インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

22枚目、だいぶテンポがよくなった。

2013-03-16 20:52:22 | 映画や小説、テレビなど
  今日も一日中書き続けた。また1枚目から微妙に推敲しながら書いたわけだが、主人公の黒田くんは、22枚目にしてかなり翻弄されまくっているわけである。吾輩は書きながら、彼の動きを見つめているわけであるが、彼はまだまだ試練が必要なのだろうと思う。

 それにしても、スティーブン・キングの『小説作法』は素晴らしい。多分10年前に買ったのであるが、今は書かれてあることが素直に受け取れる。作家志望者はこれを読むべきだろう(プロット制作法で受賞できるのか)。昨日の続き。

 初めに状況ありきである。そこへ、まだ個性も陰翳もない人物が登場する。こうして設定が固まったところから、私は叙述にかかる。既に結末が見えている場合もあるが、私の思惑で人物を行動させたことはただの一度もない。

 何を考え、どう行動するかは全く登場人物に任せきりである。時として私が予想した結末に至ることもあるが、少なからぬ作品が思いもかけなかった大詰めを迎えている。

 サスペンス作家にとってこれほど結構なことはない。それはそうだろう。私は作者であると同時に、一番乗りの読者である。先々何が起こるか知っている私にして、結末を正確に予測できないとすれば、読者が期待に急かれてページを繰るであろうことは疑いない。

 それに結末にこだわる必要がどこにあるだろうか。作者が支配欲に駆られてやきもきすることはない。世の中すべて、遅かれ早かれ何らかの形で収まる所へおさまるではないか。


 物語が何枚で終わるかは、作者が無理やり決めるべきではないということか。

 黒田くんが揺さぶられ、追い込まれ、成長するためには、まだまだ書き続けなければならないのだわい(イーグルまで到達しなければ)

 

構想通りに行きすぎると面白くない?

2013-03-15 20:40:29 | 映画や小説、テレビなど
  小説を書いているが、こうやって公開して着手したからには、ラストまで書き上げなければならない。

 目標は100枚(原稿用紙換算300枚)であるが、冒頭の3~10枚で読者が消えないように、何度も何度も推敲しながら書いている。

 だからまだ17枚しか進んでいない。ただ、冒頭というのは、全文が伏線のようなもの。

 初期設定というのは、絶対的で、進行するにしたがってその効果は、じわじわ膨らんでくる。まるで、人生と同じ。

 物語を書くのは、自分が楽しむことが絶対条件。やっぱり面白くないと思ったら、無理に書かない。

 構想は出来ているのだが、結構外れるかもしれない。

 スティーブン・キングの『小説作法』にはこうある。

 構想は優れた作家にとっては無用の長物であり、無能な作家が真っ先に頼る常套手段である。構想に寄り掛かった作品は、いかにも不自然で重ったるい。

 私は構想よりも直観に頼る流儀である。私の作品は筋立て以前の状況に基づくものが多いから、何とかこれでやってきた。

 中には多少趣向を凝らした作品もないではないが、ほとんどの場合、発想はデパートのショーウインドウや蝋人形館を覗くようなもので、驚くほど単純である。

 私は人物を窮地に立たせ、彼らがどうやってそこから脱出するか成り行きを見る。


 確かに、どうなるか分からないから面白いという部分はあるのだわい(書いた人間が一番驚くのが、傑作小説か)

 
 

締切日という圧力

2013-03-10 11:17:39 | 映画や小説、テレビなど
  人間は追い込まれないとなかなか潜在能力を発揮しない。ということで、小説を書くには、締切日を作るべきだろう。

  とはいえ、一日10時間は拘束されているので、平日はマイペースで、休日は一気加勢に執筆するというスタイルになるだろう。

  カレンダーを見るに…、インターネット上で、アルファポリスのホラー大賞が開催される4月1日まで、後3週間しかない。

  一週間で30枚ずつ書くことになるが、推敲をしなければ粗だらけの作品になるので、どう考えても4月に食い込むことになるだろう。

  一応、エントリーはしておいたのだが、粗筋しか文章が載せられてないわけで、「何だ、これは! 一体こいつは何を考えているのだ!」ということになりかねない(もう既になっていたり)。

