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昭和の食糧問題を考える

2013-01-14 21:34:21 | 講演・講義・フォーラム等
 飽食の時代と言われている今、飢餓の恐れがあったと言われる昭和の食糧問題について考えても現実感に乏しい感じがしないでもないがTPP問題がかしましい昨今、将来の食糧問題にも繋がるであろう食料の歴史を聴いた。 

 北大総合博物館(北区北10条西8丁目)では定期的に土曜市民セミナーが行われているが、1月12日は北大文学部の白木沢旭児教授による「食糧問題から見る昭和史」と題する講座があり受講した。

          
          ※ 北大総合博物館の土曜市民セミナーで講義する白木沢教授です。

 白木沢教授に提供いただいた資料によって昭和の国民の食糧事情を概観してみると、第二次世界大戦前の1934年(昭和9年)当時の食料は当然のように「米」が主たる食料だった。この「米」の調達には国内はもとより、当時日本に併合されていた韓国・台湾からの移入によって賄われていたようである。

 それが敗戦によって韓国・台湾からの移入の道が途絶えると共に疲弊した国内の生産力も低下し、食糧危機が叫ばれる状態(1千万人餓死説)となった。それを救ってくれたのがGHQによる食糧援助だった。1946年から6年間にわたり小麦・大麦の大量援助により危機を逃れることができたという。
 そして1950年に朝鮮戦争が勃発したことが、日本に好景気をもたらし、1952年からはそれまでの援助から輸入に切り替え小麦・大麦類を調達したという。
 また、それから一時期は米の輸入量も増加している。

 ところが米の輸入量は1954年を境に急激に輸入量を減らしている。その原因は国内農家の生産力の増加と、食糧援助によって国民の食事情が欧米化したことがその理由のようである。
 食の欧米化が進んだわけは、戦後の米供給が絶対的に不足している状況の中で、主食を変えることにより米不足に対処する方策だったそうだ。代わりの主食を小麦を用いたパン、麺類として、副食を充実させることが提唱された。(これを「食生活改善」と称していたようだ)このことが国民の米離れ、食の欧米化に拍車をかけることとなった。
 現在では反対に食の欧米化から健康問題が顕著となるにつれ和食への回帰の動きが強まっていることは皮肉なことである。

 別の資料で「輸入総額に占める食糧輸入額の割合」という資料を見ると、戦争直後は輸入総額の50%強が食糧であったものが、1960(昭和35)年には12%程度まで減少している。しかし、これは日本の国力が増すにつれて輸入総額が大きく膨らんだ結果、食料の輸入割合が相対的に減少したということで、食糧輸入額が減ったということではない。食糧輸入額としては高止まりのままであることを特記しておきたい。
 そして現在ではその輸入額が莫大な額となっていることも触れておく必要がある。

 ちなみにこれは私がウェブ上で調べたことであるが、日本の食料自給率(カロリーベース)についであるが、1965(昭和40)年に73%であったものが、2010(平成22)年には39%にまで落ち込んでいる。
 このこととTPP問題をどう見るかについて、白木沢教授はご自身の意見を明確には表明されなかった。さて、私は…?

 この講座の冒頭、戦後の日本で「1千万人餓死説」が流布されと聞いてゾッとした。そんな事態が再び到来するとは思えないが、将来世界的な食糧危機が勃発したとき果たして日本はどうなるのだろうか?
 世界の人口爆発が食糧危機を招くと言われているのだが…。