杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

大村屋酒造場2014 第18回七夕コンサートのお知らせ

2014-06-27 08:59:34 | 地酒

 『若竹』『おんな泣かせ』『鬼乙女』の醸造元・大村屋酒造場(島田市)の恒例・七夕コンサートが、今年も7月7日(月)19時から開かれます。ここ数日、当ブログを検索閲覧される方が増えてきましたので、急ぎご案内いたします。

 

大村屋酒造場 第18回七夕コンサート

 

◇日時 2014年7月7日(月) 18時30分開場、19時開演

 

◇会場 大村屋酒造場・貯蔵蔵  島田市本通1丁目1-8 (こちらを参照)

 

◇出演 大石陽介(バリトン)、大石真喜子(ソプラノ)、馬場祥子(ピアノ)

 

◇料金 無料

Dsc02910  

 

 今回は島田市在住の声楽家・大石ご夫妻が、日本の叙情歌をしっとり歌い上げてくださいます。コンサートの後は樽酒など蔵出しの酒をたっぷり試飲できます。

 蔵元従業員総出で地域のみなさんをおもてなしする手作りイベント。こういう蔵が地元にあって幸せです!

 昨年の七夕コンサートの様子はこちらを参照してください。

 

 会場はすぐに満席になってしまいますので、なるべく早めに行かれたほうがよいと思います。車での来場はNGですよ、もちろん。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茶禅一味の京都課外授業その3

2014-06-26 11:00:54 | 駿河茶禅の会

 14日夜、興聖寺の織部四百年忌行事の後、鞍馬口通りを船岡山方面にブラブラ歩き。京都在住の知人に教えてもらった『さらさ西陣』というカフェでビールと腹ごしらえをImgp0405しました。このカフェ、築80年の銭湯・藤の森温泉をリノベーションした“銭湯カフェ”で、『千と千尋の神隠し』のお風呂屋さんを思わせる唐破風の屋根、高い格天井、和製マジョリカタイル全面張りと、びっくりするような造り。さすが京都です。

 

 メニューは若者向けのカフェごはんや軽アルコール類が中心。お客さんも20代カップルや女子グループばかりです。明らかに平均年齢を押し上げる異端者の我々、とりあえずビールをかたっぱしからオーダーし、気がついたら店のビールの在庫を空っぽにしてしまいました(笑)。

 

 

 

Imgp0403

 

  鞍馬口通りをさらに西に進むと、伝説の銭湯『船岡温泉』があります。せっかくだからと足を伸ばし、入浴NGのメンバーは目の前にあったビールバーでさらに飲み増し。入浴後に飲み直したいというメンバーを強引に連れ帰り(笑)、合宿先の京町家・相国寺庵へ戻りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

2008050512540000  

 

 翌15日は朝4時50分に興聖寺の早朝坐禅に参加しました。坐禅体験は初めてというメンバーばかりなので、和尚さんに手ほどきをしていただきながら、1時間余り、精神統一に努めました。忙しい現代人にとって、静かにただ座る、無心で読経するという時間はなかなか経験できないと思います。メンバーがどんな感想を持ったのかわかりませんが、私自身は久々の朝の坐禅で実に清々しい気分でした。

 

 

 夜の坐禅は、それこそ、その日に経験した失敗、後悔、反省の気持ちが次々と湧き上がってきて、リセットするのに精一杯という感じですが、朝は、起きた時にすでにいったんリセットされた状態なので、新しい一日を真っ白な状態で始めることができます。興聖寺の坐禅会は毎晩19時からで、日曜日だけ朝、行っていますが、なるほど効果的だなと実感しました。

 毎日の坐禅会、誰でも自由に、アポなしで参加できますので、京都に行く機会がありましたらぜひ体験してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

Dsc_0429  堀川通りから今出川通りを東に折れ、蹴鞠で知られる京都白峯神社を参拝してW杯日本初戦の必勝を祈りました。この神社、サッカーだけでなく、バレーやバスケ等ボールゲーム全般の関係者がお参りに来るみたいですね。

 

…結果は残念でしたが、2014年W杯ブラジル大会日本初戦の朝、ここでお参りしたことは、ずっと記憶に残るでしょう。2018年ロシア大会で再現・リベンジしたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Imgp0410  15日は宇治方面を歩きました。まず日本三禅宗のひとつ・黄檗宗本山の萬福寺 。インゲン豆を伝えたとされる隠元禅師が徳川4代将軍家綱の時代、明から渡来し、創建した中国様式のお寺です。今でもお経は明の時代の“黄檗唐韻”という発音方法で読まれ、本堂の伽藍もどことなく中国風。日本では唯一最大のチーク材を使った建物だそうです。