  読み手としても、長ったらしい文章を一気に読めるわけもなく、3月31日に、冒頭部分から、少しずつ、連載していくしかない。

  本来なら、完成させてから発表すべきである。だから、別に今回の大賞に照準を合わせなくてもいいのではないか、ということになるのだが、ニンジンがぶら下がっている方が、馬の走りは良いわけである。

  余計なことを考えず、小説のことばかり考えて、この一か月は過ごしてみようと思う。

  

11枚目……。 妄想は膨らむ。

2013-03-09 21:05:03 | 映画や小説、テレビなど
  今日も執筆した。最初から推敲しながら書いたので、11枚目で終わった(原稿用紙換算で33枚程度)。

  黒田くんは、粒島のところまで来たわけであるが、この登場人物は「古い見る者」に近い存在であるからして、黒田くんにとって、不可解であり、不気味である。新しい見る者、ドン・ファンは「陰気な古い呪術師が嫌で嫌で堪らない」といいい、知覚の自由を求める。一方の古い見る者、粒島?は妄執に囚われているわけである。

 とはいえ、古い見る者も、新しい見る者も、共通の基盤はあった。

 世界はエネルギーでできており、人間は意識の存在であると考えていたことである。

 意識は、現実の体(肉体)に特有のものではなくて、もう一つの体(エネルギー体)にも備わっている。

 現代人は、肉体の意識、第一の注意力に固執し、それが唯一絶対であると考えている。それがすなわち、理性(集合点の固定)である。

 一方で、呪術師は、エネルギー体の意識、第二の注意力に、知覚の範囲を広げようとしている。それが高められた意識の状態であり、人間存在が生きている目的は、そこ、「意識を高めること」に在るというのだ(集合点の移動)。

 夢見を通じて、エネルギー体を鍛え、完成させるわけであるが、エネルギー体というのも、肉体の鏡の像であるがゆえに、日常生活のレベルをそのまま反映しているというわけである。

 日常生活が細かなことや妄執に囚われていれば、あっちの世界での動きも、それを反映するわけである。古代の呪術師の世界というのも、はっきり言ってそんな感じであったのだろう。

 …ということを考えながら、物語を書いているのだわい(頭がおかしくなりそうだ)

 今日はこれぐらいにしてください(これから夢見の時間ですね)

 

8枚目…。黒田くんはどうなるか。

2013-03-08 21:27:14 | 映画や小説、テレビなど
  本日、ようやくブログのテンプレートが元に戻った。もう二度と消えないように注意しよう。

  さっきも、小説を書いていたのであるが、書き始めると、勝手にキャラクターが動き出した。あんまり登場人物が妙なところに走らないようにしなければならず、今回は主人公の黒田くんが踊らないようにしなければならない(昔はいつもの展開でした)

  何といっても、この小説のテーマは「自我意識と戦う主人公」(いや、「夢見」かもしれない)ということで、主人公の黒田くんは、理性の世界に縛られ、物事を型にはめて見ようとするわけである。現代人としては当然で、カルロス・カスタネダの書物なんて怪しいと思っているわけである。

 しかしながら、彼を取り巻く登場人物、粒島と吉田(ナワールとその弟子?)は、もう頭からつま先まで、どっぷりとカルロス・カスタネダの世界にはまっているのである。だから、『意識への回帰』『夢見の技法』とかドン・ファン・シリーズから、援用してくるわけである(読者に分かりやすく)

 実際に自分の体験も盛り込むわけであるが、何となく執筆している間に、かつてないほど神秘的な体験をしそうな気がしてならない(こう期待)。もっとも、「知覚の限界を探る」ということで、それが狙いなのであるが、スタート段階ではそれは起こりそうにない。

 現在、妄想の大洪水の中で溺れているからである。小説を書くからには、内的対話をするのは仕方がない。主人公の黒田くんも、疑ったり、固執したり、自我意識と戦っているわけである。

 しかし、それが崩れたとき、主人公も、作者も、読者も、とてつもない精神的な衝撃を受け、集合点が移動し、高められた意識状態に移行する(もちろん、半ば神がかりになったような状態で自動筆記)…

 …というような小説ができたら凄いわい(そこまでは確信が持てません)

  カスタネダの解説物語で終わらないようにしてください(え? そこが売り?)

