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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

秋の東北紅葉狩り ~中尊寺~

2018年12月03日 |    東北(2018)

四日目は中尊寺、厳美渓、鳴子峡を巡りました。盛岡から東北自動車道を南下すること約1時間で平泉前沢ICに着き、そこから10分ちょっとで中尊寺でした。

中尊寺は藤原四代の栄華に触れる場所です。道の両側に杉の大木が続く表参道の月見坂をしばらく登ると中尊寺本堂に着きますが、途中に杉並木が途切れて、はるか向うを見渡せる物見台があります。そこにはこんな景色が広がっていました(私が作った切り張り写真なので見にくいですが)。
       

上の写真の右寄りに白っぽく写っているのが、蛇行する北上川です。蛇行しているので写真では一部しか写らず池の様に見えていますが、北上川はこの写真の右側へと流れています。北上川の左手は、写真の様に今は何もなく畑や田んぼがずっと広がっていました。

12世紀頃、藤原清衡から泰衡まで四代にわたり栄えた平泉。ガイドブックによると当時の人口は京都に次ぐ規模を誇っていたそうで、今は畑や田んぼが広がっている、上の写真の辺りには多くの人々が住み、商業が盛んでとても賑わっていたと言われているそうです。

往時を想像しながら、物見台からここを眺めていると、一瞬当時の町の賑わいが聞こえて来た様な気がしました。遥かな時の流れと、その中でまばたきの様な一生を終える私達のことを思い、悠久の時の流れや悠久の自然の中で生きる人間というものを改めて考えました。そして中尊寺にある沢山の歴史あるお堂より何より、私にとってこの物見台から見える景色は感慨深いものでした。

中尊寺境内は観光シーズンでもあり多くの人々が訪れていました。金色堂は、本堂前の道をはさんで斜め前辺りの木立の中にある現代建築の覆い堂内にあります。堂内は写真撮影は禁じられていましたが、その内陣は螺鈿細工、蒔絵などの漆工芸や細密な彫金で飾られ、まばゆいばかりでした。中央の須弥壇下には藤原四代のご遺体がミイラ状で埋葬されているそうです。
<覆い堂内に金色堂があります>

藤原四代の清衡公、基衡公、秀衡公、泰衡公は、12世紀のこの奥州平泉の地に100年の平和をもたらしたという意味において、偉大な為政者であったのだと思いながら平泉を後にしました。

        夏草や 兵どもが 夢のあと
                          松尾芭蕉