杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

セーラー服時代の聖書から

2012-12-24 20:42:23 | 本と雑誌

 今年のクリスマスイブは、バイト先のお寺でまるまる一日大掃除。達磨大師の像を磨きました。キリスト教とはもっとも程遠い空間で過ごしたわけですが、まあ、そもそも、ちゃんと教会でキリストの誕生を祝う人が世の中に何パーセントいるんですかね(苦笑)。・・・クリスマスって考えれば考えるほど不思議な行事です。

 今年は8月のアメリカ旅行で訪ねたサンタフェの教会、11月にホームカミングデー(同窓会)の記念礼拝で訪ねた母校の礼拝堂と、教会で印象深いひとときを過ごしました。

 信者ではないけれど、中学・高校6年間、毎朝の礼拝で使ってボロボロになった聖書は、30年以上経った今でもすぐ手の届く場所に(禅宗の経典も一緒に)置いてあります。いい言葉がやっぱり多いんですね。コピーを考えるとき、参考にすることもあります。

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セーラー服を着ていた頃、真面目に聖書を読み、心に残った聖句に赤線を引いた、その箇所を、あらためて読み返すと、なんともピュアな気持ちになります。有名なフレーズもあれば、なんでここに線を引いたんだろうと思える箇所もありますが、ちょっと紹介しますね。こうして言葉を書き写すことぐらいしか出来ない私からの、ささやかなメリークリスマスです。

 

 

 

「あなたがたは地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味を取り戻されようか」(マタイによる福音書 5章13)

 

「もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」(マタイによる福音書5章39)

 

「あすのことは思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」(マタイによる福音書6章33)

 

「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」(マタイによる福音書7章12)

 

「だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするだろう」(マタイによる福音書9章17)

 

「敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ」(ルカによる福音書6章35)

 

「見ないで信じる者は、さいわいである」(ヨハネによる福音書20章29)

 

「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを知っているからである。そして希望は失望に終わることはない」(ローマ人への手紙5章3)

 

「あなたがたも、賞を得るように走りなさい。(中略) わたしは目標のはっきりしないような走り方はせず、空を打つような拳闘はしない」(コリント人への第一の手紙9章24-26)

 

「愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない。誇らない。不作法をしない。自分の利益を求めない。いらだたない。恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」(コリント人への第一の手紙13章4-7)

 

「だから今、それをやりとげなさい。あなたがたが心から願っているように、持っているところに応じて、それをやりとげなさい」(コリント人への第二の手紙8章11)

 

「ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである」(ガラテヤ人への手紙6章4-6)

 

 


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『ホビット』で最先端映像体験

2012-12-21 11:12:31 | 映画

 私が大好きな『ロード・オブ・ザ・リング(以下LOTR)』シリーズの最新作・『ホビット~思いがけない冒険』の公開が始まりました。

 

 10年前にLOTR(第1部・旅の仲間)が公開されたときは、ちょうどハリーポッターシリーズと時期が重なっていて、英国産ファンタジー便乗作品&「指輪物語」って名前は知ってるけど読んだことないからこの際知っておくのも損はないか…ぐらいの軽い認識で観に行ったんですが、その完成度の高さに驚き、ハリウッドのビッグネームではないニュージーランドの監督&スタッフの制作と知って興味が沸き、それから第2部二つの塔、第3部王の帰還と、ドラマが進むに連れてどんどん作品にのめり込んでいきました。

 

 

 さらに、制作秘話が紹介されたDVD特典映像を見て、映画作りにかける監督&スタッフの熱意と、まるで学生仲間で自主映画を創っているようなノリのよさ、NZクリエイターたちの気負いのない純粋な姿勢に感動しました。このことは、当時、しずおか地酒研究会の会報誌で何度も書いて、モノをつくるひと・支えるひとの信頼関係の大切さを訴えたものです。「真弓さんがそんなに褒めるなら」と観に行ってくれた地酒研会員さんもいたようです。

 

 