小説『イーグル』  今、5枚ぐらい。

2013-03-07 18:51:55 | 映画や小説、テレビなど
  またgoo決済パスワード忘れで、ブログのデザインが消滅したが、保存してあるので、近いうちに戻るだろう。

 さて、例の小説なのであるが、キャラクターとプロットが仕上がり、執筆し始めた。今、5枚程度である(400字詰め原稿用紙で15枚)。多分、日曜日までに20枚ぐらいは行くと思う。

 そういえば、メールの受信箱の中に 【アルファポリス通信】vol.564があり、

  アルファポリス「第6回ホラー小説大賞」エントリー募集!
http://www.alphapolis.co.jp/citi_cont_prize_boshuu.php
大賞10万円/読者賞10万円! 出版化のチャンスも

  …とあった。ただ、開催期間が、2013年4月1日~2013年4月末日となっており、かなり締切が近い(というより、もう、エントリーしていなければならない)。

  一冊の本にするためには、せめて100枚は書かないといけないが、書けばいというわけではない。面白くなければ、読者は3枚くらいで読むのを止めてしまうわけである。ちょっとどんな小説がエントリーしてあるのか、様子を見てみよう(さて、3枚耐えきれるか)


  ……

 何か学校を舞台にしたものが多く(?)、そんなにレベルは高くなさそうで(?)、参戦することにするわい(果たして間に合うのか)


 <あらすじ>

 広島在住の作家の黒田健は、命を狙われていた。原因不明で、とりあえず、大学時代の恋人、吉田まゆみのいる福岡市に緊急避難。吉田は今は大学で文化人類学を研究していた。

 二人はかつて、一度だけ、「夢の中で会話した」奇跡が、忘れられなかった。

 謎を解くため、粒島という陰気な作家を紹介する。粒島は、まゆみの師匠であった。

 死神(飛ぶもの、捕食者)の崇拝者、粒島は、大分の山奥、両子山の麓に住んでいた。彼によると、黒田が狙われた理由は、黒田が見た夢にあるという。

 黒田は夢で凄惨な殺人現場を見て、それをそのまま写して物語にしたのだった。黒田は、目撃者と間違われたのである。

 雲隠れした黒田を、金で雇われた「呪いの臼井」と呼ばれるスナイパー的な黒魔術師が、探し出し抹殺しようとしていた。

 臼井は、夢の世界で、キヨノリという名の化け物(非有機的存在)と契約を結んでおり、夢で捕まえたターゲットのエネルギーを差し出す代わりに、夢で自由に動き回れる高度なエネルギーを得ることができた。

 ある日、死んだ母の面影という、餌に引っかかって突き止められた黒田は、臼井と戦うことを余儀なくされた……。



 『イーグル』をよろしくお願いします。 
   
  



新しい小説

2013-02-22 18:37:14 | 映画や小説、テレビなど
 これからは、「沈黙の中で書かれた文章」を尊重していこうと思う…と、先週書いたわけであるが、そんな小説が面白いわけがない。

 となると、夢見の暗記力に頼るしかない。

 先日また、物凄く面白い夢を見て、「これをそのまま写せば売れるに違いない!」と思ったが、やはり細かくは覚えていられなかったわい(ヒントにはなったかも)

 やはり、小説の基本は、プロットを作って、登場人物を細かく考えておいて、書いていくことだろう。

 ただ冷静過ぎると、小説を書くのでさえ、「そんな自己満足をしたいのか?」ということになり、筆が進まない。

 カスタネダなど色んな本を読んでインプットしたことの結果としては、やはり「小説形式」が一番面白いのであるし、自分自身、一番興味がある。

 たとえ売れなかったとしても(?)、書くことによってアウトプットすれば、より深いレベルで消化できるであろう。

 脳みそを小説モードにするためには、これが一番である。

 

 ついに開封しましたね(禁断の麻薬を使うのですね)

 主人公は最初はボロボロになっている状態である。そこから立ち直っていくわけである(実地で行くか?)。
 
 一応、主人公と敵役、協力者と、骨子を作っているのだが、ここが一番重要なところで、

 多分、小説というのはスタート段階で、すべてが決定しているのだろう。

 「人間から神秘的な力を奪う、自我意識、それと闘う、戦士の話」

 何か泡盛がまわってきた。

 ガソリンが入ったので、自意識で太ったイモムシが再び動き始めた。

 物語を書こう!