 

 

 萬福寺といえば、普茶料理(茶礼で饗される中国風精進料理)が有名ですね。この日はいただきませんでしたが、静岡清水の十七夜山荘普茶堂で味わうことができます。

 

 

 

 

 

 

 

Imgp0414  次いで、源氏物語ミュージアム、宇治茶を育てた名水のひとつ桐原水、平等院、朝日焼窯元、上林春松茶舗記念館とお茶にゆかりのある観光スポットを巡りました。

 

 宇治川はビックリするくらい水量が豊富でした。晴天の日曜日、観光客でごった返しで、平等院の門前商店街でお昼をとろうと思っても、どの店も満員札止め状態。東南アジア系と思われるツアー客の多さにもビックリでした。

 

 

 

 

Imgp0422  朝日焼は遠州七窯の一つに数えられる茶器の窯元。器の展示即売をする売店と接待用の茶室がありました。

 

 もっとも一般の観光客でにぎわっていたのは、朝日焼窯元の真向かいにある福寿園宇治工房。お茶スイーツが味わえたり抹茶づくり体験ができる完全な観光スポットです。サントリーとコラボして作ったペットボトル茶「伊右衛門」でおなじみですね。

 

 

 

 

 

 上林春松茶舗は徳川将軍家の御茶師として庇護を受けた老舗茶商。こちらは日本コカコーラとのコラボ茶「綾鷹」でおなじみですね。

 

  “ずいずいずっころばし♪ 茶壺に追われてどっぴんしゃん 抜けたらどんどこしょ♪ "で知られるお茶壺道中って、上林家が宇治から江戸の将軍家までお茶を運ぶ「茶頭取」を務めていたとか。東海道を進むお茶壺行列を、庶民は直視NGだったため、茶壺が通り過ぎるまで玄関をピシャッと閉め、行列が通り抜けたらやれやれ・・・と歌ったんですね。

 

 

 Imgp0426 我々は、老舗の風格たっぷりの長屋門を活かした上林記念館を訪ね、宇治茶の歴史と上林家秘蔵のお宝を見学しました。こちらは一般の観光客はほとんど来ない、宇治の隠れスポットみたいです。おかげで秀吉や織部直筆の書など貴重な文献をじっくり見ることが出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Imgp0429  

 最後の視察は京田辺の一休寺 。一休さんが愛した『諸悪莫作 衆善奉行(悪いことするな、善いことをせよ)』という単純かつ究極の禅語が石碑となって迎えてくれました。

 

 

 

 

 Imgp0428_2 もともとの名前は妙勝寺。静岡の井宮出身の大応国師(南浦紹明)が鎌倉時代に創建した禅道場です。その後、戦火で焼け落ち、再建もままならなかったところを一休宗純禅師が再興し、後生のほとんどをここで過ごしました。紫野にある大徳寺住職に請われたのは81歳のときで、京田辺から紫野まで通ったとか。破天荒なお坊さんだと伝えられますが、心身ともに強靭な方だったんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

  大応国師も一休禅師も、茶道の歴史には欠かせない重要人物であると、望月先生の講座で再三教えていただきました。

 

 大応国師は1267年、中国浙江省の径山寺から台子(茶道具を置く棚)等を持ち帰っています。この径山寺、古くから「茶宴」と呼ばれる僧侶の茶道会が開催され、名人の書画や花を生け、茶を仏像にささげた後、“きき茶”を楽しんだとか。大応国師が持ち帰ったこの茶宴文化の要素が、日本の茶道の基礎となっていったのです。ちなみに栄西が茶の種を持ち帰ったのが1191年、聖一国師が茶の樹を持ち帰ったのが1241年です。

 

 大応国師は日本で初めて、天皇から「国師」の称号を授かった僧でした。“先輩”の聖一国師は亡くなってから30年余後に授かりました。禅宗の偉大な国師2人が静岡出身だなんて、静岡市民にどれほど知られているでしょうか(かく言う自分も、大応国師のことは京都興聖寺の和尚さんから教えてもらいました・・・)。

 

 大応国師と、その弟子で大徳寺を開いた大燈国師、さらにその弟子で妙心寺を開いた関山慧元の3人が、禅宗(臨済宗)を確立させた法系“応燈関(おうとうかん)”と称されています。禅に興味のある人は覚えておくとタメになるキーワードです。

