AKira Manabe ブンブン日記

enjoy eating fun to cooking

13の徳目新年号に掲載されました

2012-12-21 00:35:43 | Weblog

乗りこえた壁は、自分を飛躍させますし、苦しい時の支えにもなります。
童話作家のアンデルセンは、「人間は蝋燭であり火打石がいる」と述べていますが、火打石とはまさに苦難を乗りこえた体験とも言えるでしょう。
人間は自分で自分に火をつけていかなければいけないのです。
(田舞徳太郎)



◆◆南予視察

今日は早朝から、南予の農産物の視察に行ってきました。

今探しているのは、有名な産品ではなく、隠れた名品です。

これからは隠れたローカルブランドを見つけて、お客さまにお届けしたいと考えています。

四国にはまだまだ知られていない名品がたくさんあります。

今日も素晴らしい出会いが何件かありました。


マルブンと取引のある、しらすの鬼、朝日共販のしらすパークにも行ってきましたよ。

これからは、これまでの事業領域である、食・本物・感動提供業と合わせて、地域力活性化業という新しい事業領域を設定して事業を拡げていきます。



◆◆徳目新年号

13の徳目の新年号にマルブンが企業事例として取り上げられました。

執筆者は南高井店の徳永店長、写真は小山マネージャーです。文章も写真も理念や価値観を感じられてバッチリです。

たくさんのマルブンスタッフが写真で出ていますよ。
気合いを入れ直して記入しなければなりませんね。



◆◆気を引き締めて

最近感じるのは、各店舗のマネジメントの低下です。

マネジメントとは、仕事の管理と人の管理です。

ここ何ヵ月かの報告を見ていると、店舗のマネジメント力が低下しているのを感じます。

お店のマネジメントは店長一人だけでは無理です。

店長を支えるナンバー2的な人材が現れて、一緒に管理していくことが大事ですね。

依存的な社員はマルブンの人事理念に反する社員です。

社員一人ひとりが自主性と創造性を発揮していなければ、マルブンが目指す質の高いお店にはなりません。

マネジメントの見直し、ベテラン社員の再教育の必要性を感じます。

悩みは心の薪なり

2012-12-20 07:19:13 | Weblog
【素直さ】

2500年前のお釈迦様の弟子で

シュリハンドクというお坊さんがいまして、これが朝聞いたことを夕方には忘れているという程度のもんじゃなくて、自分の名前すら覚えられなかったといいます。

皆から馬鹿にされるし、そんな自分が情けなくてお釈迦様に相談したところ「心配することはないよ」と言われて、1本のホウキを渡し、「これで綺麗にしなさい。」

ただし、お釈迦様は掃除の際にこの言葉を言い続けなさいといいます。


それは・・・「心清くあれー 心清くあれー」と言いながら 掃除せよ と言われたそうです。

素直なシュリハンドクは、それから何年にもわたり、師匠のお釈迦様の言うとおり 「心清くあれ~」「心清くあれ~」 といいながら、バカな自分にはこれしかないと掃除の修行に、励んだそうです。

来る日もくる日もただひたすらお掃除に励みました。

数年たち、ある町でお釈迦様の有名なお弟子さんの説法会が開かれます。


多くの青年たちが楽しみにその日を待ちます。

しかし、当日近くなって有名なお弟子さんはこれなくなりました。

青年たち多くは落ち込み、良い話聞ける予定だったのに残念がっていると、代わりの他の弟子が来るという連絡が入りました。

その弟子の名前はあのシュリハンドクだったのです。

町の青年達は 怒りました、笑ってる者もいます。


なんで、お釈迦様はあの大馬鹿のシュリハンドクなんか来させるんだろう?


