一般に歌手・吉幾三は演歌歌手と称されているようだ。しかし私は、彼は真の意味でフォークシンガーだと思っている。彼の創り出す歌は、彼の出身地である青森、そして北国の香りをたっぷり含んだ故郷の歌である。
「フォーク(folk)」とは、「民族」とか、「民衆」と訳される。だからフォークソングとは、本来は民謡とか民俗音楽を指す言葉である。そうするとシンガーソングライターである吉幾三が紡ぎ出す歌曲はまさにフォークソングではないか、と私には思えるのだ。彼の代表曲である「津軽平野」、「雪国」などは彼の故郷・青森の情景、冬の厳しさを表現したものではないか。
そんな思いを抱いていた私は、昨日ある偶然から札幌で開催された「吉幾三コンサート」を聴く機会を得た。というのも、半月ほど前に自宅に配布されたフリーペーパーでコンサートの入場料が6,800円のところ、2,500円で入場可能との広告が載ったのだ。それを見た時「これは一度くらい聴いてもいいかな?」と思えたのだ。
これまで私の数少ないホールコンサートを楽しんだ経験は、南こうせつ、さだまさし、アリス、松山千春といったいわゆるフォークシンガー、あるいはニューミュージックと称されるジャンルの歌い手のコンサートばかりだった。それが初めての演歌歌手といわれるコンサートに足を踏み入れたのだ。
※ 吉幾三自身が作詞・作曲し大ブレイクした「俺ら東京さ行ぐだ」は私の大好きな曲の一つです。この曲についても言及したかったが、今回はあきらめた。彼の発想、プロデュース力がいかんなく発揮された一曲だと思います。
結果は? 私の期待はものの見事に裏切られ、コンサートは演歌そのもののコンサートだった…。20人ほどで構成のバックバンドを率い、司会者を立て、弟子と称される若手歌手が登場し、さらにはハワイ在住という彼の娘で歌手のKU(クーと呼ぶらしい)を登場させてのステージは演歌の舞台そのものだった。
期待は裏切られたものの、彼が歌う「雪国」、「津軽平野」、「酒よ」、等々は聴き応え十分だった。68歳の今もその声量に衰えは全く感じさせてなかった。それでも私は彼が生ギター一本で泉谷しげるの「春夏秋冬」を歌った時にフォークシンガーの片りんを見た思いがした。
結局彼にとってジャンルなどは気にせずに、自分にとって「佳い歌」を創り、歌っていきたいということなのだろう。つまり彼は器用すぎるのかもしれない。曲を創る能力も秀でている。歌唱力も抜群である。さらに人を笑わせるユーモアも持ち合わせている。それら全てが現在の吉幾三なのだろう。
彼はいまさらそのスタイルを変えることはないだろう。でも、もし彼が生ギター一本でコンサートを行うと聞いたなら、そのときは是非とも駆け付けたいとも思う。
投稿の最後に、吉幾三が作詞・作曲して、千昌夫が歌い大ヒットした「津軽平野」の歌詞を紹介することにする。彼が創ったフォークソングである。
津軽平野に 雪降る頃はヨー
親父(おどう)一人で 出稼ぎ支度
春にゃかならず 親父(おどう)は帰る
みやげいっぱい ぶらさげてヨー
淋しくなるけど 馴(な)れたや親父(おどう)
新曲まですぐに歌えるようにしています。
退職後 札幌のカラオケ歌謡教室で2年間
習って北海道新聞社の8階の道新ホールで
800人の観衆の前で披露したのは
「津軽平野」でした。お恥ずかしい・・
sibuyaさんは吉幾三が大好きですかぁ。それは良かった。私は本文でも記したとおり、どちらかといえばフォークソング系統が好きなのですが、吉幾三だけは特別です。私はsibuyaさんのように歌えませんが、彼の「雪国」、「津軽平野」などは大好きです。800人の前で熱唱されたとは素晴らしい!!私も聴きたかったですね。