 

 

 

 

 

 

 一休禅師は、侘び茶の創始者として知られる茶人・村田珠光の、禅の師匠にあたります。能や連歌、そして一休から禅を学んだ珠光は、茶禅一味の精神を追究していきます。1450年頃のことです。

 

 当時の茶の湯は、足利将軍や有力大名たちが財力にモノを言わせ、御殿の書院で唐物(輸入品)を珍重して飾り立てる、いわば特権階級の“Tea ceremony”だったようですが、珠光が目指したのは、“The way of Tea”―茶の道。

 好んだ茶室は四畳半の草庵で、床の間には高僧の墨蹟。連歌に謳われるような、「月は(パーフェクトムーンではなく)雲が少しかかったぐらいの、不完全な風情がよい」というような美意識が、侘び茶という新しい喫茶文化を生み出し、武野紹鴎を経て、千利休によって完成された・・・つまり、茶道の原点に一休禅師の存在も欠かせなかったと言えるわけです。

 

 

 

 

Imgp0434  一休寺方丈は加賀城主前田利常が大坂の陣の時、木津川に陣をしいてこの寺をお参りしたとき、荒廃していたのを歎いて慶安3年(1650)に再建。方丈を囲む名勝庭園は、松花堂昭乗の作といわれています。松花堂弁当の起源となった江戸初期の僧ですね(こちらを参照)。

 

 

 

 

 

 

  後世に造られた、Imgp0433調和の取れた庭や方丈を眺めても、破天荒だった一休さんの面影は浮かんでこなかったのですが、宝物殿に収められていた一休さんの直筆を見たら、常人ではない人となりが伝わってきました。

 

 

 大応国師が最初に創建した頃の禅堂、一休禅師が再興した頃の仏殿は、どんな風情だったでしょうか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 旅の締めくくりは、東山通り沿い、泉涌寺や新熊野神社近くにある望月先生御用達の魚食堂『魚市』で、夏の風物詩・はも料理を堪能しました。

 

 

 

 Imgp0437 この店はなんと、一年中、はもが食べられるそうです。店構えは商店街の大衆的な食堂で、店頭にお惣菜なんかも売られていて、一人でも気軽に入れる雰囲気。望月先生がオーダーしてくれた「はもの落とし御膳」は、はものうざく、揚げはも等、珍しいはも料理が松花堂弁当のように盛られています。おなじみ・はも落としは、梅肉ではなくワサビ+甘酢でさっぱりいただきます。

 Imgp0439

  これは冷酒がなければ!と注文した京都の純米酒は、静岡酒に飲みなれている者にとっては甘めでくどい・・・。常温(たぶん日本酒度の高い普通酒か本醸造)のほうが食中酒としてピッタリでした。

 あ~あ、日本酒選びって難しいなあ~。ってか、それが旅の最後の感想か(笑)。

 とにもかくにも望月先生、参加してくれたみなさん、ありがとうございました&おつかれさまでした。

 

 

 この会は毎月第2・第4水曜夜、静岡県男女共同参画センターあざれあで活動中で、茶道の心得がなくても、どなたでも参加できます。我々もほとんど、未だ、袱紗さばきも満足にできないレベルです(苦笑)が、日本人、とりわけ茶どころ静岡の人間が身につけてしかるべき和の文化の教養や精神を学ぶことが出来ます。望月先生は外国人や学生に茶道を指導されるので、英語を交え、合理的で解り易く教えてくださいます。

 楽しい課外授業も定期的に開催しますので、興味のある方はご一報くださいね。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茶禅一味の京都課外授業その2

2014-06-24 18:30:08 | 駿河茶禅の会

 大徳寺黄梅院を後にし、タクシーに分乗して鷹峯に今年4月開館した古田織部美術館に向かいました。

 

Imgp0391  美術館は、戦前、生糸で財を成した川村湖峯の本宅として造られた『太閤山荘』の土蔵を改築したもの。時間がなくて山荘自体は見学しませんでしたが、現在の建物は昭和初期の数寄屋造りで、天然の北山杉など貴重な銘木が使われているそうです。300坪の内苑、1500坪の外苑があり紅葉の名所としても知られています。

 

 

 

Imgp0389  土蔵を活用したということで、想像よりもコンパクトな造りでしたが、織部の直筆の書をはじめ、織部作の竹茶杓、利休、織田有楽斎、秀吉の直筆の手紙など博物館級の古文書がズラリ。黒織部や志野織部などお馴染みの織部焼茶碗や、織部好みと伝わる茶道具があわせて50点ほど展示されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

