Photo at 鹿児島・桜島
私があれこれ語るより、その地で撮った写真の方が雄弁にその地を語ってくれるのかもしれない。そこで本日からは鹿児島、そして奄美群島を旅して印象的だったところを写真でレポートすることにする。
今回の鹿児島では何といっても桜島がメインだった。その桜島の火口部分である御岳が薄曇りの中でなかなか全貌を見せてくれなかった。一番よく見えたのが桜島からの帰りのフェリーからだった。
その御岳に私が最も近づいたところ(烏島展望所)で撮ったのがこの写真である。ちなみにこの展望所の名前の烏島は独立した島だったものが大正大噴火でもって飲み込まれてしまい、その島があったところに展望所を造ったということだ。
桜島は度々噴火を繰り返しているが、人々を震撼させた大噴火としては1914(大正3)年の死者58名を出したという大正大噴火が記憶されている。その時の溶岩は錦江湾まで流れ出したが、そのときの溶岩が今も荒々しい形で海辺を覆っていた。
その荒々しい溶岩を見ながら歩く「溶岩なぎさ遊歩道」はその後も続く桜島噴火で生ずる火山灰が遊歩道の両側に溜まっていたが、清掃が追いつかないようだ。こうした光景は鹿児島市内でもところどろで見ることができた。
※ 遊歩道の両側に黒っぽく見えるのが火山灰です。
遊歩道には、たくさんの詩碑や句碑が立っていた。桜島を訪れた詩人たちが創った短歌や俳句のようだ。短歌とか俳句の世界にはまるで弱い私だが、かろうじて水原秋櫻子の名前だけは記憶にあった。彼がたまたま明治43年5月に桜島を訪れ時に大噴火に遭遇したらしい。その時に詠んだ句が「さくら島 とどろき噴けり 旧端午」という句だそうだ。その句碑に俳句心をうずかされた私が創った句が「桜島 その雄姿より ブリ大根」というなんともおバカな俳句である。(私は一人含み笑いをこらえることができなかった…)
この桜島巡りに私はレンタサイクルを利用したのだが、帰りは自動車道のスーパーマグマロードというところを走った。すると、散水車が水を撒きながら走行していた。道路上に薄く溜まっている火山灰が舞い上がるのを阻止する措置のように思えた。
※ 散水車が通った後のスーパーマグマロードです。
桜島名物の桜島大根は収穫が終末を迎える頃だった。道の駅の庭に観光客用に栽培されていたが、すでに大根の花が咲いている状態だった。
鹿児島・桜島ともにそれほど桜が目立ったわけではないが、公園の一角に咲いていた桜をカメラに収めた。
鹿児島市内の市電は走行路内に芝生を敷いていることで知られている。季節が季節なので少し枯れ気味ではあったが、夏の暑さや粉じん対策のためにそうした措置をとっていると聞いた。
最後は、夕方6時発の奄美大島行きフェリーに乗って、出航直後に太陽が鹿児島市内をバックに沈んでいくところを撮ったものである。
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今回からは写真のレポートがテーマなのですね。そして、桜島。一番最初の桜島の写真は、綺麗に撮れていて絵葉書みたいです。
ブリ大根の俳句、またまた登場しましたね。おじ様、よっぽどお気に入りのようです^^
水原秋櫻子さんって...知りませんでした。女の人かと思ったら、「しゅうおうし」さんで、本名は豊さん。男の人だったのですね。東大医学部卒の医学博士でありながら、俳人。まさに理系から文系までのマルチな天才とでも言いましょうか。調べてようやく分かりました(^^;。少しおりこうさんになりました。
市電の走行路内に芝生が敷かれていることには驚きです。やはり地方独自の考え方ってあるんですね。
ハイ、この回から写真を中心にしてレポートしようと思います。
水原秋櫻子、調べましたね。私はたまたま名前だけ知っていただけなのですが、その句にいたく感動したものですから、私の俳句心も動かされたというわけです。
私の駄句、私は一人でえらく気に入っています。おバカさ丸出しのところがいいですねぇ…。