インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

頭痛が生んだ新しい物語

2013-01-23 20:21:50 | 映画や小説、テレビなど
  頭が痛くて眠れない。精霊の思うがままに、物語を書いていこう。

 ヒヨコであるサスライの若者、ウルルは、興味本位で古代メキシコの呪術の本を買って読んだが、全く内容がわからなかった。ウルルの読解力が追いつかなかったのか、根気が足らなかったのかわからない。

 そこでウルルは、自称・ナワールであるドン・キャットのところへ訪ねたのであった(頭がズキズキ痛いぞ)

 ウルルは訪ねた。「意志というのは一体何ですか」ドン・キャットは天上を指差した。「意志とは、宇宙である。宇宙から流れてくるエネルギーなのだ。イーグルともいい、精霊ともいう…」ウルルはそれではイメージがわかないので、ヒヨコでもわかるように詳しく説明してくださいと要求し、大胆にも、「ナワールは弟子たちに意志を垣間見せたはずだから、僕にも見せて下さい」と頼んだのだ。

 ドン・キャットは非常に頭が痛くなってきた。ウルルは自分の集合点を移動させてくれ、高められた意識レベルに移してくれ、というのだ。そんな高等技術ができるわけがない。そこでドン・キャットは一杯飲ますことにした(バッカスの意志だ)

 ウルルの意識レベルは変化し、ハイになった

 ドン・キャットは語り始めた

 「お前は、ヒヨコであるが、実は光り輝く卵である。金の卵なのだ。いいか、今から言うことをよく聞け。お前を生んだのは、母鳥ではなく、イーグルという巨大な宇宙の鳥なのである。お前は卵の殻を割って動いているのであるが、以前として、黄金の殻に包まれたままであるのだ。見るものにはそう見えるのだ」

 ナワール・ファン・マスクは語り続ける。

 「お前の知覚は、黄金の卵の一点を、ドリルで開けたような穴から覗いているようなものだ。その穴には、イーグルの黄金の羽の毛が一本入ってくる。それはとても長いやつで、お前の知覚をもよおすのだ。イーグルの羽の毛は無数にある。たまたま入ってきた一本だ」

 ウルルはイメージとして掴めたものの、何か現実離れしているように思われた。

「イーグルの黄金の羽が、一体何で知覚をもたらすのですか?」

 ドン・キャットは答えた。

 「お前は、いつも目の前の黄金の羽を見つめているのだ。黄金の羽はすなわち、お前の意識だ。黄金の羽の向こうには、お前の過去の人生経験が蓄積している。お前が見ている、今この瞬間が、イーグルに向かって、アップロードされ、そして、ダウンロードされ、今が展開されているのだ」

 ドン・キャットは「知覚が、一本の黄金の羽に集められている、そこが集合点である」と主張した

 「では、肉体と黄金の卵は、どのような関係にあるのですか?」とウルルは尋ねた。

  ナワール・ファン・マスクは頭が痛いから明日だと、逃げたのであった(新しい童話が始まったりして)

 

呪術の世界には言葉の矛盾があるだけだ。

2013-01-23 17:15:04 | カスタネダ『呪術の実践』 !
   眠れないので(夢見ができず?)、頭が痛い中、『沈黙の力』ばかり読んでいた。わかったようで分からない。

 「○○とは、△△である」という書き方であるが、△△が曖昧であるから、全体として、精霊の力によって、理解するしかないのであろう。

 ポイントは、太古の人間(呪術師)は、沈黙の知という、深いレベルの知(アカシックレコードか?)によって、物事を直感によって直に知ることができた。しかし、予言やら計画がズバズバ当たるということになり、自尊心やら自我意識が生まれ、そういった沈黙の知(精霊とのつながり)が失われていった。

 人間の力で何とかできる、それが「うぬぼれ」であり、「自己憐憫」であり、現代人の自我意識である。それはすなわち、「理性」という、現代人の崇拝する賜物であり、それによって人間の視野は固定されてしまった(集合点の固定)。

  現代人は見せかけだけの低い意識(自己憐憫やらうぬぼれ)に染まっており、既知を積み重ねて、コツコツ学んで物事を知ろうするにとどまっているが、実際は人間の力は計り知れないものである。

 本当の知識というのは、雨あられのように宇宙から降ってくるのであり、それを呼び込むには、「非情さ」(自意識をとっぱらったもの)が必要である。

 呪術師は「非情」であり、そして「目」が「精霊・意志・沈黙の知」をおびき寄せることができるのだ。呪術師の目は、集合点を動かすことができるのである(意識レベルを変えることができる)…。

 吾輩も、我が眼球を動かし、そういった過去のケースがあったかどうかを想起しているところである(そういえば、20の頃…)

 確かに我々現代人は、万物の根源とのつながりを失ってしまった。

 しかし「沈黙の知のかけら」が、やらな行為に導いているのだろうし、実際に吾輩もそんな感じであった。

 現代で生きるということは、「低いレベルの意識」に飲み込まれていくということか?

 戦士の闘いとは、、「自我意識との戦い」。

 戦う道具は、、言葉を駆使する理性??

 しかし、理性にすがろうととすればするほど、精霊(沈黙の知)は逃げていく…。

とうとう風邪をひいたようだ。

2013-01-23 07:55:16 | 身の回り
 最近、風邪をひいており、今も頭を叩かれるように痛い。昨日は仕事を休み、今日も休むだろう。

 病気になると、ある意味、日常の連続性がぶち切れるので、カスタネダ用語で言う「破壊点」を少しだけ体験をするかもしれない。ただ体調が悪いので、あまり行動する気にならない(とりあえず、着る毛布を羽織って、ブログを書いている)。

 ただ寝るだけ(「反復」はしている)。鮮明な面白い夢は見るが、体外離脱はしていない。

 夢の内容を書き留めながら、夢の中の自分は一体何を目的に動いているのか不明。

 夢に出てくる周りの人はごく普通に、(ときには商売的に)働きかけてくるが、自分自身は、利益のために動いているのではないことは確かだ。何かとんでもないことを目撃するために、何か感動と衝撃を受けるために、動き回っている感じがする。

 頭が痛いから、潜在意識で現実逃避をしているのかもしれないが、小説的には物凄いネタが大雪のように降っている感じだ。

 妄想系の物書きから、夢見の物書きへ。

 カスタネダな世界を修行しながら、少しずつ前進しよう。

 まだまだ未知の世界が、果てしなく広がっているのだ。

 今日もうなされながら、少しでもそれを垣間見たいものだわい(頭痛がひどくて眠れないか)