  古田織部については、学生時代にバイトしていた京料亭で斬新なデザインの器に出会ってから、陶芸家だとばかり思っていました。利休が好んだ地味で渋~い楽焼茶碗に比べ、織部焼の茶碗はあきらかな“変化球”。師匠の利休にへつらわない反骨アーティストなんだろうと思っていましたが、7年前、映画【朝鮮通信使】のロケで出会った京都堀川寺之内の興聖寺が織部建立の寺で、彼が大阪夏の陣で徳川方に一族もろとも処刑された武将と知りました。

 

 

 朝鮮通信使の映画は家康の外交功績を称える内容でしたので、興聖寺の和尚さんからは最初、「徳川は敵や、そんな映画に協力はせぇへん」と断られてしまいました(苦笑)。「マスコミ取材はお断りだが坐禅に来る者は拒まない」と言われた私は、数回坐禅に通い、お目当ての松雲大師(家康と外交交渉した朝鮮国の高僧)の掛け軸を撮影させていただけることに。以来、仕事を離れて年に数回、坐禅に通っているのです。

 

 

 

 ご承知の通り、古田織部はその後、漫画で人気になり、興聖寺にもファンから問合せが来るようになりましたが、私自身は作者の創意が加わった漫画や小説は避け、桑田忠親氏(文学博士・元東京大学史料編纂官補)の『古田織部伝』など歴史学者が書いた本で織部の人となりを学びました。

 

 織部は最初、美濃の土岐氏に仕え、美濃が織田信長に平定されてからは織田家に仕え、ちょうど今、大河ドラマ軍師官兵衛で描かれている毛利攻め等で活躍。その後、秀吉に仕え、武力&知力&センスで三万五千石の大名にのし上がった生え抜きの戦国武将です。最後は家康に仕え、2代将軍徳川秀忠、本阿弥光悦、小堀遠州等の茶の師として重用されますが、大坂方のスパイ疑惑をかけられ、一切弁明をしなかったことから、大坂落城の折、切腹して果てたのでした。利休が秀吉から因縁をつけられても弁明せずに切腹したのと似ています。

 

 

 織部は利休死後の茶の湯の名人として、豊臣氏よりもむしろ徳川氏に優遇され、関ヶ原合戦前後から天下の大名たちを門下に収めたのですが、門弟たちを徳川方や大坂方に分けることなく、平等につきあったようです。

 実際、織部は駿府城の家康の元でも茶を点て、『駿府記』に「織部は現在数寄の宗匠である。幕下(将軍)ははなはだ織部を崇敬し給うので、諸士のうち、茶の湯を好む輩は織部について学び、朝に晩に茶の湯を催している」と紹介されています。その一方で、大坂方の重臣大野治房や、家康が大坂方にいちゃもんをつけた方広寺鐘銘事件で鐘銘を起草した清韓禅師を堂々と茶会に招いたりしていました。

 

 「徳川氏の政令や家康の思惑などを無視し、それよりも茶の世界の秩序を重んじ、その信念の元に行動していたのである。この点は、前代の茶の湯の名人・千利休も同様であった。織部は日頃尊敬する清韓禅師の心の痛手を癒すために茶のもてなしをしたのである。それが、茶人としてなすべきことだと信じていたようだ」と桑田氏。なるほど、こういう人物は、天下人やその取り巻きにとっては疎ましく思えるでしょう。秀吉にとっての利休がそうであったように、家康にとっての織部は、次第に政権秩序を乱す危険人物となったのです。

 

 

 

 

 さらにいえば、織部焼茶碗に代表されるような革新的デザインは、利休を茶聖と崇める門弟たちから見たら異端に見えたはず。織部が利休七哲(利休の7人の優れた弟子)に数えられるようになったのは、ずいぶん後の時代のようです。

 

 桑田氏は「利休が静中に美を求めたのに対し、織部は動中に美をとらえようとした。それは武人としての本質から出発したものであり、武家風の雄大な、力強いものだ。同じく侘びた趣向であっても織部好みの侘びはさらに明るく、多様多彩である」としながらも、「利休の茶事の作意はきわめて自由闊達であり、形式と虚構を忌み嫌っている。利休に言わせれば、作意とは人まねをすることではない。新しい発見をすること。創意を凝らすことなのである。茶事の趣向はつねに新鮮でなければならぬ。新鮮であればこそ魅力があり、客を楽しませ、もてなすことができる。その点織部は、師匠利休の教えどおりを実施している。利休のまねをせず、むしろ極端にその反対を行なった。・・・もし、利休が生きていたなら、門弟中、わが道を最も正しく伝えたものは織部だ、とおそらく言うに違いない」と評します。

