田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道開拓使が建築した洋風建築

2020-12-05 19:01:04 | 講演・講義・フォーラム等

 未開拓地だった北海道の開拓に大きな足跡を残した開拓使顧問のH・ケプロンをはじめとしたお雇い外国人は、北海道においては防寒性に優れた洋風建築が相応しいとして洋風の建物を積極的に建築したという。その裏話を聴いた。

   

   ※ いつもとは違った角度から「豊平館」を撮ってみました。

 リアルな講座を受講するのは何時以来だろうか?すっかり忘れてしまうくらい久しい気がするが、本日久しぶりに講師と対面しての講座を受講した。

 その講座は「札幌市豊平館・誕生140周年 公開講座」と銘打って、国指定の重要文化財である「豊平館」の大広間において豊平館々長の村上幸一氏「開拓使工業局と豊平館」と題して講義されたのを受講した。

   

   ※ 講義が行われた大広間の壁に掲げられていた「豐平館」と書かれた額です。

 村上市はそのキャリアが北海道博物館の学芸員であり、一級建築士の資格を得ていることもあり、主として開拓使時代の建築物についてあれこれと説明いただいた。特に開拓使工業局においては、各種の工作場を設置(木工場、製鉄所、鋳造所、蒸気機械所、等々)し、北海道開拓に必要な木材、建具などの建築資材から、馬車・馬橇などの運搬用具、農機具、はては家具やストーブなど、幅広く開拓に必要なもの全てと言って良いほどの製品を製造していたそうだ。

 説明は多岐にわたったのだが、その中からあまり知られていないと思われる二つのことに絞ってレポすることにする。

 一つはリード文でも紹介した洋風建築であるが、なるほど公の建物としては開拓使本庁舎をはじめ、本庁分局、あるいは外国人のための官舎など次々と建築されたが、一般には洋風建築はそれほど広がらなかったという。それはそれまでの和風建築に比べて建築費用が高価だったことがあげられるという。また、日本人の場合はどうしても室内は畳敷きであることが求められたそうだ。なかには、外観だけ洋風にするも室内は畳敷きのような和洋折衷の建物もあったそうだ。(ex. 手宮駅長官舎)さらには数多く建築された屯田兵のための住居も費用の関係からだろうか?和風建築だったという。私も琴似地区に現存する屯田兵屋を何度も見たことがあるが、あの建物では冬は相当に厳しかったのではないか、と思わされる建物であった。

 もう一つのエピソードは「豊平館」についてである。豊平館は来札、来道する要人のための宿舎(ホテル)として建築されたのであるが、その防寒のために壁は外壁、中壁、内壁の三層構造になっているそうだ。特に中壁はいわゆる土壁だったという。断熱材が無い時代の工夫の一つなのだろうが、あの優美に見える豊平館の壁の内部が土壁でできていたというのは一つの驚きである。

   

   ※ 受講者の大半はシニア層だったようです。

 時代はオンライン講座が大流行のようである。コロナウィルス伝染予防のためには仕方のない措置であるが、リアル講座に慣れ親しみ、変化への対応がなかなかできないシニア世代にとっては、やはりリアルな講座を拝聴することで耳にもよく入ってくるような気がする。いつになったら、そんな当たり前の日々が戻ってくるのかなぁ…。

 



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