杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

出雲との酒縁

2018-10-22 20:55:09 | 地酒

 この春から静岡空港出雲線が就航し、山陰地方へのアクセスが便利になりました。昨年の大晦日に急死した父が生前、出雲大社参拝を熱望し、家族で計画していたのですが、残念ながらキャンセル。四十九日が終わって落ち着いたところで、飛行機便ではなくJR東海の格安ツアーで4月18~19日に行ってきました。さすがに1泊2日で新幹線&特急やくもを乗り継いで片道6時間強という移動時間は、なんとも悔しいタイムロス。飛行機なら1時間という便利さを羨ましく想像しました

 4月のこのJRツアーは松江城、足立美術館、出雲大社を廻るだけのコンパクトなツアーながら、夜には貴重な出会いがありました。

 

 実は、毎月活動中の駿河茶禅の会で、今年の研修旅行を出雲にしようという計画を年明けから進めていました。会員に松江出身の漆畑多恵子さんがいて、以前から出雲松江の茶道文化のレベルの高さをうかがっていたこと、2018年は大名茶人として名高い松江藩主松平不昧の没後200年記念のイベントが開催されることに加え、現地の地域団体との交流目的で静岡空港出雲便を利用すれば空港利用促進協議会から補助金が出るとの情報を得ていたからです。単なる観光旅行ではもちろんダメで、静岡と出雲の地域間交流を促進するしかるべき事業が対象。駿河茶禅の会ならば、現地の茶道関連団体との交流を図るという命題が必須となるわけです。

 まずは地元情報にイチバン長けた方々からアドバイスをいただこうとあれこれ人脈をたどり、松江で不昧公200年祭を運営する地元の新聞社・山陰中央新報社文化事業局の担当者とコンタクトを取り、4月18日夜に松江市内の居酒屋でお会いすることに。運よく漆畑多恵子さんがその期間に松江の実家へ帰省されているというので、多恵子さんにも同席してもらい、交流先として有望な茶道団体や現地視察先の選定についてさまざまな情報をいただきました。

 出雲の神様は縁結びの神といわれるだけに、これも不思議な縁というのでしょうか、多恵子さんは現在、静岡市内でご主人とともに池田の森ランドスケープの経営を手掛けてらっしゃいますが、結婚前は山陰中央新報社にお勤め。ウン十年前に半年勤めてすぐに転職されたというので、今回お会いした担当者小川氏とは直接の接点はありませんが、私のような肩書のない静岡のフリーライターが一人で会うよりはるかに効果はあったと思います。

 

 さらにこの夜は小川氏と一緒に来られた「茶文化に詳しい酒好きの文化事業局の先輩」が、私のことを事前に調べて『杯が満ちるまで』をわざわざ静岡新聞社から取り寄せて読んでくださっていて、「もう1冊、20年ぐらい前に地酒本を書かれていますよね、それが手に入らなくて」と何とも嬉しいお言葉をいただきました。

 駿河茶禅の会の研修日程を10月12~14日で計画していると伝えたら、「やっぱりスズキさんは酒の神様に呼ばれましたねえ」とニンマリ。10月13日、日本酒発祥の地の一つといわれる出雲・佐香神社(松尾神社)で年に1度の秋季大祭どぶろく祭があるからぜひ、と薦めてくださったのです。

 事前の下調べでは引っ掛かっていなかったので嬉しい驚き。茶禅の会の研修だというアタマで、はなからその情報に気づかなかっただけかもしれませんが、「神社内でどぶろくを1石造ってその日のうちに飲み切る。ハンパない量を飲まされるが、日本の神社でどぶろくを造っているのは今はここだけ。酒の取材をしているなら行かない手はない」とプッシュされ、すっかりその気になってしまいました。

 

 さらに会食した居酒屋のオーナー福島将美氏を小川氏から紹介され、しまね地酒マイスターという資格で日本酒伝道活動をされているとうかがい、出雲の酒文化に触れるというのも今回の研修プログラムに追加できないかなあと妄想を膨らませました。


