院。この地と縁が深い、インドの経典を中国語に翻訳した鳩摩羅什(344~413)や玄奘三蔵(602~664)の伝記も深く読み込んだものでした。

 キジル石窟が築かれた亀茲国(現在のクチャ)の王子として生まれた鳩摩羅什は、大乗仏教に目覚め、出家してカシュガルの高僧のもとで修行し、中国(前秦国)の侵攻を受けて捕虜となって無理やり還俗させられたものの、後秦国の時代になって国師として厚遇され、長安で大乗経典300余巻の翻訳に従事。約200年後に玄奘の訳経が登場するまで鳩摩羅什訳の経典が最も権威あるものとして中国全土に広がりました。

 クチャから長安へ東進した鳩摩羅什とは反対に、玄奘は長安から西進し、クチャを通過し、タシケントやサマルカンドにまで足を踏み入れました。『西域記』にはタシケントは「赭時(石)国」、サマルカンドは「康国」と記されています。赭時とは石のこと。シャシと発音します。ケントは都市という意味。シャシケント(石の都)がタシケントの語源となったんですね。玄奘は「赭時国は周囲千余里で、西は葉河(シル・ダリヤ)に臨んでいる。東西は狭く南北が長い。城や邑は数十あるが、それぞれ主君を別にいただいている。赭時国全体の君主もなく、突厥(とっけつ)に隷属している」と紹介しています。

東洋美術史要説下 吉川弘文館より

 

 玄奘がタシケントを訪れた7世紀前半、中央アジアはトルコ民族の大帝国突厥が支配していました。ササン朝ペルシャと対立していたため、ペルシャの敵であるビザンチン帝国(東ローマ帝国)と同盟を結び、これによってシルクロードの東西交流が促進。突厥に従属していたソグド人の隊商が交易キャラバンを活発化し、各地に植民都市を築きました。17年間で3万キロにも及んだ玄奘のインド・西域求法の旅が、困難に遭いつつも完遂できたのは、このソグド人の経済力と突厥の軍事力によって安定していた時代背景もあったでしょう。玄奘はソグド人のことを「財産の多い者を貴とし、身分の優劣の区別が無い。たとえ巨万の富を持った者でも、衣食は粗悪である。力田(農民)と逐利(商人)が半ばしている」と記録しています。

 宗教はソグド人が信仰していたゾロアスター教が浸透していました。火を拝み、鳥葬や風葬で死者を弔うペルシャ人の宗教・・・って世界史の授業で習いましたっけ。今回の旅で、ゾロアスター教の遺跡や玄奘時代の仏教の足跡を楽しみにしていたのですが、残念ながら、突厥に代わって中央アジアを征服したアラブ民族のウマイア朝やサーマーン朝王国がイスラム教を広め、モスクや廟など目玉となる史跡はすべてイスラム文化のもの。それ以前の宗教の面影を垣間見ることはできませんでした。 

 

 13日は現地時間16時30分過ぎ(日本時間20時30分)にタシケント国際空港に到着しました。

 

 私にとっては初めてのイスラム圏の入国。しかも26年前までソビエト連邦下の社会主義国ということで、入国審査にどれだけ手間取るのか心配でしたが、あっけないほどスムーズにパス。空港ビルが手狭なせいか、屋外に送迎者ゾーンがあり、多くの人々が鈴なりになって家族や友人の到着を待ちわびていました。2017年4月現在でタシケント空港の国際線はソウル週8便、モスクワとイスタンブール便は毎日、北京と成田から週2便ほか中央アジア圏内からも5路線、国内線6~7路線あるようです。ラクダと馬でしか移動できなかった時代とはまさに隔世の感・・・!ですね。

 