 『王の帰還』がファンタジー映画としては前代未聞のアカデミー作品賞&監督賞ふくめ11冠に輝き、ピータージャクソン(PJ)監督もすっかりハリウッドメジャーとなり、LOTRに熱くなった時代も遠くなりにけり・・・と思っていたころ、指輪物語の前章にあたる『ホビット』が、PJのプロデュース、ギルレモ・デル・トロ監督(「ヘルボーイ」「パンズ・ラビリンス」)で映画化されるというニュース。ハリーポッターや007シリーズも監督がそのつど変わったりするから、シリーズものの製作では珍しくないかもしれないけど、PJとその仲間たちが創り出したLOTRシリーズの世界観とは変わるかも、と思ったら少しさびしい気もしました。

 

 オーディションで選ばれたという主役ビルボ役のマーティン・フリーマンも、LOTRシリーズのいかにもファンタジーの主人公たる童顔美青年イライジャ・ウッドとはまったく違うおっさんタイプ(笑)。その後、なんやかんやで製作が遅れ、結局、PJがメジャーになりすぎていろんなしがらみが出来て、純粋な映画づくりが出来なくなっちゃったんだろうと半ば諦めていたところ、PJが自らメガホンを取って2011年からクランクインするというファンにとっては願ってもないニュース! 

 

 マーティン・フリーマンはこの間、英BBC『シャーロック』のワトソン役で英国ドラマアカデミー賞なんか取ったりして、私も『シャーロック』を通して初めて彼の演技を知ることに。彼は、『シャーロック2』の撮影と調整がつかなくなって、泣く泣くビルボ役を降りることになったのですが、その後、PJが『シャーロック』を見て、「彼がワトソンではなくビルボに見えた」そうで、やっぱり彼しかいない、ということで、ホビットの撮影スケジュールを彼に合わせてずらしたんだそうです。

 

 ・・・自分も今ハマっている『シャーロック』を、自分がハマった映画の監督が同じようにハマったなんて、なんだかウキウキしてきますね。ちなみにシャーロック役のベネディクト・カンバーバッチも、『ホビット』に出演しています。声の出演&モーションキャプチャーでの悪役なので顔はわからないけど。

 ちなみにちなみに、『シャーロック』は新年早々NHKで再放送されますので、観てない方はぜひ!(こちらを)。

 

 

 

 そんなこんなで、12月14日、待望の『ホビット』公開初日。妹夫婦を誘って新静岡セノバのシネシティザートで観に行きました。最初にタイトルが出てきたとき、LOTRのタイトルロゴと同じ書体だったのにまず感動し、舞台となった“中つ国”が3Dの世界になったことだけで涙が出そうになり、ストーリー展開が、LOTRの第1部旅の仲間と同じように構成されていて、「ああ、10年ぶりにLOTRの世界に還ってこれたんだ」としみじみ嬉しくなりました。

 

 妹夫婦はLOTRシリーズを観ていないので、単に話題の作品を話のネタに観たって感じでしょうか、エンドロールのクレジットが流れ始めたら早々に退席。私もしぶしぶ一緒に退席しました(もちろん後日改めて一人でゆっくり見直すつもりで)。

 エンドロールのクレジットって、映像を作った経験のある人なら解ってくれると思いますが、本当に、映画というのは機械が造るんじゃなくて、一人ひとりの力が結集して生み出されたものだって実感させられるんですね。

 

 

 3D字幕版は、いつもかける近視用メガネの上に3Dメガネを二重にかける苦痛と、字幕が浮き上がって邪魔になるという難点もあります。見終わった後は、やっぱり疲れるんですね。できたら今度は吹替え版で観ようと思ったところ、ファンサイトをのぞいたら、『ホビット』は世界で初めて、HFR(ハイフレームレート)3Dという最先端映写技術で撮られていて、HFR3Dが上映できる映画館は限られていると知りました。

 

 フレームとは、映写機が1秒に映写できるコマ数のことで、現在の映画館の標準は毎秒24フレームですが、HFRはその2倍の48フレームで撮影・映写できる技術。人間が1秒間に目視できるフレームの上限は55フレームだそうで、人間が生で視たものにより近くなる、というわけです。

