インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

森林浴と野生動物

2014-08-07 20:08:19 | 身の回り
  雅太は健康的すぎる仕事に従事し、夜遅くまで残業することもあったが、昨夜は早く上がれ、明日が休日ということもあり、石釜レーズンとくるみを齧り、温泉、サウナへ直行した。やることといえば、飲んだり、パチンコや麻雀をするわけでもなく、読書ぐらいのものであるが、1時間半浸かりながら、雅太には人生体験がもっと必要に思われた。

 サイクリングやら釣りは面倒なので、やはり森林浴だと、『呪術師の飛翔』を手に、スイカを土産に実家への山奥に入る。雨上がりで、背後の小川が増水していた。それでも本の通り、足を浸けて時計回りに回る。

 ちょうど「スピリットの声」なる所を読んでいるときだった。雅太は、車の中で聞くためにICレコーダーに吹き込んでいたのだが、そこで、間抜けなのか、精霊の命令なのか、あり得ないことが起きた。ゴルフにたとえるなら、ホールインワンで、ガチャ、スルスル、ボトンと、レコーダーが溝に落っこち、お陀仏となってしまったのだ。やはり呪術師が機械の類いに頼るのは、許されざることなのか。

 ……スピリットの声はどこからともなくやってくる。それは沈黙の深みから、非存在の領域からやってくるの。そして、その声は、私たちがすっかり沈黙していて、バランスが取れている時のみ、聞こえるのよ。

 機械にかまっていてはダメだということか。空っぽにしなければならぬのかもしれぬ。つまり、今、ここで、こうやって、ブログを書いていること自体、雅太にとっての、自己満足やらエネルギーの無駄遣いということにでもなるのか。

 音読はダメなのか。森に落ちていた鉛筆を片手に雅太は、読解し始めた。黙読の方がしみこむ力が強い。400ページを超える大篇で、半分近くまで来た。「自由のためにしか闘う時間はないのよ、タイシャ」とある。

 そこまで読んだとき、「全ては人知を超えているところで、計画を超えた計画で、築き上げられたのだろうか?」と、己の今の生き様、について考えたりする。

 生まれ故郷もかなり変わったが、面影が過去を反復するのを手助けしてくれたりする。そういえば、高校生の頃、参考書を片手に山奥で寝転んでいたなぁ、とか、やはり鮭のごとく、山奥に戻ってくる本能があるのかと物思いにふける。

 その時、雅太の前に、一匹の茶色いウサギが現れた。それはつぶらな瞳で雅太の様子をうかがっていた。雅太も驚いたが、相手もなぜこんなところに人間がいるのか唖然としている様子だった。この前は、イタチが横切ったが、今回のウサギとは睨み合いをした。カメラに撮りたかったが、その瞬間、逃げるのは目に見えている。「だるまさんが転んだ」のごとき、二匹の生き物は動かない。3分ぐらいたったか、ウサギはぴょんと跳ねて、行ってしまった。

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