 静岡へ戻ってきてからは、小川氏に紹介してもらった不昧流大円会という80年の歴史を持つ茶道流派の事務局とコンタクトを取り、具体的に視察スケジュールを組むには再度の現地調査と、わが駿河茶禅の会とは比較にならない歴史ある不昧流大円会関係者への事前挨拶が必要だと実感し、8月25~28日、今度は10月の計画通り静岡空港出雲線を使って、宿泊予定の玉造温泉と松江市内のビジネスホテルに泊まり、移動時間や交通機関の時刻表等を確認しました。プロのツアコンさんのご苦労が少し疑似体験できたかな…。

 静岡空港出雲線は行きは夕方着く便、帰りは午後早い時間に発つ便しかないので、現地で2泊は必要というのがネックといえばネックですが、静岡-出雲間は正味50分。自宅を14時に出て18時には玉造温泉の湯舟に浸かることができましたから、JR利用時とは比べ物にならない時短快適な移動です。同行してくれた友人も「会社の忘年会、玉造温泉に1泊して翌朝出雲大社をお参りして帰るコースにしようかな」とその手軽さに感心していました。

 

 今回は山陰中央新報社の小川氏が、不昧流大円会の山崎幹事長、不昧公ゆかりの島根県有形文化財茶室「明々庵」の森山支配人に引き合わせてくださり、10月には明々庵で不昧流のお点前のご披露と解説をいただけることに。その後、山崎幹事長はご自分の乗用車で不昧公の墓所がある月照寺をわざわざご案内くださいました。

 

 佐香神社には一畑電車の無人駅「一畑口」からのどかな田園地帯を10分ほどブラ歩き。松尾神社という立派な石碑と鳥居に迎えられ、石段を登った先に、こじんまりとしたお社が静かにたたずんでいました。

 私は今まで、酒造の神様といえば京都の松尾大社と奈良の大神神社、この2社をひたすら有難がってお参りしてきましたが、どうやら皮相な考えだったようです。

 

 以下、醸協(1987)に掲載された論文『出雲神話と酒造り/元島根県立図書館長 速水保孝氏』を参考に紹介すると― 

 ヤマタノオロチ伝説に記されるように、弥生時代の初め、大陸から出雲に渡ってきたスサノオは、村人を苦しめる八岐大蛇を八醞折の酒で泥酔させ、退治しました。この八醞折の酒は縄文文化の名残で果実を噛んで醗酵させ、造っていたようですが、弥生時代に稲作がさかんになると米を噛んで造るようになり(アニメ映画『君の名は』にも登場してましたね)、やがて大量生産に不向きな口噛み酒から、大陸伝来のコウジカビの活用へと転換していきます。これも、大陸からまず出雲地方に伝わったもの。『播磨国風土記』によると、出雲大神が播磨に遠征したとき軍隊の携行食の乾米が水に濡れてカビが生えたので、そのコウジを使って酒を醸造したという記録が残っています。

 ということは、この佐香神社が日本酒のほんとうの起源、といえるのかもしれませんね。『出雲国風土記』によると、佐香神社はもともと天平5年(733)に建てられた佐加社。現在、平田市に含まれるこの地の字は楯縫郡佐香郷と記されてきましたが、佐加・佐香とも、サカ=サケの古名を意味するもので、文字通り、古代に大陸から渡来した人々がコウジカビを用いて大規模な酒造を行い、この神社にお神酒を奉納したということ。室町末期、山津波で崩壊した神社を再建する際、「九社明神社」と名称が変わり、酒の神様としてのイメージが薄まってしまったところ、京の都へ酒造りに出稼ぎに出ていた出雲杜氏が松尾大社の分霊を勧請し、松尾神社を併存するようになったということです。

 

 8月に佐香神社を訪ねたときは、村の鎮守の神様みたいな、素朴でこじんまりとしたたたずまいに、それほどの威光を感じることはなかったのですが、10月、実際に秋季大祭どぶろく祭に参加し、出雲杜氏経験者だという氏子のおやっさんたちにどぶろくを注いでいただいたときは、「ああ、これぞ日本酒のふる里…!」と胸アツになりました。

 アツい10月の駿河茶禅の会出雲研修レポートは追ってじっくりご紹介します。

 


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