 

 

 

 

 

 

Imgp0393  古田織部美術館を後にし、堀川寺之内の表・裏千家の“本丸”界隈を散策し、今日庵の前で記念写真。その後、堀川通りを隔てた西側にある興聖寺へ。織部の墓をお参りした後、夜18時から、古田織部四百年忌記念行事の一環で開かれた筝とチェロのコンサートを皆で鑑賞しました。

 

 

 

 

 

 

 Imgp0398 筝とチェロ・・・実に珍しい組み合わせの合奏です。チェリストの玉木光さんは赤ん坊のころから興聖寺の和尚さんに可愛がっていただいたというご縁があり、2013年までインディアナ州フォートウェイン・フィルハーモニー管弦楽団の首席チェロ奏者、フライマン弦楽四重奏団の一員として活躍されました。現在、ニューヨークを拠点に活動中で、妻の木村伶香能さんが箏・三味線を演奏する夫婦合奏も話題になっています。この日は織部に捧げるオリジナル楽曲もお披露目されました。

 

 

 

 

 

 Imgp0400_2 「芸術を愛した織部さんにちなんで、変わった趣向で四百年忌を迎えました。織部さんも喜んでくれると思います」と和尚さん。筝とチェロの不思議な調律に身を委ねていたら、大徳寺黄梅院で見た『主人公』の文字が浮かんできました。なにものにも流されない、そんな生き方を織部はほんとうに貫いたんですね・・・。(つづく)

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茶禅一味の京都課外授業その1

2014-06-24 09:42:40 | 駿河茶禅の会

 6月14~15日、静岡県ニュービジネス協議会の有志勉強会『茶道に学ぶ経営哲学研究会』の仲間10人で京都をまわりました。

Imgp1319

 

 3年前の発足以来、裏千家インターナショナルアソシエーション運営理事を務める望月静雄(宗雄)先生を師に、茶道の基本的な所作はもちろん、茶の歴史を禅宗とのかかわりの中で学んできたのですが、たまたま私が坐禅に通う京都・堀川寺之内の興聖寺で、今月、古田織部400年忌の記念行事があることから、京都で課外授業を行なうことに。望月先生の特別アテンドで、修学旅行や観光旅行でもなかなか行けない貴重なスポットを訪ねました。定期的に京都に通う私にとっても初めての場所が多く、実に有意義な2日間でした。

 

 

 

 

 

Photo 14日は京都駅に10時前に集合し、まず当夜の宿泊先、相国寺の側にある京町家・相国寺庵(こちらを参照)に荷物を置きました。古い町家を1棟まるごと借りるシステムで、管理会社にネットで予約し、玄関ロックの暗証番号を教えてもらい、チェックインやチェックアウト時も管理人と顔を合わせることなく我が家のように利用できる。家族やグループで何泊かするときは便利です。以前から京町家に泊まってみたかったという平野斗紀子さんがお膳立てしてくれました。

 

 

 

 

 

 最初に相国寺承天閣美術館を見学する予定でしたが、運悪く展示入替えで休館中(よかったら5年前に訪ねたときの記事をどうぞ)。同志社大学のキャンパスを脇に見ながら、タクシーで大徳寺へ。最初に千利休の墓がある大徳寺塔頭聚光院(非公開)を訪ねました。

 

 

 

 

 

 Photo_4 千利休と三千家の菩提所である聚光院は、茶道を嗜む人にとってのいわば“聖地”。永禄9年(1566)、三好義継が、大徳寺第107世笑嶺和尚を開祖に招いて建立した寺で、千利休はこの笑嶺和尚の俗弟子にあたり、院に多額の浄財を喜捨しました。院内にある茶室「閑隠席」は、寛保元年(1741)、利休の150回忌に表千家如心斎が寄進した、利休の茶禅一味の心境を表す三畳の茶室。利休の月命日にあたる28日には三千家交替で茶会が催されるそうです(院内の撮影は遠慮しときました)。

 

 

 

 

 

Photo_3  

 

 利休居士の墓は仏塔のような形をしていました。亡くなる2年前に一族の供養のために利休本人が建てたそうです。

 

 侘びのこころを映すというのか、想像よりも小さくて素朴で、パッと見、茶人というより宗教家の墓って感じです・・・。

Photo_2

 

 

 

