インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

夢のような体験  ◇『シャッフル』◇

2010-02-17 06:15:07 | 映画や小説、テレビなど
  最近、『シャッフル』なる映画を観たが、なかなか考えさせられるものがった。少しネタをバラスに、妻と幼い娘二人、稼ぎのいい旦那の幸せな家庭で、旦那が事故死するわけであるが、その過程において、主人公の妻は、出来事をバラバラに体験するのである。

 だから、妻は未来を知ることができるし、それゆえに変えようと行動するのであるが、運命は人間の力では…、というようなストーリーだ(ったような)。

 これをみて、「そういえば、未来って、まだ起こっていないことであるが、実は過去とか現在に既に起こっていることが繰り返されているのではないか?」と思ってしまった。

 確かに人生は偶然や事故とかで過激的に変ることもあるが、やはり自分の癖とか傾向がつくり上げているから、将来どうなるかは予言できるように思われる。そして自分の意識の高いところがそれを防ごうとする(?)のであるが、生まれ持った傾向であるために、なかなか変えることが出来ず、同じことを何度も何度も繰り返し、予言が成就してしまう(『シャッフル』の映画と同じ)のかもしれない。

 ただ、運命は実際は変る余地があるのかもしれないが、「時代背景」「親」「出生地」「社会環境」「幼少時代」など初期設定でほとんど定まってしまうのかもしれない。それでも、結構イレギュラーがあり、人によって良くなったり悪くなったりするのであろうが…、

 どこかのスピリチュアルな本にあるように、「人間に生まれていくること自体、まだまだ未熟な証」で、その意味で、人生は罰ゲームのようなものだから、なかなかハッピーエンドにはなりにくいのかもしれない。

 要するに、人間は同じことを繰り返しているのだわい(未来は変えられないのかもしれません)

 このブログでも同じことばかり言っているのですね(書くのがだんだん虚しくなってくるのですね)