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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北区歴史と文化の八十八選巡り №12

2022-10-04 18:01:40 | 札幌市・北区歴史と文化の八十八選巡り

 「屯田みずほ通り」は私が知るかぎり、札幌市内でも整備が行き届いた通りの一つといえる。また、「屯田の太陽」、「屯田郷土資料館」は、屯田地区の歴史を後世に伝える語り部の役割を担っているように思えた。

48〉屯田みずほ通り

   

    ※ 鬱蒼と茂った木々が通りを往く人たちの心を癒してくれるのでしょう>

 

 「屯田みずほ通り」は札幌市北区の屯田地区の中央を東から西へ真っすぐに貫いている遊歩道である。その長さ2.6kmの緑道は木々が生い茂り地域の人々にとっては格好の散策路となっているようである。

   

          ※ 往時の屯田地区の様子を表す稲作地帯の図です。

 私はこの散策路もこれまで何度か訪れているが、その度に素晴らしい環境だと地域住民を羨ましく感じている。というのも、いつ訪れても散策路に雑草などが目立たないことである。おそらく行政だけに頼ることなく、地域住民の方々が積極的に通りを護る維持・管理活動を行っているのではないかと想像しているのだが…。「屯田みずほ通り」について説明された文書を私なりに要約すると次のようになる。

   

   ※ 通り沿いには大小さまざまな公園がありました。写真はそのうちで最も大きな「屯田みずほ西公園」です。

   

    ※ 通りは散策路としてだけでなく、写真のようにサイクリングロートとしても楽しまれているようです。   

   

   ※ 通りには適度にこうしたバーコラやベンチも配されていました。

   

   ※ 通りに面して建っていた屯田中央中学校と傍に立つシダレヤナギの大木です。

 そもそもこの「屯田みずほ通り」は、大正5(1916)年、篠路兵村(昔の屯田地区の呼び名)は起死回生の復興策として造田事業に取り掛かり、新川と創成川を水源とする潅漑溝(潅漑用水路)を造った。このことによって屯田地区は一大稲作地帯に生まれ変わり、昭和50年代までは稲作が65年間続いたそうだ。水田はやがて宅地化が進んでなくなり、潅漑溝も役目を終えたのだが、その潅漑溝を昭和61(1986)年に緑道としたのが現在の「屯田みずほ通り」である。

 屯田地区は、もともと明治22(1889)年、四国、九州、北陸など各県の士族220家族の篠路屯田兵の入植が始まりである。入植した人たちは、たびたびの石狩川の氾濫や水害に悩まされ、畑も凶作等で苦労が続いたという。そうした中の起死回生策が、潅漑溝造成による稲作への大転換だった。

 「屯田みずほ通り」には、そうした先人の苦闘の歴史が刻まれているのである。ちなみに「みずほ=瑞穂」は、「みずみずしい稲の穂」という意味がある。                       

〔住 所〕 北区屯田5条1丁目~5条12丁目 

〔訪問日〕 10月3日

 

49〉屯田の太陽

   

   ※ 屯田地区センター前に立つ「屯田の太陽」モニュメントです。

 この「屯田の太陽」を探すのには少し苦労した。というのも、付近の住民の方に聞いてもその存在をご存じない方が多かったからだ。そこで「屯田地区センター」の庭で作業をしていた方にお聞きしたのだが、その方も「聞いたことがない」という。手がかりを失った私だが、そのお聞きしたかたが「待ってよ」といってセンターの庭にあるモニュメントを指さした。するとそこには銀色に光るモニュメントがあり、傍に「屯田の太陽」と記された看板も立っていた。モニュメントの傍には説明板があり、次のように説明されていた。

 ステンレスパイプで造形した母子像が、円形の太陽に捧げ持っているこのモニュメントは、明るい太陽に恵まれた屯田地区を象徴している。屯田開基百年記念事業協賛会が百年記念事業の一環として、昭和63(1989)年の屯田地区センター、屯田郷土資料館の落成を機に札幌市に寄贈したものである。

   

   

    ※ 北区制作の説明板とは別に、このような説明書きも立てられていました。

〔住 所〕 北区屯田5条6丁目屯田地区センター前庭

〔訪問日〕  10月3日   

 

〈50〉屯田郷土資料館

   

   ※ 「屯田地区センター」のエントランスです。

 「屯田資料館」は、「屯田地区センター」内に併設する形で建てられている。その「屯田地区センター」は「屯田みずほ通り」沿いに背を向ける形で建っていたので容易に見つけることができた。ただ、残念だったのは私が訪れた日が月曜日だったために閉館日とぶつかってしまい内部の見学ができなかったことだ。もっとも私は以前にここを訪れており、資料館内に復元されている「篠路屯田兵屋」を一度見ているのでそれでヨシとすることにした。「屯田資料館」について簡単に説明している文書に出会ったので、それを転写しておくことにする。

   

   ※ エントランスには芸術の秋らしく実物絵画(?)が置かれていました。

 現在、札幌市内で屯田兵の屯田が地名となって残っているのは、北区屯田といわれるこの地域だけです。そして屯田の地名は、篠路屯田兵村の名残といえます。屯田郷土資料館は、昭和63年10月に屯田兵による開拓100年の歴史を記念して開設されました。館内には、実物大の屯田兵の家屋が再現され、内部の土間やいろりなどによって、入植当時の屯田兵の生活をうかがい知ることができます。

   

   ※ 地区センターに併設されている「郷土資料館」のドアは閉館日の為に固く閉ざされていました。

〔住 所〕 北区屯田5条6丁目屯田地区センター内

〔訪問日〕 10月3日



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