 起; イモムシ動き出す。

 承; イモムシ盛んに暴れる。

 転; 意志が現れ、イモムシの上に乗っかかる。

 結; イモムシの動きは止まった。

 
 何かこれまでとは逆のパターンの小説のような気もするが

 追い詰められた人間というのは、「意志の力」によって「奇跡的に」救われるしかない。

 意志の力がどれほど凄いかというのは…

  この小説を出版化して証明するしかないわい(果たして奇跡は起こるのか)

 


頭痛が生んだ新しい物語

2013-01-23 20:21:50 | 映画や小説、テレビなど
  頭が痛くて眠れない。精霊の思うがままに、物語を書いていこう。

 ヒヨコであるサスライの若者、ウルルは、興味本位で古代メキシコの呪術の本を買って読んだが、全く内容がわからなかった。ウルルの読解力が追いつかなかったのか、根気が足らなかったのかわからない。

 そこでウルルは、自称・ナワールであるドン・キャットのところへ訪ねたのであった(頭がズキズキ痛いぞ)

 ウルルは訪ねた。「意志というのは一体何ですか」ドン・キャットは天上を指差した。「意志とは、宇宙である。宇宙から流れてくるエネルギーなのだ。イーグルともいい、精霊ともいう…」ウルルはそれではイメージがわかないので、ヒヨコでもわかるように詳しく説明してくださいと要求し、大胆にも、「ナワールは弟子たちに意志を垣間見せたはずだから、僕にも見せて下さい」と頼んだのだ。

 ドン・キャットは非常に頭が痛くなってきた。ウルルは自分の集合点を移動させてくれ、高められた意識レベルに移してくれ、というのだ。そんな高等技術ができるわけがない。そこでドン・キャットは一杯飲ますことにした(バッカスの意志だ)

 ウルルの意識レベルは変化し、ハイになった

 ドン・キャットは語り始めた

 「お前は、ヒヨコであるが、実は光り輝く卵である。金の卵なのだ。いいか、今から言うことをよく聞け。お前を生んだのは、母鳥ではなく、イーグルという巨大な宇宙の鳥なのである。お前は卵の殻を割って動いているのであるが、以前として、黄金の殻に包まれたままであるのだ。見るものにはそう見えるのだ」

 ナワール・ファン・マスクは語り続ける。

 「お前の知覚は、黄金の卵の一点を、ドリルで開けたような穴から覗いているようなものだ。その穴には、イーグルの黄金の羽の毛が一本入ってくる。それはとても長いやつで、お前の知覚をもよおすのだ。イーグルの羽の毛は無数にある。たまたま入ってきた一本だ」

 ウルルはイメージとして掴めたものの、何か現実離れしているように思われた。

「イーグルの黄金の羽が、一体何で知覚をもたらすのですか?」

 ドン・キャットは答えた。

 「お前は、いつも目の前の黄金の羽を見つめているのだ。黄金の羽はすなわち、お前の意識だ。黄金の羽の向こうには、お前の過去の人生経験が蓄積している。お前が見ている、今この瞬間が、イーグルに向かって、アップロードされ、そして、ダウンロードされ、今が展開されているのだ」

 ドン・キャットは「知覚が、一本の黄金の羽に集められている、そこが集合点である」と主張した

 「では、肉体と黄金の卵は、どのような関係にあるのですか?」とウルルは尋ねた。

  ナワール・ファン・マスクは頭が痛いから明日だと、逃げたのであった(新しい童話が始まったりして)

 

『チェルノブイリ・ハート』を観て。

2012-10-13 15:29:11 | 映画や小説、テレビなど
  たまたまツタヤで準新作100円だったので、『チェルノブイリ・ハート』なる映画を借りてみた。

