ご縁とは不思議な物で、何処でどうつながるかわからない。
人形は田舎の主婦が趣味で始めた手仕事だった。
しかし、長く続けているとご褒美がいただけるもので、それが人形を通して出来たご縁というものだと思う。
6日から始まった、長岡市立図書館での作品展は、「人形に逢いたい」『ここに呼びたい!』と強く願ってくれた人たちのおかげで実現した物でもある。ウィル長岡の皆さんだ。皆、それぞれに仕事を持っていて、何の見返りも無いのに、大事な時間を割いてはこの作品展の為に前向きに動いてくださった。
本当にありがとうございます。
でもそのかいあって、あたたかい、たのしい会場になりましたね。
初日、私と同じ世代のお嫁さんがお姑さんを連れ添って来ていた。
腰の曲がった、かわいいおばあさんだった。お嫁さんと立ち話しをしていると、どうしようもない、心の葛藤があるのだと言った。おばあさんは、子供みたいに喜んで、一つ一つを覗き込んでいた。
皆同じだ。葛藤の無い人間が居たら、お逢いしたい。
でも、こうして、いっしょに連れ添って来てくれる事自体が、貴方の本来の姿だと私は思うんです。
「人間の醜さは一時の物。人間のやさしさは一生の物」
偉そうに!ね。 でも私はそう思うんですよ。
宝物のご縁をたくさん頂いているが、今年は特に暇なおじさん・・・事、伊藤さんには、どれ程の時間やエネルギー、感性を使って、人形の小道具を作っていただいた事か。はなめがねの新聞も、花火のかき氷も、自転車も、囲碁も。まだまだいっぱい!お見せして無いものもあるんですよ。伊藤さんは全くのボランティア。
送った、お金もつき返してくるところもあって、助けてもらった一年でした。
坂田さんは、自分で見た、いい物を人にも見せようとする人で、「風の盆」はよかったぁ~。小さくても、こだわりがあって、心をよみがえらせてくれたり、休ませたりできる隠れ喫茶・・などもミニ本にして届けてくれる。
生きる事のたくましさ、思いやりを教えてくれた陽さん。
一年お世話になった仕事関係の方、そして大切な家族。友達。
人形に出会わなければ、めぐり合えなかったご縁。
一生ものです。
合掌
人形は田舎の主婦が趣味で始めた手仕事だった。
しかし、長く続けているとご褒美がいただけるもので、それが人形を通して出来たご縁というものだと思う。
6日から始まった、長岡市立図書館での作品展は、「人形に逢いたい」『ここに呼びたい!』と強く願ってくれた人たちのおかげで実現した物でもある。ウィル長岡の皆さんだ。皆、それぞれに仕事を持っていて、何の見返りも無いのに、大事な時間を割いてはこの作品展の為に前向きに動いてくださった。
本当にありがとうございます。
でもそのかいあって、あたたかい、たのしい会場になりましたね。
初日、私と同じ世代のお嫁さんがお姑さんを連れ添って来ていた。
腰の曲がった、かわいいおばあさんだった。お嫁さんと立ち話しをしていると、どうしようもない、心の葛藤があるのだと言った。おばあさんは、子供みたいに喜んで、一つ一つを覗き込んでいた。
皆同じだ。葛藤の無い人間が居たら、お逢いしたい。
でも、こうして、いっしょに連れ添って来てくれる事自体が、貴方の本来の姿だと私は思うんです。
「人間の醜さは一時の物。人間のやさしさは一生の物」
偉そうに!ね。 でも私はそう思うんですよ。
宝物のご縁をたくさん頂いているが、今年は特に暇なおじさん・・・事、伊藤さんには、どれ程の時間やエネルギー、感性を使って、人形の小道具を作っていただいた事か。はなめがねの新聞も、花火のかき氷も、自転車も、囲碁も。まだまだいっぱい!お見せして無いものもあるんですよ。伊藤さんは全くのボランティア。
送った、お金もつき返してくるところもあって、助けてもらった一年でした。
坂田さんは、自分で見た、いい物を人にも見せようとする人で、「風の盆」はよかったぁ~。小さくても、こだわりがあって、心をよみがえらせてくれたり、休ませたりできる隠れ喫茶・・などもミニ本にして届けてくれる。
生きる事のたくましさ、思いやりを教えてくれた陽さん。
一年お世話になった仕事関係の方、そして大切な家族。友達。
人形に出会わなければ、めぐり合えなかったご縁。
一生ものです。
合掌
峰猫さんのコメントにも有った様に、人との悲しい別れが新たな出会いや、懐かしい人との再会の機会を必ず作ってくれます。
ところで、私は特にまゆみさんを助けようとは思っていません。私の数多い道楽の一つで勝手に物を作って送りつけているだけで、たまたま気に入った物がお役に立てたらそれでいいかな・・・という程度ですから、使う使わないはまゆみさんの勝手ですので、別に気にしなくて結構です。
一般的に作家という生き物は人気が出ると独善的になり、初心を忘れて自分が偉くなったと錯覚する人が時々います。私の知っている陶芸家でも「おまえは何様だと思ってるんだ!」というのがいます。
そこへいくと、まゆみさんは気取らず、おおらかで、優しいし、サービス精神と好奇心が旺盛で、だから多くの人が寄ってくるのでしょう。
HPの管理人さんもお忙しいでしょうが、終わった展覧会の宣伝は今のに早く変えましょう!
小姑の様でいつもすみません!これからも文句だけは遠慮無く言う「応援団の1人」でいようと思います。
ぽつりと お人形だけならわかるが
お道具、家、木立、と物語風
どうやってと言う興味もあって
柏での鑑賞以来入間に伺い、トークを聞きました。
一番多く質問して、他の方の時間を奪ってしまったか
高橋さんの心が 大勢を引きつけてのことでしょう。
人形を鑑賞する私たちにとっても
インフラストラクチャーが整った
ますますのご縁の広がりが期待されます。
私の人形作りには、一つ信念があって、技術的に完璧は求めていません。それよりも、その作品の雰囲気の完璧さを求めています。使用する一つの布にしても、こういうものを使いたいと思えば、何処までも探しに歩くタイプです。だから、今までのあの新聞の色や質感がベストマッチで、今回も使わせて頂きました。しかし、読めば読むほど、記事集めのすごさに関心しかり・・・感謝!感謝!です。
空海望さんへ
インフラストラクチャー???
辞書で調べればいいのに。ごめん、どういう意味?
皆が評価してくれるほど、いい人間ではなく、み・か・け・だけかもしれませんよ!
出合ったご縁つなげて行きたいですね。
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インフラストラクチャー(infrastructure、略称・インフラ)とは、学校、病院、道路、橋梁、鉄道路線、上水道、下水道、電気、ガス、電話など社会的経済基盤と社会的生産基盤とを形成するものの総称である。
どこかのコラムでアラブの王様が霊柩車を見て欲しいと言ったとか?南の島の酋長が水道が欲しいと言ったとか。私は周囲の条件?人形を作ってもらうと、見てもらえる? 縁の下の応援が出来てきた。他にも沢山、人々に勇気や癒しを分けてくれることが存在しても、埋もれて十分利用できないで居る?そのような応援条件?と解釈してます。 星野富弘さんの作品も、一部の人に限定されず、世界の人に光を与えられるようになりました。
いま、教育から始まって、戦争のためのインフラが作られようとしていて残念です。子供や年寄りが、万人がニコニコ暮らせるためのインフラ、それこそが願いです。
空海望は何を言ってるんだか?
それらのいくつかは、コメント欄でお会いする暇なおじさん こと 伊藤さんの作ったものだったのですね。
新聞は前にコメント欄で伊藤さんの作品であると書いてあったので、これかな~と思いながら見たのですが、かき氷も、自転車も、囲碁もそうでしたか。
小物も、まゆみさんの人形を支える素晴らしい作品です。
入間市博物館でのトーク、なんとしても聞けば良かった。
まゆみさんには人を惹きつける魅力と、人の善良な部分を引き出す力があると思います。
「人間の醜さは一時の物。人間のやさしさは一生の物」
とは、良い言葉ですね!
自分の心の醜さに嫌になったとき、この言葉を思い出します。
今もって、インフラの意味が良く解らないで居ます。でも自分にとっては応援歌のような、そんな意味で捉えても居ます。
峰猫さんへ
今回の長岡の作品展で、長岡用に新聞を作ってくれた暇なおじさんでもありますが、私は雰囲気を優先して、今までのほうが・・・などと決断し使わなかったのです。
それでも、『使えるものを使ってくれればいい」と言ってくれるんです。
何か、以前の自分にも似て、自分の感性を育てていく人だと思っています。ありがたいですね!
『人の醜さは一時の物、人のやさしさは一生の物』
我ながらいい言葉を書いたと思っています。
私もまだまだ、その言葉を噛み締めて生きたい一人です。
貴女はそういう機会を持っていますでしょうか…?
もちろんありますよ!自尊心が強い自分でもあるので、自分を否定されるような事を言われると、やはりショックです。
前に感想ノートに「貴方の人形は、人の醜さを具象化して、いかにも、俗々しい・・・」なんて書かれた事もありました。
いろんな意見や考えがあって当たり前。それを聞くも聞かぬも自分が判断する事では無いでしょうか。
だって、どの人形も一生懸命に生きている姿で、美しいから。
それをまゆみさんは哀しみや温かい微笑みを持って表現していますよね。
どの人形も、醜さを具象化するどころか昇華しているように思えます。
でも、まゆみさんの仰る通り、いろんな意見や考えがあって当たり前。
それにいちいち振り回されるようでは、イソップのロバをかついだ親子になっちゃいますから、
>それを聞くも聞かぬも自分が判断する事
という姿勢で頑張ってくださいね。