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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

再び沢木耕太郎を…

2013-01-17 19:43:19 | 本・感想

 ニュージーランドの友人を訪ねるにあたって、「お土産は何がいい?」と友人に訊いたところ、「沢木耕太郎の『馬車は走る』をお願いしたい」とのリクエストがあった。「沢木耕太郎!?」…、私はその名前を聞いて無性に嬉しくなってしまったのだった…。 

               
               ※ 友人からリクエストのあった「馬車は走る」の表紙です。

 月刊『文藝春秋』誌の新春1月号で沢木耕太郎が久々に「キャパの十字架」と題する長編(309枚というから長編とまではいかないかな?)を発表した。
 久々の沢木ワールドに酔い、充足感を味わっていた私である。

 沢木耕太郎については、私がこのブログを始めた初期(2007年5月)に「沢木耕太郎論」などと題して5日連続で投稿したことがある。
ちょっと青くさい沢木耕太郎論であるが、今日改めて読み直してみると、いささか面映ゆい。
 「沢木耕太郎 Part Ⅰ」
 「沢木耕太郎 Part Ⅱ」
 「沢木耕太郎 Part Ⅲ」
 「沢木耕太郎 Part Ⅳ」
 「沢木耕太郎 Part Ⅴ」

               
               ※ 現在の沢木は写真よりは少し歳をとっているかもしれない。

 私はブログで「沢木耕太郎論」を述べたことはあるが、他の方に彼のことをそれほど推奨したりすることはなかった。
 ただ、その友人が大のサッカーファンだったことから、沢木が日韓ワールドカップを取材した「杯(カップ)」という本を刊行したことは紹介した記憶があった。
 しかし、その後彼とは何度も会っているが、沢木耕太郎のことなど話したこともなかった。訊くと彼は沢木の著書である「彼らの流儀、人の沙漠、危機の宰相、右か左か、テロルの決算、壇」などかなりの沢木を読んでいることが分かった。
 私はすっかり嬉しくなり、彼に刺激されたかのように沢木の本を再読し始めている。
 枯れかけた私の脳に沢木の言葉はまるで砂漠に水が滲みわたるように広がっていくのを感じる。
 私は今回のニュージーランドの旅に沢木耕太郎を旅の友とすることにした。

 そして私は友人に「馬車は走る」と『文藝春秋』誌の1月号を持参することを約束した。


 ※ 一昨日の「嵐 ふるさと」のユーチューブを貼り付けることができました! まだお聞きになっていない方は一昨日の私のページをご覧ください。



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