 

 

 昼食は大徳寺塔頭大慈院内にある【泉仙】の精進鉄鉢料理をいただきました。鉄鉢とは、僧が食物を受けるために用いた鉄製のまるい鉢のことで、奈良時代にインPhoto_5ドから伝わり、托鉢の僧が用いたといわれています。

 泉仙では鉄鉢様の漆器に、穀物、豆類、野菜などの自然食材を使用した精進料理を色鮮やかに盛り付けます。 ごま豆腐の上品な味付けはさすが。冷酒をクイッといきたいところでしたが、今回は”茶禅一味”の旅ですから、アルコールはグッと我慢です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後14時に予約したこちらも非公開の黄梅院を訪ねるまで少し時間があったので、一般公開されている大仙院に行ってみました。

 

 何度か来たことがありますが、今回は運よく住職の大和宗貴和尚が名勝枯山水庭園の構造や重要文化財の襖絵・墨書等をユーモアたっぷりに解説してくれました。ネットで見たら、和尚さん、富士ゼロックスにお勤めの元サラリーマンだったよう。リーマン時代に得度を受け、10年勤務した後に雲水の道に進まれたようです。落語家顔負けのトーク上手で、我々を修学旅行生扱い(笑)。

 

 師匠の尾関宗園和尚は、昔、テレビのワイドショーの司会までされていた名物和尚さん。この日は売店コーナーにちゃっかりお座りになっていて、氏のPhoto_6 著書を購入した客にサインサービスをし、一緒に写真撮り。合言葉の「坊主とポーズ!」でお客さんは大喜びです。

 

 禅道の精神に触れる静寂な寺院・・・という雰囲気ではありませんでしたが、現代人向けに敷居の低い、親しみのあるこんなお寺があってもいいのかなと思いました。仏教に限らず、優れた芸術や食文化にしても、大衆に分かりやすく伝える立場や存在が必要です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Photo_7  

 

 

 次いで訪ねた黄梅院(非公開)、門をくぐったら、織田、毛利、小早川、蒲生と、大河ドラマに出てくるような有名武将の墓所である石標がお出迎えです。永禄4年(1561年)、織田信長が父の供養のために創建した黄梅庵が前身で、天正14年(1586年)豊臣秀吉が本堂を、小早川隆景が庫裡を、加藤清正が鐘楼を改築して黄梅院と改称したそうです。

 

 

 織田と毛利と小早川って今の大河ドラマで確かガチンコ対決しているはず。同じ寺に眠ってるって不思議だなあと思いましたが、住職の小林太玄和尚から、時の権力に組せず、中立の立場に徹し、禅道を説いた歴代名僧の話をうかがって、和尚が書かれた『主人公』『随処作主』『立処皆真』の軸を眺めていたら腑に落ちました。

 

 

 

  Imgp0369_3 Imgp0368_2Imgp0370_2
  禅語の『主人公』とは一人ひとりの主体性を意味します。周囲に振り回され、うろたえたり、自身の人間性を失ってはならないということ。『随処作主(ずいしょにしゅとなる)』は“いついかなるときでも己を見失わず主人公たれ”、『立処皆真(りっしょみなしんなり)』は“そうすればすべて真実となる”―順調なときも逆境のときも主人公として毅然とふるまい、自分の分を果たしなさいという教えで、臨在録に出てくる有名な対句だそうです。

 こういう教えを、戦国武将たちは心の支えにしていたんですね。乱世の時代に禅宗と茶道が広まったというのも、なるほどナットクです。

 

 

 

 

 

 

Imgp0383  このお寺の目玉は庭と茶室です。利休の師・武野紹鴎が好んだとされる四畳半の茶室「昨夢軒」。堺の豪商今井宗及によって作られたそうです。上段の貴人床があり、書院座敷の続く一室を茶室として用い、屏風で区切った“囲え込み式”の茶室だそうです。席は北面に一間床、本勝手(客が主人の右手に座る茶席)で、床に向って右の壁の前で亭主が点前を行う点前座という構造です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 Imgp0372 庭は利休が庭した「直中庭」。ちょうどアジサイの花が咲いていましたが、よく見るテンコ盛りのアジサイではなく、一輪~二輪とひかえめに植えられています。利休の時代から変わらないというからビックリ。シンプル・イズ・ベストのガーデンデザインですね。

 

 

 

 

Imgp0367

 

 

 

 

 

 

 