 

 

 PJはインタビューで、

「最近ではiPhoneやiPadなどで映画が簡単に見られるので、映画館へ行く理由を作るのが難しいということがある。『ホビット』のような大作を最新のテクノロジーを使って映画館で見てもらいたいという思いから、HFR3Dを採用した」

「観客が前のめりになるようなものを作り、映画の冒険に引き込みたい。きっと今までの映画とはかなり違う感覚で見ることになると思う。映画館が本来提供するべき、どっぷり浸かれるような豪華な体験を実現するべく、フィルムメーカーが最新の技術を使うのは非常に大事なこと。今は映画館が面白い時代だと思う」

と言っています。

 

 こういう記事を読んじゃうと、どうしてもHFR3Dが観たくなっちゃうじゃないですか。でも調べたら、HFRで上映しているのは全国で33館のみ。静岡県ではゼロです。遠出して観に行ける時間は年内は作れないし、かといって限定上映だから気がついたら終わっていたなんて可能性もあるし・・・とジレンマに。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、20日、沼津での取材が16時ごろ終わったあと、思い立って、貴重なHFR上映館の一つ・藤沢の109シネマズ湘南まで車を飛ばして観に行きました!ここでは、IMAXシアターでのHFR3D上映という、全国でも7館のみの、世界最高峰の映像体験ができるのです。

 

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  IMAXシアターって、よく博覧会の企業パビリオンなんかで、宇宙とか大自然なんかの大迫力映像をちらっと見たことはありますが、映画を丸々1本観るのは初めて。しかもHFRという直接ナマで視た感覚にもっとも近いフレーム。俳優さんの肌の毛穴までクッキリ見えるし、すぐ目の前に居るような錯覚だし、岩と岩の隙間深く落ちていくシーンなんてマジで自分が落ちていくみたい。・・・なんともいえないビックリ体験でした。

 ちょっと不謹慎かもしれないけど、この映像技術で地震や津波等の訓練映像を作ったら、たとえば自衛隊や消防や警察関係者にとってはホントに実践さながらの机上訓練が出来るんじゃないかと思ったくらい。実際、パイロットの訓練ビデオなんかにはあるのかなあ。

 

 

 

 それはともかく、前回と同じように3D字幕版で観たのですが、前回のような疲労感はさほど感じませんでした。フツウの3Dだと、知らず知らずに細かなちらつきやブレを感じるんですね。今回は字幕に多少ブレがあったくらいで、映像は素晴らしいの一語に尽きます。観客に、直接ナマの中つ国に入り込んだような世界観を体験させるということは、創り手のほうも、いいかげんなものは創れないってことですよね。ファンタジー実写作品でそれに挑戦したPJの勇気とクリエイター魂に、惜しみない拍手を送りたいと思います。LOTRから10年経っても少しも変わらない映画作りへの情熱、とても嬉しかったし、大いに刺激をもらいました。

 

 

 

 エンドロールもほとんどのお客さんが最後まで席を立たず観ていました。終了したのは23時前。朝型人間の私はいつもなら布団に入る時間ですが、車で2時間30分かかって静岡まで戻りました。さすがに疲れたけど、心地よい疲労感です。

 

 

 次は、フツウに2D吹替えで、物語をじっくり楽しみましょうか。

 

 

 

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沼津文学歴史散歩

2012-12-16 11:21:58 | アート・文化

 先週は、11日に妹夫婦が10年ぶりに里帰りし、なんやらかんやらで慌しい一週間でした。11日は妹の誕生日だったので、キルフェボンのいちごタルトを奮発しました。

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 その昔、キルフェボンを開業する前だったと思いますが、運営会社RUSHのオーナー兄弟を取材したことがあります。「海外放浪でヒントを拾ってきた。日本にはないオシャレなケーキ屋さんをやろうと思う」と話していたのを思い出し、やりたい、やろう!と強く願うことが何事でも原点なんだなあとしみじみ。久しぶりに家族で囲んで箱を開けてみんなが「うわぁ~!」と喜ぶケーキでした。イマドキのヒット商品って、こんなふうに感性を刺激するモノなんですね。