  1986年の春、旧ソ連、キエフ近郊のチェルノブイリ原発事故についての、ドキュメンタリーであった。

  福島の原発事故があったがゆえに、真剣に観ていたのだが、障害の子供たちに衝撃を受けた。タイトルの『チェルノブイリ・ハート』とは、子供に多発する甲状腺がんと並ぶ、放射能の影響による心臓病のことであるようだ。

 生まれてしまって、成長した以上、苦しみながらも、頑張って生きている。心臓の右心室と左心室の間の穴を防ぐため、破格の値段の手術をするわけであるが、手術が成功し、涙をボロボロ流して感謝していた、ターニャの母親には、心を打たれた(もらい泣きした)。

 執刀医自身も、もらい泣きしているわけであるが、これが毎回のためであるため「ただ仕事をしていただけだと」淡々と語る。手術を受けられずに死んでいく子供たちも多いわけだ。

  目に見えない放射能の影響が、何十年経っても長いこと続くわけで、やっぱしただ事ではないのだな、と思わされた。

  現実問題、故郷を捨てられない、仕事は変われない、ということで、リスクを覚悟して危険地帯に住み続けるわけであるが、自分の子供がこういう病気に罹ってしまったら、「離れていればよかった」といことになるのか。

  セシウム137はカリウムと似ているので体内に蓄積されるとかあり、何か日本でもとんでもないことになるのではないかと予感させられる映画であった。最近では報道されなくなっているし、我々は状況を甘く見ているのかもしれない。
 

『ヒューゴの不思議な発明』 ~映画好き必見?!~

2012-08-25 08:26:46 | 映画や小説、テレビなど
  『ヒューゴの不思議な発明』なる新作を観た。ジャンルを問わない吾輩は、ハリーポッター系を想定していたが、何かしら不思議な、リアルな?物語だった。

 1930年代のパリが舞台であり、ほぼ孤児な少年ヒューゴが何やら怪しげな機械いじりをしていた(歯車だらけの環境で歯車を)

 30分経ってもまったく物語の先が読めず、機械人形が動き出した時には、宝地図でも書くのかと思ったわい(冒険が始まるのかと)。

 映画が最初に出回った時は、大衆は相当驚いたようで、列車のシーンでは観衆は席を立って逃げたという。どこまでが実話でフィクションなのかがよく分からないが、そういう技が優秀なストーリーテラーには必要なのだろう。

 何かあんまり見たことがないような映画で、「アカデミー賞最多5部門受賞の最高傑作!」とか喧伝されていた通り、なかなか印象深い映像が流れた。上空から眺める当時のパリの光景、駅の人通り、映画普及初期の様々な趣向(ガラス張りの建物に、さらに水槽を前に置いて撮影とか)。

  悲劇かどうか知らぬが、戦争に行って映画離れが進んだくだりは、ジョルジュ・メリエスなる男の波乱万丈な人生を垣間見させてくれる(調べてみると、実在した人物!)。

  謎、謎、謎だらけの最初だったが、ラストにすべてが氷解され、観客は満足であろう。無駄なシーンが一切なく、それゆえに作り物であるという感じもするが、実によくできた映画だったわい(必ずしも子供向けではありませんね

古代ローマ ~更新できぬほど、最近はまっていた~

2012-08-21 18:28:54 | 映画や小説、テレビなど
 ある古い外国映画のテレビドラマを見ていると、『ローマ』の第一話が挿入されていて、『スパルタクス』なるとんでもない映画が流行していることもあって、ひたすら『ローマ』のDVDを見続けた(11枚。疲れたぞ)

 アステカ帝国より遥かに大昔なのに、何か現代とかなり近いものを感じた。もちろん、コロッセウム(円形闘技場)で剣奴が戦うわけではないが、代わりに?野球やらサッカーを観戦するし、公共浴場(ローマ人は入浴が大好きだったようだ)やらローマ法(弁護士とかもいた)やら発達し、ローマ社会においては、私有財産があるかないかが決定的だったようだ(今も同じか)。

 古代ローマは王政ではなく共和政で、元老院と執政官がいて、平民会から選出された護民官が拒否権を持ったりする(アントニウスが使う)。世界史が好きな吾輩は『ローマ人への20の質問』(塩野七生)とかを開いたりして、余韻を楽しんでいるのである。