「自分の名前すら覚えられない弟子なんか来てもらって、説法されても いい迷惑だ」

よし、みんなでここは1つ、シュリハンドクがみんなの前で説法し始めたら、みんなで 「大馬鹿シュリハンドク!帰れ―」と大声かけて、恥をかかせてやろう。

当日、大勢の町の方が集まってます。

青年達は前の方に陣取って、シュリハンドクが登場するのを心待ちに待ってます。


「よし、みんな いいか、シュリハンドクのバカが話始めたら一斉に罵声するぞーー」と青年の1人がいいます。


そして、いよいよ シュリハンドクが現れます。


しかし、その姿は、いやに神々しく、穏やかな顔に満ち溢れています。


青年達の目の前を通り、青年達は息をのみます。。。

シュリハンドクは・・

静かに目を閉じたまま口を開きます。


青年達は 「今だ!!」 と罵声をかけようとした瞬間・・・・・・

シュリハンドクは、
「 心清くあれ~ 心清くあれ~」
「心清くあれ~心清くあれ~ 」

そのやさしく、美しい響きに青年達は ハッ とします。

そして、、青年達みんなはその言葉にジーーンと胸を貫かれます。


そして、ハラハラと涙を流してしまいます。


涙をながしている時も
「心清くあれ~」 「心清くあれ~」
とシュリハンドクはただひたすらに続けたそうです。

とうとう、青年達の涙声につられて、その会場の全員がシュリハンドクの言葉が心に響いてしまい、反省の涙を流したそうです。


会場のみんなはなぜお釈迦様が、シュリハンドクを越させたのかを理解し、素直さとは何かを学んだようです。


素直さ。一所懸命、ひたすらに続けることで誰かの心に響くことになるのですね♪



◆◆高岡料理長

昨日の夜は高岡料理長と二人で食事に行きました。

高岡くんは、入社11年のベテラン社員です。

今年、南高井に移動になり頑張ってくれていますが、新しいことにトライすると誰でも様々な問題や課題にぶつかります。色々と話を聴きました。

悩むのはいいのですが、迷うのはよくありません。

悩みは行動が伴いますが、迷いは行動が止まってしまいます。

何のために今の仕事をはじめたのか、私が悩んだときに考えるやり方を話して、原点に戻ることの大切さを伝えました。

ベテランにはベテランの悩みがあり、新人には新人の悩みがあります。

人は成長している限り、悩むものです。


悩みがないひとは、成長するための努力をしていないので、いちばんよくないです。

悩みは心の薪ですからね。

働く意味や価値

2012-12-19 00:41:23 | Weblog
◆◆何のために働くのか

この物語は有名なディズニーのお話ですが、何度読んでも涙が溢れます。

私たちが働く意味や価値を教えてくれます。

最後まで読んでください。


【娘のいないテーブル】

私は娘を病気で失いました。

当時5歳、もしも幼稚園に入れていたら年中さんです。

ひらがなとカタカナが読めるようになり、いろんなことに興味を持ちはじめたころ、突然病気にかかりで原因がわからず、治す手だても見つからないまま他界してしまいました。

娘の死は、私たち夫婦をたいへん苦しめました。

とくに妻は精神が不安定になり、私と少しでも意見がかみ合わないといきなり大声で泣き叫んだり、食器を投げつけたりするようになりました。

私ももちろん娘を失って深く傷ついていました。でも、妻の苦しみを理解していたつもりなので、彼女のヒステリーはいつも黙って見過ごしていました。

妻は私が仕事で家を空けている聞もずっと娘と一緒でしたし、娘が病気になり入院してからもずっとそばに付き添っていたのです。

私は残業を理由に、病院へ行かないこともしょっちゅうでした。

ずっと妻に対して悪いなとは思っていました。

でもいずれ娘が退院できたとき、どこかへ遊びに連れていけば埋め合わせができるだろう、と気楽に考えていました。

そして仕事先で娘の訃報を間いた瞬間、私は自分の大きなあやまちに気がつきました。

なんというかけがえのない時間を見過ごしてしまったのだろう。

もっと長く、1分でも長く、娘と一緒に過ごしていればよかった。たとえ死を避けられなかったとしても、最期を看取るまでずっとそばにいてあげたかった。本当に後悔しました。

子どもに先立たれた夫婦のこころには、先行きの見えない真っ暗な穴が、どこまでも大きく広がっていくと言います。実際、そのとおりだと思いました。

ときどき、うちの子はやかましい、言うことを聞かなくて憎らしい、と感じることがあったとしても、その子が最初から「いない」という日常を仮定してみると、その先のことはもうなんにも考えられません。

我が子を失うという事態は親にとって、自分たちのこととしてまったく理解できないのです。

喪失感に耐えきれなかった私たち夫婦は、ただ毎日けんかを繰り返すしかありませんでした。

私もいけないとは思いつつ、ときどき言い返してしまうことがありました。

状況はどんどん悪くなっていきました。

そんな風にして私たちは精神的にも、肉体的にも疲れ果てていきました。

ある日、妻と近所を歩いていたときのことです。彼女は言いました。

「ただあの子が元気なだけで幸せだったのに。突然いなくなっちやうなんてつらすぎるよね。私たち、これからいったいなにをすればいいんだろう。いままでなんのために一緒に暮らしてきたんだろう。よくわからなくなった」

