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マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

「子どもが伸びる褒め方&伸びるのを邪魔する褒め方」をざっと整理、敏感な子にこそ少し気を配りたいですね

2017年04月01日 | 子育て全般

「褒める」について原稿を仕上げ中なのですが、

とてもとても求められる文字数にはおさまりませんので、

こちらでもお伝えさせてください。

 

「褒める」については、以前こちらにもまとめました:

『オールアバウト』 子供の為にならない!5つのNGな褒め方とは?

よく読まれている記事ですが、今読んでみて、すみません、2か所タイポありです。

 

ここでは、もう一度ざっと「褒める」について整理しますね。

「褒め方」に少し気をつけるだけで、子供の様子も随分と違ってきます。

 

 

現代は「褒めジャンキー」な親に溢れているという指摘

以下は、こちらのWebMDの記事にある、

子育て本の著者で結婚&家族セラピストJenn Berman氏の指摘なのですが、

米国の子育ての現状がよく表されてます。


「私たちは『褒めジャンキー』な親になりつつあります。

数十年前の親がもっと厳しく、めったに褒めなかったのとは反対側の極端に走り、

今では褒め過ぎなんです」

 

日本は、「ジャンキー」とまでは、まだまだいかないですよね。

それでも、「たくさん褒めて子どもを伸ばそう!」という言葉は、

日本でもよく聞かれるものです。

 

少し前の世代にはみられなかったこうした「どんどん褒めよう!」風潮というのは、

「子供が健やかに育つには自己肯定感こそが重要」という認識の広まりを背景にしているといいます。

 

「できる」ことや「いい面」をみつけては、

「すごい!賢い!天才!」と褒める。

とにかく褒めて褒めて「自己肯定感を高めよう!」というわけです。

 

 

そうしてここ数年、

このWebMDの記事のような「褒め過ぎ」への注意喚起があちらこちらでみられるようになりました。

今では教育現場でも、数年前より、「褒め方」に気を付ける人々も増えてきたように思います。

 

 

 

私自身の空振りな「褒める体験」を経て思うこと

私自身も、空振りな「褒める」をかなり自ら体験したのち、

「あれ?なんだかなあ」ともやもやしていたところ、

こうした「褒める」の注意喚起情報に触れ、

随分とスッキリした気持ちになったのを思い出します。

 

 

とはいえ、「この子はすごい!こんなところが最高!天才!」と子どもを前に思うのって、

私は、その子にとって、いいことだよなあと思います。

そうやって隣でウキウキしている大人や親ばかな親がいるのっていいじゃないですか。

たとえ、その大人や親以外、誰もその子についてそう思っていなかったとしても、

というか、それならば、なおさらその子の可能性を信じていやりたいです。

 

ただ、それを本人にそのまま直球で出してしまっては、

よくない場合もあるということですね。

 

 

特に、「敏感な子」にとって、「褒め方」にちょっと気を配るのって、大切だなと思います。

強烈に感じますから、のぼせるのも強烈ですし、するとその後のダウンも強烈だったりします。

←これは私自身大人になってからも何度も痛い思いをし、ようやく以前よりは学んだことです。

 

また「褒める」の裏の大人の意図を感じ取れたり、

もっと期待に応えなくてはと過度な無理をしてしまうこともあるもの。

 

敏感だからこそ、「褒める」のプラス面マイナス面も如実に影響するんですよね。

 

 

では、褒める時どんなことを気をつけたいでしょう?


覚えておきたい「褒め方」のポイント

3歳ぐらいまではやたらめったら褒めるでもいい

言葉のニュアンスや大人の意図や気持ちもまだよく分りませんから。

何だかママパパ嬉しそうだなあと子供の気持ちも盛り上がり前へ進んでいきます。

乳幼児期によく褒められた子の方が、よく発達しているという研究報告もあり。

(『オールアバウト』の記事に研究の詳細あり)

 

 

・具体的に描写する

例えば

「すごいね」→「猫の髭まで描いて今にもニャーって鳴きそうな楽しい絵ね」

「えらいね」→「お友達が玩具とっても手を出さずに『返して』って言えて偉かったね」

 

「すごいね、えらいね」とだけ言われた時のような、

「褒めればいいと思ってない?」という気持ちもわきません。

「ちゃんと見てくれてるんだな」と、子どもの心に届きます。

 

 

 


・誠実に褒める

口先だけでなく、心から感じていることは、子供の心にも届きやすいもの。

昔、毎年「このクラス、私が担任してきた中で一番!」と言う先生がいました。

クラスの子たちも、しらけてましたね。美辞麗句のみでは、不信感にもつながります。

 

 

 

・その子にとって何の努力もなしにできることは褒めなくていい

その子が簡単にできてしまうことを褒めることで、

「自分のこと、これぐらいだと思ってるんだ」と思われることも。

自信をつけるどころか、自信を損なうこともあるかもしれません。

 

また「この人の褒めるってその程度のことなんだ」と、

その大人から他に褒められても単に社交辞令としか思えないなど、

その子にとってその大人の「褒める」という行為の価値が下がる場合もあるでしょう。

 

 


・子供自身既にモーティベーションが高いことは褒め過ぎない

「したくてしょうがないからする」が「褒められるためにする」へと、

せっかく「内的動機」に突き動かされていたのが、「外的動機」にとってかわられる可能性ありです。

 

 

例えば、虫が大好きで図鑑を毎日のように眺めている子が、

「こんな虫の名前や特徴まで知ってるなんてすごいわ!あなた虫の天才ね!」と褒められ続けたとします。

 

すると、「虫が大好きという気持ちに突き動かされていた(内的動機)」のが、

いつしか、「こんなレアな虫の名前まで覚えちゃったらもっと褒められるかな」という気持ちに隠れていくかもしれません。

 

本人が夢中になっている場合は、邪魔しないようにしてやりたいですね。





・結果や評価より過程の頑張りを褒める

結果や評価を褒めることの弊害って大きいなと、子どもたちに接してきてしみじみ思います。

 

・「100点なんて賢いわね!」と褒められ続けるなら、

確実にいい結果や評価を受けることしか踏み出せなくなり、

失敗を恐れ、チャレンジしなくなるかもしれません。

 

・「サイエンスフェア入賞なんてあなた才能あるわ!」ともてはやされるなら、

頑張ったって結果や評価に繋がらないことっていくらだってありますから、

思うような結果が得られなければ、すぐに「やる気」を失うかもしれません。

 

結果や評価より、確実に自分で変えることのできる「過程の努力」を褒めてやりたいです。

 

例えば、

「100点なんて賢い!」より、

「大好きなテレビ番組も見ないで勉強して頑張ったね」

 

「サイエンスフェア入賞なんて才能ある!」より、

「何冊も本を読んでリサーチしてたくさんのこと学んだね。おめでとう!」

 

またたとえ「よい結果や評価」を受けなくても、一緒に残念がった後は、

過程を観て頑張りを褒め(認め)てやりたいです。

そのあと、改善案など話し合いたいですね。

 

 

 

先日、サッカーのミーティングで、

20年近くサッカークラブを経営してきた担当の方がこんなことを言っていました。

「12歳ぐらいまでは、勝ち負けにフォーカスしない方が、その後伸びます。

スキルの上達に励み、できるようになることが楽しいという気持ちを大切にしてやってください」とのこと。

 

思わず大きくうなずいていました。 

 

こちらにも、小学生の内は成績表がないという方針の学校がありますが、そのベネフィット、理解できます。

結果や評価を気にしすぎるより、自らの力を磨き続けることにフォーカスするのを助けてやりたいですね。

 

 

 

・周りと比較してでなく自分と比較して褒める

「周りよりできる」がモーティベーションになるならば、

負けたり周りよりできない場面では、一気に「やる気」を失ってしまいます。

どこまでいったって、上には上が常にいます。

周りではなく、「1か月前よりずいぶんドリブル上達したね!」と、昨日の自分と比較するよう励ましたいですね。

 

 

 


ティーンぐらいにもなれば「褒める」も必要なし?

