杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

徳川家康の洋時計調査報告

2012-06-17 10:37:17 | 歴史

 昨夜(16日)は駿府静岡からくり時計実現会議の今年度総会がありました。こちらの記事でも紹介したとおり、徳川家康がスペイン国王Photo
から贈られた洋時計。保管責任者である久能山東照宮の落合偉洲宮司が、イギリス大英博物館の時計部門責任者を招いて分解調査を行ったそのいきさつについて、落合宮司から直接報告をうかがいました。歴史好きにはたまらない内容でしたよ!

(写真は静岡市美術館開館記念『家康と慶喜~徳川家と静岡展』図録からコピーしました)。

 

 

 

 

 昨年の国宝指定以来、参拝者が前年より10万人ほど増え、38万人を超えたという久能山東照宮。一過性のブームで終わらないよう、次はなんとかこの洋時計を国宝に・・・との思いで、文化庁に打診をしてみたものの、「(国宝指定には)後世に何らかの影響を与えた功績が必要。この時計は東照宮の宝物庫にずーっと眠っていたので可能性は薄い」と門前払いだったそうです。

 

 

 

 県内で国宝指定になっている美術工芸品11件のうち、5件は刀剣類。これは刀剣類の専門家がたくさんいて、しっかりとした調査報告書が作られ易いという背景がある、と見て、落合宮司は洋時計の専門家、しかも文化庁がナットクするような超一流の専門家にちゃんと調査してもらおうと奔走します。

 

 そして、ヨーロッパ古時計の研究では大英博物館の研究員が世界一だとわかり、知人のつてで大英博物館時計部門責任者で上席研究員のデビッド・トンプソン氏を招聘することに。ちなみに大英博物館には8000台もの貴重な古時計を所有しているそうです。

 

 5月15日に来日し、2日間、調査を行ったトンプソン氏のことは、テレビや新聞で大きく報じられたので、ご覧になった方も多いと思います。

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 夕べは、報道では伝えきれなかったトンプソン氏の言葉を、落合宮司がいろいろとフォローしてくれました。

○革張りの専用ケース(収納箱)と本体が当時のまま両方揃っているのは奇跡的!

 

○専用ケースには取っ手が付けられていた形跡があり、日本の研究家はトラベラーズクロックでは?と解釈していたが、トンプソン氏曰く「国王の時計は、置時計ではなく、王宮内で国王が移動するたびに帯同していた。王宮内で使われていたものに相違ない」。

 

○時計というのは、故障すれば修理に出して部品交換するので、制作時の形が完璧に残ることは有り得ない。原型を探る際は、想像を膨らませ、仮説を立てるしかなかったが、この時計は99%原型を保っている。ヨーロッパの時計発展史を研究する上で極めて大きな発見。久能山の宝物庫で長く眠っていたおかげ。

 

○国王の時計らしく実に丁寧な作り方。ネジを巻くと27時間動き、1時・2時・3時の時報とめざましの鐘が鳴るしくみ。1日に30分程度の誤差があったかもしれない。

 

○完璧な作りだが、本体の扉に微妙なすき間があった。作者がここだけ手を抜いたとは考えられず、のちに、蝶番を付けて扉を開閉できるよう改良されていたようだ。これは1611年に日本に贈られる以前のことで、時計の価値そのものを損なうものではない。

 

○1581年にマドリードでハンス・デ・エバロ(宮廷お抱え時計技師)が製作したとプレートにある。エバロ作の時計は1583年製、1585年製のものがスペインに現存している。この2つはデザインや構造が似ているが、家康の洋時計だけはまったく異なる。しかも家康の時計のほうが作られた年は古いのに高性能。ひょっとして別人の作か?

 

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○「エバロ作」というプレートは上から被せられた形跡がある。X線調査をすれば本体に刻まれた本来の作者名が出てくるのでは?

 

○別人の名前が出てきたとしても、時計の真価は変わらない。しかも今でもちゃんと動く。大英博物館にある8000台の古時計と比べても、トップクラスの価値。

 

 

 調査結果はトンプソン氏が論文にまとめ、ヨーロッパの学会で発表し、日本語で翻訳したものは文化庁に提出される予定です。この翻訳作業を買って出たのが、4月に国立科学博物館で「田中久重の万年時計」解説をしてくださった佐々木勝浩さん!(こちらを)。なんと、若かりし頃、大英博物館に研修に行かれ、トンプソン氏と交流をお持ちだったそうで、「彼の論文を翻訳できるのは光栄だ」と快諾してくださったとか!不思議なご縁ですね・・・。

 

 それにしても、文化庁の「ずっと蔵に眠っていたから価値なし」、大英博物館の「ずっと蔵に眠っていたから価値あり」という、あまりにも対極的な反応・・・実に面白い! 場合によっては国宝どころか世界遺産になるかもしれないんですよね・・・。

 世の中には、別の角度から見れば黄金になるモノがたくさんあるのかもってワクワクさせられました。当事者から話が聞けない昔のモノや出来事を解明するとき、改めて「複眼」の視点が大切だって実感します。

 

 

 

 

 久能山東照宮の宝物庫に眠っていた洋時計は、1910年にイギリスで開催された日英博覧会に出品され、ヨーロッパに里帰りをしました。当時はたぶんインド洋から南アフリカ喜望峰を回って大西洋へ出てイギリスへ渡ったと思われます。落合宮司は、「この時計はスペインで生まれ、メキシコを経由して太平洋を渡って日本にやってきた。インド洋経由でイギリスへ行ったのなら地球一周したわけです」とロマンたっぷりに締めくくってくれました。

 

 

 駿府静岡からくり時計実現会議、次回は7月14日13時30分から、あざれあで、なぜか私が4月の東京視察会について報告をさせていただくことになりました。ブログ記事を見たという事務局からの依頼で断るわけにもいかず・・・ 誰でも参加できますので、興味があったらぜひいらして下さいね!近くなりましたら、詳細をお知らせします。

 

 

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1 コメント

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家康の洋時計 (森威史)
2021-02-08 15:44:28
家康の洋時計はスペイン国王から贈られた物ではありません。ヌエバ・エスパーニャの副王ドン・ルイス・デ・ベラスコから贈られた物です。
詳しくは『家康の時計渡来記』羽衣出版を御覧いただければご理解いただけます。
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