ごく最近北海道大学構内で猛毒のジャイアント・ホグウィードらしき植物が見つかったとニュースで知りました。私は今までジャイアント・ホグウィードの和名がバイカルハナウドとは知らなかったのですが、北大のニュース以来日本でもあっという間にこのジャイアント・ホグウィード(Heracleum mantegazzianum)はバイカルハナウドの名で広まっていますね。ロシアではバイカルハナウドそのものではありませんが、やはり3メートル以上になるホグウィード=ソスノウスキー・ボルシチェヴィーク(Heracleum sosnowskyi)画像一覧 の恐ろしさはほとんどの人が知っています。毎年夏前にはメディアでこの植物に気をつけるよう警告が発せられます。
2021年に会誌にロシアのホグウィード=ボルシチェヴィークのことを書いたので載せておきますね。少し変えてあります。
ロシアのホグウィード(ボルシチェヴィーク)のこと
中世の『家庭訓』や修道院の記録にはボルシチェヴィークが食材に使われたことが出てくる。これらは栽培されたものではなく、もっぱら野に生えているものを利用したようだ。そして時とともにボルシチェヴィークは台所から姿を消していった。この食材に使われた野のボルシチェヴィークは、「シビールスキイ・ボルシチェヴィーク(シベリアのハナウド)Heracleum sibiricum)で、名前にもかかわらずシベリアだけでなくロシアのどこにでも生えている。このボルシチェヴィークは現在危険であると騒がれているボルシチェヴィークとはハナウド属は一緒だが別の種類だ。
今、ネットで<Борщевик (ボルシチェヴィーク)>と検索すると「注意! いかにして危険な植物から身を守るか?」「今年の夏首都圏ではボルシチェヴィークによる火傷の医療措置を求める人々の数が増大……」などなど警告がある。今やロシアでボルシチェヴィークを知らない人はいない。ボルシチェヴィークがなぜ恐ろしいかというと、この汁が皮膚につくと火傷し、そこに日光があたると水疱性の皮膚炎を長期間引き起こし、治ったようにみえても日光にあたるとまた症状がぶり返す。汁(樹液)だけでなく、直接さわっても症状がでて、体の八〇パーセント以上の場合は死をまぬがれず、汁が目に入った場合には失明することもあるという。
私がはじめてこのボルシチェヴィークを見たのは、一五年ほど前友人とふたりでロシアに行ったときだった。ペテルブルグからプスコフへ向かうバスの窓から外を眺めていると防雪(風)林として植えられたトーポリの手前の道路端に人間の背丈をゆうに越える逞しい植物がどこまでも密に生えていた。葉も一メートルはあるかと思えるくらい大きく、濃緑で縁がぎざぎざしている。葉の間からは枯れて茶色くなった太い花茎がまっすぐに伸び、その頂きにこれまた大きな半円形の散形花序がドライフラワーになって何本か傘のように広がっていた。プスコフ市内やミハイロフスコエ周辺では見かけなかった。
数日後ガッチナ地区にあるプーシキンの曽祖父ガンニバルの小さな博物館を訪ねた。若い館員が庭を案内してくれた。大きな池に沿った道の片側にプスコフに来る時に見た逞しい草がみごとに群生していた。
名をたずねてみると、「ボルシチェヴィークです」とのこと。つづけて、さわると皮膚が火傷したように腫れあがり、危険な草だけれど、白い花をたくさんつけた大きな花序はとてもきれいで傘に見立てて遊んだこと、枯れてしまえば触っても大丈夫なこと、子供はしばしば茎を折り取ってちゃんばらごっこをして皮膚に炎症を起こし、中空の茎を笛にして遊んで唇と口の中が水ぶくれになって腫れあがり、苦しむこと、子供だけでなく、成人の被害者も毎年非常な数が病院に運ばれることなど話してくれた。
これはソスノフスキイ・ボルシチェヴィークである。高さ三~六メートル、茎は直径一〇センチ以上にもなり、上方で分岐、そのすべての枝の端におおきな散形花序をつける。花の色は白色、ピンク色のものもある。(ちなみに「野のボルシチ」こと、シビールスキイ・ボルシチェヴィークの花は黄色または緑色がかっている。)葉も大きくて直径五〇~八〇センチにもなる。7月から9月開花、何千もの種子をつける。一度結実すると枯死する。
学名Heracleum sosnowskyi 一九四四年にカフカース植物相(フローラ)の研究者で植物学者のイーダ・マンデノヴァ(一九〇九-一九九五)によって新種記載され、命名はカフカース植物相の研究者ドミトリイ・ソスノフスキイに敬意を表して献名された。この植物は一九四〇年代後半に家畜の飼料作物としてロシアに持ちこまれた。戦後の国内畜産業の飼料基盤の引き上げが巨大ボルシチェヴィークに託されたといえるだろう。指導者スターリンはこの植物を寒さに強い飼料作物として栽培するようロシア中に命じ、その方針はフルシチョーフ、ブレジネフへと受け継がれた。一九六〇年から八〇年にかけて、ソ連邦共産党と政府の強力なテコ入れを受けて、ボルシチェヴィークは寒さに強く収量の多い、新しい飼料作物として州のプログラムに組み込まれた。一九七〇年代ソ連の指導者は東側諸国にも栽培を奨励した。畜産家はこれを食べた雌牛の乳には苦味が出るとし、毒草だと判明したため栽培は止められたが、畜産家たちはその後も長い間この草を「スターリンの復讐」と呼んだそうだ。はじめからの陣頭指揮をとったコミ共和国の生物研究所の農学者P・P・ヴァヴィロフはおそろしい毒草を東側諸国に広めた張本人とされている。ロシアではこの草をめぐって環境汚染をさせるため特殊任務の研究所にひそかに持ちこまれたとか、アメリカのスパイが持ちこんだとの噂があったという。
ボルシチェヴィークを根絶するには、種が飛び散る前なら天気の悪い日を選んで、皮膚に触れないよう防護服で武装し、根こそぎ掘り起こす。種子が飛んだあとだったら根の周囲に種子が残っているので土を掘り起こして焼き払う。多くの株が地面を蔽いつくしているような最悪の場合は除草剤を使うなどなど、あらゆる方法が用いられなければならない。
二〇一八年以降モスクワ地方では個人の、また法人の所有地にボルシチェヴィークを繁殖させていたら、罰金が科せられる。
大分古い話だが、イギリスのロックバンド、ジェネシスの“The Return of the Giant Hogweed”は「巨大ブタクサの逆襲」と訳されていた。hogとはあるが、ホグウィードはブタクサではなくて、ボルシチェヴィークである。(この曲は今でもネットで聞くことができる。)
ロシアのソスノフスキイ・ボルシチェヴィーク、イギリスのジャイアント・ホグウィード(Heracleum mantegazzianum)はともに現在人びとにもっとも恐れられる植物となっている。そして、ついに日本にも現れた。ロシアでの様子をみると広がりを阻止するのはなかなかに困難のようだ。(『なろうど』83号)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます