Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(393)

2021-10-15 00:10:00 | コラム
しょん「べん」→「べん」きんぐすれー

デビュー初期に「超」当たり役に出会うこと、そりゃあもちろん俳優にとっては「超」ハッピーなはずで。

けれども、その「超」当たり役が鮮烈に過ぎると、その後、なにをやってもそれをイメージしつづけてしまうというか。

「超」当たり役の呪縛。

最も分かり易いのは、『エクソシスト』(73)でリーガンを演じたリンダ・ブレアでしょう。

おとなになってもリーガンのイメージは消えず、最終的には「リーガンのセルフパロディ」を演じる羽目に。
日本では「おしん」の小林綾子とか、「蛍」の中嶋朋子とか?

いちども陽の目を見ることがない俳優だって居るわけで、そう単純に気の毒がるな、、、といわれるかもしれないけれど、そういう場合って内容が入ってこず、俳優という職業の難儀さを感じてしまったりするのよね。

ベン・キングスレーだって、そうなる可能性があった。
訂正、そうなる可能性は「かなり」高かったはず。

けれども、そうはならなかった。
いまでは「ナイト」の称号を持つ、英国を代表する名優として多くの俳優に尊敬されている。

なぜ、そうなる可能性が「かなり」高かったのか。

ガンジーに「そっくり過ぎた」から。


これじゃあ、なにを演じてもガンジーになってしまう!!



80年代は「そうなりそう」だったけれど、
90年代に、大きなイメージチェンジを図ったわけでもないのに「うまいこと」回避することが出来ている。



91年、実在したギャング「メイヤー・ランスキー」を演じた『バグジー』で好演。
この役を皮切りに・・・

思慮深い副大統領を演じる『デーヴ』(93)、
イツァーク・シュテルンを熱演した『シンドラーのリスト』(93)、
ロマン・ポランスキーが復活を遂げた『死と処女』(94)などなど、
出演する作品がそれぞれ高評価を得て波に乗る。

もうこの時点で、「ガンジーの…」と評する映画ファンは皆無だったんじゃないか。

以降も『砂と霧の家』(2003)や『エレジー』(2008)、
スコセッシとも組み『シャッター アイランド』(2009)と『ヒューゴの不思議な発明』(2011)で画面を引き締める。



娯楽性に富んだ作品も、社会性の強い作品もこなせる、硬軟自在、悪人も善人も演じられるのが強み。

ナイトの称号も納得、
なぜこのひとがうまくいったのかというと、もちろん運もあったでしょうが、やっぱり、本人の能力がいちばんだったのでしょうなぁ。

こう書くとリンダや小林綾子はどうなるんだって話だけど、まぁでも、これからの人生で大逆転!ってこともあるので(^^;)


あすのしりとりは・・・
べんきんぐす「れー」→「れー」す。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(394)』
コメント
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