1年前、2023年9月1日、防災の日の朝日新聞に多くの蝶が舞っている広告が目にとまった。蝶好きな筆者は「能美防災」なる会社に興味を抱いた。
1923年、大正12年9月1日正午、安政、濃尾以来の大地震が京浜地区を襲った。のちに関東大震災と呼ばれるこの災害による被害は資料により若干異なるが、京浜地区を中心に死者9万1千余人、行方不明1万3千余人、負傷者10万4千余人に上るとされている。とりわけ東京本所横網町の陸軍被服しょう空地における被害は大きく、死者・行方不明だけで3万8千人から4万2千人と推定され、東京都内で最大の惨状を呈した。
創業者である能美輝一はこの惨状を目の当たりにし火災予防の研究へ、ひいては消防一任という姿勢を改め、防災システムや各種サービスを通じて社会の安全に貢献したいとの使命感から会社の方向性を定めたとのことである。
こんもりとした樹木、草原、川、高速道路などを挟んで高層建築の立ち並ぶ市街、これらを球体で表し、両手でしっかり支えている。この球体を地球の一部とし、数え切れぬ蝶たちが遥か彼方まで群れ広がっている。この蝶の飛び行くさまを「防災事業の枠を超え安心と安全を創造」とのキャッチフレーズに託しているのかも知れない。いずれにせよ、これらの蝶たちに平穏と安らぎを感じない人はいないだろう・・・蝶好きの筆者の誇大妄想かもしれないがどうかお許しを!
1923年、大正12年9月1日正午、安政、濃尾以来の大地震が京浜地区を襲った。のちに関東大震災と呼ばれるこの災害による被害は資料により若干異なるが、京浜地区を中心に死者9万1千余人、行方不明1万3千余人、負傷者10万4千余人に上るとされている。とりわけ東京本所横網町の陸軍被服しょう空地における被害は大きく、死者・行方不明だけで3万8千人から4万2千人と推定され、東京都内で最大の惨状を呈した。
創業者である能美輝一はこの惨状を目の当たりにし火災予防の研究へ、ひいては消防一任という姿勢を改め、防災システムや各種サービスを通じて社会の安全に貢献したいとの使命感から会社の方向性を定めたとのことである。
こんもりとした樹木、草原、川、高速道路などを挟んで高層建築の立ち並ぶ市街、これらを球体で表し、両手でしっかり支えている。この球体を地球の一部とし、数え切れぬ蝶たちが遥か彼方まで群れ広がっている。この蝶の飛び行くさまを「防災事業の枠を超え安心と安全を創造」とのキャッチフレーズに託しているのかも知れない。いずれにせよ、これらの蝶たちに平穏と安らぎを感じない人はいないだろう・・・蝶好きの筆者の誇大妄想かもしれないがどうかお許しを!