 この日はタシケント市中心部にあるホテルに直行し、荷ほどきをした後、ホテルで夕食をとりました。さあ最初のウズベキスタン料理!・・・といっても日本時間でいえば22時を過ぎており、食欲よりも眠気が先。ビュッフェで目に付いたのは鮮やかなフルーツの山とナッツ類でした。ガイド本には「水には注意、生野菜や生フルーツも用心」とありましたが、今回の旅で想定外だったのが、この生野菜と生フルーツとナッツの美味しさです。水も、ガイドさんがペットボトルのミネラルウォーターをこまめに用意してくれたので、参加者でお腹をやられた人は一人も出ませんでした。 

 もっとも初日夜はやはり加熱処理した飲み物をと、触手したのが黒ビールかと思いきや、小麦のジュース。ノンアルビールを少し甘くしたような、なんとも微妙な味でした(笑)。(つづく)

 

 

 

 

 

 


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ウズベキスタン視察記(その1)温厚で親日の国

2017-12-26 18:33:54 | 旅行記

 だいぶ報告が遅くなってしまいましたが、今年10月13日から20日まで(一社)静岡県ニュービジネス協議会の2017年度海外視察事業で中央アジアのウズベキスタンに行ってきましたので、何回かに分けてレポートします。

 

 ウズベキスタン。サッカー日本代表が戦ったことがある国かなぁと記憶する程度で、世界地図で迷わず位置を示せる日本人、そうは多くないんじゃないかなと思います。

Google mapより

 かくいう私も、シルクロードのオアシス都市「サマルカンド」や「ブハラ」の名は知っていたものの、今のウズベキスタンがどういう国なのかまったくわからず。興味を持ったのは、2014年2月にFM‐Hi『かみかわ陽子ラジオシェイク』で、当時、総務副大臣だった上川陽子さんが政務三役としては初めて14年1月に訪問された話をうかがってからでした。トークの内容を一部ご紹介します。

 

 

(鈴木)ウズベキスタンというと歴女の自分にとっては中央アジア、シルクロードのオアシスというイメージが強いのですが、多民族国家で、かつてはモンゴル帝国やソビエト連邦に支配され、カザフスタンとかアフガニスタンなどと国境を接し、日本からは想像もできない歴史を背負った国なんですよね。

 (上川) そうですね。地政学的に言えば中央アジアの真ん中に位置する、海のない内陸の砂漠の国。しかも海に出るまで国境を2つ越えなければならない二重内陸国です。世界にはリヒテンシュタインとウズベキスタンの2カ国しかありません。おっしゃるとおり日本とはまったく違う風土を持つ国で、旧ソ連崩壊によって1991年に共和国として独立し、カリモフ大統領が91年の建国以来、政権をとっています。

 石油、石炭、天然ガス、金など豊富な資源を持つ国で、外貨を得るため積極的に外交に力を入れています。92年に国連に加盟したほか、欧州・大西洋パートナーシップ理事会 (EAPC)、平和のためのパートナーシップ (PfP)、欧州安全保障協力機構 (OSCE)、イスラム協力機構 (OIC)、中央アジア5カ国の経済協力機構 (EC)、上海協力機構(SCO)、ユーラシア経済共同体(EAEC)に加盟しています。ヨーロッパやアジア各国ともバランスをもって全方位外交に取り組んでいるようですね。とくにドイツやトルコとの関係が強いようです。一方で隣接するアフガニスタンの過激派が国に入ってこないよう神経を遣っています。

鈴木)日本とのかかわりというと、あまりピンとこないのですが。

(上川) 実は安倍政権は、ウズベキスタンを中央アジアのフロントランナーとして重視していまして、私が先駆けとなって政務三役として訪問し、この後、岸田外務大臣や麻生財務大臣も現地を訪問する予定です。

(鈴木)地政学的にはヨーロッパに近いようですが、ウズベキスタンの人々は日本にどんな印象を持っているのでしょうか。

 (上川) 資源エネルギー保有国としては未開拓の国ですから日本にとって魅力的であることは言うまでもありませんが、ウズベキスタンの方々は、実は非常に親日的なんです。

(鈴木)そうなんですか! 

