インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

『天の夜曲』から『放浪記』へ

2013-08-24 15:24:26 | 身の回り
  昨夜から、雅太にとっての救いの雨が降り始めた。夏風邪に熱中症が併発するかと思われるほど弱っていたが、雨によって室温が3度以上下がり、今現在30度である。雅太にとって快適な温度かもしれぬ。さっき雅太が大型スーパー(フジグラン)へ入ってみると、あまりの寒さに車から長袖をひっぱり出して、タオルを首に巻いて買い物をした。パセリ、トマト、生カツオのたたき、栄養のありそうなものを物色していたのだが、カートを引っ張り、冷蔵庫のような店内を歩いているうちに具合が悪くなってきた。本屋によって、『花の回廊』(流転の海 第5部)を買おうと思っていたが、さっさと抜け出してしまったのである。今夜も熊悟に浸っていては、夏風邪がまだ長引くともよぎった。

 もし、部屋が涼しくなければ雅太はブログを書いていないだろうと思った。もちろん、書きたいことは頭のごみ箱の中でごった返しているのだが。『天の夜曲』を読み終え、宮本輝は相当賢く育てられていることが分かった。小さい頃から他人が「タバコといえばマッチ、マッチといえば灰皿」と教え込まれ、さらに「自尊心よりももっと大切なものを持って生きなければなならない」と説かれていたわけである。ほぼ野放しで育てられた雅太とはえらい違いである。所々、古代メキシコの呪術師を髣髴させられる部分も見受けられた。上海で知り合った漢方医は、「憎悪や怒りの心が、人間の様々な病気の原因だ」といい、「彼は病人に漢方薬を調合する際、必ずその人間の生い立ちを訊いた。それも時間をかけて少しずつ幼いころからの思い出話を語らせた」とある。雅太が印象に残ったのは、「ロシア人墓地」の話、「金がないのは、命がないのもおんなじじゃのお」と熊悟が資金繰りに苦しむところか。「運」についてとか、雅太は生命力旺盛な時にやはり運気も旺盛になるのかと考えさせられる。風邪から復活すれば、運気が上昇するのか。

 本棚から雅太は、林芙美子の『放浪記』を取り出し、何故これがかつてベストセラーになったのか、吟味している所である。時代が時代であるが、芙美子が東京で暮らしていたのは「二畳で5円である」。他人の不幸は蜜の味なのか、何となく貫太(西村賢太)の世界に近いような気もするが、こっちは親孝行であり、人情に溢れている。スチルネルの『自我経』を古本屋に1円で売ったようだが、何か凄そうなものを読んでいたようだ。カスタネダの『呪師に成る』を5,000円で売るようなものなのか。当時の金銭感覚が分からないのは、宮本輝の小説もそうであった。文学的な才能はあるのだけれども、それに加えて波乱万丈な自分の人生を下敷きにしているのが、何となく雅太が最近読んでいる本の傾向なのであった。