 

 

 

 

 

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 12日は沼津の取材リサーチ。ついでに妹夫婦を車に乗せ、御殿場まで足を延ばしました。二人とも米軍のIDを持っているので、米軍キャンプ富士に入れてもらえることに。訓練施設のせいか門番もキャンプ内ショップのスタッフも、とてもフレンドリーでした。

 ここからしか観られない絶景の富士。清清しい気分の中、(訓練中の)砲弾の音が聴こえてきて、ああやっぱりここは(フツウに知ってる)静岡県御殿場市ではないんだ、と不思議な感覚に陥りました。

 

 

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 ビール好きの2人のために御殿場高原ビールでランチ。結構道が込んでいて、リサーチ候補の沼津御用邸記念公園に着いたのが15時過ぎ。御用邸に入るの、実は初めてなんです。外国人から観たら、天皇の別荘にしては質素な造りに見えたかもしれませんが、建物のしつらえや御座所等の調度品はさすが。西付属邸から東付属邸までのプロムナードもお散歩には最適でした。

 東付属邸庭園には駿河待庵(京都大山崎の国宝茶室・待庵を模した茶室)ほか一般に利用可能な茶室があって、お茶をかじり始めた身としては興味津々。こういう茶室を利用できる沼津市民が羨ましくなりました。それにしても御用邸記念公園って東京ドーム3個分の広さがあったんですね、知らなかった(恥)。

 

 

 

 

 

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 沼津港到着は17時近くで、やっぱり平日この時間帯だと閑散としていて、とりあえず資料写真だけ撮ってこの日は帰り、翌13日、一人で再取材。湾に面して千本浜公園から沼津港口公園~びゅうお~牛臥山公園~御用邸記念公園というルートを、文学をテーマに記事にしようと構想を固めました。千本浜公園の井上靖の文学碑、こんな立派な碑だったんですね。若山牧水は近くに記念館もあり、堂々とした歌碑でした。

 

 

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 沼津港口公園で見つけたのは日本の童謡の父・本居長世の記念碑。江戸の国学者・本居宣長の6代後のご子孫で、作曲家として「赤い靴」「七つの子」など日本を代表する童謡を遺しました。出身は東京ですがこの地を好んで避暑に来ていたそうです。

 

 

 

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 牛臥山公園も初めてでした。私は見逃してしまったのですが、映画『わが母の記』のロケに使われたんですね。牛臥山周辺には明治政府の高官の大山巌(陸軍大臣)、川村純義(海軍大臣)、大木喬任(文部大臣)、西郷従道(陸、海軍大臣)ら旧薩摩藩出身者の別荘がありました。ここからの駿河湾の景観が、故郷鹿児島の錦江湾に似ていたからとか。

 明治22年には東海道線が開通して、東京からの交通の便が良くなったため、彼らの薦めもあって沼津に御用邸が造営されたそうです。・・・取材の仕事をしているのに初めて知ることばかりでホント恥ずかしかったけど、目からうろこの連続でした。

 

 

 この日の取材では、静岡県ニュービジネス協議会のお仲間で、牛臥山~御用邸記念公園のお膝元で冠婚葬祭プランニング&ギフトショップの会社を経営する山内倭子さんにお世話になりました。山内さんの会社が運営する『nacole』の楽天サイトでは、お宝情報がギッシリです。一見、文学歴史散歩とは関係ないかもしれませんが、今回ここから拝借した取材ネタもあります。年末年始のお買い物の参考にぜひ!

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選挙と倭城と炭手前

2012-12-10 10:27:01 | 駿河茶禅の会

 坐禅修行から帰って来た先週は、寒さが一気に強まりましたが、やっぱり何でも経験してみるものですね、いつもの自分なら喉や気管支系統をやられるのに体調はすこぶる順調です。多少なりとも耐寒体質になれたのかな?