高校生ぐらいにもなると、我が家でも、

褒めようものなら、「馬鹿にしないでよ」といった様子ですね。

 

クラブのコーチや尊敬する先生からの真摯な「褒める」なら、嬉しいのでしょうが、

「褒める」には、なんとなく,「手なずけられる」というような感覚を持つのかもしれませんね。

 

 

「やったね!」と、一緒に喜ぶ

「〇〇の面倒見てくれてありがとう」と、感謝する。

「あなたのこういうところ、ママ尊敬するよ」と、尊重する。

の方が、しっくりきます。

 

より小さな子でも、

「褒める」より、一緒に喜ぶ、感謝する、尊重するの方が、

より自己肯定感を高められる場合もありそうですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

その子のいい面やきらりと輝く面を見出し、認め、褒めてやるのは、

確かに、その子の自己肯定感を高め、大きな力となります。

 

奈緒美さんの『虹色教室通信』にもありましたね。

矛盾から生まれる「かけがえのないもの」 2

「ワークショップの終わりなどに、

子ども同士で作品を披露しあい、

素晴らしい、素敵だな、工夫がされているなと思うところを言い合ってみる」と。

 

奈緒美さんのおっしゃるように、

認める側も、「見る目」が養われますし、

認められた子どもたちの、自信に満ちた表情が目に浮かぶようです。

 

 

 

 

褒め方に少し気を配り、

ここぞというところを認め、褒めてやりたいですね。

みなさん、楽しい週末を!


「子どものために」から生まれる矛盾に気づき・考え・行動し続ける大切さ、奈緒美さんの記事に寄せて

2017年03月27日 | 子育て全般

こちら週明けの今日、『虹色教室通信』の奈緒美さんが、興味深いシリーズを始められています。

 ・矛盾から生まれる「かけがえのないもの」 1

 

この奈緒美さんの記事に寄せて、私自身今の時点で思うことを書いてみます!

 

奈緒美さんの記事にもあるように、

週に1度、子育てについて同じような思いを持つ方々と、

チャットさせていただいてます。

みなさんそれぞれに忙しい生活がありますから、

互いに搾り出す貴いひととき、

毎回あっという間に過ぎ、とても楽しい場です。

 

「ブレインストーミング形式」で、

まずは思うことをポンポンと出し合いつつ、

少しずつ形にしていこうという雰囲気なのですが、

その過程で、色々な意見が出ます。

 

まずは、とにかく何でもアイデアを出してみること。

すると、「これは違うかな」とか、

「これは気をつけたいなあ」ということも、

よりはっきりとしてくる、そんなように感じています。

 

奈緒美さんがまとめてくださった「矛盾点」を覚えておくことは、

これから活動する上で、とても大切なこと。

私なりにざっとですが2点、整理してみますね。

 

またこれらは、活動などを別にしても、普段子どもに関わる大人として、

思い出していきたいことだと思います。

 

 

1.「子どものための場」を大人からみた成果や便利さを追求する場にしない

 

・ウェブなどを作るとなると、

ちょっとおしゃれで人目をひくものにしようとデザインを工夫したり、

「子どもの取り組む作品」なども、

完成度の高い華やかなものを載せてみたりとなりがちです。

 

でも、子どもが夢中でのびのびとはまり込む世界とは、

多くの場合、不恰好だったり、不完全だったり、

「え、これだけ?」と思うようなシンプルなものだったり、

逆にぐちゃっとしたカオスだったりします。

 

例えば、以前担当していた「アートサイエンスクラス」でも、

子ども達の作品を前に、

「これは発表会や掲示板に使えるかな?」と考えることがありました。 

そうして放課後スクールというNPO活動をアピールすることは、

資金を得るためにも必要不可欠なこと。

 

でも、活動をアピールし資金確保の目的で用いる「ちょっと人目をひく作品」と、

子どもがその作品制作を通していかに気づき学び伸びたかとは、

全く関係ないんですよね。

 

世間の目をひくことのない作品を通してだって、

子供は目を見張るほど成長しいきます。

 

「社会の仕組みの中での必要」が、

子どもが伸びていく世界を邪魔しないよう

取り組んでいきたいです。

 

 

 

・また活動を報告したり、大人が参考にするために便利そうな

「問題疑問、仮説、手段、材料、内容、結果、結論、展開

のようなデーターベースのフォーマット」について。

 

子どもは時期によって、

「疑問ばかり口にする時期、仮説を立てるのに夢中の時期、材料と戯れる時期、結果を出そうとする時期」

があったりと、「フォーマットどおり」とはいかないもの。

 

それぞれの子どものペースで、

それぞれの段階にたっぷりと浸る時を大切にしてやること。

 

「フォーマットがあると、便利な一方で、それをすべて埋めようとする

大人の思いが、プロセスを味わう子どもの喜びを奪ってしまう」可能性に注意したいです。

 

 

子どもが「つくり、発見し、学びとする場」が、

いつの間にか、大人の期待する「見かけ」や「成果」や「便利さ」とすっぽり入れかわってしまわないよう、

確認していきたいです。

 

 

 

 

2.敏感な人々や子供の「社会貢献」とは?

これはまさしく、私自身、常日頃思っていることです。

 

この「敏感じゃない社会」で、

確かに、たくましく健やかに活躍する力をつけてやるのも大切ですが、

同時に、「敏感さのよさ」も大切にしてやりたいです。

 

でもこの「敏感さのよさ」って、

時にメインストリームとは、

どうにも外れる面もあるんですよね。

 

現代は多くの分野で、例えば、

・スピード

・短時間でそれなりのものを仕上げる効率的生産性

・広く浅くでも突き進む行動力

・堂々と歯切れのいい物言い ← 特に欧米

などが重宝されます。

 

一方、敏感な子や人って、

・ゆっくりじっくり取り組みたい

・時間にとらわれずとにかく納得できるものを仕上げたい

・行動を起こすまでに何年でもじっくりと煮詰められる

・様々な可能性に配慮したソフトな物言い 

などが得意だったりします。

 

そこで、社会の荒波の中、活躍されているHSPの多くの方は、

短時間で自分を取り戻すセルフケア術を身につけ日に何度か実践したり、

仕事は仕事と割り切り、自分らしくあれる場や時間を他にもったりと

工夫されているのだと思います。

 

 

でも、子ども達を思うとき、

もう少し、「敏感であること」が生かされる社会であったらなとも思うのです。

皆が皆、ひとつの方向を得意にしようと目指さなくてもいいじゃないですか。

 

敏感な人々の役割についての奈緒美さんの視点、とても興味深いです。

 

「これからの時代にあわなくなってきた

教育制度や社会のあり方を、自分らしく自然に他者の評価をあてにしないで幸福感を抱いて生きることによって、

内側からゆっくりと変えていくことではないか」

 

メインストリームからどうしてもはずれてしまうからこそ、

見えるものってあります。

「内側からゆっくりと変えていく」

私自身、この意味を、考えていきたいなと思いますね。

 

 

 

 

 

 

 

奈緒美さんの言うように、

こうした「矛盾や葛藤を抱えた状態で、そうしたすべての問題を超えて、

みんなが満足し、常に人が増える度に、

場が創造的に成長してくようにするには」

どうしたらいいんでしょう。

 

私自身思うひとつは、場を築くことに取り組む人々が、

「ひとつひとつの問題や葛藤を、場をよりよくするための糧にする」という姿勢を持つこと。

その先にビジョンがあるのならば、可能だと思います。

上にあげた2点の問題も、こうして「矛盾」として表にでるからこそ、

自ら何に気づき、何を考え、何に向かって行動し続ける必要があるのか明確になり、

「よりよい場への糧」となってくれます。 

 

 

奈緒美さんは、「人間の強み」に着目されています。

そうして、現実的なアイデアも様々浮かばれていると。

奈緒美さんの、

矛盾から生まれる「かけがえのないもの」シリーズ、楽しみにしてます!

 

 

 

 

さて、昨日は、子ども達と「手作り粘土で電子回路作り」をしてみました。

失敗から、「ああ、そうか!」の瞬間。「ツクルことの醍醐味」ですね。

また報告しますね。

これから、怒涛の運転手の夕方&夜です!

それでは皆さん、新しい週も、よい日々を!


『オールアバウト』へ 「子供がゲイやレズビアンだったら?兆候と対処法」をまとめました

2017年03月21日 | 子育て全般
今回機会をいただき、「性的マイノリティー」について調べていく中で、
日本では、「我が子が性的マイノリティーだったら」といった情報は、
まだほとんどないのだなと、驚きました。
 
でも記事にもあるように、実は日本でも統計的には、
「性的マイノリティー」というのは、
クラスに2-3人いるという計算になるんですね。
 
家族の「性的マイノリティー」については、
これからもっと必要とされる情報だと思います。
 
 
 
 
『アメリカ心理学協会』は、「今のところ多くの研究者が一致している」とし、
「性的指向とは、生まれた持った性質と、育った環境が、複雑に絡み合い決定される。
本人の意志によっては、ほとんど、もしくは全く選択できるものではない」といいます。(*1)
 
 
その子自身であることが、たまたま「性的マイノリティー」であったということ。
「特性のひとつ」なんですね。
 
 
 
 
子ども時代の兆候については、
こちらにも、私自身の思いや体験と一緒に、まとめてあります。
 
 
 

 

みなさんは、もし我が子が「性的マイノリティー」であったらどうしますか?
 
興味ある方、是非どうぞ。

子供がゲイやレズビアンだったら?兆候と対処法

 

 

今日もよい日を! 


1人の発信者として「『グリット (やり抜く力)』は過大評価されている」という批判について思うこと

2017年03月20日 | 子育て全般

2007年に心理学者のアンジェラ・ダックワース氏が、「学校でも社会でも成功するにはグリットが重要ですよ」と発表した論文は、1000以上の論文に引用され、2013年のダックワース氏のテッドトークは800万人以上が視聴、全米中の教育現場にも、多くの共鳴者を生み出しています。

私自身の身近な体験でも、アラスカの学校で、授業やワークショップなどで「グリットを高めよう」といった試みがされていました:

・現代っ子に欠けている?「やりぬく力」を育むために役立つ7つのヒント

また2015年4月に『オールアバウト』の方へ、こんな記事も書かせていただいてます:

子供が成功する鍵!「グリット」を育む6つのヒント


そして2016年に出版されたダックワース氏の著書『Grit: The Power of Passion and Perseverance』はベストセラーとなっています。

邦訳本『やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける』の帯やら振れ込みやらにもあるように、まるで「世紀の大発見!」というような風潮。

 

そこへ、あちらこちらから批判も出てきています。

 

 

「グリットって大切!」という発信をしてきた者&していく者として、「グリットが重要」という考えには変わりはないですが、批判の中には、「注意すべき点」を気づかせてくれるものもあります。そこで、思うことをまとめてみました。

 

ダックワース氏自身こうした批判に触れ、グリットをはかる「スケール」の「パッション」についての項目を改善したりと、より調査研究を深めているようです。

「批判」に揉まれつつ、「グリットについての研究」がより磨かれ発展していくことを願っています。

 

 

まずは批判について、ざっとまとめてみますね。

「学校でも社会でも成功するにはグリットが重要ですよ」という論への批判

・ダックワース氏の陸軍士官学校の調査データの表記の仕方が、グリットの影響を誇大表記している

「グリット・スコア(ダックワース氏研究チームが開発したスケール)」が高いとされた士官の98%が難しいタスクを達成。でも実は全体の95%の仕官も達成しているので、確率的には3%上昇したのみ。それでも「グリットの高い士官の99%近くが達成」と表記されているので、読み手としては、まるでグリットのスコアがそれほど高くない士官に比べ、40-80%ぐらい差があるように感じてしまう。

←ダックワース氏自身、表記の仕方がまずかったと認めています。「それでもデータに間違いはないし、誤解するように意図したものではない」とのこと。

 

 

・ダックワース氏が調査した学校や企業のトップで活躍する層以外に対象を広げるなら、それほどグリットの影響力は大きくないのじゃないか。

←ダックワース氏自身も「グリットのみが、成功の鍵ではない」と認めています。

 

 

・「グリット」とは、心理学で「パーソナリティーを形作る5大要素のひとつ」とされる「conscientiousness(良心的であること・誠実さ)」と同じものなのじゃないか。そしてconscientiousnessとは、生まれもった性質が大きく関わり、後天的に高めることがそう簡単にできるものではないのではないか。

←ダックワース氏曰く、「グリットはconscientiousnessと同じグループに属する(family)。でも『努力の持続性』という面が追加されているので同じとはいえない」とのこと。

 

 

・「生まれ持った資質よりやり抜くことこそが大切」といった考え方は、昔からあるもので何も目新しくないのじゃないか。

← 確かに、「ウサギとカメ」などある意味行き渡ったバリューですよね。社会学での古典でもある「プロテスタンティズムが資本主義を促進したという仕組み」も、こうした価値観がベースです。

 

 

また、「グリットを高める」という働きかけが、子どもにとって悪影響になることもあるのではないかという声もあります。

 

・「努力が足りない」で「全てが解決する」かのようで、追い込まれてしまう子もいる。

← 確かに、環境を改善したり、「個々の特性をみる」といった姿勢がおろそかにならないよう注意する必要があります。

 

 

・「無意味なゴール」にも「思考停止」してしがみつくような態度を促進してしまう

例えばこちらの記事にて、「今度の統一テストで高得点を取るために全校生徒でグリットを発揮しよう」といったある学校の取り組みがあげられています。

←この学校の試みに対し、ダックワース氏自身、「グリットとは持久力とパッションが合わさったものであり、もっと個々の生徒がパッションを感じられる課題に取り組むべき」と言ってます。

 

 

 

 

 

これらの批判について思うこと

1.こうして「グリットは万能!グリットさえあれば成功できる!」といった社会の「流行ブーム」に、「ちょっと待ってよ」という批判が出てくることは「健全」ですね。ある情報が力を持ち「過ぎる」と、必ず対抗する情報が出てくるといったこちらの風土が、私はとても好きです。

確かにグリットは「万能」ではありません。他にも大切なことってたくさんあります。

例えば、「21世紀型スキル」や「21世紀型能力」にもあるように、思考力、創造力、読み書き・数字・情報リテラシー、行動力、共感力、コラボレーション力、問題解決力、成長型マインドセット、柔軟性、楽観性などなど。

 

 

2.これまでも「グリット」と似たバリューというのは繰り返し言われてきているわけですから、「世紀の大発見!」とは確かに言いすぎでしょう。本や情報を売るための常套手段ですね。

 

 

以上の1と2から、グリットは「万能」でもなく「世紀の大発見」でもないわけですが、それでも、「グリットは重要なことのひとつ」ということに変わりはないですよね。

 

 

 

3.「確かに」と思ったのが、「努力すれば何とかなる」ということばかりに目が行ってしまい、環境改善や、特性に目を向ける大切さを忘れてしまわないように、ということ。

また、「適切なゴール」を選択することが大切ということ。そうしたゴールを達成するために方法を創造的に工夫してやり抜くことがグリットであり、「盲目的に遂行する」のと「グリット」とは同義ではないと覚えておきたいです。

 

 

 

4.「ブームになり、批判が出たりブームが去ったりして、見向きもされなくなる」といった流れにならないといいなあと思います。

「グリットは大切な要素のひとつ」であり、子どもに関わる大人として育んでやりたい資質ということに変わりはないですから。批判に切磋琢磨されながら、発展していってほしいです。

こちらに紹介したレンズーリ氏の、「ギフテッドネスを開花するための三輪」のひとつにも、「Task Commitment(タスクへのコミット)」があります。やはりすぐに諦めてしまっては、何も形になりません。

消費するだけでなく創造できる「ギフテッドネス」をどう開発する?教育学者レンズーリ氏の研究紹介

 

 

 

5.極端な情報と現実生活とのギャップに気づいていきたいです。

特に「人気のあるもの」というのは、極端なものが多いです。「世紀の大発見!」など「極端」だからこそ人目をひきつけ、売れます。

情報を発信する側の末席に身をおくものとして、これはもう日々痛感していること。

極端でなきゃ意味がない、とさえ煽る風潮がありますから。

 

でもですね、読み手として「現実生活に当てはめる」となると、注意が必要です。

「グリットさえあれば必ずどんな時でも成功できる!」のではなく、

グリットが最も必要な状況もあるでしょうし、止めることが大切な状況もあるわけです。

 

自分の今の現実の状況にどんな情報がどの程度有効なのか、「情報を活用」していきたいです。

これはもう本当に、子育て情報溢れる中で、子育てするものとして、心に留めていきたいことですね。

 

 

自らパッションを持つゴールに向かってグリットを発揮していきたいです!

「身体よ、ついてこい」というのが課題。

身体筋肉を鍛えることにもグリットを発揮せねばです。

みなさん、新しい週、よい日々をお過ごしください!


日常風景、敏感な子とスポーツ&「じっとできない子」が学校に合わないのは成長の仕方が異なるため

2017年03月20日 | 子育て全般

敏感な子とスポーツ

 昨日は、

「初めての場にとってもナーバスになっているから、

マイコの子ども達と一緒に車に乗せてもらえない?」

と友人に頼まれ、友人の息子君と娘ちゃんを連れて、

陸上クラブの練習初日へ。

 

二人とも、とてもスマートで敏感な子達です。

 

友人は出張で西海岸へと旅立ったのですが、

パパが、後ろから車でついてくるとのこと。

 

 

行き25分ほどの車の中。

「ほんと、あなたたちよくしゃべるねー」と呆れるほど、

興奮状態でしゃべり続ける息子君と次男(共に2年生)&

娘ちゃんと三女(5年生と4年生)。

 

練習場が近くなるにつれ、

「あーどうしよ、こわいよー、ああ、こわいよー」ときゃーぎゃー騒ぐ4人。

こわいのか不安なのか嬉しいのか

もはやわけが分からない興奮状態でもつれるように車を降り、

くっついて練習場へ。

→車の外へ出た途端、皆静か。(笑)

 

 

初めての場への不安や恐れも、こうしてお友達と抱きあったり、

大げさに騒いでみたりとすることで、随分と緩和されます。

 

初めての場や慣れない活動を嫌がることもある「敏感な子」にとって、

ひとまず、「よく知るお友達と一緒に」というのも、

体験の機会を広げる方法として有効ですね。

 

 

1時間半走りっぱなしの練習、皆、頑張ってました。

 

今朝も出張中の友人とメールのやりとりをしていたんですが、

「いやだ~、知らない人ばっかりだろうし、行きたくないよ~」

といっていたところ、最初の一歩を踏み出せて本当によかった、とのこと。

 

ところがこんどは、

「自分は周りより走るのが遅かった」と気にしてるんですよね。

 

私が練習後、感想を聞いた時の第一声も、

娘ちゃん息子君両方とも、「自分はうまくできなかった・・・」でした。

←敏感な子は、周りと自分の関係にも敏感ですね。

 

 

見ていて気づいたのは、

短距離走では息子君も娘ちゃんも随分と速いけれど、

短距離の繰り返しや長距離走になると、どうもきつそうということ。

「練習に繰り返し参加することで次第に『持久力』もついて、

もともと足も速いようだし、きっと楽しめるようになるよ」と伝え。

 

 

確かに陸上は、以前も次男が「負けるのが嫌」と言っていたり、

(・日常風景:「本当の命」の行方を握る高校生たち&いつか振り返るだろうこの貴い日々を生きていく

昨日も車の中で友人の娘ちゃんが

「リレーならいいかな、自分ひとりで背負わないでいいし」

と言っていたように、「勝ち負け」が突きつけられるところがあります。

練習で走るのでも、1回1回の走りが勝負。

 

前日クラブのお友達宅に泊まり、

練習場で落ち合った次女(7年生)も、

昨夜は「自分はもっと速いかと思った」とちょっと落ち込んでました。

宿泊したお友達の双子ちゃんは、

冬中、ジムでトレーナーつきで鍛えてましたから、

それは、差がつくでしょう。

 

「初日だからね、まだまだこれからよ」と声をかけ。

 

敏感な子は「自分がよくできてるか」や「勝ち負け」にも敏感ですから、

そうしたことがそれほど強調されない場から始めるというのも方法ですね。

 

場に慣れ、力もついてくる内に、自信も培われるでしょうし、

そもそも、「身体を動かすこと」自体に大きな意味があるわけですから

(・AD(H)D傾向の子にもハイリーセンシティブな子にも大切な「身体を動かす」こと

外へ飛び出し、身体を動かす機会を作ってやりたいですね。

 

さてさて、友人の息子君、娘ちゃん、

そして我が家の3人の様子、見守っていきます。

 

 

 

 


「じっとできない子」にはその子なりの成長の仕方がある

週末は、長男が12歳の時から続けているNPO団体の州大会があったのですが、

4グループでの対決を勝ち抜き優勝、周辺州を含めた東海岸地区大会へ進むことに。

 

この日に向け、6人チーム、週2日のミーティングだけでなく、

毎晩のようにスカイプで練習してました。

そして州大会終わった日の夜から、既に地区大会に向けスカイプでの練習を始めてます。

 

「ロボティックス競技会のチームでも、もっといい結果を出したかった。出せたはずなのに」

と悔しがる長男。

 

「ロボティックスのチームと違うのはね、

チームの6人全員が1人残らず全力を尽くしたいという気持ちになっていること。

そうでなきゃ、チームとして勝つというのは無理なんだよね」とのこと。

 

それも、「負けてきた」からこそ、「違い」を実感できるんですよね。

本当に、負けも勝ちも、学びとなり、その後の糧になります。

 

航空技術についての筆記テスト、即興スピーチなど、

競われる種目も様々で、その総合点で順位が決まるんですが、

地区大会には「ロボティックス」も加わるのだそう。

 

「将来のビジネスリーダーシップ競技会」の州大会も今週末。

「サイエンス・オリンピアッド」の州大会も来月。

他にも、いくつか競技会に出る予定のようですが、

ちょっと私自身、把握しきれてないです・・・。

ロボティックスのNPO法人作りも、進んでいるようです。

 

 

長男をみていると、「とにかく、数打ってみる」という様子。

 

もともと、「ひとところにじっとしていない(できない)子」でしたが、

それは、こういう形で、今も続いています。

 

 

「ひとところにじっとしていない(できない)子」には、

彼・彼女なりの成長の仕方がある、そう思います。

 

ステップバイステップに積み重ねるよりも、

とにかく手当たりしだいに手を出してみて、

全く違って見えるものに同時進行で取り組みつつ、

全体的に、互いを活性化させながらレベルアップしていきます。

 

もちろんそんなやり方ですから、

その過程で、ボロボロとこぼしてしまうものや、

失敗もたくさんあります。

でもそれらの失敗が、また糧となっていくのです。

 

「ひとつひとつ順序立て、ひとつをきっちり終えたら次へ」、

という指導は向いてません。

息が詰まって、生気を失い、全体的なレベルも下がるのじゃないでしょうか。

学校に合わないわけです。

 

それでも、年齢が上になるにつれ、全体的な力もついてくるため、

その気になるのならば、「学校の成績」も、

それなりに、マネージできるようになることもあるでしょう。

 

 

こういう子が、年齢の低い時点でも、

失敗を繰り返しながら、

伸び伸びと成長していける環境が必要ですね。

 

 

 


光アート、子どもが吸い付く時の邪魔をしない

こちらの記事で紹介した、

「与えられたモノを消費するだけでなく自らも作り手!」と掲げる「作り手ムーブメント」を家庭の拡充学習に

『虹色教室』の奈緒美さんに紹介していただいた

「ティンカリング」についての本、『The Art of Tinkering』 by Karen Wilkinson & Mike Petrick。

 

次女が「光アート」に反応。

トイレに懐中電灯とカメラを持ち込み、写真を撮り続けてました。

     

 

子どもによって、吸い付くものって本当に違います。

そして、この吸い付いているときこそ、

自主的にどんどん進んでいきます。

 

カメラの使い方も、この「撮りたい!」がなければ、

調べることもなかったでしょう。

 

吸い付く時のサポートというと、

なかなか手も目も届かず、忙しい日常に、ハードルも高くなるわけですが、

せめて、吸い付く時の邪魔をしないでおこう、

これだけでも、随分と変わってきます。

 

 

 

 


散歩、1時間でも自然の中で過ごすことの大きさ

週末、「長男の競技会場の近くに、湖があるみたい、帰りにちょっと寄ろうか」

と1時間ほど。

 

石投げや、

石積みに没頭。

「住処」も発見。

 

その後は、

再びそれぞれの活動に走り回った1日でしたが、

少しの間でも、

石や水や木々に触れ、自然に囲まれ過ごすこと、

その力を実感しています。

 

さて、今日も走り回ります。

みなさん、新しい週、よい日々を!


「与えられたモノを消費するだけでなく自らも作り手!」と掲げる「作り手ムーブメント」を家庭の拡充学習に

2017年03月16日 | 子育て全般

「与えられたモノを消費するだけでなく自らも作り手!」と掲げる「作り手ムーブメント」

以前、「アートサイエンスクラス」を担当していた放課後スクールで取り組んでいた、

「作り手ムーブメント(MAKER MOVEMENT)」について紹介しました。

「作り手ムーブメント」を教育に生かしていくという動き、変化を与える行為者になるということ

 

“「作り手ムーブメント」の根幹にある、

「私達は、与えられた出来合いのモノを消費するだけでなく、自らも作り手」

と言うコンセプト。

確かに、子供のひとりひとりが、そう感じ動いていくのなら、

世界も変わっていくでしょうね“

 

と結んでいたのですが、

改めてそうだよなあと思います。

レンズーリ氏の掲げる「拡充学習のコンセプト」とも重なりますね。

消費するだけでなく創造できる「ギフテッドネス」をどう開発する?教育学者レンズーリ氏の研究紹介

 

 

 

 

そして昨日、『虹色教室』の奈緒美さんとお話していた際、こんな本を紹介してくださいました。

 『ティンカリングをはじめよう ―アート、サイエンス、テクノロジーの交差点で作って遊ぶ』

 英語の原本は、『The Art of Tinkering』 by Karen Wilkinson & Mike Petrickです。

 

早速夕方、近所の図書館で手に入れ、

開いてみると、「前書き(FORWARD)」を

「作り手ムーブメント」という言葉を造ったデール・ドーファティ(Dale Dougherty)氏が書いています:

 

“私達の人生が、ますますスクリーンやバーチャルな交わりに支配される中で、

『The Art of Tinkering』は、リアルな物事やリアルな人々とのフィジカルな交わりが、

創造的な可能性を秘めているということを探究し続ける大切さを思い出させてくれます。

それが、私達が私達であるということを表すことなのですから。“

 

とのこと。

 

スクリーンからなだれこむ膨大な情報を消費するばかりでなく、

五感を用い、他者とのコラボレーションを通し、創造していく。

「作り手ムーブメント」が、ますます教育現場に広がっていくといいですね。

 

 



ティンカリングとは?

「ティンカリング」とは、「家財道具を修理してまわった流しの修理屋(ティンカー)を語源に持つ言葉で、さまざまな素材や道具、機械を『いじくりまわす』こと」を意味します。

 

『The Art of Tinkering』 の著書の主宰する『The Tinkering Studio』は、

子供向けにもワークショップなど様々な活動を展開しています。

子どもに教えるよりも、子ども自身が学び発見する過程を大切にし、

「ゆるい構造」の中で、何度も失敗を繰り返し、創造する姿勢を身につけてほしいとのこと。

 

この「ティンカリング」、

デザインセンスや問題解決の力を高めることができる手法としても、近年注目されているといいます。

 

 



子どもとの取り組みに覚えていたい「ティンカリングの信条」

『The Art of Tinkering』にある「TinkeringTenets(ティンカリングの信条)」は、

家庭での子どものモノづくりや拡充学習などでも、是非覚えておくといいなあと思います。

訳しておきますね(邦訳とは多少異なるかもしれません):

 

・消費するより創造する

・立ち戻り反復しよう

・すぐにプロトタイプにしよう(思いついたらすぐに表してみる)

・親しみのある材料を親しみのない方法で用いてみよう

・アイデアを組み立てることで表してみよう

・道具を使いこなそう

・分からないことに心地よくあろう

・進み、ぶつかろう

・リアルな世界の例をいたるところに見出そう

・遊び心を思い出そう

・自主性とコラボレーションのバランスを取ろう

・散らかり、うるさく、時に危険な状況に自らを置こう

・古いテクノロジーを新しく発明しなおそう

・ワークをシリアスにとり、それでも自身はシリアスにとらないでおこう

(ティンカリングとは楽しいもの。

自らのエゴを流す時、あなたはフォーカスし遊ぶことのできる許可を、自分に与えることができます。

そしてそんな時こそ、よい物事が起こるのです)

 

とのこと。

 

 

 

こちらの『The Tinker Studio』のクリップでも、

「インストラクションとしても用いることができますし、インスピレーションにもなります」とあるように、

拡充学習などのアイデアの参考にもなりますし、

ページをめくり、写真を眺めていくだけでも、

身の回りのものを手に取り、何か創りたくなる、そんなワクワクとする本です。

 

 

今朝は、「時間を取り入れたティンカリング」というワードに反応し、

下の子達2人、本にはないですが、「簡単手作りアニメ」を作ってました。

     

ぱらぱらめくって、ジャーンプ。ああ、懐かしい。

 

今後も、創造するひとときのアイデア、拡充学習のアイデアに、

「作り手ムーブメント」の心意気を生かしていきたいなと思います!

 

 

さてこちら、木曜日が終わろうとしています。

今週はまさかの春の雪で、街がストップ。

みなさん、喜び見出す週末を!


今朝の妖精の罠&ごそごそボール作り、「記憶をたどる」から「自分で創る!」へ

2017年03月16日 | 子育て全般

こちら雪で小中高と1日休み、半日休みと続き、

今日も学校が2時間遅れの開始だっため、

朝から子ども達があれこれプロジェクトをしていたんですが、

今朝もまさしく、

記憶を振り返り、『自分もこれを創りたい!』へ至るという過程」を実感していました。

 

 

アイリッシュの妖精「レプレコン」をつかまえる罠作り

明日3月17日は「セントパトリックスの日」というアイルランドの行事。

次男のクラスでも、今日は「レプレコンをつかまえる罠」を作るそうです。

「レプレコン」とはこんな小さな老人の姿をしたアイルランドの妖精です。

 

 (『Wikimedia  Commons』より)

 

「何で創ろう?どうやって創ろう?」と考え込む次男。

 

そこで、罠についての「記憶」をたどってみました。

 

「罠」ってどんな仕組みになっているかな?

1.ゴキブリの罠みたいに、中に入ると床や壁にくっついて出られなくなる。

2.ネズミ捕りみたいに、オリに入ったらぺちゃんと潰される。

3.特定の場所に立つと、上から網がばっとかぶさって逃げられなくなる。

4.オリに入ったら、入口のドアが閉まって出られなくなる。

5.罠ではないけど、「毒団子」みたいに匂いに吸い寄せられて食べたら死んでしまう。

 

などなど、「記憶」を振り返ってみます。

 

2と5は、

次男曰く、「レプレコンが傷ついたり死んじゃったりしたらだめだよね」と却下。

 

1.ゴキブリの罠みたいに、中に入ると床や壁にくっついて出られなくなる。

三女と次男の二人で、

「のりやボンドだと乾燥してかりかりになっちゃう」

「スライムしいたらどうかな?」「くっつかないよね」

「両面テープないなあ」「あ、こうやってテープ丸めればいいじゃない」

などなど話しながら、試していきます。

入口を切り抜いて、中に丸めたセロハンテープ。

 

 

3.特定の場所に立つと、上から網がばっとかぶさって逃げられなくなる。

レゴの網を持ち出してくるも、

 

装置を考えれば考えるほど容易でないことが分かり、

また教室にクラスメート20人近くが罠をしかけるので難しいかな、と結論。

 

 

4.オリに入ったら、入口のドアが閉まって出られなくなる。

「どんな入口をつくろうか?」

次男の案で、靴箱の側面を切り取り、フタに垂直にくっつけることに決定。

ふたと側面が同時に閉まります。

(工作は学校でするので、箱を見ながらアイデアを煮詰めます)

 

「どうやってフタがしまるようにする?」

三女: 遠くからフタにくっつけた糸を持って見張って、

レプレコンが中に入ったら糸を離す?(と言いながら毛糸を探してもってきます)

 

次男:ああだめだよ、明日は他の場所で行事があるんだもの。

出かける前にクラスにしかけることになってるの。

 

私:中に入ったら自動的に閉まるようにするんだね。

うーんどうしたらいいかなあ。

「つっかえ棒」みたいなのはどうかな?(と割り箸を取りに行きます)

 

レプレコンが箱に入った時点でつっかえ棒にぶつかるように、

位置をかえたり、角度を変えたり、数を変えたりと試行錯誤。

 

そこへ、

「つっかえ棒の先にコインをしいて(レプレコンは金色のコインが大好き)、

コインをつかんだら倒れるようにしよう!」と「名案」が飛び出し、

皆で大興奮。

 

ところが、「でもこんな入口近くにあったら、箱に入らないでも外から取れちゃうよね」と。

確かに。(笑)

 

そこで、割り箸をより短くし、奥に移動。

「これなら、中に入ってコインをつかむね」と満足顔。

 

次男、必要な用具を揃え、

(セントパトリックスの日のテーマカラー「緑色」で飾り付けするそうです)

意気揚々と靴箱を抱え、学校へと飛び出していきました。。

 

 

 

 

ごそごそいじくりまわすボール作り

風船に小麦粉を入れたりと、三女がこれまでも時々作っているんですが、

バレンタインカード&「ストレスボール」作り

今朝は、昨日クラスのお友達から「作って!」と風船を渡されたそうで、

朝起きると、次男と作っていました。

米粒を入れてます。

 

にぎにぎ、ごそごそすることで、落ち着くのだそう。

「ムカッとしたり、イライラするときもね、ぎゅーと握るといいんだよ」とのこと。

 

この「手の中でごそごそいじくりまわす」グッズって、

こちらに画像集がありますが、いろいろ売りだされてるんですよね。

上の子達の話を聞いていても、小中高大人まで人気があるようです。

 

周りを見ての、

「こういうの、私も欲しいなあ」から、

「じゃ、自分で創ってみよう」へ。

 

先の「ティンカリングの信条」にある、

・親しみのあるものを親しみのないように用いてみる。

も思い出していきたいです。

風船や小麦粉や米粒でも、できるんですよね。

 

 

 

こういうものが必要なんだよね、いいなあという感動、欲しいなあという気持ち

→記憶をたどる

→自分で創ってみる

こうして記憶を再現し、自ら創る過程で、失敗したり試行錯誤して、

「拡充」もしていけますね。

 

 

ところでこの「手の中でごそごそいじくりまわす」グッズ、

手の感覚にフォーカスを移せたり、

手のツボなんかも刺激されて、

「ストレス緩和」になるのでしょうね。

確かに、きもちーですよ。お試しあれ!

 

今週は、大雪で急遽学校の休日が続き、

しかも公機関のオフィスも閉鎖と、

手続きがなかなか進まなかったのですが、

来週も、できる範囲で動いていきます!

 

裏の森での要塞作り。

 

それではみなさん、喜び見出す週末を!


春!種まきプロジェクト、小学時代の「植物を育てる理科実験」はなぜあれほどつまらなかったのでしょう

2017年03月13日 | 子育て全般

Tamakiさんのブログ『Follow  your bliss』でも、

植物を育てたりカエルの卵やカタツムリを育てたりという話が、

「身近な自然、生き物の観察も拡充学習の種としておもしろいですね」と紹介されてました。

 

本当ですね。

 

我が家でも今週末、春ならではの「種まきプロジェクト」が始まりました

まずは、グリーンハウスを組み立てます。

完成。

そして、下4人と種を買いに。

1人1人迷い、考え、「自分はこれを育てたい!」と選んでいきます。

 

人参、メロン、ハラペーニョ、はつか大根、各種花。
アラスカ州の州花「勿忘草(ワスレナグサ)」の種も見つけて大喜び。

私は、砂糖エンドウとシラントロ。

 

さて、

 

植えます。

 

ああ、土の匂い。

爪楊枝にセロハンテープをはって、何を植えたか分かるように。

 

 

「農民になる!」と植物を育てるのが大好きだった小学生時代

私自身小学生時代、植物図鑑とにらめっこして、

植物を種から育てるのが大好きでした。

 

冬が終わる頃毎年親に、ガーデニングに必要なものをせがみ、

ガーデニング店に出向くのをとても楽しみにしていました。

 

週末になると1人夢中で、

保育園の園庭 (私は親族の経営する保育園で育ちました)で土をこし、

プランターをいくつも用意して、種を植えたものです。

 

あのウキウキとした気持ち。

自分で育てた豆や、トマトや、ピーマンや、落花生を食べた時の感動。

 

子ども時代、「将来は農民になりたい」と言っていた当時。

 

子ども達にも、体験して欲しいなあと、

これまでも春になると、何度か種まきプロジェクトをしてきました。

 

 

 

 

小学校の「植物を育てる理科実験」はなぜあれほどつまらなかったのでしょう

朝顔やヘチマなど、学校の理科の時間に育てる実験したなあと思い出します。

 

そして学校での「植物を育てる実験」を、

なぜあれほど「つまらなく」感じたのだろう?

観察日記を書くのだって、

なぜあれほど、ただただめんどくさく感じていたのだろう?

と思うことがあります。

 

 

自分が植えた種から、小さな芽が顔を出し、

双葉が出てきて、茎が伸び、やがて花を咲かせたり実をつけたりする。

そんな様子を間近に目にするのって、ウキウキするものなのに、

なんで、あれほど退屈でつまらない実験に感じたのだろう、と。

 

思い当たるのは、

・教科書で決められた通りに、「やらされている感」が大きすぎた。

・観察日記も、何を観察し、何を書くかまで形式が決められ、

単に「タスクをこなしている感」が半端でなかった。

といったことでしょうか。

 

みなさんはどうですか?

 

担当の先生が、教科書の字面をなぞるだけではなく、

自然や命の不思議への情感に溢れていたのなら、

また少し違っていたのかもしれません。

でも先生も、毎年何クラスも同じことをしてるわけですから、

よほど日々「なぜ自分は理科の教師をしているのか」と立ち返ることなくしては難しいですよね。

 

 

 

我が家での「種を植えようプロジェクト」で気をつけている点

上のような経験から、主に以下の2点です。

 

1.子どもが主体的にプロジェクトをすすめる

←グリーンハウスの組み立てや種を選ぶ過程も本人たちで。

「自分たちでしてる感」を盛り上げます。

 

2.自然や命の不思議に思いをはせる

← これは、傍で自分もウキウキと夢中になっているのが一番だと思います。

自分もどの種にしようか選び、

「こんな小ちゃい種からあんな大きなメロンが育つなんて、

あんな色とりどりの花が咲くなんて! ああ、不思議ね、楽しみね」と。

 

 

 

下3人(7歳から13歳)とは「観察バインダー」を作りました

表紙に絵を描いたりして、「自分の観察日記感」も高まります。

 

内容は:

・その日の種や芽や葉の様子を「観」、文や絵で描写する。

・インスピレーションを表現する。


紙は白紙。

 

表現の仕方は、

詩、絵、抽象画、写真、工作なんでもありということで。

 

 

 

三女は、植えた様子を描写した後、

「私、俳句書く!」と。

アラスカの小学校で、しょっちゅう「HAIKU」を創ってたんですよね。

英語の「HAIKU」は、文字数ではなく、音韻数での5・7・5となります。

 

次男は、植えた時の様子を文章にした後、

「種からやがて咲く花実る野菜」を想い描いた絵を。

次女は、はじまりの様子を描いてました。

 

 

 

さて、命の育ち、楽しみです!

 

 

 

三女の「俳句!」に感化され、

久しぶりに『歳時記』に目を通し、春を堪能しました。

 

太陽へ裏返されて春の土     山崎ひさを 『俳句歳時記』角川文庫より 

 

春にもってこいの「種まきプロジェクト」、

みなさんも、いかがでしょうか。

 

それでは新しい週、よい日々を!


幼少期から見られるゲイの兆候研究紹介 & 私自身の「性差」教育体験からも思う子ども自身を「観る」大切さ

2017年03月11日 | 子育て全般

ゲイとレズビアンについて、

私自身の普段の関心の全く外に位置することですが、

機会を与えていただき、調べてきました。

 

 

「遊び」などにみられる興味関心の性差

男の子と女の子の遊び方や興味関心は違う、

これは、子どもに接する方みなさんが、気づかれることだと思います。

 

男の子の多くは、輪などがついた乗り物など「動くもの」、

また闘いごっこやレスリングなど身体を使った乱暴な遊びに夢中になり、

女の子の多くは、男の子の「闘い」を横目に、人形遊びやおままごとが好きで、

ドレスを着てお姫様になることにウキウキと目を輝かせます。

 

こうした性別による「興味関心の違い」は、

生物学的には「ホルモン(テストステロン等)の違い」によると言われています。

 

また社会的にも、おもちゃ屋をのぞけば、

男の子の通路は青色、女の子の通路はピンク色を基調としていて、

上にあげたような「遊びの性別的な違いを強調するような商品」がずらりと並び、

ますます、男の子と女の子の違いに拍車をかけています。

 

以前、こうした性別の「ステレオタイプ」にあまりこだわらず、

男の子にも人形で遊ぶ機会を、

女の子も乗り物や組み立て式玩具で遊ぶ機会を与えることで、

認知面や様々な能力面なども、よりバランスよく育つ、

といった記事(Scientific American Mind May/June 2010)のメモを、

箇条書きで紹介したことがあります今週の知識と雑感)。

 

 

 

今回は、ちょっと違う視点です。

幼少期から、異性が好む遊びばかりに興味を持つ子ども達についてです。

 

幼少期からみられるゲイ&レズビアンの兆候

ゲイやレズビアンというのは、生まれつきなのか?

それとも、環境によって決定されるものなのか?

といった議論は長らくされてきました。

 

それでも、現在、多くの科学者や研究者が同意するのは、

米国心理学会(The American Psychological Association)もいうように、

「先天的と後天的な要素が複雑に絡み合い、性的指向は形成されます。ほとんどの人々が、ほとんど、もしくは全く性的指向については選択できるものではありません」

(APAウェブサイトより http://www.apa.org/topics/lgbt/orientation.aspx

ということ。

 

つまり、

性的指向というのは、生まれ持つ性質と、育つ環境が複雑に絡み合い決められるものであって、

「自分は同性愛者だ、異性愛者だ」と

本人の意志により「選択」できるものでもないというわけですね。

 

そして中には、とても早い幼少期から、

この「生まれ持った性質」を表す子もいるといいます。

そういう子は、

異性が好む遊びばかりしたがり、

それで子供同士同じような遊びをしたい子が集まりますから、

結果、小さな頃から、遊び友達が異性ばかりになることもあるといいます。

 

心理学者Kelley Drummond氏による、2008年の研究(*1)によると、

3歳から12歳までの間に、親からメンタルヘルスクリニックに、

「男の子とばかり遊びたがり、男の子の服を着たがり、男の子の遊びばかりしていて、

おしっこを座ってするのを拒否する」などの理由で、

診察につれてこられた体験を持つ、25人の大人の女性を調査したといいます。

すると、その女性の内の12パーセントが性同一障害となり、

バイセクシャルかホモセクシャルだった確率は、一般の若い女性と比べ、

23倍高かったといいます。

 

また心理学者のJ.Michael Bailey氏 とKenneth J. Zucker氏による研究(*2)では、

ゲイの男性の89パーセントが、子ども時代、一般的な男の子とは異なり、

「女の子的な興味関心」を示すといった行動が著しくみられたといいます。

 

小さい時に異性の遊びに興味があっても、

多くの人は、異性愛者になります。

それでも、そうでない子どもに比べると、

同性愛者になるケースもより多くあるということですね。

 

 

まあ、ゲイやレズビアンを決めるのは、

「環境」だけでなく、「生まれ持った性質」も絡んでいるわけですから

幼少期から何らかの兆候が表れる場合があるというのも、

しごく自然なことですよね。

 

では、子どもにこうした兆候がみられたらどうしたらいいのか?

後ほどの記事にて、これまでの研究や心理学者などの見解をまとめていきますね。

 

 

 

さて、ここからは、いくつか個人的に思うことです。

1人の親として思うこと&長男との会話

私自身は、本人が、より本人になる道が同性愛だとするなら、

もう、親であっても何を言うこともないだろう、と思ってます。

子孫を残す以外にも、家系や社会に何かを差し出す方法はいくらでもありますから。

(と、近い将来、同性カップル両方のDNAを用いた出生も、

「In Vitro Gametogenesi」というステムセルを用いた技術により可能となる?!なんてニュースも)

 

 

 

こちらの高校でも最近、

「性同一性障害の子が異性のトイレを使ってもいいか?」といった議論が盛んです。

 

長男とも話してみました。

 

長男: 周りにも性同一性障害やゲイとカミングアウトしている子がいるけれど、

そういう子達には2種類あるように思うよ。

本当に根っからのゲイと、周りのアテンションをひきつけたいためにゲイのフリしてる子と。

根っからゲイの子たちが、差別されるのはおかしいよね。

 

私: でも、難しいよね、“根っから”と“フリ”の子を見分けるのって。

色々な生い立ちも絡んで、フリせざるえない子もいるのかもしれない。

まあ「自分はゲイ」というのなら、それを尊重するということだろうね。

 

 

宗教的信仰を持ち聖典に照らし合わせ「同性愛は許されない」と感じる友人も周りにたくさんおり、

「反対する側の真剣さ」も、肌で感じています。

それでも私自身は、長く歴史があり、

世界中様々な文化背景を持つ人々にも共通してみられるゲイやレズビアンも、

ひとつの「特性」として認められていくのが自然だろうなと思っています。

 

 

 

ここからは私自身の子ども時代を振り返り、「こんな事例もあるよ」という話です。

「性差」について少し特殊な環境で育った私自身の子ども時代

 

実は、私自身、子ども時代「男の子的」な遊びをよくしてました。

お姫様などのイメージや女の子が好む色なども、頑なに毛嫌いしてみせ、

男の子的なキャラクターに興味を示し、兄のお下がりの服ばかり着て。

お絵かきも昆虫や乗り物の絵ばかり描いてました。

髪型も小学校高学年ぐらいまでショートだったので、

いつも男の子に間違えられ、

初見で、女の子に見られたことあったかな?というほど。

 

それでも、今こうして「ヘテロセクシャル」に育ってます。

 

でも私の場合は、大きくなるにつれしみじみと理解したんですが、

「親の期待にこたえていた」ということが大きかったのだろうなと。

 

私の親は、「男女雇用機会均等法を!」というシールを車に貼り、

私も幼少期からプラカード持って色々なストライキについていっていたような、

活発な社会活動家でした。

 

学校で先生が、「男の子らしく、女の子らしく」なんて言葉を発しようものなら、

私が親に「こんなこと言ってた!」と興奮して知らせ、

翌日親が連絡帳に、

「子どもに偏った刷り込みをするのはやめてください」と書くような家庭。

 

将来的には女性も職業をもち、経済的に自立するべきですし、

「男に依存する」なんて言語道断。

フェミニンになよなよとしたイメージは「男に媚びている」とご法度。

 

そんな雰囲気を、幼少期からひしひしと感じていました。

 

男の子っぽい素振りをみせるほど、

「マイコ、かっこいいぞ!」と周りから褒められるわけです。

 

ちなみに、「可愛い」という言葉は、「女をだめにする」と教えられてましたね。

お世辞や社交辞令で「可愛い」と声をかけられようものなら、

「そういう女の子の成長を妨げる言葉を子どもにかけるのはやめてください」

と言い返していた母。

 

こうして書き出しても、かなり特殊な環境でした。

 

でも、みなさんそうじゃないでしょうか?

大きくなり、社会を知るにつれ、

「あ、私の育った環境って、ちょっと変わってたんだな」と気づくもの。

子ども時代というのは、「おかれた環境が全て」とどっぷり浸っていますからね。

 

 

それで、私の場合は、

中学生ぐらいから反動で荒れた時期がありました。

抑えられた「女の子」の解放。

親の枠組みから、抜け出ようという「もがき」。

 

時には長髪を風になびかせ、

ひらひらのレースにピンクのドレスをきて、

りかちゃんやバービーと遊びたかった自分。

兄のお下がりの青い靴をはきながら、

お友達のキティちゃんのついたピンクの靴にみとれていた「小さな女の子」が

一気にふき出したんですね。

 

 

成人した頃には、

親とも、「ちょっと偏りすぎた子育てだったよね」と

笑って話せるようにもなりました。

親も、「この子のために!」と必死だったんですよね。

今は、よい面もたくさん培ってもらえたこと、感謝しています。

 

 

 

こうした強固な思想信条の下で育ち、

「自分」を見出そうともがき続けた十代。

今こうして母親となり、

では何を伝え、何は必要ないのかを見つめつつ、

子ども本人の意向を「観る」ことの大切さを痛感するようにもなりました。

子どもがどれほど必死で親の期待にこたえようとするか、よく分かりますし。

 

娘達は結局皆、

それほどヒラヒラやプリンセスにはまることもなかったのですが、

「大好きな色はピンク!紫!青!」と思い思いに言う娘たちに、ほっとしています。

 

 

 

長くなりましたが、

親の枠組みに閉じ込めてしまうのではなく、

その子自身の興味関心を広げてやりたいですね。

特に敏感系の子というのはとても敏感に、親の求めるものに答えようとしますから。

 

 

余談:

ゲイの知り合いといえば、こちらのエジプトの旅で出会った男性を

懐かしく思い出します。彼の言葉は、今も心に残っています。

エジプトの旅

身近なところでは、昔の職場にもカミングアウトしていた子がいました。

言語能力抜群でバーでピアノを弾いたりと音楽のセンスもあって多才な子でした。

ボーイフレンドと一緒に、それは幸せそうでしたね。

 

それではみなさん、楽しい週末をお過ごしください!

 

 

追記:

この記事の後、『オールアバウト』へ、以下の記事をまとめています。

興味ある方、是非どうぞ!

・子供がゲイやレズビアンだったら?兆候と対処法


その後、2018年4月17日にmsnからも配信されました。
子供がもしゲイやレズビアンだったら…?

 

 

参考資料:

(*1)A Follow-Up Study of Girls with Gender Identity Disorder. Kelley D. Drummond, Susan J. Bradley, Michele Peterson-Badali and Kenneth J. Zucker in Developmental Psychology, Vol. 44, No. 1, pages: 34–45; 2008.

 

(*2)Sexual Orientation and Childhood Gender Nonconformity: Evidence from Home Videos. G. Rieger, J. A. Linsenmeier, L. Gygax and J. M. Bailey in Developmental Psychology, Vol. 44, No. 1, pages 46–58; January 2008.

 


子育て日常での工夫3つ、子ども自身の「気持ち・考え・身体の動き」を通ることで、その子はより主体的に動いていく

2017年02月27日 | 子育て全般

日常生活で「これ、我が家では効果的でした/ですよ!」といった工夫を、

ちょこちょこ載せていきますね。

 

こう書くと、まるで全てがスムーズにいっているかのようですが、

「うまくいった!」の下に、膨大な「うまくいかなかった!」があった/あると想像していただくと、

より現実に近い「日常風景」になると思います。

そうして「うまくいかない」を繰り返し、徐々に、以前よりは少しずつ楽になってきました。

 

 

さて、

こうした方がいいんじゃないかな、こうであってほしいといった大人の思いも、

子ども自身がその子なりに、感じ、考え、身体を動かしとすることで、

よりその子自身のものとなり、主体的に動いていくようになる、

そう実感しています。

 

「言ったとおりにちゃんとしているか」よりも、

「その子なりに納得しているか」を見ていきたいです。                           

 

 


1.可視化する

先日こちらに写真を載せたんですが、

日常生活は「拡げ充実する」機会に溢れてますね、昨日1日での試み例


三女、だらんと髪をたらし、手で押さえててますよね。

  

 

 

ここ数か月、学校へもこの調子で、

「何するにも邪魔になるじゃない?

ノート書くのだって本読むのだって、

机に向かってたら髪の毛に視界遮られるでしょ。

体育だって、髪があちらこちら跳ね回ってうっとしいじゃない。

縛った方が、いろんなことに集中できるよ」

 

と声をかけることがあったんですが、

 

三女:いや。おろしたままがいい。 


とのこと。

 

わさわさとなびかせ、

顔にかかる髪を手ではらってはらって、

風になびけば、ライオンのよう。

 

 

そこで、

私も写真をみていて偶然気づいたんですが、

このブログの写真、三女にみせてみました。

 

「みて、〇〇(三女の名前)、3枚とも同じ格好してるね。

左手で髪おさえてるの。ひょっとして・・・、邪魔?」

 

黙って写真を見つめる三女。

 

それだけだったんですが、

それ以来毎朝、私が何も言わずとも、

「ママ、縛って!」と、

自分からゴムとブラシを持ってくるようになりました。

 

数か月おろし髪を体験し、

写真を前に三女本人、見て、感じ、考え、納得したんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

2.数年間の予定計画を自ら立てる

 

特に中高生に、効果的です。

 

この先、高校を卒業するまでの予定表を本人たちに作ってもらいます。

目指すことに向かって、一体具体的に何が必要なのかを調べ、話し合いつつ。

 

課外活動、ボランティア、インターン、サマーキャンプ、

競技会、受ける試験(アカデミックやその他の資格)などなど。

 

定期的に見直す機会を持ち、予定を加えたりしながら、

年齢が上になるほどより具体的な形になっていきます。

 

すると普段、

「~しなさい!」「~してないじゃない!」と感情をぶつけたくなることも、

まずは深呼吸。

 

戦略会議のように客観的に「予定表」を見直すことで

本人たちが、「あ、これが足りない」「あれ、ちょっとスピード上げないとな」と

納得して動いていきます。

 

といったって人間同士、もちろん「きー!」とぶつかることもあるわけですが、

この「予定表」のおかげで、

回数的に随分と減るんじゃないかなと感じていますよ。

 

 

 

 

 

 

3.「するべきこと」に選択幅(時間的方法的)を与える

こちらの記事にも以前書きました。

きらびやかなホリデイシーズンの陰で倒れこむ家族がいないよう「分担」していきたいですね

 

家事を分担するうえで、

子供側も何かに夢中になっているなど「都合」がありますから、

「今しなさい!」より「あと〇分したらお願いね」とか「〇時間内にこれしておいて」

と時間的な幅を与えると、自分なりに「考え」動いてくれます、と。

 

今朝も、次女を中学校に送るため家を出る前のことです。

 

私:(週末たためなかった三女と次男の洗濯かごを指しながら)

たたんどいてね。

 

三女と次男:えー、明日するー。

 

私:明日は、朝コーラスがあるから早く出ないといけないよね。たたむ時間ある?

 

三女と次男: ・・・。じゃあ、明後日!

 

私: 日にちおくと、どんどん量もたまるよー。

学校帰ってからでもいいから、今日中にたたんだら?

 

そう玄関を飛び出し、次女を送り戻ると、半分たたんでありました。

「残りは、学校から帰って来てから」とのこと。

 

「今すぐにたたみなさい!」より、

「今日中に」と幅があると、

自分たちなりに計画をたて工夫していきますね。

 

 

 

 

うまくいかない出来事のひとつひとつが、改善への過程です。

そう、試行錯誤を繰り返してきて、そして今も繰り返しつつ、実感しています。

子ども本人の「気持ち、考え、身体を通っているか?」を観ながら、工夫していきたいですね!

 

それではみなさん、今日も良い日を!