江尻は巴川の海運や、宿の南にある清水湊の海運で町だったが街道沿いは空襲により当時の面影は残っておらず、現在は商店街になっている。
この地(静岡市清水区)はサッカーの町として知られている。少年サッカー発祥の地で、清水エスパルスの町でもある。
江尻宿には1695年創業「追分羊かん」があり、徳川慶喜公も食べたという。
「是より三づ道」と書かれた道標があり、東海道と清水湊追分として示されている。
脇本陣をスタートすると、すぐ稚児橋を渡るが、橋の根元に河童像が建っている。
ここ清水湊は街道一の大親分、清水次郎長、本名山本長五郎。お馴染み広沢虎三の浪曲で知られる、若い時は無宿渡世の旅に出る。その後、博徒一家を構える。幕末には街道警護役に任命され、明治に入ると清水港の発展や富士山麓の開墾を行う任侠の人で有名。次の宿府中宿まで10.5kmの行程である。
広重の絵は「三保遠望」である。入船出船の賑わいを見せている。
晩秋の花「菊」
「きく」は漢名の「菊」を音読みしたもの。
また、「菊」の漢字は、散らばった米を
1ヶ所に集める、の意で、菊の花弁を米に
見立てたもの。
漢名の「菊」は”究極、最終”を意味し、
一年の一番終わりに咲くことから名づけられた。
・大輪の菊はよく菊花展で見かける形で
文化の日(11/3)前後が見頃。
菊花展で見られるのは
「厚物(あつもの)→ 大輪もの」と
「管物(くだもの)→ 細い花びら」に分けられる。
・中国では菊は不老長寿の薬効があるとされ、
陰暦の9月9日(重陽の節句)には菊酒を飲み
長寿の祈願をした。これがしだいに日本にも伝わり、
菊の花を酒に浮かべて飲み花を鑑賞する
「重陽の宴」が催されるようになった。
のちに菊は皇室の紋章になり、日本の国花になった。
(日本の国花はこの菊と桜の2つ)
・中国で呼ばれる「四君子(竹、梅、菊、蘭)」
の一つ。水墨画の画材にもよく使われる。
・花の盛りは11月だが、冬になっても「残菊、晩菊」
というサブネームで咲き続ける。これらはだいたい
小菊のことだが、野性味の濃い小菊は寒さには強い。
これらは冬になっても咲いているので「冬菊」とも、
寒気の中で咲いているので「寒菊」とも呼ぶ。
しかし、年を越える頃にはやはり枯れてしまう
→ 「枯れ菊」になる
( 両者ともにすぐれており捨てがたい、の意。
・兵庫県の県花(野路菊)
・12月3日の誕生花(菊)
1月5日、8月6日の誕生花(小菊)
10月10日の誕生花(蛇の目菊)
10月20日の誕生花(スプレー菊)
11月22日の誕生花(東雲菊)
・花言葉は「思慮深い」(菊)
「真実、元気」(小菊)
「いつも愉快」(蛇の目菊)
「私はあなたを愛する」(スプレー菊)
「困難に耐える」(東雲菊)
(季節の花300より)