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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北区歴史と文化の八十八選巡り №7

2022-05-31 13:16:56 | 札幌市・北区歴史と文化の八十八選巡り

  北区歴史と文化の八十八選巡りは、札幌駅に近かった北大構内から、いよいよ北区の奥深くに分け入ってゆく。今回は〈25〉札幌飛行場正門跡と「風雪」碑、〈26〉力士若勇像、〈27〉馬頭大神、〈28〉新川さくら並木・新川緑地と巡り歩いた。

25〉札幌飛行場正門跡と「風雪」碑

   

   ※ 写真のように正門が通りに面して立っていました。(前方に小さく「風雪」碑も見えます)

   

    ※ 門には「札幌飛行場」と 表示されていました。

   

    ※ 足元には飾りタイルで八十八選に選出した門と碑であることを表示していました。

 ここに私は以前にも訪れたことがあり、その上北24条通りという東京オリンピックのマラソンコース上で、北海道芸術デザイン専門学校の校舎の隣ということで割合簡単に見つけることができた。正門跡というが、そこには「札幌飛行場」と刻まれた正門そのものが立っていた。また二つの正門に挟まれる形で坂胆道作の「風雪」碑があった。またその横にはいわくありげな木柱が立っていたので、調べてみたがそれに触れた文献を発見することはできなかった。「風雪」碑について書かれた文章を見つけることができたので、参考までに転写することにした。

   

   ※ 坂胆道作の「風雪」碑です。

「大空に憧れ、空高く飛んだ 父も兄も弟も、遠い想い出になって消えてしまうだろう。」碑にはこう刻まれている。 ここはかつて「札幌飛行場」があった。昭和2年(1927年)、旧北海タイムス社(現:北海道新聞社)はこの辺り周辺に飛行場を開設。やがて国営飛行場となり、札幌―仙台―東京間の定期航空路も開設された。飛行場といっても草を刈って整地してあるだけの滑走路で、機体がぬかるみにはまれば、みんなで力を合わせて引き上げるというのどけさだったという。昭和19年(1944年)には初めて軍用の板敷き滑走路が完成。さらに拡張しようとした矢先に終戦。戦後、進駐軍によって飛行機や施設が焼き尽くされ閉鎖された。 付近一帯は住宅地へと変貌を遂げ、二基の門柱だけが残された。ここにアトリエを建てた彫刻家坂坦道は当時をしのんで、プロペラ型のブロンズ記念碑を制作設置した。 

        

          ※ 傍に立っていた木製の塔の意味が調べても分かりませんでした。

〔住 所〕 北区北24条西8丁目 

〔訪問日〕 5月25日 

26〉力士若勇(わかいさみ)碑

   

    ※ 新川の堤防上に建つ「若勇碑」です。

       

 「力士若勇碑」は新川橋のたもとに建っていた。力士というのできっと札幌出身の大相撲で出世した力士かと思っていたが、そうではなくて素人相撲で大いに名を上げた人だと傍にあった説明板で知ることができた。その説明板の文章を転写する。

 この碑の「若勇関」は、大正2年(1913年)、25歳で富山県から本道に来て琴似村新川地に住居を持った。本名を前谷省三といい、素人相撲ながら大関を張り、その豪快な取口は人々の話題をさらったと言われている。また「若勇関」は、当時としては大型の農業を営み、新川地区の農業の基礎を作ったとも言われている。農民として、また力士としての功績を称えたのがこの「力士・若勇碑」である。大正10年(1921年)、相撲を引退した記念に建てられた。

とあった。素人相撲で石碑まで建てられるのだから、相当に周りの人たちには印象深い力士であり、農業人だったのだろうと想像される。 

   

    ※ 碑の向こうに見えるのが新川橋です。

〔住 所〕 北区北24条西19丁目 新川橋のたもと

〔訪問日〕 5月25日

27〉馬頭大神

   

    ※ 新川の住宅街の中に建つ「新川皇太神社」です。真紅の鳥居が印象的です。

   

   ※ 新川皇太神社の社殿です。

 この「馬頭大神」がある新川皇太神社が遠かった。この日私は自転車で巡って歩いたのだが、いやいや遠かったぁ。昨年夏、私は「花手水」巡りで新川皇太神社を訪れてはいたが、その時は乗用車で巡って歩いたので距離感がまったく違っていた。なんとか辿り着くと、「馬頭大神」は神社境内の奥深くに鎮座していた。

   

   ※ 社殿の左奥に鎮座していた「馬頭大神」の石碑です。

「馬頭大神(おおかみ)」という呼称は私の中ではあまり馴染みではなく「馬頭観音」という言い方の方が一般的に思うが、その建立の趣旨は同じようで、農耕馬である馬に農民が感謝の意を込めて建立した碑である。

 実は新川皇太神社にはもう一つ「馬頭大神」が建っていた。その碑の裏側には「手稲区より新川皇太神社境内に遷碑す 観音改め馬頭大神とす。 平成14年9月22日」とあった。  

   

   ※ もとからあった馬頭大神の傍に立てられていた手稲地区から遷碑した馬頭大神です。 

〔住 所〕 北区新川3条13丁目 新川皇太神社境内

〔訪問日〕  5月25日

 

〈28〉新川さくら並木・新川緑地

   

   ※ 桜の季節が終わってしまった新川のさくら並木の一部です。

 新川のさくら並木は、新川の川沿いにずーっと続く並木である。人によっては「新川のさくら並木は日本一ではないか?」と主張する方があるという。それは新川のさくら並木は全長が10.5kmもあるからだ。しかし、正直言って日本一を称するのは少々おこがましいかな?というのが正直な印象である。というのも、一部を除いてサクラの木が少々貧弱な印象が拭えない。特に石狩湾に近い方は海風の影響があるのか十分に育ってはいないのが現状である。あるいは10数年後には見事な並木になるのだろうか?私が写真の収めた市街地に近い右岸通りで北24条西14丁目辺りである。この辺りから右岸を下流方向にしばらくの間が最も並木が素晴らしいところである。私の写真は5月25日現在のものであるが、ウェブ上から満開時の写真を拝借して掲載した。将来的にこうした光景が長~く続くことを期待したい。

   

   ※ こちらも5月25日に撮ったさくら並木です。

   

   ※ ウェブ上から拝借した満開時の新川のさくら並木です。こうした並木がずーっと続くといいのですが…。

 続いて「新川緑地」だが、こちらも捉えどころのない新川の長い長い河川敷を指す。私は2020年に札幌市の緑地巡りをした際に緑地全体を隈なく歩いたことがあるので、興味のある方はその際に投稿したものをご覧いただきたい。(新川緑地についてのレポはこちら⇒前編〈2020/6/19〉後編〈2020/6/20〉)

〔住 所〕 北区新川3条17丁目 天狗橋

〔訪問日〕 5月25日   



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