映画は1974年に製作されたにもかかわらず公開が中止され今日まで眠っていた。その名作が36年の時を経てようやく劇場公開された。樺太真岡郵便局で働く電話交換嬢たちの最後を描く映画である。
酷暑の気候から逃れるために二日続けての映画館通いとなった。
映画「氷雪の門」は1974年に5億数千万円もかけて製作された当時としては超大作だったのだが、公開を前にして(実際には僅かに公開されたようだが)ソ連の圧力によって公開が中止されたといういわくつきの映画である。
その経緯から公開となった今年「ぜひ見たい」と思っていた映画だった。
私は9月1日(水)シアターキノに足を運んだ。
映画はなるほどソ連が圧力をかけたくなるような内容だった。
というのも、8月15日に日本は降伏したことによって終戦と考えたが、ソ連側はその日を終戦とは考えず戦闘を継続したことによって樺太在住の日本人の多くが犠牲者となり、その中でこの映画のヒロインである9人の電話交換嬢たちが8月20日に悲劇の最期を遂げたという内容である。
この終戦に関する行き違いをごく簡単に整理すると、以下のようになるようだ。
日本は戦局の悪化に鑑み、8月14日にポツダム宣言を受託して降伏、その事実を翌8月15日玉音放送によって全国民が知ることとなった。つまり日本側はそれをもって終戦と考えた。
しかし、ソ連は8月9日に日ソ中立条約を破棄し満州や樺太に侵攻中であった。そうした事情も背景にはあったと思われるが、日本の降伏を終戦とはとらえず侵攻を続け、樺太を制圧したのだった。ソ連が終戦としたのは日本が戦艦ミズーリ号艦上で降伏文書にサインをした9月2日であるとしている。
奇しくもテレビでは、ロシア(旧ソ連)が極東の都市において9月2日に大々的に終戦記念式典を行ったと報じていた。
そこに政治的な臭いも感ずるのだが…。
いずれにしても映画は戦争に翻弄される庶民の悲惨さを十二分に描いた内容だった。
こうした映画を通して戦争というものがいかに愚かな行為であるかを一人でも多くの人に実感してもらうことがこの映画の持っている使命だろう。
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私も全くヨンさまと同じ思いです。
今後、覇権主義による領土拡大をねらったような戦争はまさか起こらないと信じたいですが、現在でも宗教的、民族的な地域間戦争は後を絶ちません。
そのようなニュースに接するとき、いつも悲劇に遭遇するのは一般庶民です。
このような争いを繰り返すのは人間の性なのでしょうか…。