【可能性】
稲盛和夫氏は28歳の時、京都のはずれにある倉庫を間借りして創業されました。
その当時、従業員さんの前で語ります。
「西の京原町で一番の会社になろう!
ここで一番になったら中京区で一番になろう、次は京都一、更に日本一になり世界一を目指そう!」
と、ことある毎に語りかけておられました。
京都一、日本一の企業になる!と毎日思い続けていくうちに、いつの間にか自分自身でもあたり前のように思えてきたと・・・
そして、ついに目標どおり、京セラを世界一のセラミックメーカーにまで育てあげることが出来たとのことです。
稲盛氏は夢を実現するために、次のような言葉を残されています。
「どんな遠い夢も思わない限りはかなわないし、そうありたいと強く心が求めたものだけを、私達は手に入れることができる。
そのためには潜在意識にしみこむまで、思って思って思い続ける・・・
夢を語ることはその行為の一つであり、実際に私達はそうすることによって、大きすぎる夢を実現してきた」
◆◆新しい会社づくり
これからマルブンを新しい会社に創り変えます。
21年前に小松に帰り、かなりの抵抗があったなか、丸文食堂をマルブンに変えました。
その後、大病を経て経営の勉強を初めて、初めて経営理念を創り、マルブンを家業から企業に変革しました。
たくさんの困難があるなかで、毎年毎年経営方針書を作製し、会社を組織を前に前に進めてきました。
昔の社風と今の社風は全然違うものになりました。
お店も増え、現場の社員スタッフもレベルが高くなりました。
来年は2013年、マルブンは創業90年を迎えます。
私も51歳になります。
私が経営をやるのはあと15年。
私が思い描く、強い会社、理想の会社になるために、社員やスタッフに光があたる会社になるために、これから会社を新しく創り変えます。
また数々の困難が待っていることでしょう。
これからやってくる困難を乗り越えるのは、私一人ではなく、今いる社員やスタッフと共に乗り越えたいと思います。
新しいマルブンに期待してください。
稲盛和夫氏は28歳の時、京都のはずれにある倉庫を間借りして創業されました。
その当時、従業員さんの前で語ります。
「西の京原町で一番の会社になろう!
ここで一番になったら中京区で一番になろう、次は京都一、更に日本一になり世界一を目指そう!」
と、ことある毎に語りかけておられました。
京都一、日本一の企業になる!と毎日思い続けていくうちに、いつの間にか自分自身でもあたり前のように思えてきたと・・・
そして、ついに目標どおり、京セラを世界一のセラミックメーカーにまで育てあげることが出来たとのことです。
稲盛氏は夢を実現するために、次のような言葉を残されています。
「どんな遠い夢も思わない限りはかなわないし、そうありたいと強く心が求めたものだけを、私達は手に入れることができる。
そのためには潜在意識にしみこむまで、思って思って思い続ける・・・
夢を語ることはその行為の一つであり、実際に私達はそうすることによって、大きすぎる夢を実現してきた」
◆◆新しい会社づくり
これからマルブンを新しい会社に創り変えます。
21年前に小松に帰り、かなりの抵抗があったなか、丸文食堂をマルブンに変えました。
その後、大病を経て経営の勉強を初めて、初めて経営理念を創り、マルブンを家業から企業に変革しました。
たくさんの困難があるなかで、毎年毎年経営方針書を作製し、会社を組織を前に前に進めてきました。
昔の社風と今の社風は全然違うものになりました。
お店も増え、現場の社員スタッフもレベルが高くなりました。
来年は2013年、マルブンは創業90年を迎えます。
私も51歳になります。
私が経営をやるのはあと15年。
私が思い描く、強い会社、理想の会社になるために、社員やスタッフに光があたる会社になるために、これから会社を新しく創り変えます。
また数々の困難が待っていることでしょう。
これからやってくる困難を乗り越えるのは、私一人ではなく、今いる社員やスタッフと共に乗り越えたいと思います。
新しいマルブンに期待してください。