 ローマの映画では、まさに教科書通り、第一回三頭政治(カエサル・ポンペイウス・?)、第二回三頭政治(オクタビアヌス・アントニウス・?)、そしてオクタビアヌス様が、安定期を迎えるところまでが、取り上げられている。日本でたとえるなら、戦国時代から、江戸幕府が開かれるまでか??  これは、古代ローマを勉強するためのテレビドラマであるようにも思われた。

 さて、このローマを支えているのは、大勢の奴隷なのであるが(戦争で獲得)、奴隷でも多種多様な奴隷がいたようだ。映画にあるカエサルの頭脳な奴隷のポスカのようなのもいれば、鉱山で働かされたり、闘技場で殺し合いをさせられる奴隷もいた。意外や、奴隷の開放も進んでいたようだ。もっとも、奴隷自身に特別な才能があったり、カネを貯えたりしなければ、奴隷であり続けるしかないわけで、、何かこの辺は、現代社会と重なり合うものがあり、考えさせられてしまう。

 また、古代ローマの女性たちは財産を持ち、強い権利を持っていたようだ。映画でもこれが凄まじくインパクトがあり(これが受けたのか?)、 セルウィーリアとアティアのどろどろとした女の争いやらを、「とんでもない悪女がいるもんだわい」と見ながら喜ぶのだわい(アティアのラスト最高!)

 古代ローマが強烈なのは、「死」というのもが日常に身近だったからかもしれぬ。

 そういえば、カスタネダのにもローマのことに触れられていた部分があった。

   『無限の本質』p162より

 ナワール・フリアンは、よく古代ローマの征服者の話をしてくれた。征服者が凱旋すると、勲功をたたえて盛大なパレードが催される。奪ってきた財宝を見せびらかしながら、戦いに敗れた人々を奴隷として従えて、戦車に乗った征服者が進んでいく。征服者と一緒に必ず奴隷が一人乗っている。そいつの仕事は、名声も栄誉もつかの間にすぎないと、征服者の耳にささやくことだ。

 われわれにはたとえ何らかの勝利を収めようと、そんな勝利は束の間のものだとささやきかけてくれる者がいない。ところが呪術師には、有利な点がある。彼らは死への途上にある存在なので、すべてははかないと、ささやいてくれる者がいる。ささやいてくれるのは、死だ。絶対に間違いを犯さない助言者、決して嘘をつかない唯一の者だ。

 


アイデアが!

2012-07-02 05:31:48 | 映画や小説、テレビなど
  明け方からとてつもない妄想に襲われた。考え方を変えれば、それはこれまでにない斬新なアイデアであり、小説に利用できるのかもしれない(もっと膨らませ、整理すれば、一部の人に受けるかも知れない)。

 妄想とはいえ、実生活で利用できそうな「思想」でもあり、もっとも世の中にもそういうのが沢山流通しているので、探せばどこかにあるのかもしれない。それに多分、これまでブログで叩いてきた内容がベースとなっているので、古代メキシコの人々からすれば、別に特異な発想ではないのかもしれない。

 この場ですぐに打ち込んでもいいのだが、まだ芽の段階なのでもう少し成長するのを待ってみようと思う。科学的な理由とかは全くなくて、直感で「意識とは、○○を△△っていることなのだ」と確信したわけである。あとは内容を発展させたり、生活で実践したりして、大きくしていきたいのであるが…

 ただの一つの夢だったりするのだわい(思わせぶりな書き方で恐縮です)

里山資本主義 ~若者は“放棄地”を目指す!?~

2012-06-23 21:50:49 | 映画や小説、テレビなど
  田舎に戻ってたまたまNHKフェイス(中国地方限定19:30~20:45)で里山資本主義なる番組が放送されていた。全部観た。

 誰かがブログを書き、コメントを残さなければ面白くないだろうから、吾輩が感想を書いてみる。

 冒頭で、雑草を抜いて作物を育てている若い女性がいた。「ストレスがないから…」と横浜から来た女性は語る。「こんな山奥で、シカやイノシシに荒らされないのだろうか?」と思った方は、自分だけではないはずだ。

