インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

6月21日 …人生を将棋で考える

2007-06-21 01:08:13 | 悪魔か、踊りか、占いか、禅か、無か
 パソコンを開けば、インディオは将棋をする。

 もう、そんな習性が10年以上続いている。
 
 詰め将棋もやるが、主にコンピューター相手の本将棋をやる。

 この人工知能(AI)は、なかなか手強い。
 下手な手を打ってこないから。

 しかしインディオは、個性的な手が好きなので、突飛な手を打つ。
 すると、AIは冷静に無感動に、的確な反応する。
 インディオは 「ああっ(やられた~)」と悲鳴を上げる。
 
 頭が悪い、先を読んでいないインディオは、たびたび「待ったのボタン」を押すのである。

 将棋の起源はチャトランガで、戦争の代用品。

 行動(戦争)しない分だけ平和だが、こんなものばかりに耽っていたら、行動しない人生を送ってしまいかねない。

 だが行動する前に、将棋とかやって先を読むのは大切だ。
 下手な手を打ったら、そこで人生の行方が崩れてしまうからだ。
 人生は取り返しが付かず、「待った」ができない。

 
   順調だった局面は、あっという間に、ぼろぼろに食い荒らされてしまう。
 
 「辞職」や「起業」の一手でそうなったケースは多い。

 ひょっとして、我々は「闇の神」と対局しているのかもしれない。

 
 形勢が崩れないように堅い手を打っていくが、
 やがて何かの拍子で局面は大きく動いていく。

 病気になり、不幸に襲われ、手駒(お金)も取られる。

 一体どこで失敗したのだろうか?

   ☆☆ 為したことが自分に返ってくるのは間違いない。
 
 日頃の行い→ 運
 何を食べたか、運動したか→ 病気
 
 闇の神との対局には、因果応報などのルールがあるに違いない。


 ただ目に見えない世界(勝負)にこだわりすぎると、
 ウマシカな一手につながりかねない。


 たとえば「小説を書く」という一手。
   自分の中だけのやり取りが多く、勝敗が分からない。
   ひょとして(いつか)化けるかもしれない。
   化けなくても、別に問題が起こらない。
   「待った!」が何度でもできる〔書き直せる〕。
 
 星の数ほどいる物書き志望者は、
 
 目の前にいる大勢の人間を直視せず、
 
 ただ高層ビルの屋上で両手を広げている人間を見つめているのであった。
 

  (資料集めやら執筆、推敲などに莫大な時間がかかったが)
   小説が完成した。
      ↓
   新人賞をとった、or大手出版社に採用され出版された。
      ↓
   印税生活できる。
      ↓
   有名な人気作家となり、永続的な印税生活が期待。

 
 そんなことはウマシカが考えることだ!

 インディオなブログでも書いてろ!     


 


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