【素直さ】
2500年前のお釈迦様の弟子で
シュリハンドクというお坊さんがいまして、これが朝聞いたことを夕方には忘れているという程度のもんじゃなくて、自分の名前すら覚えられなかったといいます。
皆から馬鹿にされるし、そんな自分が情けなくてお釈迦様に相談したところ「心配することはないよ」と言われて、1本のホウキを渡し、「これで綺麗にしなさい。」
ただし、お釈迦様は掃除の際にこの言葉を言い続けなさいといいます。
それは・・・「心清くあれー 心清くあれー」と言いながら 掃除せよ と言われたそうです。
素直なシュリハンドクは、それから何年にもわたり、師匠のお釈迦様の言うとおり 「心清くあれ~」「心清くあれ~」 といいながら、バカな自分にはこれしかないと掃除の修行に、励んだそうです。
来る日もくる日もただひたすらお掃除に励みました。
数年たち、ある町でお釈迦様の有名なお弟子さんの説法会が開かれます。
多くの青年たちが楽しみにその日を待ちます。
しかし、当日近くなって有名なお弟子さんはこれなくなりました。
青年たち多くは落ち込み、良い話聞ける予定だったのに残念がっていると、代わりの他の弟子が来るという連絡が入りました。
その弟子の名前はあのシュリハンドクだったのです。
町の青年達は 怒りました、笑ってる者もいます。
なんで、お釈迦様はあの大馬鹿のシュリハンドクなんか来させるんだろう?
「自分の名前すら覚えられない弟子なんか来てもらって、説法されても いい迷惑だ」
よし、みんなでここは1つ、シュリハンドクがみんなの前で説法し始めたら、みんなで 「大馬鹿シュリハンドク!帰れ―」と大声かけて、恥をかかせてやろう。
当日、大勢の町の方が集まってます。
青年達は前の方に陣取って、シュリハンドクが登場するのを心待ちに待ってます。
「よし、みんな いいか、シュリハンドクのバカが話始めたら一斉に罵声するぞーー」と青年の1人がいいます。
そして、いよいよ シュリハンドクが現れます。
しかし、その姿は、いやに神々しく、穏やかな顔に満ち溢れています。
青年達の目の前を通り、青年達は息をのみます。。。
シュリハンドクは・・
静かに目を閉じたまま口を開きます。
青年達は 「今だ!!」 と罵声をかけようとした瞬間・・・・・・
シュリハンドクは、
「 心清くあれ~ 心清くあれ~」
「心清くあれ~心清くあれ~ 」
そのやさしく、美しい響きに青年達は ハッ とします。
そして、、青年達みんなはその言葉にジーーンと胸を貫かれます。
そして、ハラハラと涙を流してしまいます。
涙をながしている時も
「心清くあれ~」 「心清くあれ~」
とシュリハンドクはただひたすらに続けたそうです。
とうとう、青年達の涙声につられて、その会場の全員がシュリハンドクの言葉が心に響いてしまい、反省の涙を流したそうです。
会場のみんなはなぜお釈迦様が、シュリハンドクを越させたのかを理解し、素直さとは何かを学んだようです。
素直さ。一所懸命、ひたすらに続けることで誰かの心に響くことになるのですね♪
◆◆高岡料理長
昨日の夜は高岡料理長と二人で食事に行きました。
高岡くんは、入社11年のベテラン社員です。
今年、南高井に移動になり頑張ってくれていますが、新しいことにトライすると誰でも様々な問題や課題にぶつかります。色々と話を聴きました。
悩むのはいいのですが、迷うのはよくありません。
悩みは行動が伴いますが、迷いは行動が止まってしまいます。
何のために今の仕事をはじめたのか、私が悩んだときに考えるやり方を話して、原点に戻ることの大切さを伝えました。
ベテランにはベテランの悩みがあり、新人には新人の悩みがあります。
人は成長している限り、悩むものです。
悩みがないひとは、成長するための努力をしていないので、いちばんよくないです。
悩みは心の薪ですからね。