 吾輩が住んでいる田舎でさえ(庄原や三次、島根ほど里山ではない)、キツネやタヌキ、シカやイノシシなどが芋やトウモロコシなどを齧ったりして苦労して育てているわけである。自給自足で暮らせないこともなかろうが、害獣対策をやらなければ、連中が勝手に持って行ってしまうだろう(ありがとう)

 テレビでの内容自体は、田舎で暮らす個性的なキャラクターが積極的に発言していて、非常に面白かった。自称?「変人」な長髪の青年が開き直っているところや、老人ホームの理事をやっている方は非常に慈愛心に富んでいて共感がわいた(特に、三次で「地域通貨」を発行した場面が印象的)。役所関係のコメンテーターは起業家とか雇用を生むような優秀な?移住者に来て欲しいようだが、まあ、現実はちょっと変わっていたり、ドロップアウトして行き場がなくなったような人々が集まってくるわけである。素直に自然が好きなだけな若者もいるだろう。そして、交流の場ができ、面白そうだと移住者が増えるのかもしれない。

 どちらにせよ、光の部分と影の部分があり、前者のほうに重きが置かれた報道に思われた。過疎地の閉塞感を打破する希望の光を示すためには、当然のことである(マイナスばかり報道しても意味がない)。鳥取の高級魚(ホンモロコ)、放棄地での乳牛飼育、木造での高層ビル(Cross Laminated Timberパネル)、面白い事例が多々あった。同志社大学の教授様が、理屈を並べて解説するが、言葉よりも具体例の方が、後々まで心に響く。

 「グローバル経済な、弱肉強食の生態系でさえ、バクテリアとか樹木とか草食動物、肉食動物さまざまな生き方があって…」とかいうたとえは、画一教育、画一価値観の中ではむなしく響く。バクテリアとライオンの食べ物は違うが、里山で生活する人間と、大都会で生活する人間で、使用するものにはかなりの共通なものがある。

 むしろ自動車など田舎の方が重要視されているわけで(耕運機やら草刈り機も使う)、ガソリン代は莫大である。オール電化でない限り?電気料金も普通に払う。

 だからせめて、マキや炭を使うべきだが、かまどでご飯を炊いている人が、どれだけいるだろうか。ちなみに吾輩の実家は五右衛門風呂でマキを使うので、ガス代が要らない(プロパンだ)。朝日ソーラー(大昔の!)もあるが、これはかなり役に立つ。トイレは汲み取り式で(工夫している)、水道は地下水の汲み上げである(上下水道代が不要)。

 畑の水は裏山を流れる山水を引いており、田んぼもそうである。じゃがいもはイノシシの餌を作るようなものなので栽培していない(親父があまり好きでないことも?)。電気柵は簡単だが一応完備されているが、動物に狙われそうなのは、家の近くに網に囲って栽培している。

 実際に生活している里山人はそういうのチェックしながら観ている。憧れだけで田舎に来た都会の若者は適応するまでに時間がかかるだろうが、軌道に乗ればカネがかからないのに驚くかも。

 ただ、近所付き合いはかなり大切だ(下手すればかなりのストレスになる)。草刈りとかゴミ拾いとか、日曜日にはボランティアに行かねばならず、敬老会やら神社の祭りやら、あらゆる会合に出席した方がよいので…、

 面倒な人間は都会に逃げた方が楽なのだわい(里山は年金資本主義です)

『ソーシャル・ネットワーク』

2012-05-04 06:16:30 | 映画や小説、テレビなど
 サウナ温泉に入って23時過ぎに寝たが、ガバッと目が覚めた。

 再びマジカルパスをし、さらにゲートウエイ・エクスペリエンスを聴いていたのだが、体外離脱するどころが全然眠れず、3時頃起きて、映画を観たところだ。

 「face book」の開設者でCEOマーク・ザッカーバーグが主人公の物語。主人公が事業を拡大させたキッカケが、彼女との葛藤にあったり、共同経営者との決別など(よくあるパターンか)、なかなかのドラマになっていた(アメリカンドリームを掴むサクセスストーリー)。