 (上川) 年配の方はご存知かもしれませんが、第二次世界大戦後、シベリアに抑留された日本人捕虜は首都タシケントにも送られ、学校や劇場など首都の主だった公共建造物の建設工事に従事しました。中央アジア最大のバレエ・オペラ劇場であるナヴォイ劇場もそのひとつで、設計者はボリショイバレエ劇場を設計した人です。この劇場は、1966年のタシケント地震で、他の多くの建造物が倒壊した中、全くの無傷だったそうです。日本人捕虜が過酷な強制労働にも関わらず、見事な仕事をしたということで、現在も、ウズベキスタンでは親日感情が非常に高いんですよ。

(鈴木)そうだったんですか、知りませんでした。

 (上川) 日本人墓地を訪問したときは、なんともいえない熱い思いがこみ上げてきました。亡くなられた方々の出身地が墓標に刻まれており、静岡県出身の方もお2人いらっしゃいました。タシケント市役所の方々にご案内いただいたんですが、国を挙げて墓地を整備されたようです。戦争捕虜という過酷な状況下でも、日本人としての矜持を決して失わず、手抜きをせず、与えられた仕事をきちんとこなし、後の世の友好関係の礎となった方々に対し、自分もこれから恥ずかしくない仕事をしなければ、と痛切に思いました。

 (鈴木)そういう地に、政務三役として初めて陽子さんが足を踏み入れたということですか・・・非常に重いミッションだったんですね。

 (上川) 大変タイトな日程で公式行事は1日しかありませんでしたが、有意義な会談ができました。カリモフ大統領は2020年までにICT分野で各省庁にミッションを与えており、各省庁のICT事業を統括するセクションのトップと覚書を交わしてまいりました。気象衛星を活用し、アラル海の灌漑用水を管理するプロジェクトを提案しました。

 ウズベキスタンは、かつて、ソ連の経済政策で綿花の栽培に力を入れ、大地から水をどんどん汲み上げていきました。しかしこの地域は元来、降水量が少なく、綿花の栽培には向いていない土地ですので、近年とくに砂漠化が進み、灌漑元であるアラル海の縮小や塩害などに悩まされています。また、綿花栽培に農地の大半を割いているため、食料自給率は半分以下という状況です。

 このことは、開発と自然保護のあり方、農業政策のこれからを考える上で、非常に大きな課題で、日本でも、世界でも、どの地域でも抱えている問題といえるでしょう。ICTの導入によって環境の変化をしっかりと分析し、アセスメントを行い、この地域で自然環境と人間の暮らしが共生できるあるべき姿を示していくことが、日本にできる大きな国際援助のひとつではないかと実感しています。

 さらに医療分野では周産期医療システムについて、日本でも過疎地で運用が始まっていますが、その分野でのICT活用を提案してまいりました。

 (鈴木)ウズベキスタン政府側の期待も大きいのでは?

 (上川) あちらからみれば、どれもこれもやってもらいたいというものです。人材を養成しながら具体的なプロジェクトを動かしていけるよう、力を尽くしてまいりたいと思います。

(鈴木)今まで縁のないと思っていた遠い外国の国が、とても身近に感じられるようになりました。写真で見ると、ウズベキスタンの人ってアジア系で、日本人にも似ていますね。

 (上川) 日本への憧れが強く、タシケント市には日本語センターがあり、語学やビジネスを学ぶ市民が多くいます。たまたま夜間コースを見学させてもらったんですが、20人ほどのクラスがチームになり、日本に行きたい、日本の企業で働きたいと熱心に学んでいました。非常に心強かったですね。

 実はJICAの技術研修制度を利用し、ウズベキスタンから日本へ研修にやってきて、母国に戻って活躍中、というビジネスマンがいます。ちょうど彼らとランチをともにする機会に恵まれまして、日本語や英語を交えて交流を図りました。日本で大変いい経験ができたと喜んでいました。

<かみかわ陽子ラジオシェイク 2014年2月18日オンエアより>

 

 

