まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.哲学を学んでよかったことは何ですか(その2)

2009-08-20 14:08:51 | 哲学・倫理学ファック
今ふと気づいたら、クルマのカギがないんです。
いつもは写真のように、着脱のラクなキーホルダーに、
クルマのカギ(黒いほう)と立体駐車場のカギをつけてあるんですが、
なぜか駐車場のカギしかついてなくて、クルマのカギが見当たりません。
今までそんなことはなかったのですが、
ひょっとしてポケットのなかで外れちゃったのかなと思って、
ポケットもひっくり返して調べてみますが、ありません。
ありえないのだけれど、クルマのカギだけ机のどこかに置いたのかと思って、
研究室の中もザッと見回してみますが、やはりありません。
というか、先日お伝えしたように研究室は現在ゴミ溜め状態なので、
万一この中で行方不明になっているとしたら、発見の可能性はゼロでしょう。

さて、こういうとき人は普通パニックになるのではないでしょうか。
カギを盗まれ、そのままクルマも盗まれてしまったのではないか、とか、
カギが神隠しにあってもう発見されないから、今日はクルマを諦めて電車で帰り、
明日スペアキーでクルマを動かさなきゃいけないんじゃないか、とか、
なんで私はカギをなくしちゃったんだろう、なんて自分はダメな人間なんだろう、とか、
自分は何かにたたられているんじゃないだろうか、とか、
想像や思考はどんどん悪いほうにふくらんで、
キーッとなってしまったりするんではないでしょうか。
(私は何人かそういう人を知っています)

ところが哲学を学んだ私は、こういうときにまったく動じないのですね。
この世で起きることはすべて因果律にしたがって生じる、
ということを私は哲学で学びました。
つまり、何か出来事が起こったならそれには必ず原因があり、
その原因は人間に理解可能な自然的なものであるに決まっているのです。
超自然的なことが起きているはずはあまりせんし、
普通の人の身の回りでそうそう陰謀とかが進行していることもないでしょうし、
もちろん自分の内面とか人間性のせいなんかでもないのです。
ただ単純に何かごく普通のことが起こっただけという確率が最も高いのです。

そこで私はモノをなくしたときは、それまでの自分の行動をゆっくり振り返ってみます。
いつの時点までそれはあったのか。
いつ以降、その存在は確認されていないのか。
存在が確認されなくなって以降、自分はどこに行き何をしたのか。
物がなくなる原因は、だいいその線上のどこかで、落としたか、置き忘れたか、
どこかにしまったのを忘れてしまったか、のいずれかしかありません。

今回はクルマのカギですから、運転してる間はあったことは確実です。
今日は駐車場が混んでいたので、ちょっといつもと違うヘンなところに停めて、
たぶんクルマのドアもロックしたと思うけど、
そこらあたりから記憶はあいまいで、それ以降はもう存在を確認できません。
私のズボンの右ポケットには、上記のクルマのカギ束と、
もう一つ別のキーホルダーに研究室や自宅のカギなどをつけた束が入っていて、
研究室のカギ束を取り出すときに、クルマのカギ束がくっついて出てきてしまって、
その場に落っこちたという可能性もありえます。
ポケットの中に2つもカギ束が入っているとポケットがふくらんでイヤなので、
研究室に着いてから、クルマのカギ束をバッグの外ポケットに移しかえる場合もありますが、
今日はそんなことをした覚えがありません。
いちおうバッグは調べてみましたが、やはりありませんでした。
その後、事務室に行ったり、生協にメシを食いに行ったりしましたので、
そこで何かが起こったということもありえますが、
わざわざカギに触れた覚えはないので、可能性は低いでしょう。

というようなことをゆっくり考えたあげく、
やはり一番可能性が高いのは、
朝駐車場に着いてから研究室に歩いてくるまでのどこかに落としたってことなんだろうなあ、
という結論に達しました。
しかも一番怪しいのはやはりクルマを降りてすぐのあたりです。
とここまで分析してみた上で、駐車場まで戻ってみることにしました。
歩いてきた途中ということもありえるので、
目を皿のようにして見ながらゆっくり歩いていきます。
残念ながら、研究室のドアの前には落ちていませんでした。
途中、図書館や情報処理センターの脇を通りながら、
誰かがすでに拾って届けてくれているということもありえるので、
帰りがけは図書館と情報センターにも確かめてみようなんてことまで冷静に考えながら、
クルマのところまで歩いていきます。
自分が通った経路をそのまま逆に辿りながら、運転席のドアに近寄ろうとしたら、
ビンゴ
やっぱりクルマのそばの草の上に落ちているじゃありませんか。
これほど推理がピッタリ当たると自分の才能がちょっと怖くなります
こんなふうになくした物を見つけるの、けっこう得意なんです。
掃除の一件で下がりまくっていた自己効力感が一気にアップします

というわけで、「哲学を学んでよかったことは何ですか?」パート2です。
以前すでにこの問いにはお答えしたことがあるんですが、
たまたまこんなことがあったので、また書いてしまいました。
今回のお答えはたんに 「なくし物を見つけるのが上手くなった」 じゃなくて、

A-2.物事に動じなくなって、冷静に頭を働かせて対処できるようになる

でした。うーん、今日もいい日だっ
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