 

 

 

 

 

 

 総選挙公示直前まで上川陽子さんの事務所に日参してHPやブログの更新をし、4日朝の出陣式に参加。早朝に激しい雷と雨で、荒れる選挙戦を予想させましたDsc_0034。出陣式もあいにくの天気でしたが、陽子さんが『坂の上の雲』の話をされたとき、一瞬、会場の常磐公園の上空に陽が射しました。

 坂の上の雲、という言葉が、心にストンと入り込んだ美しい光景でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 5日は夜、『茶道に学ぶ経営哲学研究会』の例会。駿府公園紅葉山庭園茶室で、望月静雄先生が、冬季の伝統の作法・炭手前の実演を披露してくださいました。

 

 茶室でお茶を点てる湯を沸かすために、炉に炭をくべる。炭一本一本に役割があり、くべ方があり、練ったお香まで添える。湯を沸かすためだけに、これだけの配慮をするという茶道のもてなしの精神の奥深さに驚き、感動しました。

 

 

 

 

 

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 お茶を習っている人でも、炭手前の手順をじっくり観る機会はそうそうないそうです。私みたいな門外漢が贅沢をさせてもらって申し訳ない気もしましたが、「効率の良さ」とか「スマートさ」を由とする現代のライフスタイルとは対極的な茶の伝統作法の存在理由を、今一度、じっくり噛み締めるべきだと実感します。

 

 

 今のお茶の消費拡大策の多くは、カンタン・ベンリ・カワイイ・オシャレといった新しい価値をアピールしています。ペットボトルドリンクや人気のカフェチェーンのスタイルに倣おうとしているのかもしれませんが、お茶の場合は、日本人のアイデンティティを形成した伝統文化を持っていることを見失ってはいけないような気がする。炭手前のようなきめ細やかな作法があることを知った上で、現代らしいスマートさを享受する分にはいいと思いますが、これはやっぱり、子どもからの躾や教育に負うDsc01192_2_1280x851_1280x851ところが大きいかなあ。

 

 

 

 それにしても、炭が赤々と燃える炉の暖かさ、茶室を暗くして見ると、よけいに染み入ります。利休の時代の日本人の感性がいかに鋭く細やかだったかが想像できます・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 お茶会が終わった後、会員の平野斗紀子さん&海野尚史さんと会食。敬愛する2人の名編集者と久しぶりにおしゃべりできて、夜の寒さを忘れました。平野さんは海野さんが運営するeしずおかのコラムサイトで、この夏のアリゾナ旅行のことを書いてくれました。私が気づかなかった深い視野に感動します。こちらをぜひ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7日夜は静岡県朝鮮通信使研究会総会で、望月茂さん(静岡歴史民俗研究会会長)が『海を渡った日本の城―倭城の築城とその後―』というタイトルでお話くださいました。内容はこちらで紹介したものとほぼ同じでしたが、石垣の積み方の変遷や、現地で建てられた倭城は、「連郭」といって山の峰に沿って築かれた細長い城だったとか、朝鮮流の切り込み接ぎ(ハギ)を高く積み上げた石垣が、江戸時代の日本の築城に影響を与えたなど等、朝鮮通信使研究に新たな切り口を与えてくれた興味深い講演でした。

 

 石垣は、それまで自然石を積み上げた野面(のづら)積み、石と石の間をきめ細かく埋めた打ち込み接ぎという方法が主流でしたが、朝鮮流の切り込み接ぎというのは石をきれいに切り出してレンガのように整然と積み上げる方法。これだと強度は若干落ちるものの、高く積み上げることが可能で、鉄砲攻めの備えにメリットありとのこと。

 以前、皇居東御門の江戸城Dsc00231址を見学したとき、その違いを一目瞭然で目撃しました。

 

 

 

 

 

 