 このラジオトーク以来、ウズベキスタンという国名が頭に焼き付いて、静岡県ニュービジネス協議会の海外視察先を検討する会議があったとき、いち早くビジネスの芽を発掘に行ってみてはどうかと提案したのですが時期尚早だったよう。その後、外務大臣や財務大臣、そして2015年に安倍首相が公式訪問したことで日本―ウズベキスタンの国際交流がグッと促進され、2016年8月まで駐ウズベキスタン特命全権大使をお務めだった加藤文彦氏が静岡県ニュービジネス協議会の鴇田勝彦会長の経産省時代の後輩というご縁、協議会会員の矢崎総業が日本ウズベキスタン・シルクロード財団の法人会員だったというメリットが働いて、今年の視察先に決まったのでした。

 出発前には加藤前大使と日本ウズベキスタン・シルクロード財団のマンスール代表理事がわざわざ静岡へお越しになり、ウズベキスタンの国情や視察ポイントを解説してくださいました。

 加藤氏が挙げたポイントは7つ。

①人口が多く、若い。・・・1991年に旧ソ連から独立した中央アジア5カ国 “カトウタキ~カザフスタン・トルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン・キルギス” のうち、人口は最大の3200万人。うち30歳以下が過半数。面積は日本の1.2倍。

②緑豊かな土地・・・昔から農耕定住民族が暮らすシルクロードオアシス。2つの大河アムダリア・シルダリアがあり、農産物が豊富。主要作物は綿花とスイカ。

③豊かな地下資源・・・ガス、金、ウラン、レアメタルが豊富。天然ガスは世界7~8位の産出量。中国がガスパイプラインを敷設。

④安定した政治・治安・・・カリモフ前大統領(2016年9月逝去)が91年の独立以降、25年間統治。治安秩序を最優先し、国による強力なインフラ開発を進める。経済自由化は徐々に進展。GDP1人当たり2100ドル(ベトナム、ミャンマー並み)。

⑤温厚・親切な国民性・・・マハラ(町内会組織)が地域の共同体として機能し、失業者やホームレスがほとんどいない。マハラの清掃活動によって町にゴミはほとんど落ちていない。イスラム教国だが信仰の自由が保障されている。酒も豚肉もOK。

⑥親日的・・・国立ナヴォイ劇場の建設等で日本人抑留者の業績を高く評価。若者の日本語習得熱も高い。

⑦日本の技術への強い憧れ・・・日本企業や日本製品の高い技術に尊敬の気持ちを持つ。

 

 この7ポイントだけでもウズベキスタンに興味が湧いてきませんか? 個人的には10代の頃から憧れていたシルクロードの歴史都市に初めて足を踏み入れるワクワク感も相まって、10月13日、20名の参加者とともに成田発のウズベキスタン航空直行便に搭乗しました。(つづく)


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S-mail 57号『静岡いちご』特集発行

2017-12-25 10:06:07 | 農業

 西武池袋本店『静岡ごちそうマルシェ』終了後、自宅に届いたのは、マルシェが始まる前に大車輪で取材執筆したJA静岡経済連情報誌『スマイル』の最新号・いちご特集。いちごのハイシーズンであるクリスマス前の発行が至上命題だったのですが、いちご生産現場の取材が出来るのは10月末以降という制約があり、短期間でのあわただしい誌面作りとなりました。なんとか間に合ってよかった!

 繁忙期に入ってしまって取材先のアポイントが思うようにとれず、いつもの誌面よりも取材先が少なく、少し物足りない感じもしましたが、仕上がりを見てビックリ! JA静岡経済連が、西武池袋本店で静岡いちごのトップセールスを今年1月に開催し、来年1月にも行うことが巻頭で大々的にアピールされていたのです。「西武池袋本店って静岡県をこんなに応援してくれていたんだ~」と今更ながら感激でした。

