まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.哲学をやろうと思ったきっかけは何ですか?(その2)

2009-07-29 17:39:27 | 哲学・倫理学ファック
「イマジン」 で思考に目覚めた私ですが、
直接に哲学と出会ったのは高2のときの「倫理・社会」(今で言う「倫理」)の授業でした。
このときの先生は、名前は忘れてしまいましたが変わった先生で、
教科書はほとんど使わずに授業をしていました。
一番記憶に残っているのはカニバリズム(食人)の話ですが、
なんでそんな話をしていたのかは思い出せません。
テストは自分の意見を書くのが中心の記述式の問題で、
共通一次(今で言う「センター試験」)対策の暗記型授業と異なり、
思考に目覚めた私はけっこう高得点を取っていたような覚えがあります。

で、実はこの先生によって哲学に目覚めさせられたのではなく、
この先生が使わなかった教科書が私を覚醒させたのです。
うちの学校が使っていたのは、山崎正一という人がひとりで書いた教科書でした。
教科書をひとりで書くということ自体が珍しいことですが、
この教科書はとてもいい哲学入門書だったと思います。
山崎正一というのは東大出身の東大教授で、
あとから判明したことですが、
私が大学時代にお世話になった宮川透先生の師匠にあたる方でした。
哲学史の本や哲学入門書を何冊も書いている人で、
分業化が進んでいる現在では、そういう人はもうあまりいないですね。
この先生が書いた教科書がめちゃくちゃ面白かったんです。
もちろん私が思考に目覚めていたからというのもあるんでしょう。
それにしても、読みやすくてわかりやすくて、それでいてとても深い内容の教科書でした。
高校生なんかに読ませておくのはもったいないくらいです。
この教科書で私は哲学に出会うことになったのです。
というわけで、(その2)のお答えです。

A-2.高2のときに山崎正一著の「倫・社」の教科書を読んだからです。

この教科書は最近の「倫理」の教科書とちがって、編年体で書かれていて、
取り上げるべき思想家が時代順にまとめられていました。
先生が教科書を使わないので私は勝手に前から順番に読み進めていったわけですが、
たくさんの思想家の中で、初々しかった私は、カントとマルクスに惹かれました。
カントに関しては 「目的の王国」 と 「永遠平和」、
マルクスに関しては 「共産主義」。
いずれも理想の世界を描き出しているわけですが、
今にして思えば、その理想の力に惹かれたということだったのでしょう。
つまり、私にとっては 「イマジン」 の世界観を哲学的に表現したのが、
カントでありマルクスであったということなんじゃないかと思います。

けっきょくカントとマルクスへの興味はそのままずっと持ち続けることになり、
大学受験の際も、カントかマルクス、どちらかを勉強できるところということで、
カントを学ぶなら哲学科、マルクスを学ぶならロシヤ語学科かなと思って、
その2つの学科をあれこれと受験しました。
「マルクスを学ぶならロシヤ語学科」というのは完全に間違っているんですが、
幼いまさおさまの頭の中ではなぜか、

マルクスの共産主義を学びたい
    ↓
共産主義の前にまずは社会主義だ
    ↓
だったら現実の社会主義国家ソ連があるじゃないか
    ↓
ソ連のことを学ぶにはまずはロシヤ語だ
    ↓
よぉーしロシヤ語学科を受けよう!

という風が吹けば桶屋が儲かる式のわけのわからない方程式が出来上がり、
マルクスを学ぶためにロシヤ語学科を受験してしまいました。
落ちていればすんなりと哲学科に入っていたんでしょうが、
ロシヤ語学科も合格してしまったために、
けっきょく東京外国語大学のロシヤ語学科に進学することになりました。
今でこそキャリアカウンセラーの資格なんかを持っている私ですが、
高校生の頃の進路決定なんて、
ホントにバカな思い込みでテキトーにやっちゃってたよなあと思います。
高校生には、どこの大学にどんな教授がいて何を教えてくれるのかとか、
ちゃんと調べてから受験してほしいですし、
高校の先生もそうやって進路指導してあげてほしいと思います。
外語大のロシヤ語学科にはほとんどロシヤ文学やロシヤ語学の先生しかいなくて、
しかもみんな反共、反ソの先生でしたから、
(先生方の知り合いのロシヤ人文学者がみんなシベリア送りになっていたため)
ソ連の政治経済体制のことやマルクスのことを教えてくれる人はいませんでした。

けっきょくロシヤ語に関して何も興味がもてず、
マルクスに関しても何も学ばないまま5年在学し、
パンキョーの哲学の先生であった宮川先生のところで、
カントについて卒論を書いて卒業することになりました。
その後、大学院の哲学専攻に進学するためにさらに1浪しなくてはならなかったので、
「マルクスを学ぶならロシヤ語学科」というアホな思い込みのおかげで、
哲学を本格的に学び始めるのに6年の遠回りをしてしまったことになります。
それでも哲学の道に進み、カントを研究し始めることになったということは、
よほど「倫・社」の教科書でのカントとの出会いが強烈であったということなのでしょう。

というわけで哲学をやろうと思ったきっかけの(その2)は、「倫・社」の教科書でした。
大学院の哲学専攻には、中学や高校の頃から岩波文庫で哲学書を読んでいた、
なんていう人がたくさんいましたから、
私のこのきっかけ(その2)の話はあまりしないようにしていて、
(その1)の「イマジン」の話だけですませていました。
今私がこういう、わかりやすい怪しいブログを書くようになっているのは、
あの教科書の影響があるのでしょうか?
「三つ子の魂百まで」……なんですね。
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