学級崩壊の原因として,
ひとつの可能性とふと思いついた。
これは単なる思いつきであることを
あらかじめお断りしておく。
学級集団が崩壊する原因として,
よく教師の指導力などが問題にされるが,
実は,学級集団というものは,
教師がいなくても大きくは崩れないように
従来組織化されているものであった。
つまり,従来の学校では,
学級委員(長)を中心とする各委員,
班長,班員というように,
一種のヒエラルキー構造が学級の中に明示的に
形成されている(させられている)のが普通であった。
一種の擬似社会構造をもっていたのである。
そのような学級では,
その社会構造を健全に機能させる仕掛けを
上手につくっておきさえすれば,
まがりなりにも,教師不在であっても,
学級の秩序を維持しようとする力が自然に働くものである。
つまり,教師なしに秩序維持できる可能性があるのである。
このような集団の掌握は学級担任にとっては比較的容易である。
しかしながら,最近の学級では,
学級委員(長)を定めない場合も多いようである。
つまり,学校から任命されたという権限あるいは権威を明示された
リーダーがおらず,組織構造も明示されないのである。
そのような集団の秩序を維持する権能は,
学級担任ひとりに任されていることになる。
教師一人の力ではどうしようもない状態に陥るというのは,
けだし当然であろう。
最近の子どもたちは集団づくりができないという議論をよく耳にするが,
それは,もしかしたら,当たり前なのではないか。
未熟な子どもたちに,リーダーもない集団の中で,
秩序だった学級集団を形成せよというのは,
ほとんど不可能なことを子どもに要求しているのに等しい。
(大人でもその成因が固定されているような共同体で,
制度的にリーダーや役割を決めるような社会制度や相互了解がない限り,
共同体を共同体として維持することは困難であろう)
学級の中に固定されたリーダーや組織構造を積極的に形成することを
忌避させるようになってきたそのユートピア的な教育観・学校観に
そもそも無理があったということに気づくべきではないだろうか。
ひとつの可能性とふと思いついた。
これは単なる思いつきであることを
あらかじめお断りしておく。
学級集団が崩壊する原因として,
よく教師の指導力などが問題にされるが,
実は,学級集団というものは,
教師がいなくても大きくは崩れないように
従来組織化されているものであった。
つまり,従来の学校では,
学級委員(長)を中心とする各委員,
班長,班員というように,
一種のヒエラルキー構造が学級の中に明示的に
形成されている(させられている)のが普通であった。
一種の擬似社会構造をもっていたのである。
そのような学級では,
その社会構造を健全に機能させる仕掛けを
上手につくっておきさえすれば,
まがりなりにも,教師不在であっても,
学級の秩序を維持しようとする力が自然に働くものである。
つまり,教師なしに秩序維持できる可能性があるのである。
このような集団の掌握は学級担任にとっては比較的容易である。
しかしながら,最近の学級では,
学級委員(長)を定めない場合も多いようである。
つまり,学校から任命されたという権限あるいは権威を明示された
リーダーがおらず,組織構造も明示されないのである。
そのような集団の秩序を維持する権能は,
学級担任ひとりに任されていることになる。
教師一人の力ではどうしようもない状態に陥るというのは,
けだし当然であろう。
最近の子どもたちは集団づくりができないという議論をよく耳にするが,
それは,もしかしたら,当たり前なのではないか。
未熟な子どもたちに,リーダーもない集団の中で,
秩序だった学級集団を形成せよというのは,
ほとんど不可能なことを子どもに要求しているのに等しい。
(大人でもその成因が固定されているような共同体で,
制度的にリーダーや役割を決めるような社会制度や相互了解がない限り,
共同体を共同体として維持することは困難であろう)
学級の中に固定されたリーダーや組織構造を積極的に形成することを
忌避させるようになってきたそのユートピア的な教育観・学校観に
そもそも無理があったということに気づくべきではないだろうか。