 西武池袋本店『静岡いちご紅ほっぺストロベリーフェスタ』は2018年1月10日から30日まで。地下2階の生鮮倶楽部青果市場での試食のほか、地下1階のスイーツ専門店で期間限定の紅ほっぺスイーツメニューを販売します。紅ほっぺというブランドは知られていても、静岡原産だと知らない人が少なくないそう。九州や北関東など強力な特産地が多い中、品質で勝負の静岡いちご。地酒と同様、優れた品質をいかに消費者に理解してもらうか、販売現場での役割は大きいと思います。今回発行のスマイルが、消費者理解の一助になれば、と願っています。

 

 さて誌面では紅ほっぺに続く新しい静岡いちごブランド『きらぴ香』の開発経緯と特徴について、県農林技術研究所での取材をまとめてあります。一部をご紹介しますので、ぜひ実際にスマイルをお手に取ってみてくださいね!(県下主要JA窓口、ファーマーズマーケット等で無料配布します)。

 

 

次世代のエースをねらう!静岡いちご「きらぴ香」

(解説)静岡県農業技術研究所 

 

いちご史上最高の香り

『きらぴ香』は表面がツヤツヤと輝き、スマートな形状。鼻を近づけるだけで甘くフルーティーな香りが立ちます。開発者自身、「いちごでは現在考えられるベストな香り」と太鼓判を押すように、確認された香気成分は実に129種類。主要成分ではいちご香(Furaneol)をベースに、バラの香り(Geraneol)、りんごやバナナのようなフルーティーな香り(Isoamyl acrtate)も含まれ、くどさのない爽快な香りを構成します。

きらぴ香

紅ほっぺ

 糖度は紅ほっぺより高く、収穫シーズンを通して9.5度と安定しています。逆に酸味は低く、酸っぱいいちごが苦手という人にも勧められます。今年シンガポールで開かれたバイヤー向けの試食会では全国の名だたるブランドいちごを抑え、人気ナンバーワンを獲得。日本が誇る美味しいいちごのブランド競争最前線に躍り出ました。

 

収穫時期が長く安定的

 研究所では品質の優位性はもちろん、生産効率が高く、農業所得の向上につながる品種の開発を目指しています。きらぴ香の開発にあたっては、市場のニーズが最も高まるクリスマスシーズンや年末年始に出荷できる極早生の品種で、なおかつ高い品質を実現することを念頭に置きました。

 いちごは春や夏など気温が高く日が長い時には、茎の基部にある成長点で葉を作りますが、秋になって涼しくなり、日が短くなると葉ではなく花芽を作ります。この状況を『花芽分化』といいます。きらぴ香は紅ほっぺより花芽分化が2週間ほど早いため、タイミングを見逃さず、適度に摘花します。これによって果重の増加と糖度の上昇が見込まれます。きらぴ香は紅ほっぺに比べて花付きが少ない品種のため、摘花には多くの手間がかからないというメリットもあります。

きらぴ香の花芽

 きらぴ香の最大の栽培メリットは、収穫時期が長く安定しているという点です。いちごの苗を定植させる育苗方法としては超促成夜冷(8月中旬~)、夜冷(8月下旬~)、紙ポット(9月初旬~)、普通ポット(9月上旬~)、電照抑制(9月中旬~)、未分化定植(7月下旬~*収穫は最も遅い)の6段階あり、このうち紅ほっぺは夜冷・紙ポット・普通ポットの3段階のみ。きらぴ香は6段階すべてに対応できます。定植時期が少しずつずれることで作業が楽になり、収穫も一時期に集中することなく、長く安定します。

 さらにトップシーズンとなるクリスマスや年末年始に切れ目なく出荷できるため、市場の評価も高まり、価格の面で生産者へのリターンが大いに望めるというわけです。

 

 平成26年(2014)のデビュー以来、県内各産地できらぴ香栽培に取り組む生産者は順調に増えています。今後はさらなる生産性向上に努め、きらぴ香のブランド化=高単価・高収益・省力化による経営規模拡大に尽力していきます。

 

■問合せ 静岡県農業技術研究所 静岡県磐田市富丘678-1 TEL 0538-35-7211

 

 

 

 


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西武池袋本店『静岡ごちそうマルシェ』完売御礼

2017-12-22 20:29:17 | しずおか地酒研究会

 前の記事でお知らせした12月12日~18日開催の西武池袋本店『静岡ごちそうマルシェ』、無事終了しました。最終的な数字はまだ伺っていないのですが、マルシェ全体で目標値を大幅にクリアし、同館で開催の東北物産展並みの売り上げを記録したそうです。主催の県商工会連合会の皆さま、出展業者の皆さま、お疲れ様でした&本当に良かったですね!

 とくに会場に駆け付けた多くのお客様が、その場でSNSで口コミ発信し、素晴らしい拡散効果を発揮したと思います(当ブログのため、FBの投稿写真を提供してくださったFさん、Yさん、ありがとうございました)。今回、会場にお越しくださったすべての皆さま、とくに静岡から駆けつけてくださった酒友の皆さま、本当にありがとうございました。

 

 

 こちらは私がお手伝いした地酒コーナーで当日お配りしたチラシ。『杯が満ちるまで』執筆時に撮った酒造写真がお役に立ちました!。

 地酒コーナーは西武池袋本店の酒売り場の直轄だったので、売上のノルマはなかったものの、県商工連が力を入れてチラシを制作しトークショーまで企画し、それに乗っかかるかたちで参加することになった私としては、それ相応の成果を出さなければ…!と力が入りました。主催者からは売り場に張り付く必要はない、トークショーだけ頑張ってくれればと言われていましたが、池袋だけでも西武・東武と巨大酒売り場を有する百貨店が2つもある中、7階まで昇ってこの催事場に足を運んでくださったお客様には、静岡の酒と幸せな出会いをしてほしい・・・そう思ったら、結局7日間、売り場から離れることができませんでした。


 結果としては、私がでしゃばるまでもなく、この酒造繁忙期に会場まで駆けつけて自ら店頭販売&トークをしてくださった蔵元さんたちのお力で、12日の開催直後にこれだけ並んでいた商品は次々に売り切れとなりました。都内に流通窓口を持つ「花の舞」と「富士錦」以外は追加補充もままらなず、6日目にほぼ無くなり、最終日には西武の担当者さんが地下にある酒売り場の常設商品から、今回エントリーのなかった開運と若竹おんな泣かせを急きょ運んで並べたのです。

 

 

 毎日交替でやってくる蔵元さんがたには「ご自分の酒をすべて売り切ってくださいね」と冗談半分にハッパをかけたものの、まさか本当に完売するとは・・・。嬉しい反面、チラシに掲載されていた商品がないというのは売り場にとってなんとも心苦しいですね。補充がスムーズに出来ていたら、もっと売れたのに!と地団駄を踏み、西武の催事担当者に何度もつっかかってしまいました(苦笑)。

 

 まず初日12日は「白隠正宗」の蔵元杜氏・高嶋一孝さんが来店。朝、酒造仕事を済ませ、11時のトークショーに参加され、その足で日本酒造組合中央会の技術委員として会議にご出席。夜19時のトークショーへとんぼ返りしていただくというハードスケジュールでした。高嶋さんご自身が店頭に立つ時間は短かったため、初日即完売!とはいきませんでしたが、指名買いをされる方、白隠禅師の酒だからと触手される方が多く、全商品中最もハイクラスの白隠正宗純米大吟醸(4000円)もきれいに完売しました。この時期ですから、あえて大吟醸クラスの商品を贈答用にお求めになるお客様も非常に多かったのです。ちなみに全商品のうち大吟醸は白隠正宗と正雪だけ。ああーもったいない!

 

 2日目(13日)は英君酒造の蔵元望月裕祐さん来店。「英君」は今回、静岡ごちそうマルシェのポスターに大々的にピックアップされ、「ポスターに載っていた酒」とご用命のお客様続出で、英君しぼりたてが完売第一号となりました。裕祐さんご自身、会場に来てポスターを初めて見てビックリ仰天。知り合いのお客さんからさかんに冷やかされ「袖の下渡してないですよー」と苦笑いされていました。この日は夜、日本を代表する酒類ジャーナリスト松崎晴雄さんが駆けつけ、トークショーを楽しんでくださいました。

 

 3日目(14日)は「志太泉」の蔵元望月雄二郎さんと「花の舞」の東京支店長上村智亮さんが来店。志太泉はうすにごり、花の舞はしぼりたてが飛ぶように売れました。説明に苦労した志太泉「身上起~龍馬にプレゼントしたかった酒・原料/愛国米」も、トークショーで雄二郎さんが丁寧に説明してくれたおかげで無事完売。

 初日・2日目は気を張っていたせいか、ほとんど疲労感を感じなかったのですが、この日の午後あたりからなんとなく調子が悪くなり、下痢と吐き気。19時のトークショーが終わった後、早めに上がらせてもらい、薬局へ駈け込んで胃腸薬と風邪薬をゲット。結局最終日まで薬は手放せませんでした。

 

 4日目(15日)は「花の舞」の上村さん来店。しぼりたて、純米吟醸、純米吟醸熟成酒の3種類を見事売り切りました。私も売り場にほとんどつきっきりで、身体が持つかなと終始心配だったのですが、花の舞以外の商品もどんどん無くなる状況に比例して疲労も消えていった。・・・とても不思議な感覚でした。

 

 5日目(16日)は「富士錦」蔵元の清信一さん、「花の舞」上村さん来店。富士錦は富士山のお膝元、花の舞は井伊直虎の故郷・井伊谷のお膝元。それぞれ名水に恵まれ、自蔵で米を育てる蔵ですという説明がすっかり板に付きました。土曜日のこの日は期間中最大の集客数を記録。開店の10時から21時の閉店までお客様が途切れませんでした。疲労もピークに達していたはずですが、閉店時には気分爽快。肉体は精神がコントロールするものだと改めてしみじみ感じました。

 

 6日目(17日)は「正雪」の蔵元望月正隆さん、「杉錦」の蔵元杜氏杉井均乃介さん来店。「正雪」は東京でもネームバリューがあるだけに、正隆さんが来店された6日目にはほとんど商品が残っておらず、午前中にあっさり完売。とはいえ、販売する商品がなくても、この2人のトークショーをお目当てに多くの酒通が詰めかけ、売り場のあちこちで酒談義に花が咲きました。

 

 最終日の7日目(18日)は杉井さん続投。やはり午前中にすべて完売となり、2回のトークショーではイートイン駿河屋嘉兵衛に残っていた杉錦をわけてもらって試飲をお楽しみいただきました。酒造り職人でもある杉井さんには生酛づくり、山廃づくりのイロハを丁寧に解説していただき、トーク後には酒造に関心のあるお客様との会話も弾んでいるようでした。

 トークショーのアンカーでもあった杉井さんは、自分の酒のみならず、静岡の酒がここまで上質になった経緯を熱を込めて語り、売り場に置かれた開運やおんな泣かせを一生懸命売ってくれました。こういう蔵元の姿勢が、この売り場を完売状態にしてくれたんだなあとジーンとしてしまいました。

 

 7日間、酒売り場以上に地酒のPRに貢献してくださったのがイートインの駿河屋嘉兵衛さんでした。駿河屋嘉兵衛は富士市の塩辛専門店。東名富士川SAの富士川楽座、秋葉原の地域物産店ちゃばらに直営ショップを持ち、川崎と神田万世町に静岡の地酒&60種の塩辛が味わえる居酒屋を経営(詳しくはこちらを)。今回のお話をいただいた夏ごろ、私も万世町のお店を訪ね、地酒と塩辛の相性の奥深さを実体験しました。酒肴はどちらかといえば酒の味を邪魔しないあっさり・さっぱりが好みだった私も、塩辛さが酒杯を進ませる効果に唸りっぱなしです。

 

 イートインでは酒売り場で販売する酒を試飲に使ってくれたので、気に入ったお客様が続々と商品をお買い上げ。素晴らしい相乗効果を発揮しました。

 

 

 下の写真の右端が静岡県商工会連合会のアドバイザーで今回の総合プロデューサーでもある石神修先生。左端が駿河屋嘉兵衛のオーナー渡邊悠さん。この2人の功績は計り知れなかったでしょう。本当にお世話になりました。

 

 ふだんは日中ほとんど自宅のデスクでパソコンのキーボードを叩いている私が、立ちっぱなしでしゃべりっぱなしの慣れない販売業務を完投できたのも「静岡の酒が売れた」というライブ感覚そのもの。どんなに疲れていても「職業的人格」がそれを可能にすることを改めて実感しました。食事がとれない、疲れすぎて眠りも浅い・・・そんな日が続いても、朝、顔を洗っていつもよりしっかり目にメイクをして、持参した作務衣を着て売り場に臨む、そんなルーティーンと、実際に成果が出る手応えが、自分にも「職業的人格」を与えてくれたのです。外で働く女性たちは毎日こうして頑張っているんだなあと、今更ながら感動してしまいました。

 なによりライターとして、商品コピーや紹介記事を書く上で、お客様の顔を見て声を聞いて、どんなアクションが購買に結びつくのか現場で体験できたことは大きかったと思います。せっかく溜まった、いろんな貴重な経験値、無駄にしないようにしなければ!

 

 

 

 


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西武池袋本店『静岡ごちそうマルシェ』ご案内

2017-12-11 13:16:11 | しずおか地酒研究会

 久しぶりの投稿です。10月には海外出張、11月は引っ越しがあり、目まぐるしい毎日で気がつけば早、師走。時間の流れが数倍速に感じられる年の瀬です。

 ここで書きたいネタはてんこ盛りなんですが、とりあえず今日は12月12日から始まるイベントのご紹介を。

 

 東京の西武池袋本店7階南催事場で12日から18日まで7日間開催される『静岡ごちそうマルシェ』。静岡県商工会連合会の主催で、静岡県や県観光協会、各商工会とご縁の深い三島・静清・磐田の信用金庫さんが後援する静岡の食の物産展です。

 

 ご覧のとおり、桜エビ、ウナギ、ワサビなど代表的な静岡グルメに並んで、静岡の地酒が大々的にフューチャーされました。今回は各商工会さんの推薦を受けた『白隠正宗』『英君』『志太泉』『花の舞』『富士錦』『正雪』『杉錦』の7蔵が、新酒や飲み頃酒を出品。しかも毎日日替わりで7蔵元さんが来店し、お客様に直接試飲の手ほどきをしてくれます。

 私は商工連さんからお声かけをいただき、酒売り場や催事場内に設けた日本酒バー(イートインカウンター)をお手伝いすることになりました。毎日11時・15時・19時には、各20分ほど、その日来店の蔵元さんと酒造りトークをし、お客様に試飲を楽しんでいただきます。

 

 静岡県単独の食の物産展が、都内百貨店の催事場を1週間借り切って開催されるのは、今回初めてだそうです。西武池袋本店では、今年の春、静岡いちご紅ほっぺフェアが開催され、各階に入居されている喫茶・スイーツ店が静岡産紅ほっぺを使った特別メニューを期間限定で販売し、大好評だったそう。地方物産展のスタイルも多様化しているようです。首都圏で開催される酒のイベントも多種多様ですよね。

 今回は、静岡県というくくりの中で、贈答需要が高まるこの時期、どこまで勝負できるのか。今まで直接、製造や販売に関わる機会がほとんどなかった自分にとっても、とても楽しみなチャレンジです。

 

 まずは7日間、ぶっ通しでの催事イベントを完投できるよう頑張りますので、池袋にお越しいただける方はぜひ会場へお立ち寄りくださいませ! 詳しくはこちらのリンクを。


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