妻は目にいっぱい涙をためて、公園で遊ぶ子どもたちをながめていました。あとで聞いた話ですが、妻はこのときいつでも娘の後を追えるよう、家に練炭を隠していたそうです。

「ディズニーランドに行ってみようか」

ある日、私はふとそんなことを思いつきました。そして少し迷ったあと、その考えを妻に提案しました。

「なんで、突然」

「いちおう約束だったし」

生きていれば、その日は娘の誕生日だったのです。本来ならばお祝いをしてあげたはずだし、もしそのとき娘が元気に歩き回れるようだったら、大好きなディズニーランドヘ遊びに行っていたはずだからです。そう約束していました。

娘がベッドの上で息を引き取るまで、ずっとミッキーのぬいぐるみを手離そうとしなかったことも強く印象に残っていました。

「いやよ。いい年した夫婦だけで行ってどうするの」

「いいじやないか」。私は勇気をふりしぼって言いました。

「我が家の最後のイベントなんだから」


私たちは夫婦二人でディズニーランドに行きました。

そしてすぐに後悔しました。

幸せそうな親子連れとすれ違うたびに、胸がしめつけられる思いをしたからです。

ミッキーの帽子をかぶって楽しそうにじゃれ合っている親子。カメラをかまえているお父さん、子どもの手を引くお母さん、大声ではしゃぎまわる子ども。

特に同じくらいの年であろう子どもを見るたびに、熱いものがこみ上げてきました。

私たちも本当は同じことをしているはずだった。小さな手のあったかさを思い出しました。

「お父さん、お母さん」と私たちを呼ぶ声がよみがえりました。

もし娘と一緒だったらどのアトラクションに乗っていたんだろう。

どんなお菓子を食べながら、どんな話をしながら歩いていたんだろう。

園内のどこに目をやっても、娘の笑顔ばかりが頭に浮かびました。

「来なければよかったのかな」

妻も同じことを考えていたのか、厳しい表情で私を見ました。

「帰りましょうよ。しょうがないのよ。あなたといても悲しくなるだけなのよ」

私は、その言葉を宣告として受け止めました。

一緒にいるから娘のことを思い出してしまう。それは私も同じ気特ちでした。

この救いようもない泥沼から這い上がるためには? 
お互い、新しい幸せを見つけるためには? 

導き出せる結論はひとつしかありませんでした。

子どもを亡くした夫婦は、必ず離婚を意識するそうです。

お互いに今以上、傷つきたくないと思うからです。またそうすることが亡くした子どもに対する、一番の償いだと考える夫婦もいるようです。

それぞれに思いを巡らせながらも、私は予約してあったレストランに妻を誘いました。

これが夫婦にとって最後の食事になるだろうことは意識していました。

娘が生きていたらさぞ喜ぶだろう、ミッキーマウスのショーをすぐ近くで見られるレストランです。

心の中は亡くなった娘のことでいっぱいでした。

なにを食べてもきっと味なんてわからないでしょう。
娘を思い出したくない、でも忘れたいとも決して思いません。

一緒に過ごした楽しい思い出は、夫婦だけで共有している。

楽しかった分だけ悲しい記憶が、これから残酷なまでに長く続いていく。

そんな絶望の波が押し寄せるたびに、夫婦の間に重いため息がこぼれました。

「お待ちしておりました。こちらにお席をご用意しております」

キャストのあとについていくと、店内全体がよく見わたせる広いテーブルに案内されました。空いている椅子は、亡くなった娘の分です。

それは私と妻の間にぽつんとありました。

あいにくその日は非常に混んでいました。それなのに私たちは余分に席をとっています。

どう考えてもほかの家族連れに席をゆずるべき状況です。

ひとりのキャストが近づいてきて言いました。

「お客さま。大変申し訳ございませんが、ご夫婦さまでしたら、2人掛けのテーブルに移ってはいただけないでしょうか。

ご家族連れでお待ちになっているお客さまが大勢いらっしやいますもので……」

まったく言うとおりでした。

ディズニーランドに限らず、レストランを利用する人にとって当然のマナーでしょう。

しかし私は申し訳ないと思いながら言いました。

「混んでいるのはわかっているんです。できることなら僕も席をゆずってさしあげたい。でも実は昨年、娘を病気で亡くしていて、今日はその子の6回目の誕生日なんです。

本当はこの真ん中の席は、娘が座る予定だった。約束していたんです。だからわがままを言って申し訳ないですが、もう少しだけこのテーブルにいさせていただけないでしょうか」