 加藤清正は朝鮮の蔚山(ウルサン)に築いた倭城で籠城戦に追い込まれ、真冬に兵糧攻めに遭って人肉まで食らう悲劇を経験。帰国後に熊本城の大改修をするとき、城の隣に“蔚山町”を作って現地から拉致してきた朝鮮の大工職人たちを住まわせ、急勾配の切り込み接ぎの高石垣を作り、兵糧攻めに遭ったとき食糧にできるよう、畳や土塀の中にカンピョウや芋ガラを混ぜたり、井戸を120箇所も造ったり、周りに銀杏や栗など食用の実が成る樹をたくさん植えたそうです。よっぽど朝鮮での経験が堪えたんですね・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9日(日)は青葉イベント広場で陽子さんの選対総決起大会。陽子さんが議員立法で作り上げた犯罪被害者等基本法の関係者として、山口県光市母子殺害事件の遺族・本村洋さんが応援に駆けつけてくれました。本村さんと取材記者との“共闘”を描き、文化庁芸術祭大賞を受賞したWOWOWドラマ『なぜ君は絶望と闘えたのか』をとても興味深く視ていたので、ご本人の生声を聞けてちょっと感動しました・・・。

 「運動を始めたとき、被害者家族の権利が法律で保障されるまで20~30年はかかると言われたが、上川さんはこの問題に取り組んでわずか6ヶ月で法律を作り上げた。政治家がきちんと仕事をし、政治がまともに機能すると、社会は変わると実感した」と力強いエールを送ってくれました。

 

 

 

  陽子さんと私は、以前、FM-Hiの『かみかわ陽子ラジオシェイク』でこの問題について語ったことがあります。こちらにUPしてありますので、ぜひご参照ください。

 

 

 

 

 

 

 さあ、今週はアメリカから妹夫婦が年末年始休暇で帰ってきます。どんな珍報告が出来ますやら。英会話に自信のある方もない方も、よかったら妹夫婦と一緒に遊んであげてください。とくに外国人が楽しめる静岡の面白スポットをご存知の方、ご連絡お待ちしています!

 

 

 

 

 

 

 

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�椈八接心体験

2012-12-06 14:12:59 | 仏教

 12月2日は京都の興聖寺で『�椈八接心』修行に、一日だけですが参禅させていただきました。先日書いたとおり、接心とは一定期間集中して坐禅修行することで、�椈八接心とは、釈迦が悟りを開いたとされる12月8日の前1週間(12月1日~7日)まで昼夜通しで行います。興聖寺では朝4時から夜23時まで、坐禅と読経をひたすら続けます。

 

 

 

 私は以前、5月のGW中に行われた接心に参禅したことがあります(こちらを参照)。時計とパソコンと携帯のない、〈個〉を押し殺した5日間は“非日常”でしたが、今の暮らしの中ではやはり得がたい尊い時間でした。

 

 

 今回も、一日だけですが禅の修行の厳しさを改めて実感する時間となりました。朝8時に寺に着くと、ちょうど掃除の時間。修行僧に混じって一般の参加者も5~6人、ヨーロッパ出身の若い女性もいました。

 

 私もとりあえず、寒さ対策に購入したヒートテック3枚+レギンスの上に、新調した作務衣を着て、庫裏の床掃除からスタートしました。

 

 雑巾がけは、この秋から始めたアルバイト(お寺の家政婦)で鍛えられた?せいか、フットワークよく、扉の桟の隅々まで見逃さず。かなり汚れがこびりついていたガラス窓も拭いてやりました。バイト先のお寺の奥様が「お寺さん同士で、どうしたら一般の人に気軽に寺に来てもらうようにするか話をしたとき、寺でコンサートやカルチャー講座を企画する等の話が多かった中、うちは何の取り柄もないから、”とにかく徹底して掃除をしてつねにきれいにしておく、それがお寺に来てくださる方への誠意”と答えたの」とおっしゃったのを思い出したのです。

 とにかくバイト先は掃除掃除の毎日。最初は何の意味があるのかと苦痛に思えたときもありましたが、奥様のその言葉はとても心に沁みたものです。

 

 このときも、ただの拭き掃除だけど、他の修行者に比べて年季が入っているんじゃないかと勝手な自信と勇気がもてました。

 

