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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌歴史散歩 10 中央区・北海道神宮(2)

2017-11-16 22:10:54 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 北海道神宮の(1)では献木と寄金とか、献納に関する碑が多いと記したが、本殿から離れる第三鳥居の近くでは少し様相を異にする石碑も目立ってきた。このあたりはやはり神宮側の配慮があるのだろうか?私が目にした残り11の石碑類を紹介することにする。 
 
               
               ※ 表参道の第二鳥居からは離れたところに立つ「円山公園口鳥居」です。
  
 もう少し「札幌歴史散歩」が続く。石碑の多かった北海道神宮の第2弾である。この日(11月31日)は火曜日で平日だったが、神宮はけっこうな人出があった。境内には出店も出ていたが、どうやら七五三のお祝いに訪れる人が多かったようだ。
 
 ①樺太開拓記念碑 
 
                     
 この碑をみつけるのに多少苦労したが、円山公園口鳥居をくぐると左手に進む道を辿ると高さ4メートルの大きな白御影石製の石碑が目に付く。これが「樺太開拓記念碑」である。
 ポーツマス条約によって日本に編入された樺太島の北緯50度以南の地域が日本領となり、多くの開拓移民が樺太にわたり開拓に励んだ。碑の背面には、樺太の開拓の歴史が綴られ多くの先人の偉業を称え、犠牲者の慰霊の碑として引揚者40万人の赤誠を結集して建立したと刻まれている。(赤誠=少しもうそや偽りのない心)

 ②札幌興風会歌碑

                
 「樺太開拓記念碑」の向かい側に位置するのがこの「札幌興風会歌碑」である。
 興風会は、北海道にさまざまある短歌の結社の中でも北海道神宮にとても縁の深い結社だそうだ。
 明治40年4月に発会し、以降一度もかけることなく短歌会を催し、歌集を発行してきたそうだが、平成2年5月に歌集が通巻1,000号になったのを記念して碑を建立したということだ。

 ③宮崎芳男歌碑 

               
 この碑は、やはり「札幌興風会歌碑」の近くに建てられていて、「われの住む 北乃(の) 一生は さだめならむ 空も神苑も みな 蒼無限 芳男」と刻まれている。
 宮崎芳男は、明治34年栗沢町に生まれ、大正9年に訓子府町小学校の教員となってから教員の道を歩み、昭和37年に札幌琴似高校の校長を務めて勇退したという。その傍ら短歌を詠み、昭和5年ら「新墾」に入社して多くの歌集を編んだという。

 ④長谷部虎杖子句碑

                     
 この碑も、「札幌興風会歌碑」や「宮崎芳男歌碑」の近くに建っている。
 長谷部虎杖子(本名 本名英二郎)は明治20年宮城県に生まれ、両親とともに来道し、帝国製麻本別工場長を退職後、札幌神社の神職となり札幌神社頓宮社掌を務めた。その傍ら作句活動に励み、昭和39年には北海道文化奨励賞を受賞している。
 碑には「今日のいのち 神の謝しつつ 東風にあり」と刻まれている。
 建立は昭和43年6月、北海道開道100年を記念して建てられたそうだ。

 ⑤中山周三歌碑 

               
 この歌碑も上記の歌碑群の同じところに建っている。
 中山周三は大正15年札幌に生まれた。国学院大学高等師範部を卒業後、道内高校、藤女子大などで教鞭をとる傍ら、歌誌「原始林」の創刊に参加以来、同誌の編集発行人を長らくと務め、昭和29年には北海道歌人会設立発起人にもなるなど、北海道の歌人の重鎮として活躍した業績を称え、平成11年9月に歌碑が建てられたという。
 歌碑には「木のもとに来て拾へるにひるのまの ほとぼり持てり沙羅のしろはな 周三」と刻まれている。
 
 ⑥白野夏雲顕彰碑

                
 この碑も同じように歌碑がたくさん建っている一角にあった。
 白野夏雲とは、第6代の札幌神社の宮司だそうだ。白野は札幌神社を官幣中社・大社に昇格させるために大きな功績があり、その功績を称えて明治43年に建立されたという。

 ⑦献植、創立二十周年(札専) 

               
 この碑も歌碑がたくさん建つ中の一つとして建っていた。
 由来等について調べたが、どうしても分からなかった。ただ、碑名からも札幌専門店会が創立20周年を迎えたことを記念して、境内に植樹をしたことを記念して碑を建てたと思われる。
 
 ⑧大典記念梅林碑(大正天皇)

                
 この碑は、歌碑群のところからは離れ、梅林が多く植えられている一角に建てられていた。
 ウェブ上を調べてみると、北海道庁の拓殖課技術員の研修を目的とした「甲寅會」が、大正天皇の即位を記念して、梅林植樹したのを記念した碑だとのことである。
 碑は上部に「大典記念」と刻まれ、その下に「梅林碑」と刻まれている。建立は大正5年5月ということである。

 ⑨吟魂碑 

               
 その「大典記念梅林碑」の近くに、この「吟魂碑」は大小色とりどりの自然石でできた台座の上に碑が置かれていて「吟魂碑」と大きく描かれている。
 碑は、昭和45年9月、日本詩吟学院岳風会北海道本部が創立30年を記念して建てられたようである。

 ⑩門人桜植樹記念碑

                
 この碑も梅林内に建てられていた。自然石でできた碑の碑面中央には「門人桜植樹記念」と刻まれている。碑は「北海道正調追分節隆城門人会」が師匠の須藤隆城の還暦を祝って建立されたそうだ。
 建立年は調べたが残念ながら分からなかった。

 ⑪開拓三神鎮座百年記念「明治の森」 

               
 この碑を見つけるのに多少苦労をした。というのも、「明治の森」と称するだけあって、木々が繁る林のやや奥に建っていたからだ。
 碑には「献木 明治の森」と刻まれている。
 碑は、島義勇が三神(「大国魂神」、「大那牟遅神」、「少彦名神」)を背負い札幌入りし、札幌神社に三神を鎮座してから100年を記念して建てられたそうだ。
 碑を建立しのは、札幌市老人クラブ連合会が昭和46年5月4日に建てられたと記されている。

 以上、今回は11の碑を紹介したが、その中で目立ったのが句碑も含めて歌碑の類の多さである。歌碑は市内各地にもさまざまなところに建っている。そうした歌碑と、神宮内に建てられる歌碑には何か違いがあるのだろうか?

 北海道神宮内に建てられている碑を(1)、(2)を通じて21の碑を私は自身の目で確認することができたが、先述したように北海道神宮境内には31基の石碑があるとも伝えられている。今期は冬が近づいていることもあり、これ以上の探索は無理だが、来シーズンにも機会があったら残りの石碑を探してみたい。 
                                            (2017/10/31)
 


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5 コメント

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⑦の碑について。 (北の魔女)
2018-12-17 13:24:52
1952年(昭和27年)11月に発足した「札幌専売信用組合」の創立20周年記念にえぞ山桜100本を献木した碑。略称は「せんしん」。現在の北央信用組合の前身、のようです。
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北の魔女さんへ (田舎おじさん)
2018-12-17 20:58:55
 北の魔女さん、コメントありがとうございます。
 「札幌専売信用組合」ですか?
 今はない名称だと、札幌転入からの日が浅い私には分からないはずですね。
 ありがとうございました!
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建立年がわかりました! (北の魔女)
2018-12-26 15:33:13
⑩門人桜植樹記念碑

建立年がわかりました!昭和43年でした。『さっぽろ歴史散歩』山崎長吉(北海タイムス社)に出てました。
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再び北の魔女さんへ (田舎おじさん)
2018-12-27 11:28:56
 再びの情報ありがとうございます。
 北の魔女さんがどなたかは私からは全く見当がつきませんが、女性の方だとしたら相当な「歴女」ですね。
 昭和43年というと、ちょうど日本が高度経済成長の入口に差し掛かった辺りですから、碑の素材もけっして豪華ではなく、ありふれた石をコンクリートで固めたところに時代を感じさせますね。情報ありがとうございました!
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再び⑩門人桜植樹記念碑について (北の魔女)
2018-12-27 19:55:59
気になって、今日、碑を見てきました。なんと!側面に建立年が彫ってありました!『さっぽろ歴史散歩』の記載は間違ってました‼️昭和30年6月でした。

北の魔女のブログはこちらです。→http://benzaisen.blog64.fc2.com/
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