真剣な表情で耳を傾けていたキャストは、すこしうつむいたあと「お客さま。それは大変失礼なことを申し上げてしまいました。どうぞそのままゆっくりおくつろぎくださいませ」と言い残し、テーブルから離れていきました。

しばらくすると食事が運ばれてきました。注文したフレンチのコースは2人分だったのに、なぜかもうひとり分の料理が真ん中の席に置かれます。

オレンジジュースも頼んだ覚えがありません。私はあわててキャストを呼び戻しました。

「娘の分は注文してませんよ」

キャストは笑顔で答えました。

「お子様の分は私たちのサービスです。どうぞお気になさらないでください」

しばらくすると天井の照明が少し落ちて、「みなさま、食事をお楽しみのところ申し訳ありません」というアナウンスが流れました。

なんだろうと思い、声がする方を見ると、ろうそくの火がついたケーキを片手に持って、行儀よく立つキャストの姿がありました。

「本日は特別な日です。ここにいらっしゃるお子様の誕生日なのです。どうかみなさま、よろしければご一緒にバースデーソングを歌ってください」

店内にBGMが流れ出すと、ケーキを持ったキャストがこちらに歩いてきました。

するとおおぜいのお客さんが一斉にこちらを向いて、手拍子をしながらバースデーソングを歌ってくれました。

テーブルに置かれたケーキの、ろうそくの火が消えました。どういうわけか自然に消えたのです。

「もう一度盛大な拍手をお願いします」

私と妻が立ち上がっておじぎをすると、おめでとう、おめでとうという声が上がり、大きな拍手につつまれました。

そのままショーがはじまりました。そして私たちは奇跡と出会ったのです。

真ん中の席に娘がいる。誰もいないはずの席で、娘がミッキーのダンスを見ながら笑っているのです。

ああ。そうだ。そうだ。
きみと一緒に見たかったんだよ。
私は涙があふれるのもかまわなかった。ただ、娘が手を叩いて喜ぶ姿を見つめました。
前よりも少し大きくなった気がしました。
うん、大きくなった。
はなをすする音が聞こえました。
妻も唇を震わせながら娘を見つめていました。

「僕らは間違っていたのかもしれない」

妻は私の言葉には答えず、ハンカチで目をおさえました。

「別れても、この子が喜ぶはずないじやないか。僕らがこんな状態じゃ、安心して天国にもいけないんだ……。たしかにこの子がいなくなってすごくつらい。それでもきっと、僕らは今よりもっと前に進まなければいけない」

「ねえお父さん、お母さん」

娘は左右にいる私たちを交互に見て、ニコっとほほえみました。

「今日ははありがとうね」

盛大なショーが終わって、ふたたび店内に明かりがともされます。

ゆっくりと静寂が戻ってくると、今まさに起こった出来事が、急に夢のように思われました。

テーブルの上には、手がつけられていない料理とオレンジジュースだけが残されています。

しかし妻は誰もいない席を、まだ愛おしそうな目で見守っていました。

これは夫婦二人だけが体験した出来事です。証拠はなにもありません。

ただ私たちには、この奇跡を疑う理由はありませんでした。

私たちは寄り添い、まだにぎわいの残るディズニーランドを後にしました。

『最後のパレード』 (中村克・著/サンクチュアリ出版)

第四回ありがとう作文コンテスト入選!

2012-12-18 01:09:17 | Weblog
◆◆第四回ありがとう作文コンテスト入選!