 黄梅院は春と秋に特別一般公開されます。今秋は10月11日から12月7日まで。望月先生曰く紅葉の時期は絶景だとか!想像できますね。こちらを参照してください。(つづく)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュービジネスとシングルカスク

2014-06-19 11:49:24 | ニュービジネス協議会

 私が広報を担当している一般社団法人静岡県ニュービジネス協議会で、今年11月、【第10回新事業創出全国フォーラムIN静岡】(主催/公益社団法人日本ニュービジネス協議会連合会・独立行政法人中小企業基盤整備機構)という全国大会を企画運営することになりました。

 ベンチャー企業日本一を選ぶ『ニッポン新事業創出全国大賞』表彰式をはじめ、基調講演にはホンダ技術研究所の山本芳春社長がASIMOや燃料電池車、水素小僧、ホンダジェットなど近未来のモビリティについて展示実演を交え、夢いっぱいのおImg104話をしてくださいます。

 

 パネルディスカッションでは、静岡県ニュービジネス協議会会長でTOKAIの鴇田社長がコーディネートをして、静岡がんセンターの山口建総長、県立大学の木苗学長、浜松ホトニクス研究所の原所長という静岡県の産業クラスター代表が「ふじのくにから未来への挑戦」と題して討論します。

 

 

 近くなりましたら改めて詳細をご紹介しますが、このフォーラムに全国から1000人集めよとの指令が下り、開催実行委員会の末席にいる私もあちこち飛び回るはめに。ニュービジネス協議会組織は全国に22団体あり、11月に静岡まで来てくれそうな団体に大会PRをしに行くのです。

 

 

 私が派遣されたのは仙台に拠点のある(一社)東北ニュービジネス協議会と、大阪に拠点を置く(一社)関西ニュービジネス協議会。

 

 まず6月11日、前夜新宿を経由して夜行バスで仙台入り。プレゼンを予定している東北ニュービジネス協議会定時総会は15時からで、時間はたっぷり。日本酒の蔵元を訪ねようかとも思いましたが、調子に乗って飲みすぎて肝心の仕事に支障が出ては・・・と自主規制し、アポなしで見学できるニッカウヰスキー宮城峡蒸留所に行ってみました。

 

 

Imgp0265  あいにくの雨模様の中、バスで山形方面へ1時間ちょっと。周囲に目立った建物が一切ない、清流と森に囲まれた蒸留所で、電線地中化によって景観もスッキリ。9時の開場と同時に入り、10数人のバスツアー客に混じって小1時間、場内を見学しました。

 

 ウイスキーづくりを簡単におさらいすると、

 ①大麦を発芽させ、大麦麦芽(モルト)をつくる

②ピート(ヨシやスゲなどの水辺植物が堆積して炭化した“草炭”)を燃やして麦芽を乾燥させる。

③粉砕した麦芽に温水を加えて糖化醗酵させ、麦汁をつくる。

④麦汁に酵母を加え、糖をアルコール醗酵させる。

⑤醗酵液をポットスチルで蒸留させ、原酒をつくる。

⑥原酒を樽に詰めて熟成させる。

 

 

 この工程でポイントになるのは、第一に水。以前、サントリー山崎蒸留所を見学したとき、ブレンダーさんから「ウイスキーは水を記憶する」と聞いたことがあります。麦やピートは外から持ってくることができても、水はその土地の天与の恵。ニッカでも北海道余市と宮城峡で微妙に風味が違うのは、やはり水の違いによるものでしょう。

Imgp0269  ここ宮城峡は広瀬側と新川川の合流地にあり、近くには鳳鳴四十八滝という名水スポットもあります。周囲は森林に囲まれ、雨模様だったこの日はほのかに霧も立ち込めて、神秘的な風景でした。日本酒の酒蔵は街中にもあるけど、ウイスキー蒸留所は規模からしてもハンパじゃない水量が必要だろうし、水質が安定したところでなければ設備投資できないでしょう。

 

 

 

 創業者の竹鶴正孝は理想のウイスキーづくりのために余市に蒸留所を建て、異なる風土の原酒をブレンドしてより芳醇なウイスキーを造るため、東北の地をくまなく探し、ここに建てたそうです。そのあたりのいきさつは正孝夫婦をモデルにした今秋スタートのNHK朝ドラ「マッサン」で描かれるかもしれません。

 

 

 

