江戸時代の交通の要であった五街道のひとつ、奥州街道。
その宿場町として、1618年に伊達政宗公の命で整備されたのが「富谷宿」です。七北田(仙台
市泉区)と吉岡(大和町)の間に新しくできた宿場なので「新町宿」とも呼ばれました。
新町宿の整備を命ぜられたのは、黒川家の元家老、内ヶ崎筑後(後に織部と改名)でした。「検断」や「本陣」など宿場町の要職を任された内ヶ崎家は、内ヶ崎酒造店をはじめとして、現在のしんまちにもさまざまな形で歴史と文化を伝えています。
陣に次ぐ格式が求められる脇本陣をはじめたのは、名望家の気仙屋でした。
1876年と1881年の東北北海道行幸で明治天皇が御小休なされたこともあり、その部屋は現在も
保存されているので、希望すれば見学も可能です。
検断(けんだん)とは、宿場町の治安や交通運輸などを管理する役職。検断のほかにも「肝入(き
もいり)」などさまざまな役職があり、宿場の運営を行っていました。
脇本陣跡
4月日咲いている花「紫ケマン」
開花時期は、 4/ 1頃~ 4/25頃。
・湿ったところに生える。
・華鬘とは、仏殿の垂れ下がった造花状の飾りの
ことで、花鳥や天女像をあしらったものが多い。
この花はどうやらその華鬘と似ているところから
名づけられたらしい。
・「黄華鬘(きけまん)」は紫華鬘と
同じような形の花。色が黄色。
・別名 「華鬘(けまん)」。
(季節の花300より)