嬉しいことに、今年のありがとう作文に新居浜店のパートナー“加藤真弓さん”が見事!入選しました。


パチ♪パチ♪パチ♪
パチ♪パチ♪パチ♪
パチ♪パチ♪パチ♪


加藤さんの作文は、マルブンの社内選考会でも大賞に選ばれましたが、私たちも選考するときに、全国で入選するレベルだよねと話していたんです。


約六千通の中から選ばれたんだからスゴいよね~


今回でマルブンからの入選は、なんと!三人目の入選です。めちゃくちゃ嬉しいです。

新居浜店からは二人目の入選なので、藤田店長に電話したら、「えっ~♪身体に電気が走りました」と喜んでいました。

加藤さん、入選おめでとう。


背戸編集長にお礼のお電話をしたら、「実はマルブンさんの作文は二人残っていたんですよ。一社から二人選ぶのは…と思って一人にしたんです」とのこと。

ええっ~と思いました。


嬉しいお話でした。

感謝力の高いスタッフが居ることを私は誇りに思います。


マルブンのビジョンは、【ありがとうレストラン】ありがとうの気持ち、すなわち感謝力の高い社員やスタッフが働くお店です。

ビジョンに向かっていることが嬉しいです。



◆◆夜の街

今夜、松山の夜の街に食事にでましたが…

ボーナスも出て、選挙も終わりましたが、街に人はあまりでていません。

こんな12月を見るのは、12年松山で店をやってますが初めてです。

早く新しい政権政党が、景気対策をしてくれることを祈ります。

自民党圧勝!

2012-12-17 00:49:18 | Weblog
【うまくできなくても】

心を乱すことなく邁進したいと思うなら、あなたの人生から「あなたに対する批評家」を消し去ろう。

これは、あなたの自信を奪う誰かさんだけでなく、あなた自身に“批判的なあなた”も含まれる。

自分の作品や仕事が稚拙だとしても、まずはそれでよしとする。

才能がある場合でも、自分のすることやつくった物はすべて立派でなければならないとか、はじめたことはすべてやり遂げなければならないとか、そういった考えは捨てる。

そうすれば、先へ進んだり、もっと独創的になったり、まったく新しい方向に転換する自由が手に入る。

自由を自分に与えられない人は、創造的な仕事をする邪魔をわざわざ自分自身でしてしまっているのだ…

放棄しているといってもいい。

何事もひらめきを待つよりも毎日努力するほうがいい。

そして次のことは忘れないでほしい。

うまくできなくても、諦める必要はないということ。
(自分の壁を破るいちばん簡単な方法 スーザン ターケル , ラリー ターケル 著)



◆◆完全休養日

今日は、久しぶりに休養させてもらいました。

睡眠もしっかりとりました。

お昼は徳島の山のせさんのおうどんをかま玉でいただき、夜は苫小牧の金剛園さんから送っていただいた十勝牛の焼き肉セットをいただきました。


ゆっくり休めた1日になりました。



◆◆政権交代

衆議院議員選挙の開票が行われ、与党である民主党が大敗し、自民党が圧勝という結果になりました。

圧勝した自民党の党首である安部晋三さんが、一番に取り掛かるのは景気対策だと言っています。期待したいですね。

意志を示す

2012-12-16 13:38:07 | Weblog
◆◆選挙へ行こう

昨日の夜、衆議院議員選挙に行ってきました。

今回は2009年の選挙と違って逆の風が吹いています。

民主党が政権を取って3年の是々非々が下される選挙でもあります。


しかしちょっと疑問を感じるものがありました。


衆議院議員選挙と一緒にあったのが、最高裁判所裁判官国民審査というもの。

最高裁判所裁判官の名前がズラリと書いた紙を渡されましたが、誰が誰なのかさっぱり知りません。

知らないから白紙投票や投票しないことを意思表示すると、自動的に信任したとみなされるらしいです。

変な制度ですね。

私はよく知らない人なので、全員×にしました。

だいたいこんな形だけの制度が、今もあるだけでも、おかしいですよね。


びっくりしたのは、期日前選挙をする場所に、10人くらいの職員さんがいたことです。

色々と法的な役割があるのでしょうね。

投票する人を黙々と待つだけでも大変でしょうね。


さあ!選挙に行こう。

目的とビジョンを持て!

2012-12-15 10:20:45 | Weblog
◆◆何のために

私は迷ったときは、何のために仕事をしているのかということを考えます。


何のために会社経営をしているのか?

何のために商品づくりをしているのか?

何のために人材育成をしているのか?

何のために自分は生まれてきたのか?


何のためにという問いは、目的に戻れる大切な問いである。


日々仕事に埋没し、忙しさに振り回されていると、ついつい目的を見失いがちになることがある。


何のためにマルブンで働いているのか?

何のために外食を仕事として選んだのか?



◆◆どんな自分になりたいのか?

何のためにという自分への質問で目的に戻ったら、次は未来を考える。

会社にも理念やビジョンがあるように、個人にも理念やビジョンをつくるといい。

将来どんな自分になりたいのか?


