季節の花と言葉の花束

写真付きで季節の花や言葉の意味をを書くならgooブログ

季節の花の紹介と言葉の花束を書いています。

日光・奥州街道(大沢宿)

2008-01-31 07:20:20 | インポート

当初、日光市は輪王寺の門前町であった。東照宮が日光に設置された理由は、輪王寺の住職が徳川氏と関係を持っていたためである。日光参詣のために、日光街道を初め、日光西街道(壬生通り)、日光例幣使街道、日光北街道、会津西街道など、多くの参拝路が整備された。

新日光市の行政区画は、江戸時代の天領である日光神領の領土にほぼ相当する。その中で、日光東照宮の門前町、言うなれば「中央政府直轄地域の首府」が、旧日光市に相当する。

 

人口278人、家数43軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠41軒。1617年日光御鎮座の後、街道が開け大沢村改め大沢宿となる 。

 大沢---水無一里塚---七本桜一里塚---和尚塚---今市宿迄 7.8kmの道程である。

大沢の地名の由来:は

建久年間(1190~99)に源頼朝が狩に訪れたとき、広大な荒地だったのを見て、
4人の従者(宮下、大島、安西、高橋)に開拓居住させたが始まりという。地名は
この頼朝の恩沢にちなみ「恩沢」と称され、のちにそれが大沢(おおたく)となり、さらに現在の読み方の「おおさわ」になっと伝えられている。


うらない仏付近の旧街道


冬の花「胡蝶蘭」

蘭にもいろいろ変わった形があります。     
  胡蝶蘭(こちょうらん)とか、カトレアとか。
  切り花、生け花でもよく使われます。       
  いちおう、ここでは                       
  「蘭」というページ名にしてみました。      
     
   (胡蝶蘭、カトレア、                    
               パフィオペディルムを掲載)  
・中国で呼ばれる「四君子(竹、梅、菊、蘭)」
  の一つ。水墨画の画材にもよく使われる。    
(季節の花300より)



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日光・奥州街道(徳次郎宿)

2008-01-30 07:06:05 | インポート

江戸時代初期の1622年には、徳川家康の腹心であった本多正純が宇都宮藩15万5千石で入城して城下町を含め中世宇都宮城を大改築し、周囲14km、高い土塁(一部石垣)と濠、土塁上には8つの櫓を備える近世平城(輪郭梯郭複合式平城)の縄張りとし、関東七大名城と呼ばれるほどの大城郭へと生まれ変わり、現在の市街地の基本構造を築いた。しかし正純はその後宇都宮城無断改修を咎められて(宇都宮城釣天井危険は架空の事件)改易され、その後は藩主が奥平氏、松平氏や戸田氏、本多氏、阿部氏など目まぐるしく交代した。この間も、大名の参勤交代や日光東照宮の造営などによる往来も多く、重要拠点として「小江戸」と呼ばれる程に盛えた。

徳次郎宿は宇都宮市の西北に位置し今市市に隣接している。
徳次郎宿は江戸から18番目の宿で、宇都宮側から下徳次郎宿、中徳次郎宿、上徳次郎宿の3つの宿から成っていて、人馬継立は各宿当番制で順番にやっていた。
ただ当初は上徳次郎宿だけだったのが、願いにより享保13年(1728)から仲徳次郎と下徳次郎にも宿場が置かれたという。
宿場規模は、本陣3軒、脇本陣4軒、旅籠72軒、人口653人。

徳次郎の地名の由来:徳次郎は「とくじら」と読む。
日光に大きな勢力をもっていた久次郎(くじら)一族が、
奈良時代末期に日光二荒山神社からご神体を智賀都(ちかつ)神社に勧請したとき、日光の 宗家久次郎に対し外久次郎(そとくじら)と称したのが始まりといわれている。

下徳次郎、中徳次郎、上徳次郎の三宿を合わせて徳次郎宿といわれる。日光・久次郎村より移住してきたことから外久次郎村、または遠久次郎村といわれていた。新田徳次郎なる者が居住していたことから徳次郎の文字となる 。当初は上徳次郎村だけだったが、中徳次郎、下徳次郎、その他の村ができ徳次郎六郷となる

 徳次郎---一里塚---石那田---杉並木寄進碑---大沢宿迄 8.9kmの道程である。


本陣跡の上野家



冬の花「ノースポール」

開花時期は、12/20頃~翌6/15頃。     
・原産地はアフリカ北部アルジェリアあたり。     
  日本には1960年代頃に伝えられた、新しい花。
  地中海沿岸に広く分布している。               
・花つきがよく、株全体をおおうほどに白く       
  咲くところから「北極」のイメージが連想され、 
  そこから「ノースポール(北極)」の名になった。
 
・マーガレットよりちょっと小型。               
・道端の花壇によく植えられる。                 
・別名「クリサンセマム・ノースポール」         
      「クリサンセマム・パルドーサム」 

(機sつの花300より)

        


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日光・奥州街道(宇都宮宿)

2008-01-29 09:00:04 | インポート

宇都宮宿の宇都宮城は栃木県宇都宮市本丸町にあった日本の城。関東七名城の一つ。江戸時代は宇都宮藩の藩庁となった。遺構は殆ど残っていないが、本丸の構造物の一部(清明台、富士見櫓、土塁・堀、土塀)が外観復元され、宇都宮城址公園として一般に公開されている。今後、本丸御成御殿、本丸清水門、本丸伊賀門を復元する計画がある。