 

 

 

 

 ところがその自信も一瞬のうちに泡沫状態に。久しぶりに臨んだ長時間の坐禅は、まず両膝の痛みから始まりました。暖房のないすきま風が通る本堂内は、ほとんど屋外と同じ。ヒートテック3枚(キャミソール&長袖アンダーウエア&ネックTシャツ)も役に立たず、全身凍るような寒さ。よく見ると、他の参加者は作務衣の下にダウンジャケットやウールのセーターを着込んでいます。冬山装備で来ないとダメだったんだ・・・と後悔しきり。このまま壊死するんじゃないかと思えるほど冷え切った素足に、「ひょっとして凍死前ってこんな感じか・・・」と大げさな恐怖にふるえました。

 

 

 

 

 そんな心の迷いを見透かされたように、ご住職から、「少しぐらい寒い、痛い、を我慢できないでどうするんですか! 1年のうちのたった7日間です、真剣に座りなさい! 真剣に座る者は裸でも汗をかくんです!」と活を入れられました。

 

 ・・・そう、雑念にとらわれているときほど、寒さや痛みがより強くなるんですね。お腹の丹田あたりにグッとチカラを込めて、頭を真っ白にして、骨と肉と神経だけの、ただの物体になろう・・・。そう念じていると、ちょっぴり寒さを忘れる気がしました。

 

 

 

 

 坐禅は大まかに2時間おきにインターバルがあって、読経や食事の時間が入りますが、その間も修行ですから、無駄口はたたけません。事前にオリエンテーションがあるわけではなく、いつ、何を、どこでやるかは誰も教えてくれませんし、口頭で聞くことも許されません。トイレが我慢できず、行ってはいけない時間と知らずに行ってしまって叱られ。・・・50歳を過ぎてこういう体験って日常ではなかなかないなあ・・・。

 

 午後・夜と、一般参禅者の顔ぶれが変わり、ご近所の方はそれぞれ都合のよい時間に座って帰るという感じ。食事の時間になると人数が増えるようです(苦笑)。さすがにぶっ通しで参加する人は少なく、一般の人がこれを1週間続けるには、マラソンランナーかアルピニストのようにしっかり体をつくり、心して臨まなければ無理だろうと思えてきます。しかし、時間の長い短いはあるにしろ、参禅する人は、昨年の3・11以降、月ごとに増えているそうで、実際、私が2008年5月に参加した接心の時よりも、はるかに多かった。

 

 

 

 

 イマドキの娑婆の世界は、快適で便利で楽な暮らし方や、モノごと賢くこなすスマートな生き方が良しとされます。先日の静岡県ニュービジネス協議会のフォーラムもまさにそれがテーマでした。 同じ平成の世に共存する、このような修行の世界を人が求め、望んで苦行を体験しようとする・・・そんな現象が不思議といえば不思議です。

 

 

 

 坐禅の話をすると、多くの友人から「いいなあ」「自分も一度行ってみたい」と言われます。この記事を読んで、なおも「いいなあ」と言ってくれるかどうか分かりませんが(苦笑)、人は、いくつになっても、苦痛を必要とする生き物なのかもしれませんね。

 

 

 

 

 唯一、掃除のときに感じた、「体で覚える」ことの意義。雑巾がけをしているときは無心になれて、体が自然に軽く動いたのが不思議でした。これは日常のバイトの積み重ねが奏功したに違いありません。

 修行を続けるというのは、肉体と感性を研ぎ澄ますことだと、今回の坐禅体験でなんとなく実感できた気がしました。もちろん、まだまだ序の序の序の口ですが。

 

 

 

 23時。一日の修行を終えて京都駅までタクシーで戻り、24時に京都駅発の夜行バスで静岡へ戻りました。タクシーの運転手さんからも「坐禅ですか~いいですねえ、自分も一度やってみたいんですよ。今のお寺で出来るんですか?」と訊かれました。気持ちがあっても、最後は結局、やるかやらないか、です。今の私には、やってみて初めて解ることがある、としか言えませんが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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