10年後の自分…

遠すぎてイメージしにくいのであれば、

5年後でも3年後でもいい。

まだ遠すぎるのであれば、

1年後や半年後でもいい。

自分の未来を創造し、イメージしてみよう。


この目的とビジョンを持つことで、仕事、生き方、人生は大きくはブレないものになります。

一人ひとりが会社の代表

2012-12-14 01:04:53 | Weblog
◆◆お客さまからのお叱り

今日お客さまからお叱りのメールをいただきました。

オープン直後のことらしいのですが、焦げすぎたピッツァを提供されたとのことです。

お客さまから送られた写真を見れば、誰が見ても提供してはいけないレベルです。

これは決して忙しい時間帯のことではなく、オープン直後のことです。



これを焼いたスタッフはどんな気持ちで、このピッツァにオッケーを出して、提供したのだろう。

これをお客さまに運んだスタッフは、このピッツァをどんな気持ちで提供したのだろう。

私は悲しくなりました。


お客さまに喜んでいただき幸せな時間を提供するのが私たちの使命です。


私たちが販売しているのは、美味しい料理です。

焦げた料理ではありません。

理念も使命感もビジョンも理解して行動できていないスタッフが居ることに、社長としての力のなさを感じました。


私たちは何のために仕事をやっているのか、再度お店で考え直してください。


美味しくない料理を提供するのであれば、マルブンの存在価値はゼロです。


たった一人の重要なミスは、お客さまからみたら会社全部のミスになります。


悲しく悔しい気持ちです。

改善はありがとうのために

2012-12-13 10:51:25 | Weblog
挑戦すれば、成功もあれば失敗もあります。でも挑戦せずして成功はありません。何度も言いますが挑戦しないことには始まらないのです。
(野茂英雄)



◆◆改善改善

昨日からアースキッチンのピッツァが6種類になりました。

またお客さまからの要望に応え、箱代も込みの価格になりました。

産直ケーキも見直しが行われ新しい商品が並んでいます。

オープンから約1ヶ月が経ちますが、鈴木くんと坂本さんという有望なスタッフが行ってるだけに改善も早いです。

またエフマルシェの担当責任者さんとも話ながら、今後もお客さまにより喜んでいただけるお店になるように頑張ります。



◆◆ありがとうDAY

昨日は今年最後のありがとうDAYでした。

南高井に居ましたが、スゴい人でした。


ありがとうDAYを楽しみに来ていただくお客さまもいて有り難いことです。


さぁ!今年もあと半月です。

楽しんで仕事をしていきましょう。

新しいマルブン

2012-12-12 00:15:20 | Weblog
【可能性】

稲盛和夫氏は28歳の時、京都のはずれにある倉庫を間借りして創業されました。

その当時、従業員さんの前で語ります。


「西の京原町で一番の会社になろう!

ここで一番になったら中京区で一番になろう、次は京都一、更に日本一になり世界一を目指そう!」

と、ことある毎に語りかけておられました。

京都一、日本一の企業になる!と毎日思い続けていくうちに、いつの間にか自分自身でもあたり前のように思えてきたと・・・

そして、ついに目標どおり、京セラを世界一のセラミックメーカーにまで育てあげることが出来たとのことです。

稲盛氏は夢を実現するために、次のような言葉を残されています。

「どんな遠い夢も思わない限りはかなわないし、そうありたいと強く心が求めたものだけを、私達は手に入れることができる。

そのためには潜在意識にしみこむまで、思って思って思い続ける・・・
夢を語ることはその行為の一つであり、実際に私達はそうすることによって、大きすぎる夢を実現してきた」



◆◆新しい会社づくり

これからマルブンを新しい会社に創り変えます。

21年前に小松に帰り、かなりの抵抗があったなか、丸文食堂をマルブンに変えました。

その後、大病を経て経営の勉強を初めて、初めて経営理念を創り、マルブンを家業から企業に変革しました。

たくさんの困難があるなかで、毎年毎年経営方針書を作製し、会社を組織を前に前に進めてきました。

昔の社風と今の社風は全然違うものになりました。

お店も増え、現場の社員スタッフもレベルが高くなりました。

来年は2013年、マルブンは創業90年を迎えます。

私も51歳になります。

私が経営をやるのはあと15年。

私が思い描く、強い会社、理想の会社になるために、社員やスタッフに光があたる会社になるために、これから会社を新しく創り変えます。

また数々の困難が待っていることでしょう。


これからやってくる困難を乗り越えるのは、私一人ではなく、今いる社員やスタッフと共に乗り越えたいと思います。


新しいマルブンに期待してください。