週末は2年ぶりに福島いわきへ車でひとっ走り。道の駅よつくら港を運営するNPO法人よつくらぶ理事長佐藤雄二さんの葬儀告別式に参列させていただきました。享年59歳。病気が発覚してまもない急死とのことで、ご家族やお仲間はもちろん、なによりご本人にとって、さぞご無念だったと思います。
佐藤さんは生まれ育ったいわき市四倉で建設会社を営むかたわら、趣味の剣道を通して地域の青少年教育やまちおこし活動にも熱心に取り組んでおられました。市町村合併していわき市に編入された四倉の町の絆を大切に守っていこうと町おこし団体(四倉ふれあい市民会議)を立ち上げ、NPOを設立し、民設民営で道の駅よつくら港を創り上げました。
オープン2年目にして震災に遭い、ふたたびゼロベースからの立ち上げ。この間、取材(こちらのカテゴリーをぜひ)にうかがった私は、道の駅よつくら港での復興活動に尽力されるお姿しか存じ上げませんでしたが、2013年にリニューアルオープンにこぎつけ、2014年には震災孤児・遺児たちのために「チャイルドハウス・ふくまる」を増設。佐藤さんが経営されている建設会社がどれほどの規模かはよく知りませんが、本来、自分の会社を大きくすることに投資してしかるべき時間や労力を地域のために費やした佐藤さんの企業人としての姿勢は惚れ惚れします。
この写真は道の駅よつくら港の事務所でスタッフの皆さんから「いい表情でしょう?」と見せていただいたもの。2年前の道の駅リニューアル直後の佐藤さんです。
告別式では出身校の日本大学工学部の恩師や剣道仲間、四倉での剣道場のお仲間の弔辞が心に沁みました。企業家が、しがらみの多い地元で公助や共助を実践し続けることができた根底には、武道で鍛えた克己心や義侠心、他者を思いやる懐の大きさがあったのだと解りました。葬儀会場に飾られた花輪、弔電、会場に入りきれない参列者の驚くような数の多さに、佐藤さんが地域でどれほど得難い“人財”であったかが示されていました。
ところでお寺のバイトを始めて以来、“葬式仏教”と揶揄される今の仏教や葬儀について内から外から様々考える機会を、意識して持つようにしていたのですが、福島へ行く直前、仏教系の新聞・中外日報の社説【黒い服を着る機会 広まる「身内葬」に思う】という記事を目にしました。最近の傾向として、葬式は身内だけで簡素に済ます「身内葬」や、病院から火葬場へ直接運ぶ「直葬」が増えているそう。お寺で葬式を行なう人は確かに少ないし、広報の仕事を手伝っている友人の食品会社でも「仏事(香典返し)の需要がめっきり減った」と。お墓の問題もそうですね。管理しきれないからと、お墓を移したり閉じたり、ということが比較的抵抗なく行なわれているようです。日本人の宗教感覚はやはり変化しているんだな、と実感します。
ご本人の遺志として仰々しい葬式を望まない、或は人を呼べない特別な事情がある場合を除けば、私自身は縁のあった人を出来るだけ多く招いてしかるべきではないかと考えます。人の人生とは、縁のあった人々と共に刻んだ時間の積み重ねでしょう。葬式は、その人が結んだすべての縁をつなぐ唯一の機会です。
佐藤さんの場合、建設会社社長として業界での公的役職もしっかり務めておられたこと、剣道の達人で、日大工学部出身で恩師や学友を大事にされ、地域の剣道指南者として子どもたちの面倒をよく見ていたことなど、初めて知る一面を会葬者の顔ぶれからうかがい知ることができました。弔辞を読まれた方以外にも、佐藤さんのいろいろな顔をご存知の方が多くいらっしゃって、お身内が知らないこともあるはず。静岡へ来られたとき、青葉おでん横丁や玄南通りの居酒屋で地酒を飲んで盛り上がったことなども、おそらく存じ上げないでしょう(笑)。佐藤さんと縁のあった人々が、佐藤さんとの思い出を心置きなく語り合い、佐藤さんという人の人生をより深く、より鮮やかに脳裏に刻む・・・それが故人にたいする何よりの供養だなあとしみじみ思いました。
私自身はこのまま子なし独身で一人暮らしを続けていたら、世間並みの葬式は望めないと思いますが、縁のあった居酒屋で縁のあった人が縁のあった酒を呑んで大いに盛り上がってくれたら嬉しいなあと想像します。今からでも、自分より長生きしそうな飲み仲間を大切にしなくては(笑)。
今まで参列したお葬式では、型どおりの儀式・挨拶だけで、故人について、自分が知る範囲以外のことは分からず終まい・・・というケースがほとんどでした。その意味で、今回の佐藤家の葬儀は、福島まで往復1000キロ車を飛ばして来た甲斐のあった、心に残るいいお葬式でした。ご遺族の皆さま、NPO法人よつくらぶ及び道の駅よつくら港の皆さま、お世話になりました。
最後に中外日報の記事を紹介しておきます。
黒い服を着る機会 広まる「身内葬」に思う 〈2015年9月4日付 中外日報(社説)〉
病気で亡くなった愛児を生き返らせてほしいと頼まれた釈尊は、その母親に「葬式を一度も出したことのない家からケシの実をもらってきなさい」と言った。母親は家々を訪ね歩いたが、葬式を出したことのない家は一軒もない。母親は、初めて死の現実を受け止めることができたという。
先頃、哲学者としても評論家としても有名な人物が亡くなった。真っ先に訃報を伝えた新聞には、死去の日時や場所、病名等の記載がなかった。本人が葬儀を営んではならぬと遺言し、遺族がそれを守ったため、世間並みの発表が遅れたものらしい。珍しいケースであった。
奈良県在住で、間もなく喜寿を迎えるAさんは、このところ川柳を楽しんでいる。5年前に作った「定年後たまの外出黒い服」は仲間うちで好評だった。仕事を離れた現在は、いつも自宅でカジュアルな服装でいる。ネクタイを締めて出掛けるのは、友人知己の通夜か葬儀のときに限られる、という日常を詠んだものだ。
だがAさんは、この句を詠んで以後「黒い服」を着る機会がめっきり減ったことに気付いた。同窓会からも、職場のOB会からも、訃報が届くことはない。時代の流れで地味な「身内葬」を選ぶ家が増えたためだ。新聞に掲載される有名人の場合も「葬儀は身内で済ませた」の書き込みが目立つ。Aさんは「100円ショップで買い置きの香典袋は出番がなく、色があせた」と苦笑する。
「新聞の川柳欄では、告別式が同窓会に早変わりしたという句を何度も見た。弔いの場を旧交を温める機会にするのは不謹慎と見られるかもしれないが、案外、故人もそれを喜んでくれるかもしれないと理由付けして、典礼会館からの帰途、精進落としの場所を探したものだ。そんな機会が減ったのは寂しいですね」
多くの会葬者の集まる葬式が少ないのは、一般市民が宗教と接する機会が減ることを意味する。仏式,神式にせよキリスト教式にせよ、それぞれの宗教の行き届いた式次第に接すれば、信仰心を高める効果があるはずだ。宗教者の工夫で,華美を避け、質素な中にも心のこもった葬送を創出できるのではないだろうか。
Aさんの趣味は川柳だが、お寺の檀徒には俳句ファンも多い。一部寺院では寺報に文芸コーナーを設けて、檀信徒交流の場としているところもある。こうした配慮で「身内葬」のワクを打破することはできないであろうか。年末に届く喪中はがきで旧友の訃を知るのは、寂し過ぎる。