旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー

とこしえの精神(こころ)を求めて、さまよ(彷徨)う旅人ひとり。やすらぎを追い続け、やがてかなわぬ果てしなき夢と知るのみ。

沼島(ぬしま)の夏!

2010-09-01 | その他
関西に住んでいる人でも、地名は聞いたことがあるものの、正確にはどこにあるのか知らない人がほとんどではないだろうか。だいぶ前にTV番組で過疎地の独身男性が結婚したい女性を公募して集団見合いを行う番組でこの地が取り上げられ、「沼島の春」あるいは「沼島の春よ、再び!」というタイトルで放映され、一時話題になったことがあったようだが、今はまた落ち着きを取り戻し、世間から忘れさられようとしている小さな静かな島である。

上掲の地図にあるように、淡路島南部の海上に浮かぶ小島である。たいていの観光客は淡路島の高速道を通過して大鳴門橋を渡ってさっさと四国へ、淡路島を最終目的地にしている人でも洲本から福良へのコースを取り、わざわざ洲本から由良を経由する南岸沿いの道路を行く人は少ない。

沼島へは洲本から週3便、船便があるが、トカラ列島や小笠原諸島へ行く訳じゃなし、これはあまり利用価値はない。沼島の対岸にある土生(はぶ)港から1日10便、小さなフェリー船が出ている。わずか10分の船旅である。地図で見ているとちっぽけな島に見えるが、目前にすると結構大きな島である。現在は人口600人弱だが、最盛期には3千人を数えたという。紀伊水道の要衝の地にあるので、昔から人の出入りが多くあり、いろいろな物語が伝えられている。今は生業は漁業で、「沼島の夏」と言えば名物「鱧(はも)料理」で有名である。

8月の暑い盛り、初めてこの島を訪れた。もちろん主目的は鱧料理だったが、僕はこの島に特別な思い出があった。僕が高校生から大学生時代にかけて、父の経営していた会社にこの沼島出身の美人姉妹が働いていて、当時は盆と正月の休みといえば三日間ほどしかなく、慌しく帰省しては慌しく帰阪していたのを懐かしく思い出す。今の時代になっても結構大阪から時間がかかるのに昭和30年代後半から40年代前半にかけてのころだから、当然もっと不便で時間がかかっていたと思われるが、故郷を発つ時、きっと後ろ髪を引かれる思いだったに違いないのに不平も言わず、きちっと会社に戻ってきていたことを思い起こすと、過疎の地での生活から抜け出したい一心でがんばっていたのだろうな・・・と今になって彼女たちの努力に敬服するばかりである。

今でも近くて遠い島、沼島である。
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