人口6457人、家数1219軒、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠42軒。日光道中第一の繁昌の地、下野国第一の都会なりと言われていた宿場である 。二荒山神社が下野国「一の宮」と言われていたことから訛って宇都宮となった説などがある

国道4号線→市街地道路(蓬莱大黒通り)→国道119号線(100mほど)→市街地道路(清住町通り)→119号線
 の経路となる。
日光街道と奥州街道は江戸日本橋から同じ道であったが、
宇都宮市街の裁判所前付近で、経路が別れる。
また有名な杉並木の通りが、ここから始まる。
宇都宮宿は宇都宮城の城下町であるとともに、宇都宮大明神(二荒山神社)の門前町、
そして日光街道・奥州街道の宿場町として発展してきた。
 宇都宮---駐屯地---バス亭一里---徳次郎宿迄 9.1kmの道程。


宇都宮は餃子で有名。


冬の花「ラナンキュラス」

西アジア、トルコ地方原産。           
・冬から春にかけて開花。花びらが       
  幾重にも重なっているのがおもしろい。 
・別名  「花金鳳花(はなきんぽうげ)」 
        ”色彩の華やかな金鳳花”から。 
・1月31日の誕生花。                 
・花言葉は「あなたは魅力に満ちている」

(季節の花300より)


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日光・奥州街道(雀の宮宿)

2008-01-28 07:08:55 | インポート

宇都宮は、蝦夷平定のためこの地に足を踏み入れた豊城入彦命が開祖といわれており、当時「池辺郷」といったこの地に命を神として祀った宇都宮ニ荒山神社(社伝によると西暦1353年創祀)の萬全町として、また二荒山神社の神官としてこの地に赴任した摂関家藤原北家道兼流・宇都宮氏の直轄地として栄えた。

江戸時代になると徳川家康の廟所となった日光へ向かう日光街道と奥州白河へ向かう奥州街道が整備され、二つの街道の分岐点(追分)となる宇都宮宿の宿場町ともなった。

雀宮宿は宇都宮市の入口に位置し、日光街道が開かれた時に新しく作られた宿場だといわれている。
慶安元年(1648)の記録によると、本陣と脇本陣が各1軒、旅籠38軒というという小規模な宿場であった。
この地の茂原は中世たびたび合戦場となったところで、
天授6年(1380)、下野の両雄と言われた宇都宮基綱と小山義政の壮絶な戦いがあり、
「小山・宇都宮合戦」といわれている。
結果は基綱が敗北し一族300余人がことごとく討死してしまった。
このとき討死した兵の鞘を集めて埋め、堂を建てて地蔵を安置したのが
隣接の石橋宿にある鞘堂地蔵である。

人口268人、家数72軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠38軒 日光街道が開けてから街道に移り住み鎮守の雀宮神社があることから雀宮宿となる。日光側より上、中、下の三町で構成され中町に本陣が置かれていた

  雀宮---駐屯地---バス亭一里---宇都宮宿まで 7.9kmの道程であtる。


雀の宮宿本陣跡



冬の花「クリスマスローズ」

いい名前ですねー。                       
  「クリスマスローズ」は、                 
  クリスマスの時期に咲く、バラ(ローズ)に 
  似た花、ということから命名。             
  多くは2月の節分頃から3月頃の開花だが、 
  クリスマスの時期に咲く品種もあるらしい。 
  「レンテンローズ」は、キリスト教の       
  レント(受難節、イースターまでの40日間)
  の頃に咲くためにそう呼ばれる。           
  季節で言うと2月頃から3月頃まで。        
 
・ヨーロッパ原産。                         
・白く清楚でやや大きめの花。ピンクもある。 
  神代植物公園でたくさん植栽されていた。   
  とても人気がある。 

(季節の花300より)  

          


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日光・奥州街道(石橋宿)

2008-01-27 06:57:27 | インポート

江戸時代、日光街道の宿場町として栄えた。明治時代、廃藩置県により日光県~栃木県となり、仮の県庁が置かれたこともある。明治期以降、周辺農村の中心地として栄えた。近年は、消防署や警察署等が設置され、広域行政の中心地としての役割も担っていた。

人口414人、家数79軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠30軒 上町、下町、下石橋と町が続き当時は繁盛していたが今は車の往来が激しいのみ。宿役を努めていた伊沢諸氏はその昔多功城没落時に土着し百姓となった旧家である

 石橋---鞘堂地蔵尊---一里塚跡---陸自駐屯地---雀宮宿迄 5.7kmの道程。

石橋の地名は一説によると、池上明神(現在はない)の前の水が流れるところに、
当時では珍しい石の橋があったところから、つけられたとも伝えられている。
石橋宿は、天保14年(1843)の記録によると、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠30軒で小規模な宿であった。


JR石橋駅風景



冬の花「ヒマラヤ雪の下」

開花時期は、12/15頃~  4/20頃。
・ヒマラヤ地方原産。明治初期に渡来。     
・きれいなピンク色の花。長い間咲く。     
・暑さ寒さに強いが湿気を嫌うらしい。     
・林下や岩の間で生育する。               

・名前は、ヒマラヤ、シベリア地方に多くて 
  寒さに強く、冬でも常緑の葉を雪の下から 
  のぞかせていることから。               
  (または「雪の下科」であるところから)。
・葉は革質で固い。葉や茎にタンニンを多く 
  含むので、ロシアではこのタンニンを     
  製革用に使用している。                 
・何年たっても草姿が乱れないので園芸品種と
  して人気がある。                     

(季節の花300より)

 


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