声に出して言いたくはないけれど…、「あの頃は良かったぁ…」という思いが私の中にあるのだろうか? じわーっと浮かんでくる涙を止めることができなった…。
※ 無理して拡大したポスターの画像はちょっと悲惨ですね。
シリーズ三作目となる「ALWAYS 三丁目の夕日‘64」を19日、ユナイテッド・シネマ札幌(中央区北1条東4丁目 サッポロファクトリー1条館2F)で観た。
映画のキャッチコピーに「どんなに時代が変わっても、夢があるから、前を向ける」とある。
今の私に夢がないとは言わない。まだまだ夢は持っているつもりだ。
しかし、あの頃(1964年)高校生だった自分には、何だか訳は分からなかったけれど「明日はもっと良いことがある」と無邪気に信じながら生きていたように思う。
そんな思いをこの映画は彷彿とさせてくれるのかもしれない。
※ 東京オリンピック開会式時に空に描いた五輪マークを見上げる三丁目の住人たちです。
1964年、東京オリンピックが開催された年である。
日本は右肩上がりの成長を続けていた真っ最中である。そんな時代の東京の下町に繰り広げられるドタバタ劇なのだが…。
私の中では、どこか寅さん映画に通底するものを感じてしまう。
吉岡秀隆が、堤真一が、いい味を出している。
それよりも私の中では堀北真希の東北弁(青森弁?)が秀逸である。
東北から集団就職で東京に出てきて5~6年(?)いまだに抜けぬ東北弁が素朴さと誠実さを醸し出してくれる。彼女が嫁ぐときに就職先だった堤・薬師丸夫妻に東北弁で訥々とお礼の言葉を述べる場面は涙なしには見られなかった。
※ 涙なしには見られなかった堀北真希が嫁ぐ日のシーンです。
ALWAYS…。いつまでも、永久に…。
庶民にとって何だか訳は分からなかったけれど、明日はもっと良い日になると信じられた時代だった。誰もが明日に夢を持てた時代だった。
そして現代…。
閉塞感に満ち満ちて、夢を持てるような時代ではなくなりつつあるが、映画の中であの日に還り、あの日のように自らの中に“夢”を育みたいものである。
一つだけ苦言を呈しておきたい。
今回の映画は3D映画という触れ込みだった。(2Dも同時上映されていたが)その触れ込みに応じて3D映画で観賞した。
しかし、私に言わせると3D映画にする必然性をまったくと言っていいほど感じなかった。なぜそうしたのか理解に苦しむほどである。あの「アバター」のように効果的に3Dが活用されたとしたら納得もいくのだが…。
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社会が、周りがどんどん変貌していく姿を目撃しながら、自らも変わっていったのが昭和の年代だったような気がします。
現在の社会の状況を嘆くのではなく、自分の中では昭和の時代のように“夢”を育みたいものです。
「あの頃は良かった」というノスタルジーに浸るような言葉は私も禁句にしたいと思っています。
しかし、時代は失われた10年とか、失われた20年とか称して、いっこうに好転しない状況の中で、ALWAYSのような映画がたくさんの人たちの支持を得ています。
そうした人たちは映画を観ながらきっと「あの頃は良かった」と心の中でつぶやいているんでしょうね…。
同時に昭和の、今に比べてまだまだ原始的な時代を知っている世代でもあります。
石炭ストーブとかぽっとん式のトイレとか、シャワーのない風呂とか。
それらを全部、よかった、とは思えないまでも、あれはあれで不自由に感じていなかった時代として記憶して語り継ぎたいものです。
ALWWAYS‘64は出ちゃっ太さんがこの世に出てきて間もなくの時代ですかぁ…。
私は良く私たちや、私たちの世代の前の方々に対して、私たちこそ日本の激変ぶりを目撃できた世代である、ということを話す時があります。
その意味では、出ちゃっ太さん世代はやや日本のさまざまな環境がやや整いつつあった時代ともいえるかもしれませんね。
私たちが生活する環境としては現代がダメなどとはけっして言うつもりはありませんよ。ただ時代の閉塞感が私たちの周りを取り巻いているような今の時代をちょっと嘆いてみたかったということでしょうか?