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映画 ミリオンダラー・ベイビー №306

2021-04-18 18:48:57 | 映画観賞・感想

 難しい映画である。人生の幸福とは何か? 尊厳死とは何か? 哀しく辛い結末が待っていた映画「ミリオンダラー・ベイビー」は観る者に重い命題を突き付けてくるような考えさせられる映画だった…。

      

 私が定期購読している雑誌「文藝春秋」5月号で、「『コロナ自粛』を吹っ飛ばせ!」という特集記事が載っていた。その特集の一つに映画評論家の芝山幹郎氏「本気で笑える映画、泣ける映画」と題する記事を寄稿し、それぞれ5本ずつ、計10本を推薦している。

 その中の「泣ける映画」の一つとして「ミリオンダラー・ベイビー」が挙げられていた。そこで私は早速レンタルDVD店に出向いて借りてきて昨晩鑑賞したということである。

 映画は、おんぼろボクシングジムを経営しているトレーナーのフランキー・ダン(クリント・イーストウッド)と32歳の遅咲きの女性ボクサー、マギー・フィッツジェラルド(ヒラリー・スワンク)の二人が主人公の映画である。そこに元ボクサーでフランキーの友人でジムに住み込みで働くエディ・デュプリス(モーガン・フリーマン)がストーリー進行の上で重要に役割を果たしている。

    

 マギーは貧困で学歴もなく、最底辺の生活から逃れようとボクシングに希望を見いだし、遅咲きながらも懸命な努力と、フランキーの指導によってメキメキと実力を付け、ボクシング界のスターへとのし上がっていく。そのあたりまではまさにアメリカンドリームの映画だろうかと思わせる。そしてついにメインイベンターとして百万ドルを手にするかと思えた試合で、相手選手の汚い手によって倒された時の打ちどころが悪く再起不能の全身不随の身になり、人口呼吸器を付けてかろうじて生きている状態となってしまう。

 ストーリーの本筋はまさにここからだった。全身不随となったマギーは脚が壊死したことで切り落とされるなどして生きる望みを失っていく。そしてマギーはフランキーに懇願するのだった。「私を死なせてくれ!」と…。信心深いフランキーは神の教えと、マギーの苦しむ姿の中で葛藤するのだが…。

    

 とここまで書いて、敢えて結末は書かないことにする。クリント・イーストウッドが監督も務めたこの映画は、公開されるとアメリカの中で大きな論争にもなったという。私がフランキーだったら、どうするだろうか?と自らに問いかけた時、私には答えが見つからない。そんな重い重いテーマを突き付けられた思いだった。

 なお、題名の「ミリオンダラー・ベイビー」は、英語を母国語としない私たちにはそのニュアンスが伝わりづらいようにも思われるが、解説によると「百万ドルの娘・恋人」というような意味が込められているとあった。つまりフランキーとマギーは他人同士であるし、恋人同士というには年齢が離れすぎているが、フランキーにとっては娘同然であり、また密かに恋人のようにさえ思ってしまった大切な人だったという意味が込められた題名であると解釈した。



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