1690年に米ケ袋から移されたもので、幕末まで178年にわたり百姓や町人などの罪人の極刑が執行された。この間の処刑者は5,300人とも7,000人ともいわれているので、単純に平均すると1年あたり30人あまりということになる。牢舎は片平町にあった。 仙台藩5代藩主の伊達吉村公の夫人長松院〔ちょうしょういん〕(久我貞子)の遺言により、1745年に刑場の南に河南堂〔かなんどう〕、北に河北堂〔かほくどう〕といわれた常念仏堂〔じょうねんぶつどう〕を建立した。刑が執行されたつど読経供養したという。河南堂に掲げてあった「抜苦〔ばっく〕」の額は山の寺洞雲寺に保存されている。
【腑分け】1798年、長崎でオランダ医学を学んだ仙台藩医・木村寿禎〔きむらじゅてい〕が腑分け(解剖)を行ったといわれる。供養碑がたっていたが荒町の仏眼寺に移設された。
七北田一里塚
塚の上に杉の大木があったが1952年の落雷で倒された。この大木の根元には青大将が棲んでいて蛇神といわれた。向かい側にも塚があり榎の大木があった。【今】痕跡らしきものは何も残っていない。
中心部は、江戸時代の奥州街道(仙台・松前道)の宿場町・七北田宿を基礎に発展してきた。
龍門山洞雲寺
4月に咲く花「庭桜」
開花時期は、 4/ 1頃~ 4/20頃。
・庭梅に似ているが庭梅は一重で
この庭桜は八重。
・花の色は白またはピンク。
・実はならない。
(季節の花300より)