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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北大CATS公開講座① 「旅行」とは?「旅」とは?

2018-11-17 17:39:21 | 大学公開講座

 講師は言う。「旅行」ではなく「旅」だと…。CATS…、Center for Advanced Tourism Studies(観光学高等研究センター)では、これまでの「観光学」の講座から、講師一人ひとりの「私の旅」を語る講座へと衣替えしたそうだ。その第1回講座をリポートする。 

 なかなか文章化できないうちに時間だけがどんどん過ぎていった。やはり私のポリシーとしては受講した講座を少しでも自分のものとするために文章化することは避けて通れないことと考え、遅ればせながらリポートすることにした。

  北大CATS公開講座は11月1日(木)から始まっていた。今年のテーマは前述したように『観光研究者が語る「私の旅」』である。

 その第1回目の講師は、「ペルシャの風景を旅して」と題して研究センターの上田裕史准教授が務めた。

 上田氏は冒頭、「旅行」と「旅」の違いについて私たちに問いかけた。そして自らの考えを述べられた。私のメモによると、「旅行」は個人的な目的を達するものであり、「旅」は他人の灯にあたらせてもらうもの、自分の何かを満たすための移動、となっている。私は上田氏の考えを十分に咀嚼できなかったきらいがあったので、帰宅して調べ、私なりに二つの違いについて考えてみた。

 

 ウェブ上を検索していると、私も同意でき納得できるある論文に出合った。それによると…。

 「旅」は自分で作るもの。自分で作るというのは、自己責任で行動して、決断して、その日その日を過ごすこと。そして、旅に出てみないことには、何が起こるか分からないから、どんなことが待ち受けているのか、どんな旅になるのか、すべては自分次第だから「旅は冒険であり、ドキドキがある、とした。

                  

                    

               ※ 「旅」をイメージするイラストとして掲載したのですが…。

 一方、「旅行」は、ある程度中身が前もって決まっているものを指す。「こんな感じになる」という、旅行をしているイメージが出来上がっているような形態を言う。どういうスケジュールで、どこを敢行して、そこを実際に楽しむのが「旅行」である、とした。

               

             ※ 一方、こちらは「旅行」をイメージするイラストとして…。

 私にはこのほうがしっくりときたのだが…。この説に従って、私の中で近々に行った「旅」or「旅行」を類別してみると、昨春の「小笠原島」は「旅行」の範疇に入るだろう。一方、一昨年の「熊野古道トレッキング」や「富士山0 to Summit」は「旅」に分類されると思われる。

 

 さて講義の方であるが、上田氏は自分の専門ではないのだがと断りを入れながら、イランを旅したことを「ペルシャの風景を旅して」と題して、イランでの印象を多角的に語ってくれた。

 その中で、イランという国はその歴史をみると非常に多くの王朝により支配争奪が繰り返されて今日を迎えていることが分かった。

 そのため、現在はイスラム教の戒律に非常に厳格なイスラム共和国となっているが、イラン人のアイデンティティは遠い昔、イランの地域が栄えたペルシャ時代にあるのではないか、というのが上田氏の見方だった。

 そして上田氏はイラン高原の中に残るペルシャ時代の遺跡(特に庭園)を見て回り、「サラセン式庭園」の特徴についてレポした。

 それによると、「サラセン式庭園」は、その後に続く「イタリア式庭園」、「フランス式庭園」、「イギリス式庭園」の始まりに位置する庭園形式だということだった。その「サラセン式庭園」とは、他の庭園形式とは違って自己完結的小空間に造られた庭園だということだった。

             

            ※ 典型的な「サラセン式庭園」の一つです。

 上田氏が何十枚にも及ぶイランの景色や街頭の写真を紹介してくれる中で、私は遠い昔50年前にイランを旅した(通過した)ことを思い出していた。私がイランを旅した時はイスラム革命が起こる前の1965年春である。(イスラム革命は1979年)イランの首都テヘランでは洋楽が流れ、町往く女性は欧米の女性のように洋装していて、私は驚いた記憶がある。ただ、漠としたイラン高原の様子は当時と変わっていないように見えた。

 

 上田氏が冒頭に問いかけた「旅行」と「旅」についてだが、上田氏の今回の「旅」は上田氏が「知りたい!」と思っていた「サラセン式庭園」を現地で見たいという目的を満たすための移動だったと解した。