2500年前のお釈迦様の弟子で
シュリハンドクというお坊さんがいまして、これが朝聞いたことを夕方には忘れているという程度のもんじゃなくて、自分の名前すら覚えられなかったといいます。
皆から馬鹿にされるし、そんな自分が情けなくてお釈迦様に相談したところ「心配することはないよ」と言われて、1本のホウキを渡し、「これで綺麗にしなさい。」
ただし、お釈迦様は掃除の際にこの言葉を言い続けなさいといいます。
それは・・・「心清くあれー 心清くあれー」と言いながら 掃除せよ と言われたそうです。
素直なシュリハンドクは、それから何年にもわたり、師匠のお釈迦様の言うとおり 「心清くあれ~」「心清くあれ~」 といいながら、バカな自分にはこれしかないと掃除の修行に、励んだそうです。
来る日もくる日もただひたすらお掃除に励みました。
数年たち、ある町でお釈迦様の有名なお弟子さんの説法会が開かれます。
多くの青年たちが楽しみにその日を待ちます。
しかし、当日近くなって有名なお弟子さんはこれなくなりました。
青年たち多くは落ち込み、良い話聞ける予定だったのに残念がっていると、代わりの他の弟子が来るという連絡が入りました。
その弟子の名前はあのシュリハンドクだったのです。
町の青年達は 怒りました、笑ってる者もいます。
なんで、お釈迦様はあの大馬鹿のシュリハンドクなんか来させるんだろう?
「自分の名前すら覚えられない弟子なんか来てもらって、説法されても いい迷惑だ」
よし、みんなでここは1つ、シュリハンドクがみんなの前で説法し始めたら、みんなで 「大馬鹿シュリハンドク!帰れ―」と大声かけて、恥をかかせてやろう。
当日、大勢の町の方が集まってます。
青年達は前の方に陣取って、シュリハンドクが登場するのを心待ちに待ってます。
「よし、みんな いいか、シュリハンドクのバカが話始めたら一斉に罵声するぞーー」と青年の1人がいいます。
そして、いよいよ シュリハンドクが現れます。
しかし、その姿は、いやに神々しく、穏やかな顔に満ち溢れています。
青年達の目の前を通り、青年達は息をのみます。。。
シュリハンドクは・・
静かに目を閉じたまま口を開きます。
青年達は 「今だ!!」 と罵声をかけようとした瞬間・・・・・・
シュリハンドクは、
「 心清くあれ~ 心清くあれ~」
「心清くあれ~心清くあれ~ 」
そのやさしく、美しい響きに青年達は ハッ とします。
そして、、青年達みんなはその言葉にジーーンと胸を貫かれます。
そして、ハラハラと涙を流してしまいます。
涙をながしている時も
「心清くあれ~」 「心清くあれ~」
とシュリハンドクはただひたすらに続けたそうです。
とうとう、青年達の涙声につられて、その会場の全員がシュリハンドクの言葉が心に響いてしまい、反省の涙を流したそうです。
会場のみんなはなぜお釈迦様が、シュリハンドクを越させたのかを理解し、素直さとは何かを学んだようです。
素直さ。一所懸命、ひたすらに続けることで誰かの心に響くことになるのですね♪
◆◆高岡料理長
昨日の夜は高岡料理長と二人で食事に行きました。
高岡くんは、入社11年のベテラン社員です。
今年、南高井に移動になり頑張ってくれていますが、新しいことにトライすると誰でも様々な問題や課題にぶつかります。色々と話を聴きました。
悩むのはいいのですが、迷うのはよくありません。
悩みは行動が伴いますが、迷いは行動が止まってしまいます。
何のために今の仕事をはじめたのか、私が悩んだときに考えるやり方を話して、原点に戻ることの大切さを伝えました。
ベテランにはベテランの悩みがあり、新人には新人の悩みがあります。
人は成長している限り、悩むものです。
悩みがないひとは、成長するための努力をしていないので、いちばんよくないです。
悩みは心の薪ですからね。