田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 183 砂の器

2016-12-17 18:52:46 | 映画観賞・感想

 ご存じの社会派ミステリー作家として名高い松本清張の代表作の映画化である。「めだかの学校」の12月の「映画の中の北海道」の上映作品として取り上げられた。私はこの映画を上映するにあたっての案内役(ナビゲート)を務めた。 

※本来なら昨日実施した「冬の石狩川河岸を遡る13」をレポするところだが、それ以前に参加した講座のレポを先にすることにしたい。

                    


 12月12日(月)は、 「めだかの学校」「映画の中の北海道」を上映し、観賞する日だった。今回の上映作品は、松本清張原作[砂の器」だった。
 私はこの映画の案内役をすることを数か月前に指名されていた。
 以来、私は原作を2度精読し、DVDを3度視聴して、映画についての理解を深め、どのように案内したら受講者に喜ばれるか構想を練った。
 その結果、受講者に対して次の3点を私の疑問点として提示し、私なりの回答を紹介させてもらった。

 その3つの疑問点とは、
 ① 「砂の器」は清張作品の中でも、なぜ代表作の一つと言われるようになったのか?
 ② 社会派ミステリー作家と称される松本清張は、この作品で何を社会に問おうとしたのか?
 ③ 原作は文庫本で800頁を超える長編であり、複雑かつ難解なストーリーであるが、それを2時間超の映画に仕立て上げることができた要因は何か?

               
               ※ 主演の丹波哲郎(今西刑事役)を補佐する森田健作(吉村刑事役、現千葉県知事)の若き姿です。

 一つひとつの回答は控えさせていただくが、私の数少ない松本清張作品の読書体験から言えることは、松本清張の「着眼点の素晴らしさ」が挙げられる。特に、「点と線」、「砂の器」はその着眼点、さらには構成力、共に素晴らしく、清張が推理作家としての地位を確立するうえで重要な作品であると言われている。
 また、清張は社会的不正や社会的弱者に対するまなざしをいつも持っていたようである。
 本作品の中でもそれは表れていたし(ハンセン氏病に対する社会の扱い)、映画においてはさらにその点が強調されたものとして仕上がっている。

 さらに、この映画は監督・野村芳太郎、脚本の橋本忍、山田洋二の手によって、大胆に構成を分解し、再構築させることによって、原作以上に魅力的なものへと引き上げたような印象を私はもった。
 また、この映画の中で主演の丹波哲郎(刑事:今西栄太郎役)の意外ともいえる(失礼!)熱演が印象深かったし、子役の春日和秀(幼少時の和賀秀良役)のセリフは一切無いのだが、眼だけで演じていた(目力?)のが印象的だった。

               
               ※ ハンセン氏病の父(加藤嘉)に従い、全国を放浪する息子(春日和秀)です。

 そうしたことを、エピソードを交えながら受講者に話し、某大学の映画研究者が「『砂の器』は日本映画の最高傑作のひとつである」と発表していることを紹介して映画を観ていただいた。

 私のナビゲートは、幸い仲間内から好評をいただいた。お世辞が含まれていたとはいえ、悪い気はしなかった。
 嬉しかったこととして、帰りのエレベーターの中で、受講者の一人が「やあ、今まで観た『映画の中の北海道』の映画の中で一番良かった」というお話をいただいたことだ。その要因は映画が持っていた力に他ならない。
しかし、そのことに多少なりともお手伝いできたのかな?と思えたことが嬉しかった…。