Imgp0267  さらにポイントとなるのは蒸留方法です。ポットスチルの形状は蒸留所によってさまざまで、蒸留の回数や加熱方法も違ってくる。

 そして樽。蒸留所には樽職人がいて、接着剤を使わず、木材を組み合わせて造ります。無色透明な原酒が樽から出る様々な成分によって琥珀色に変化する。樽の性質が酒質に大きく影響を与えるわけです。10年後、20年後、どんな酒質になるかを予測し、様々な樽をセレクトする。これも熟練の技です。

 

 

Imgp0270  日本酒に比べ、道具や機械に負う部分が大きいように見えますが、道具や機械を使いこなすのもまた人間。変化を予測する、個と個を組み合わせる、異質なもの同士を調整する・・・ウイスキーの熟成管理とは、なにやら人間の集団組織運営に通じるものがありそうです。

 

 

 

 

 

 試飲コーナーでは、シングルモルト(一ヶ所の蒸留所でつくられたモルトウイスキー)、ピュアモルト(複数の蒸留所のモルトウイスキーを混和させたもの)、ブレンデッド(複数のモルトウイスキー&とうもろこしを原料にしたグレーンウイスキーをブレンドしたもの)をちびりちびり楽しみましたが、一番印象に残ったのは、蒸留所限定のシングルカスク。たった一つの樽で熟Dsc_0419 成され瓶詰めされたモルトウイスキーです。これの10年と25年を飲み比べ、原酒と樽の協働によって抽出された重みや深みというものを、よりダイレクトに実感できました。

 

 

 

 

 昼過ぎに仙台市内に戻り、商店街を散策した後、東北ニュービジネス協議会定時総会の会場・勝山館へ。静岡から駆けつけた実行委員会の古谷博義副会長と合流し、「静岡には東北に負けない名酒がそろっていますからぜひ来てください」と静岡大会をアピールさせてもらいました。

 

 

 

 

Dsc_0423  

 

 終了後、静岡へとんぼ帰りの古谷副会長と別れ、一人で国分町界隈へ。途中の錦町公園でドイツビールの祭典「オクトーバーフェスト」の会場に出くわしました。先日、広島へ行った帰りに立ち寄った大阪・天王寺公園でも「オクトーバーフェスト」をやっていて、ドイツが国を上げて日本全国で大プロモーションを仕掛けてるのか・・・とビックリでした。バイエルンの古城や修道院の醸造所で造られたレアな地ビールがそろっていますが、一杯1400円~とちょっとお財布にキツイ(苦笑)。

 

 

 

 

 

Dsc_0425  

 目的の居酒屋は、静岡の蔵元さんに教えてもらった【きゃりっこ亭】。開店27年という老舗の地酒専門店です。オーナー伊藤さんは開店直後、取引先の塩釜の酒販店で偶然飲んだ磯自慢にベタぼれし、磯自慢ラインナップをそろえようと静岡富士宮のよこぜき酒店から取り寄せるようになったとか。壁に張られたリストを眺めていたら、地元宮城はもちろん全国の実力地酒が多数そろう中、磯自慢は4~5種、初亀、喜久醉、正雪、國香と、静岡比率が異常に?高いことを発見し、無性に嬉しくなりました。

 

 

 なんで仙台まで来て静岡の酒を?と思われるかもしれませんが、県外で、静岡のような小さな産地の酒を大切にする店は、産地や銘柄のネームバリューに左右されず、酒質をしっかり見極めることのできる店で、料理の食材選びにもそれは反映されています。夜行バスの移動とウイスキー&ビールの試飲で疲労がたまり、料理は2品、お酒も2種しか頼めませんでしたが、26年前に磯自慢の蔵を初めて訪ねて酒取材がスタートした自分とも酒歴が重なる伊藤さんとは、常連さんが来るまでしっぽりお話ができました。

Dsc_0424  

 「20数年前、磯自慢と紹介しても知る人は皆無だったが、よこぜきさんのようなしっかりした酒販店さんがいてくれたおかげでブレずに来ました」と伊藤さん。旅先で、故郷の酒と人を褒められるってホント、気持ちがいいものです!

 

 

 これまでいろいろな居酒屋を訪ね歩いてきましたが、ウイスキーを飲み比べた後でつらつら整理してみたら、たとえば、磯自慢を飲みたかったら磯自慢だけを置くシングルカスクのような店に。静岡の酒を飲みたかったら静岡銘柄だけを複数置くシングルモルトのような店に。全国と呑み比べるときはピュアモルトのような店。ビールやウイスキーもチャンポンしたかったらブレンデッドな店だなあと。そんなこじつけ整理をしたガイドブックを作ってみたいなあと思いますが、たぶん酒友しか読んでくれないでしょう(苦笑)。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする