花巻市東和町のふるさと歴史資料館の古文書講座に通っています。先日は2回目の講座でした。なかなか講座に連続して通うことができず、実は去年はこの講座、6回のうち1回しか行けませんでした。そんなんでも今年もまた(行けるときだけでもいい)というお許しをいただきました。
明治3年の歎願書です。
げげって感じでしょう。講師の先生が読んでくださるのを、ただひたすら目で追っていきます。するとなんとなーくわかった気になるから不思議。
一行目は、乍恐以書付奉歎願候(恐れながら書付をもって歎願奉り候)
二行目 盛岡和賀郡之内安俵高木通
三行目 百姓共総代……
「盛岡和賀郡」あたりは、確かにって感じですね。今の東和町のことです。一行目のは、古文書で残っているのは多くが公的なものなので、これで始まるものが多いようです。で、これが何の歎願書かというと、明治の廃藩置県の前年、ここ南部藩の殿様が白石へお国替えになったのですが、それに対して、いくつかの町から出されたもので、「殿様をよそさやらねでけれ。おらほの殿様はしったげええ人だがら(殿様を他に移さないでください。うちの殿様はすばらしい方ですから)」と面々とつづられています。*この歎願書が方言で書かれているわけではありません、あしからず。雰囲気を出してみたくって。
長雨や出水がたびたびおこったときは、年貢を免除してくれた。火災にあえば木材はもちろん金米などお助けくださった。飢饉のときは救助を受け餓死者もなく……と続きます。そこでえ? と首を傾げてしまうのは、南部藩というのは日本で一番百姓一揆が多かったところです。つまり飢饉で米がとれなくても年貢の取り立てが厳しく民は苦しんでいたわけで、それって矛盾してませんか?
というわけできいてみました。すると受講生の中で地元の歴史に詳しい方が、「おそらくこれは、上から書けと言われて書いたものだろう」と。なーるほどね。今ならやらせメールというわけですよねー。
それにしても、おおぎやなぎはまるで小学生のような質問をします。きのうも先生一時絶句! 周囲の受講生からは失笑という場面もありました。いいんだもんね。
は、まさに南部の大一揆を描いたものです。きっと岩手に足を運んで調べられたのだろうなと思います。生前お会いできたのは5回くらいだったでしょうか。もっといろいろなことを伺っておけばよかったと悔やまれます。この歎願書のことのなんかもおもしろがってくれたんじゃないかなあと思いました。昨日7月3日は命日でした。