1969(昭和44)年、東宝系列の「東京映画」制作の「ボルネオ大将 赤道に賭ける」という映画がある。北大路欣也演ずる日本人青年がボルネオを舞台に、トロール漁でエビの大量漁獲に成功、彼の恋人役が栗原小巻という設定である。
北大路欣也にはもちろん歯が立たない上に、金儲けとはおよそ縁のない話だが、この映画の公開から遡ること5年、1964年に阪大探検部のボルネオ学術調査隊の一員として、海ではなく、熱帯雨林の奥深く分け入って、原住民の村に住み込んで彼らと生活を共にした。
当時は海外に出かけること自体が大変困難な時代であり、まして現地の事情がよく分からない、いわゆる秘境へ行くとなると結構ニュース・バリューがあって、毎日新聞社が後援してくれ、現地から、また帰国してからいろいろ記事になるような話題を提供して、紙面を飾ることが出来た。
最近、当時のアルバムを見る必要ができたので懐かしさ一杯でページをめくっていて、上掲の写真が目にとまった。調査は原住民の生活とその自然環境を探るというのが目的であったが、蝶の好きな僕のこと、調査の合間に捕虫網を振ることはもちろん忘れてはいなかった。網を持って一生懸命に蝶を追っかけていると、たちまち子供たちの人気者になった。子供たちが網を貸してと持っていって、珍しい蝶を捕ってくれたこともある。
子供たちと仲良くなって、言葉は通じなくても童心にかえって一緒に遊びまわっているうちにいつしかガキ大将のような立場になってしまった。写真を見ると子供たちがそれぞれいろんな格好をして自己主張をしている姿が、なんともかわいらしい。大人たちもこの無邪気な日本人青年にこころを開いてくれるようになって、この時ほど蝶研究の趣味を持っていて良かったと思ったことはない。
北大路欣也にはもちろん歯が立たない上に、金儲けとはおよそ縁のない話だが、この映画の公開から遡ること5年、1964年に阪大探検部のボルネオ学術調査隊の一員として、海ではなく、熱帯雨林の奥深く分け入って、原住民の村に住み込んで彼らと生活を共にした。
当時は海外に出かけること自体が大変困難な時代であり、まして現地の事情がよく分からない、いわゆる秘境へ行くとなると結構ニュース・バリューがあって、毎日新聞社が後援してくれ、現地から、また帰国してからいろいろ記事になるような話題を提供して、紙面を飾ることが出来た。
最近、当時のアルバムを見る必要ができたので懐かしさ一杯でページをめくっていて、上掲の写真が目にとまった。調査は原住民の生活とその自然環境を探るというのが目的であったが、蝶の好きな僕のこと、調査の合間に捕虫網を振ることはもちろん忘れてはいなかった。網を持って一生懸命に蝶を追っかけていると、たちまち子供たちの人気者になった。子供たちが網を貸してと持っていって、珍しい蝶を捕ってくれたこともある。
子供たちと仲良くなって、言葉は通じなくても童心にかえって一緒に遊びまわっているうちにいつしかガキ大将のような立場になってしまった。写真を見ると子供たちがそれぞれいろんな格好をして自己主張をしている姿が、なんともかわいらしい。大人たちもこの無邪気な日本人青年にこころを開いてくれるようになって、この時ほど蝶研究の趣味を持っていて良かったと思ったことはない。