  未開人の脳みそに近くなっている吾輩も、視聴半ばから思考回路が久々につながって来たような気がし、いろいろメモしながら玄米を食べる。

 中でも、マークの元彼女が言うセリフ「一度ネットに書いたことは消えないのよ!」に衝撃を受ける(もっと考えて書くべきか)

 あと、ハーバードの学長の言葉、(アイデアを横取りされたと訴訟を起こすより)「新しい仕事を創り出しなさい!」といったところか。

 「face book」は元々学生コンパな目的で作られたから、軽いノリであり、疑問な点もある。

 まあ、とにかく全米の大学を中心として、世界中に広がり、今では9億人が利用しているという。

 実際に、こんな自分がいて、あんな友達がいて…とズラズラ書いていくと、

 おお、アイツはあんな大物と知り合いなのか(ならば、今日から友達になろう)

 …ってことになるのか。

 あなたの友達とは趣味が合いそうなので、ぜひ、紹介してください(その代わりにを…)

 ということになり、人気者ばかり売れていくことになるのだわい(誰かさんと友だちになってあげましょう)

 ※実際にやっている人によると、face bookの特徴は、原則本名で登録である。皆の近況がよく分かること。距離があまり関係なくなること。実家に帰ったとか、旅行に行ったとか、知ることができる。旧友とまた繋がれる。ネットだけれど、人とのつながりを大事にできると、いうことです。

 

『ビッグ・フィッシュ』 ~ファンタジーとリアルのはざま~

2012-04-21 14:18:19 | 映画や小説、テレビなど

 ゴロゴロしながら映画を見ていたのだが、現実のシーンとファンタジーのシーンが入り混じった不思議な映画だった。

  ブルーム一家の一人息子、ウィルは、父親エドワードの現実にあったようなおとぎ話を耳にタコができるほど聞かされてきたのだが、さすがに20,30になると「作り話」であることに気がつき始める。

 親父エドワードの話を聞くのが嫌になり、会話もしない仲になっていたのであるが、親父が危篤状態に入り、ウィルとの和解が始まる。

 調べてみると、ビッグ・フィッシュとは、「誰も信じないホラ話」という意味があるようだ。

 人生において回想というのは、美化されたり、尾ヒレがついたりするものだが、エドワードの場合は、ファンタジー小説になっていたというわけだ(冒険もの)。

 とりわけ、エドワード夫人との出会いが、そこだけで独立したようなファンタジー映画となっており、巨人が出てきたり、理想の町が出てきたりしていた。

 青年エドワードは、小さな金魚鉢では小さな魚しか育たないとかで、スポーツやら事業に打ち込み、活発に活動したものの、地元の英雄として巨人と旅に出たりする。そこで困難な森を抜けたところで詩人や靴を奪った町長の娘と出会ったりした。サーカスを見ていると、そこで婦人に一目惚れし、時間が止まった。サーカス団長から、「一ヶ月働くごとに彼女のことを一つ教えよう」と奴隷なって働き、水仙が好きだとか、少しづつ彼女のことを知る(ケチで腹黒い団長!)。そしてついに彼女の本名を教えてもらった。が、大学生だった彼女には既に婚約者がいた。

 この辺から『ビッグ・フィッシュ』の美しい映像に魅了される。彼女が朝起きて、窓を開けたら、黄色い水仙で景色が埋め尽くされていた。そして水仙畑で、婚約者から彼女をつい手に入れたのだった。

 が、エドワードは出征する運命に遭う。彼女はエドワードが戦死したと思っていたのだが、洗濯物の間からふっと現れた時に…(観客は涙が出ます)

 現実主義のウィルは「作り話は山ほどあるけれど、話してないことも多い」と親父の書斎にある資料を色々調べてみる。すると、単なるファンタジーな話ではなく、現実が入り混じっていることに気づかされるのである(エドワードが冒険中の18歳の時、8歳だった町長の娘は実際にいて、大人になってからは明け渡しのサインをしていた…)。

 ラストシーンでは、エドワードは鼻にチューブを入れられ病室で死んでいくのだが、息子ウィルはエドワードの死をファンタジーのようにして聞かせ、彼の人生に幕を閉じようとする。

 現代人は人生を重苦しいリアルなものにはめようとするけれども、終わってみれば、人生は不思議な夢のようなものに違いない。